旅立ち4
ズィーナスを出てから、相も変わらず蘭の行動範囲は森の中。門を出て最初は街道を歩いていたが森を見つけた直後には道から外れて森へと一直線に歩いて行った。食糧調達の必要性もあるが未だあの崖を探すのを諦めていなかった。
木々が開けた見晴らしのよいところから見下ろした位置に集落が見えた。どうやら集落は壁で囲っていないらしい。いや、侵入防止用に手作りしたような簡素な木の柵はあるが。それを度外視するとどうにも蘭の故郷の村と似ていた。茅葺屋根の木造平屋が点々としていて畑が広がっている。遠くからだから人までは窺えないけれどきっと、田舎ながらに賑わっているのだろう。
少しの間物思いに耽っていた。そんな蘭の耳に悲鳴のような声が、泣き叫ぶような嘆願する声が、子供の泣き声にそれらの声より小さいが男の怒号が風に乗って聴こえた。もしかすると盗賊かなにかに襲われているのではないだろうか。
村落に住む住民は年寄りや子供が多い。若者もいるにはいるだろうが全体の人口に比べたら少ない。皆街に夢を抱いて出ていくから。生活は日々畑仕事や家事だけで終えることとなる。場所によっては森に狩りに行ったり草花を採取したりもするらしいが。物々交換が主で貨幣のやり取りは殆どない。たまに行商が通りかかることもあるだろうが基本自給自足だ。そのため貧しく日にけに自由な時間が取りにくく大した余裕はない。
――それでも生きていられるだけで幸せだった。
だって蘭は、そうだったから。
森から出て村落に行くとその雰囲気は暗く悲愴感が漂っている。埋葬のときのようだと蘭は思った。物見櫓には誰もいなかったのでそのまま中へと入っていった。広場のような空間には人が集まっていた。恰好は誰も質素な麻の服だった。前に入った街の人々の恰好とは似ても似つかない。
「もし、なにかあったのか」
近くにいる村民に声を掛ける。声を掛けられた村民はビクッと撥ねて恐怖するように怯え出した。恐る恐る振り返り蘭の姿を見るや否や安心したようにホッと息を吐いた。
「あんた旅人かい? 何も彼も見ての通りの惨状だよ。ここ最近森に住み着いた盗賊どもが村にやって来てはあたしたちの食料を強奪していくんだ。この村の若者はほとんどが街に行っちまってね。だから抵抗らしい抵抗もできないんだ。動ける男は数えるほどしかいないし若い女は盗賊に捕まって連れて行かれちまった。残っている娘は外に出さないで必死に見付からないように隠れて生活するしかなくなっちまったのさ。だからあんたも早く村から離れた方がいい。奴らに見付かったらあんたも捕まっちまうよ」
弱肉強食……。弱い者は摂取され続ける。――この村も、例外ではない。
ふと足元に何かがぶつかった。見下ろすと一人の少女が蘭の足にしがみついていた。
「お姉さん冒険者さん? ねえお願い! 悪い人たちをやっつけて」
「コラッ! やめなさい。迷惑かけるんじゃないよ。ごめんね、気にしないでいいからね」
「いえ……」
泣いている。皆みんな、哀しんでいる。ただでさえ余裕がない生活を送っていることだろう。さらに賊に奪われたら来る日の生活がその分厳しくなる。誰かが手を差し伸べなければそれはずっと続いてしまう。歯向かうことすらできぬまま、その命が儚く落ちる。
彼女の頭に一つの記憶が思い起こされる。それは蘭の最古の記憶。
住んでいた村が倒壊していく。煙が上がって燃えていく。あかが流れてどんどん冷たくなっていく人だったなにか。咽るような焦げた匂いと腐ったような匂い。震えている紅の腕の中で聴こえた男の嗤い声が耳にこびり付く。
懇願して来た少女に目線を合わせるようにしゃがむ。
「安心して、わたしが盗賊をやっつけてくるから」
「ホントっ! ホントにやっつけてくれるの……?」
「うん、約束」
微笑むと少女はたちまち笑顔になった。
会話を聞いていた他の村民がおずおずと寄ってくる。
「あの……今の話は、本当なのですか」
「そうだよ」
「ああ、ありがたやありがたや……」
希望を抱いたのか蘭に向かって手を合わせてきた。
そんな中、年老いた男性が杖を突きながら近寄って来た。後ろには若い男性が連れ添って歩いている。
「願ってもない申し出です。――ですが、その……お恥ずかしい話ですがこの村にはあなたさまに差し出せるものが何もないのです」
「あなたが長?」
「ええ、はい」
「お礼はいらないから盗賊の情報が欲しい。詳しい話を聴きたい」
「分かりました。ワシの家屋に案内いたします。どうぞこちらへ」
村落の長に続いて歩く。歩きながら周囲を窺うとなかなかに酷い有り様だった。戸口は壊され果実は散乱しいくつか踏み潰されていた。チラリと見えたが家内までも荒らされていた。
「侘しい住居で申し訳ありませんが――」
「いや、いい」
目の前に茶器が置かれたので礼を云い一口含む。コトリと置いて黙って先を促す。
