8.勇者と結界の理⑤
このあと短く続きます
あんな顔させたかったわけじゃない。
でも、私のせいで傷を深くさせたくなかった。
ふっと意識が浮上する。
最初に視界に入ったのは玉座に座る少年と、私を抱える腕。
「あの、下ろしてください。立てます」
抱きかかえられ続けるというのは、なかなか落ち着かない。いくら相手が女性でも、だ。
「それは出来ない。この男、最初に言ってた話と違うんでね、信用ならない。あんたを引き渡さないって結論もありなんだ」
「酷いなぁ。キミの勇者は助かるんだからいいじゃない。約束通り血をあげるから、これ持ってとっとと行ってくれない?」
放られる小瓶にある赤い液体。
まさかあれ、私の血じゃないよね…?
少年のにや、と含みのある嫌な笑み。
「血さえ摂れば聖女は返すと言ってたじゃないか」
「うーん、最初はそのつもりだったんだけどさ」
嘘だ。
あんな殺意の籠もった視線向けといて何を。
「だってさー、勇者がすっごい大事にしてたからさ。僕にはいないから、いいなぁって。そんなに良いものなら欲しくなるでしょ?お嫁さんにしようと思ってさ」
「…人はモノではない」
「壊れたら代わりがきくんだ、モノと変わらないよ。僕もそうだったし、その聖女も一緒だよ」
少年は何も気にしてないようにそう話す。
何を勝手に人のこと決めつけて。
私はモノじゃないし、あんたのモノにもならない。
私が帰る腕の中はちゃんと別にある。
お嫁さんになる相手は一人だけだ。
「勝手に人の所有権を決めないでくれる?」
「あ、おねーさん。待ってね、今この煩い蝿を追い払うから」
聞いちゃいない。
なるほど、そうですかそうですか。
「人の話はちゃんと聞きなさいって習わなかったの?ボク」
ぴくりと一瞬だけ眉を潜めたけど、すぐにまた笑顔になる。
中身のない、空っぽな笑顔に。
「これでもおねーさんよりずっと年上なんだけどな。9代目勇者の三田村 正だよ。召喚されたのは、うーん、15、だったかな?」
9、って…確か犠牲になった勇者が50人以上いるから、相当前に召喚された人?
「残念ながら、見た目は止まっちゃったけど、おねーさんは年下好きみたいだし、いいでしょ?」
「いいわけないでしょ!!」
人を少年嗜好みたいに言うな!
アンリは天使なだけだし、健は、その、あれで脱いだら凄いっていうか腹筋がパッカリというか触れたら硬くて…
「って!何想像したの私!!」
いかんいかんいかん。
健はアイドルアイドルアイドル…お触りとか禁止よ。
「どしたの、お姉さん。百面相なんかして」
「ほっといて。あと、私はこんなとこ出てくわよ、あんた達の許可がなくたって。足があるんだし」
「ふーん?まあやってみたら?」
どうぞ、と扉を指差す少年。
くー、こいつ小馬鹿にしてからに!
ふん!なにさチビ!貧血顔!
心の中で精一杯悪態をつきながら扉を開ける。
「な…なにここ…」
雲の上なのか空中庭園なのか。
下が見えない。
え、これ詰んだの?
ロープウェーとかある?
「お城の上だけもってきたんだ。必要な分があればいいでしょ」
まるでイタズラに成功した子供のように笑う。
こういうの、サイコパスっていうのだろうか。
健も感情の一部が欠けてたりしてたけど、こんなあからさまな異常発言はなかったし、対人関係とかちゃんとしてた…してたよね?うん、多分してた!
とりあえず。
こっちが駄目ならあっちよ!
バルコニーへ続くと思われる重々しい硝子の扉を開ける。
そこには一面の青い空と眼下に広がる青い海。
「雲上要塞か何か…?」
「あはは、おねーさん面白いこというね。ここには魔法陣で移動してくるしかない。僕の案内が無いと入れないんだ、だからおねーさんの勇者は迎えに来れないよ」
後は飛んでくるかだね、と嘲り笑う少年。
悔しい。
何も言い返せない。
待つしかないなんて、お姫様じゃあるまいし!
