1.日雇い勇者と王弟
調子にのって連載始めました。
前作の「聖女の時給は1ゴールド」を読んでからの方がわかりやすいと思います。
その日、荻原 健は機嫌が悪かった。
朝食に彼が苦手な甘いニンジンが出た事や、出掛けに鳥の糞を踏みそうになった事。他にも、弁当をつまみ食いされた事などなど。要因は多々あるが、最大の原因はこれに尽きる。
「…美依菜が足りない…」
「…お前…、もっと真面目に仕事しろ?」
朝からソレばっかりじゃねーかと、この国の王弟であり、王国騎士団総司令官のルディ・ロード・フェルドザイネス(31)は、牙を剥いて向かってくる猪を斜めに一刀両断しながら溜息をついた。猪といっても瘴気で狂化した魔物なので強さは比にならないが。
対する健はというと、やる気がまるで見えない剣さばきで目の前の熊ーーーこちらも狂化しているそれを、難なく斬り裂いていく。
「王都に家、買うんだろ?ミーナに内緒で」
なら頑張って稼がないとだよなー、嫁に負けられないよな、とルディはガハハと豪快に笑う。
元々は愛想のいい爽やか青年の健は、先日、ついに好きな相手に告白、ついでに本性(?)も暴露した。
自分を偽らずに済むようになった彼は、オン・オフを巧みに使い分ける超低燃費型のーーーー勇者となったのだ。
健とルディの二人だけで魔物達はあらかた片付いており、本来二人を護衛する立場の騎士団は、魔物の死体から魔石を回収する位しか仕事がなく、警戒心の薄れたままのんびり作業する騎士も多かった。
「先輩、今回の仕事、勇者様と総司令がいてラッキーですね。ほぼ回収作業で帰れそうです」
魔石を袋に回収しながら、ほくほく顔で先輩に耳打ちする新人騎士。それを聞いた先輩騎士の表情は微妙だ。
「あー…、お前あの二人と一緒初めてかぁ…もしかして、それで今回希望したとか?」
「はい!勇者様がいれば危険も少ないと思って!…ところで、第一の奴らどうしたんすかね、腹でも壊したような顔して」
「うーん、魔物相手に苦戦はないけどな。お前の希望とは全く違う理由で人気だぞ。団長達の顔、よく見てみろ」
「はい?」
視線をやると、健とルディのすぐ後方に位置取る先陣の団長や、隊長クラスの表情が硬い。いや、硬いというか、皆の纏う空気がピリピリしている。まるで今から敵陣に乗り込む、そんな表情だ。そして第一騎士団の面々はというと、蒼白を通り越し、無になっていた。
「い、一体何が…」
その時、空気が揺れた。
「…しがない日雇の身は無理するしかないです、ねっ、と!はい、騎士さん達サボらない!そっち行きますよー!」
健のかけ声に合わせ、狂化した狼の群れが突っ込んでくる。
文字通り、四方八方から。
「「「うおおあおおおーーーーーーっっっ!!!」」」
「「「うわあああああーーーーーーっっっ!!!」」」
「さーお前ら、サボってた分しっかり働けよー?」
「俺、陽が落ちるまでに帰りたいんで巻きでよろしくです」
無慈悲な総司令と容赦ない勇者の一言に、新人騎士は『次は絶対聖女の遠征を希望しよう』と心の底から思った。
世界はかつて、瘴気とおびただしい魔物達により滅びの危機にあった。人は生き延びるため、異世界から救世主を召喚し、彼らに救いを求める。
勇者は魔の生物の王たる魔王を倒し、
聖女は瘴気で穢された大地と人を癒し、
賢者は瘴気が入り込まないよう、結界を張った。
彼らの活躍でこの地に平和が訪れ、救世主達はそれぞれに役目を持たせて建国する。有事の際は各国で救世主を召喚し、世界を守ることを誓って。
勇者の国ーーーーバドグランディオ。
聖女の国ーーーーフェルドザイネス。
賢者の国ーーーーティンパルシア。
だが、それから千年という年月が過ぎ、誓いは破られた。
勇者の国、バドグランディオ。
その国の主である王自らが、欲に手を染め、異世界から召喚し続けた。勇者を、まるで消耗品のように。
異世界召喚は実の所、等価交換であり、救世主の血を引く三国の王族がその身を媒介にして扉を開き、人と人を入れ換える方法だった。それが、三国が救世主を召喚する決まりである唯一無二の理由。三国の存在意義。
