5.勇者と結界の理 ②
「健、これ…」
「………」
どういうこと?
世界を守ってるのが結界だから、それが偽りってこと?
それとも、守ってるってのが嘘ってこと??
伝えるべき内容なのか判断に迷う。
ここにいる人達に騙されているとは思えないが、同郷者のメッセージが全くのデタラメとは思えない。
「どうした?何が書かれていたのだ」
「賢者からの伝言。『この世界は偽りで守られている。真実を探せ』だって」
「何だと?!」
エイルさんは健からそのメモをひったくるが、如何せん文字は漢字と平仮名。眉間に皺を寄せ難しい顔をすると、私達に紙を返してきた。
「謎掛けでしょうか?賢者の言葉ですし、意味のないものとは思えませんが」
第6王子も首を傾げる。
「この世界を守ってる結界が偽物ってこと?」
「いや。俺は結界を実際に出入りしてたから、結界が確かに存在してると知ってる。目には見えないけど存在はわかるよ」
「ああ。なんつーか、見えない壁みたいな感じだな」
そうだ。私は結界の前には行ったことがないけど、健は行き来してるし、王弟も間近でみてるんだ。
そもそも、結界ってなんだろう?
「あの、基本的な質問で申し訳ないんですが、結界って何から出来てるんです?聖力?魔法?」
「あなた馬鹿なの?聖力な訳ないでしょ。聖力勝負なら聖女のあなたが一番強力なのに、賢者がやるわけないじゃなっいだっ!」
あ。ミエールがまた教育的指導受けてる。
懲りない子だな。
まぁ確かにミエールの言う通りなんだけどさ。
じゃあ結界は…
「魔法、ということですか」
「賢者は救世主の中で最も魔力が高い。その膨大な魔力量をもって世界を囲む結界を創り出す」
「結界は魔法…では、魔法は何から創り出されるんです?」
「魔法は大気中の『魔素』を取り込んで発動する。魔道士が他より優れているのは、身体の魔導回路が効率よく魔素を魔法に変えられるからだ。消費魔力の少ない生活魔法などは、人間の体内にある魔素で十分だがな」
ふむふむ。
ん?人の体内の魔素?
「魔素って、魔物の中から採れる魔石も魔素の塊ですよね?」
「そうだな。魔素が体内に溜まりすぎると毒となる」
魔素は魔法の素となるけど、過ぎたる魔素は毒となる。
聖女は瘴気を浄化する。瘴気は穢れ。瘴気は毒。
魔素と瘴気。
動物達は瘴気にやられて魔獣や魔物に変化する。
死後、その身体に残るのは魔素の塊。
「あの…瘴気に穢され続けたら人はどうなりますか?」
「普通の人間は毒に耐えられなくて命を落とす。どうした?何故そんな事を?」
普通の人間は耐えられない。
じゃ、普通でなかったら?
聖女に救われなかった人は『何』に変化するの?
「あ、あああああぁぁっっ!!!」
「!どうした、ミーナ!!」
「聖女様!?」
「聖女!」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
考えるな駄目だ思考を手放せ。
心が叫ぶのを止められない。
『たすけて』
声がする。
その声が段々と増えていって、耳を押さえても脳に入り込んでくる。頭が割れそうなほど、悲痛な叫びと罵声。
『どうしてもっと早く来なかった』
『どうして助けてくれない』
『聖女がいないからだ』
『聖女のせいだ』
『はやく。はやくきて』
はやくしないと、人でなくなってしまうーーーー
「美依菜」
私を呼ぶ声。
聖女でも、ミーナでもない。
正しく私の名を呼ぶ、ただ一人の声。
もう、他の声は聞こえない。
「美依菜は僕に会うために来たんだ。遅くなんてない。間違ってない」
だから大丈夫だ、と。
「世界中の人間を敵に回しても。美衣菜が僕を救ってくれたように、僕は君を守る」
健は知っていたんだね。
自分が戦わされた相手が何だったかを。
閉ざしてしまった心の中に真実をしまい込んで、一人で抱えていてくれた。私が罪に苛まれないように。
大声で泣き叫ぶ私の肩を健は片手で抱き締める。
残りの手で握られるぬくもりに顔をあげると、あの日の健と同じ瞳がそこにあった。絶望も嘆きも憎しみもない、ただの遠坂 美依菜を見つめる瞳が。
起こさないで、って言ってたのに。
ごめんね。
「だいじょぶ、なの…?」
「…どっちが」
僕よりよっぽど美依菜の方が大変でしょ、とそう言って健は苦笑した。
「おい。一体どうしたっていうんだ、お前ら」
いけない。皆のこと置き去りにしちゃってた。
心配そうに尋ねる王弟に、僕が説明する、と健は言った。
「知ってもらいたい事がある。結界の向こうの魔族について」
「お前……健、なのか?」
明らかに健の纏う空気が違うせいで訝しむ王弟。