「案ずるな、聖女。私がお前を連れて行く」
銀髪の女性が私と少年の間に立つ。
なんか宝塚の男役みたいだなこの人。
褒めてるのか本人にとって失礼になるのかわからない感想を思い浮かべてる間に、辺りを包む魔素が揺らぐ。
「貴様を一時でも信じた私が愚かだった。このまま聖女が戻らねば世界が滅ぶ」
「キミに何が?その程度の魔力じゃ相手にならないよ」
「!うあああああああーーーーっっっ!!」
それはほんの一瞬だった。
瞬きの間に彼女は黒い魔力の塊のような束で拘束される。
いけない、あれは瘴気。
「ちょっと、止めて!死んじゃうでしょ!」
「死ぬ?別に構わないよ。女が一人死んだところで何も変わらない。逆に、なんでおねーさんはこいつを庇うの?お姉さんを攫った悪い奴だよ?」
「それはそう、だけど。でも殺されるようなことは」
「何も知らないからそんな風に言えるんだよ。こいつはね」
「……やめろ」
「愚かにも機密事項である召喚の方法を僕に教えてしまったんだ。自分の叔父が召喚の贄になるとも知らずにね。僕みたいな悪魔と取引してまで、お姉さんの血を手に入れようとしてたんだよ。今度は自分を贄にして聖女を召喚するつもりだったんだ。安い罪悪感だ、笑っちゃうよね!」
「だまれだまれだまれだまれ!!」
「くだらないよね。どうせもうすぐ世界は滅びるのに」
私を見る瞳が、暗く、沈んでいく。
「この世界は滅ぶべきなんだ。だって、異世界人の力が無かったらとっくに終わっていたんだから」
異世界から、私達の世界から呼ばれた救世主がいなければ滅びていたかもしれない世界。
滅んでしまえ。
消えてしまえ。
人も動物も生き物すべて。
なぜ僕らだけが奪われる。
こいつらは何も失わないというのに。
散々酷使され、魔物の群れに捨てられた。
身体が変わっていく、心がなくなっていく。
どうして、今来たの?
ずっと待っていたのに。
信じていたのに、いつか来てくれるって。
でもキミはあいつの為だけの聖女だなんて。
重く、苦しい思考が入り込んでくる。
これはいつか健の中にもあった声。
「でも、もうキミは僕の聖女だ。誰にも渡さない」
耳障りな高らかに笑う声。
負けるな。
このくらいの圧、浄化出来なくてなにが聖女よ!
浮気は駄目、ってまた健に怒られちゃう!
「聖女のちーかーらぁー!最大出力ぅ…!」
「なにっ…」
光が降る。
瘴気を、魔素を浄化して霧散する。
浄化の光は、まるで、花が降るように。
「美衣菜!!」
「たけ、る…?」
力を一気に使ったせいか、これ走馬燈?
健の幻が見えてきた。
最後に見るのが好きな人とか、私って意外と乙女。
「脳内の声がダダ漏れだ。あとでゆっくり本人に言ってやれ」
あれ。王弟だ。
バルコニーの扉からみんなぞくぞく現れた。
ええとそれじゃ、これは現実なのね。
あーあー、何も聞こえない聞こえない。
「さぁてミタムラ、追い詰めたぜ。親父と叔父貴の仇、討たせてもらおうかーーーって、おぉい!」
格好良く登場しようとした銀髪の男性をグイっと押しやり、健が進み出る。てか、その人誰?
「セレスと座標共有してた、って訳?全くキミ達はほんと……邪魔なんだよっっ!!」
炎の塊が健達を襲う。
でも、辿り着く前に魔法は健の手の中に吸い込まれた。
え、えぇ?
なにあれすっごく魔王っぽいんですけど。
ヤバい、かっこよすぎない?私の嫁。
「……美依菜」
「はい?」
「心の声が漏れてる。僕は魔王じゃない」
魔王はこっち、と、銀髪の人を指す。
銀髪の人はちげーよ!と否定していたけど、顔が魔王っぽいから間違えられても仕方ない気がする。
「ははっ、結局僕はピエロって訳か…馬鹿にしやがって!」
少年の独り言のような呟き。
あ、っと思った時にはもう、私の足元は崩れ、消えた。
急速に落下する感覚。
「きゃああああああっっっーーーー!!!」
「っ、美衣菜ぁぁぁあああーーーーっ!!」
「奪われる位なら、お前も絶望を味わえ」