バドグランディオが勇者を喚び出す程に、王家の血を引く人間が一人、また一人と、その存在を無にされた。初めから存在しない人間であったかのように。ついに側妃の子ーーー我が子にまでその手を伸ばそうとした所で、冷遇されていた第5王子が続く悪習を断ち切った。調べたところ、犠牲になった王家や王家近親者の人数、のべ53人。三世代もの間、繰り返されていた事に一切の情状酌量の要素はなく、国王と前国王、またその前王は、民衆の前で断首され、他に関わった者も同様に極刑となり、王族でさえ過去に例を見ないほどの重い刑を課された。
それほどまでに、この世界の為に犠牲となった異世界人の扱い方が問題だったからだ。
健は12の時、召喚されてこの世界にやってきた。
本来なら国をあげて保護するべき存在の彼を待っていたのは、虐待ともいえる強制労働の日々。精神を支配し、意思を封じて強制的に従わせる魔術刻印ーーー通称『奴隷紋』で健の人格を失わせ、理性をなくし、狂戦士となった彼を魔族と戦わせて魔石を集めた。勇者が完全覚醒すれば奴隷紋は効力を失う可能性が高かった為、6年を過ぎる前に、健は結界の外に放り出される。魔物寄せの香り粉をその身に纏わされて。
健は召喚されてからの数年間、意識はずっと夢現の中にあり、時折見える現実が恐ろしくて心を閉ざしていた。
ずっとずっと、これは夢だと思いながら目覚めない現実に絶望していた。
帰りたい。
誰か助けて。
そうして散々利用されて捨てられた時、やっと帰れると思ったのだ。今死ねばあの世界に帰れると、そう思ったあの時。
「ねぇ、君、大丈夫?」
闇が開けた。
かけられた声に、心が震える。
彼女の声が、温もりが、全身を巡っていく。
「…お、か……さん?」
「…もう、だいじょうぶ、だよ。いたいとこ、ない?」
涙が零れそうなのに我慢して笑おうとする。
黒い髪に、黒い瞳。自分と同じ。
母と呼んだのは、自分を守ってくれる絶対的な存在だったのと、あの日ーーーー離れてしまった手を思い出したから。
(そうだ、ボクは……)
「たす、けて…おかあ、さん…」
お母さんを、助けて。
(家族を助けてほしくて、手を伸ばしたんだ)
「どうした、タケル。疲れたか?」
ルディの声に、ハッと意識を戻す。
「いえ、今日の夕飯なにかなと。ボーッとしてました」
「ほんっと、見事に餌付けしたなぁミーナは」
「んじゃルディさんは食べてかないんですか?」
「いやっ?!食うに決まってるじゃん!遠征後じゃなきゃ、俺は寄れねーんだよ…」
天を仰ぐルディに、『奥さんメシマズですもんね』と同情する健。王弟の妻という立場にありながら、ルディの妻は手料理で夫をもてなす。味の方は相当…らしいが。
周囲を見渡せばいつの間にか戦闘は終わっていた。騎士団は魔石の回収作業にかかっており、夕暮れが迫っている。
「陽が暮れる前に終わらせろよー」
隊長達の指示があちこちで飛ぶ。
夕暮れを見ると、健の心は落ち着かなくなる。
それは彼があの日現実世界で見た、最後の光景だったから。
元の世界には戻れない。
美依菜が王妃の前で泣いたあの日、健は正しく理解した。
12歳のあの日、健が失ったのは自分の生だけでなく、大切な家族の命。幼い少年にそれを防ぐ手立てなどなかった。
守れないなら、せめて一緒に連れて行ってほしかったのに。
邪魔されたあげく、人とも思わない扱いをされ、ゴミのように捨てられた。こんな世界の、しかもくだらない欲望の為に。
こんな世界、無くなってしまえばいい。
だが、美依菜という存在がタケルの心に光を灯す。
『ちがう!ちがうから!!タケルは私と会うためにここにいるの!私、とんでもなく寂しがり屋だからっ、だから、タケルが一緒にいてくれないと、寂しくて泣いちゃう…から…』
寂しい自分の為にここに居てほしいのだと、彼女は言う。
それが慰めの言葉であると分かっていても、あの時の彼には必要な言葉だった。
自分も巻き込まれたのにこの世界を憎みもせず、その心の輝きを失わず、健に愛情を注ごうとする。それが無償の愛でないと分かっていても、それでも、向けられる感情が愛でなくて何だというのか。
今度こそ守ろう、と。
あの日の約束を。ずっと一緒にいると誓ったことを。
「あーあ、早く結婚したいなぁ…誰にも邪魔されずイチャイチャしたい」
「お前のその重すぎる愛はどっから来てるのかね?そもそも勇者から聖女を奪うほどの根性のある奴はいねーって」
「賢者とか魔王とかいるじゃないですか」
「っ…!そんな物騒な奴ら連れてくんな!!」
「俺は連れてなんて来ませんよ。ルディさんでしょ」
「頼むから変なフラグをたてんでくれーーー!」
王弟の名前出せました。