「盗賊がこの集落にやって来たのはつい最近です。ある日突然やって来ては家や畑を壊して荒らして、食料や女を奪っていったのです。ワシらが抵抗すれば剣で斬って脅してくるのです」
「拠点や人数はわかる?」
「村に来るのは毎回四人ですがリーダーと思しき人物以外は来るたび変わっていまして、詳しい人数は分かりませんが10はいるかと思います。拠点はティスタ、ワシの息子が一度後をつけたことがありますが途中で見つかってしまって返り討ちに……」
「次にやってくる日はわかる?」
「いつも三日おきにやってくるので先程やって来ていたので恐らくは三日後かと」
「それまで滞在しても……?」
「もちろんですとも。すぐに寝床を整えさせます」
盗賊が来るまでは畑仕事を手伝って過ごした。米がないようでそれは残念だったが久方ぶりの温かい汁物は身に沁みた。手伝いでも食事でも申し訳なさそうな顔をしていたので気にするなと云ったが態度は一向に変わらなかった。
「お姉さんはどうして旅をしているの?」
蘭が村落に着いてから二日が経った小夜。夕餉の汁物を手渡してくれた少女が訊いてきた。蘭に懇願していた少女だ。
「にぃさまを探している」
「お兄さん……?」
「そう。離れ離れになってしまった、だからこうして探し歩いている」
「見つかるといいね」
「見つけるよ、必ず」
「なら、わたしが祈ってあげる! お姉さんのお兄さんが見つかりますようにって」
「――……感謝する」
胸の前で手を組み空へと祈るように目を閉じた少女は蘭の方へ向いて満面の笑みを浮かべた。目を丸くした蘭は、然れど少女の意を察して小さく笑み感謝を告げた。その零れた笑みがあまりにも綺麗で、眼前に向けられた少女は顔を赤くして見蕩れたのだった。
☆ ★ ☆
村落の長が云った通りの日に盗賊は現れた。太太しい態度で怒鳴り散らかし乍ら村の中を闊歩する四人の男。その様子を家屋の陰からひっそりと覘く。男らの手には剣が、ただし脅しのための道具なのか持ち方がなっていない。それでも刃がついているから振り回すだけでも威力はあるだろうが……。
長曰く、盗賊を捕まえたら騎士という者に明け渡すそうだ。殺さないのかと訊いたら顔を真っ青にしてブンブンと首と両手を横に振っていた。
蘭は手加減することが苦手だ。殺すだけなら簡単で、ただいつものように斬ればいい。それですぐに終わる。任務で生け捕りを指示されたときは紅が攻めて蘭は周囲を警戒していた。役割分担。それが定石だった。
佩刀していた太刀を外し下緒で輪をつくって鍔に掛ける。柄と鞘を引いて抜けないか確認する。村落の村民には危ないので隠れるように云った。決して出てこないように厳命して。出てきて囮にでもされたら面倒だから。
「お前たちがこの村を襲う賊の者か」
「おぉ? なんだ、上玉の女がまだいやがったのか」
「仲間はどこにいる」
「若ぇ女が自分から来やがった!」
「てめぇら捕まえるぞ!」
各々が主張を通すのみだから会話が成り立っていない。
「拠点はどこだ」
「へへ、こんな辺鄙なとこにこんな別嬪がいたたぁなぁ」
「ジジババとガキしかいねぇと思えば俺たちゃついてるな」
蘭の質問には答えず一様に似通った卑俗な笑い方をする。その様を蘭は冷静に見詰める。
「大人しく捕まった方が身のためだぜ。痛い目は見たくないだろぉ?」
「なぁに命までは取らねえよ。俺らとちょーっとタノシイことをするだけだ」
鞘に収めたままの太刀の鞘尻を地に向け、地の構えで男に向かう。最も近くにいる男の頭を狙って振り上げる。頭を強打させ意識を奪う。ちょうど鐺に当たったのか少し血が出てしまったが死んでない。……多分。
「っな! この女ァ」
「こっちが下手にでりゃあ調子に乗りやがって! どうやら痛い目にあいたいみてぇだな」
剣を振りかざして逼ってくるが遅い。動きがなっていない。最小限の動きで横に反れて躱し、その際足を引っ掛ければ簡単に転んだ。軽く跳んで爪先立ちで男の背中に乗れば呻き声を上げる。蘭の体重はそこまで重くはないが今は重い布を着こんでいるためにまあまあの重さにはなっているだろう。だが昏睡するのには足りなかったのか地べたを転がり悶えているので頤を蹴る。
背後から剣を振り上げ逼って来た男に体の向きは変えずに鞘尻で男の鳩尾を突く。体をくの字折って地に沈んだ。
「さあ、どうする」
「いい気にのってんじゃねぇよ。ぶっ殺してやる!」
女に手も足も出ずに呆気なくやられた仲間の様子に手練れだと漸く覚ったらしい。嘲笑を滲ませた声を発すれば男は目を血走らせて怒りに顔を赤く染める。然れども男の剣筋は無闇矢鱈に振るだけで、軽々と躱して横に薙ぐ。力を込め過ぎたのか思ったより吹き飛んだ。
息を切らすことなく盗賊四人を撃退した蘭は密かに覘き見ている村民に向かって縄か何か縛るものを持ってくるように云った。