「今はそんな事どうでもいい。黙って話を聞け」
「「「 」」」
凄いプレッシャー。
王様と王妃様は魔道具のおかげで無事だけど、他の面々は圧に負けて膝を付く。ミエールに至っては耐えきれず嘔吐した。
「健、待って、抑えて!」
ふっ、と空気が緩んで皆の呼吸が楽になったのか、ゲホゲホとむせこむように息をする。
「おま、え…誰だ?」
「…健ですよ。貴方の知らない、ね」
まるで魔王だな、と呟くエイルさんの言葉を聞いた健は薄く笑う。
「おそらく、ルディ様に見つけてもらえなかったらそうなっていたでしょうね。魔族は瘴気を溜め込んで変化した人の姿。高位の人型魔族は『召喚勇者の成れの果て』です」
そう。
瘴気の正体は、濃い魔素。
結界は魔素の高密度の層。
だから長くその空気に触れると魔素が体に溜まり、瘴気となって毒となる。動物はそれを発散できないし、受け止める器もない。強い生き物だけが耐え、生き延びるために体を作り変える。そうして獣は魔獣へ、魔獣は魔物へと変貌する。
より強い魔物は瘴気に侵された人間を取り込み、異形の化物へと成り果てるが、知能はそのままだ。
人は魔導回路を持つことで、魔素を取り込み、排出するという循環を可能とする。
優秀な魔導回路を持つ者は、魔法を使い、取り入れた魔素を消費することで体内に魔素が滞る事を防ぐが、魔素に触れ過ぎれば回路が壊れてしまう。
膨大に蓄積された魔素に耐えうる器ゆえ、死なずに変貌を遂げた時、人の理を超えた生物、魔族へと変わるのだ。
そして、とりわけ強大な魔族となるのが、棄てられた召喚勇者だった。
「僕が殺した魔族は、魔物と人が合わさったキメラみたいなやつで、人格はない。獣の知能だ。でも、人型魔族は別。あれはヤバい」
「人型と意思疎通は出来たのか?」
「どうかな。僕は話せなかったから。でも、あいつらは言葉を発してたよ。人間、この世界への強い恨みをね。多分もう変性していて元の人格は無いんじゃないかと思う」
「痛ましい、なんて簡単に言ってはいけない問題だ。僕らの血族は本当に償いようのない、取り返しがつかないことをしてしまった…!くそっ、何て事をっっ!!」
健はそれを聞いても何の感情も湧いていないようだった。表情無く、ただ淡々と説明を続ける。
「結界があれば確かに魔族は侵入出来無い。でも結界によって魔獣や魔物が増えたり、魔族が生まれているのは事実だ。ただし、今、結界を無くせば間違いなく元勇者達に攻め込まれる。何人いるかは分からない。全員が生き延びた訳じゃないだろうし」
八方塞がりというのだろうか。
でもどんな結果になるとしても。
「でも、確かめに行くしかないのよね」
結界が何のために、何から守るために存在しているのか。
その守りを超えた先を見なければ。
そうでなければ、関わり、命を落とした者が報われない。
この世界の嘘と真実を見極めるんだ。
「さて。出発まであっという間だから、すぐ荷造りしなきゃ。帰ろ、健!」
困惑する健の腕を引き、『あとの難しい事は宜しくです〜』と王弟に丸投げして謁見の間を後にする。一応、任せておけ、と返事は貰ってるから大丈夫大丈夫。
健は何も言わないし、私も何も話さない。
結局一言も発しないまま部屋に着いた。
そういえば、健はこのままなのかな。
また戻っちゃうのかな。
いつもの健も大好きだ。でも、この健は。
「…そんな辛気臭い顔しないでも、落ち着くまでいるよ」
「…ずっと落ち着かないかもよ…」
左胸にぽすっと額で寄りかかる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
「ぶっ…棒読みじゃない」
あ~、だめだ。
涙腺崩壊。
ポンポンと頭を撫でられて、ダムは決壊してしまった。
わぁんわぁん、って、子供みたいな泣き方。
「私のほうがお姉さんなのに…」
ぶは、と頭上から笑いをこらえ切れず吹き出した声。
「食べて、寝て起きたらまた元気になる」
「…そうかな」
「そうだよ」
その時にはもういないくせに。
「…絶対に守るよ。だから、一緒に見に行こう」
「君が?」
「ーーーーああ」
(うそつき)
少しの間と、さみしげな声。
もう少し一緒にいたくて、腕を背に回した。
『この世界は偽りによって守られている』
いつかの時代の賢者さん。
貴方はそれを知っても、それでも結界を維持する道を選びました。
でもこのメッセージは貴方の後悔も一緒に綴られている。
誰かに、そうしてほしくて。
貴方から託された思い、受け取っておきます。
ホントは時給1ゴールドだけど、マジックバッグのレンタル料を依頼料代わりにしときますね。