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目覚め3

 明くるつとめて。昨夜残った熊肉を頬張りながら蘭は思考に耽る。内容は勿論これからについて――。


 第一に紅を探す。これは何を以てしても覆らない。その為に上流まで歩いた。


 川周辺は探した。ならば次に考えるのは紅が移動した可能性だ。何故かは分からないが蘭が落ちた崖は見当たらなかった。それならばと森を手当たり次第に捜索することにした。


 ぼんやりと思考を纏めて蘭は行動に移す。




 防寒具の代わりにしていた肉塊や脂肪塊を取り除いた前処理のみを施した熊の毛皮を羽織ったまま森を歩く。本当はなめしたりなんなりしなければいけないが如何せん蘭にはその手の知識を持ち合わせていない。そういったことは職人に放り投げていたのでやり方を知らない。


「平じいさんに渡したら……よろこんでくれるかな」


 そんな詮無いことを考え乍ら、しかし視線は忙しなく動かしながら森を歩く。

 暫くしたら山道が見えた。それから足音も。



 複数の足音から敵かと警戒する。敵なら脅して訊けばいい。関係ない農民なら普通に尋ねれば答えてくれるだろう。

 身を潜めて山道が見える位置まで移動する。木に背を預けて木の陰に隠れる。


 足音が近くなる。見つからぬように注意を払って窺う。



 山道には二つの陰があった。なにやら話ながら歩いているようだ。声からしてどちらも男。影が掛かって容姿は見えない。


 距離が近くなり顔が鮮明になっていく。



 その顔を目にした瞬間、蘭の顔には驚愕が。

 漏れそうになる声を咄嗟に己の手で塞いだ。

 ドクンドクンと心臓の音が高く鳴り響く。

 ぶわりと全身から汗が噴き出す。

 荒くなる呼吸音を必死に抑える。



 そのまま二人の男は蘭に気付くことはなく通り過ぎて行った。

 それを確認してから蘭は奔り出す。二人とは正反対の方向へと。



 蘭の頭の中には先刻見た二人の顔が鮮明に張り付いている。


 ――馬の頭をした男と牛の頭をした男


 それが人間と同じように二足歩行で歩いている。



 その顔を見たとき蘭の過ぐ世に聞いた記憶が甦る。




『知ってっかぁ蘭。人は死んだら彼岸と呼ばれる世界に往くらしいんだ。ああ、現世、今生きているこの世は此岸な。そして彼岸には二つの場所、善人が往く地が天国、悪人が往く地が地獄ってのがあるらしい。そんでな、地獄には頭が牛の形からだは人である牛頭と頭が馬の形からだは人である馬頭と呼ばれる番人がいるらしいんだわ。おら、見ろ。強そうだろ。お前ら兄妹とならどっちが強いんだろうなぁ』

『にぃさまは負けない』

『……カッカッカ、そうだなぁ、そうだったな。……俺たちは生きるために人を殺している。本当は戦なんてない方がいい。なぁ俺たちは天国と地獄、どっちに往くと思う? 俺たちは決して善人にはなりえない。然れど悪人かって云われっとそれもなぁ。』

『――――』




 あのとき何と返したっけ。男は揶揄うような挑発的な笑みから一転、愁いを帯びた顔をした。あとから紅が云っていたがその男は昔に弟を亡くしたそうだ。

 そのとき見せられた絵巻物に描かれた姿に似ていた。つまりは、そう。

 ここは彼岸。死んだ者が往きつく世界。



 ――蘭は死んだ?



 ならば紅は?

 紅は此岸にまだいるのか。

 はたまた蘭のようにすでに彼岸にいるのか。

 紅が死ぬなんて想像がつかない。

 でも、毒が……。



 ぐるぐると頭が回る。

 可能性が浮かんでは消え、また浮かぶ。

 闇雲に奔って、奔って、辿り着いたのは泉。

 泉の水際に手をついて覘き込む。

 そこには生気のない顔をした蘭の顔が映る。

 水面に映る顔に手を伸ばす。

 蘭と紅の顔は似ている。

 だからは蘭は水の中に紅がいると思ったのだ。

 泉に指が触れた瞬間、波紋ができて顔が揺れては消えた。


「ああ、ああああぁぁぁぁ…………」


 泪に沈む。ポロポロと目から透明の水が落ちる。拭うことはせずに泪と一緒に感情が溢れ出す。大丈夫と気丈に心を強く保っていても己の心は誤魔化せない。一度堰を切った感情の荒波は簡単には止まってはくれない。ただただ慟哭する。




 蘭の泪はいつしか涸れて出なくなった。それと同時に荒れ狂う感情が凪いだ。あぁ、顔がぐしょぐしょだ。


「ひどい顔」


 そんな顔を泉の水で流す。感情をすべて吐き出したからか頭の中がスッキリとした。



 そうだ、いくら考えても答えはでない。

 蘭には生死の判断などつけれない。


 でも、一つだけ――確信していることはある。


 紅は――――いる。

 確証はない。けれど分かる。



 ここがどこだとか、生きているか死んでいるか、そんなことは関係ない。

 蘭のやることは紅を探す。それだけだ。



 顔を拭う。呼吸を整える。平常心、心を保て。


 そう、蘭は紅を探すだけ。なんだ、最初から何も変わっていないじゃない。



 だって――蘭のすべては紅にあるのだから。


 約束したから。


 一緒に生きよう、と。



 そう考えたら蘭の心が軽くなった。目の前が開けたような清々しい気持ちになる。

 蘭はそこまで賢くない。ハッキリ云えば莫迦だ。



 蘭が知らないことは紅が知っている。

 蘭が理解できない話は紅が理解している。

 蘭に必要な知識は紅が分かりやすく教えてくれる。

 紅が教えないことは蘭にとっては知らなくてもいいこと。

 周りの人はそんな蘭に呆れていたけれど、蘭はそれでもいいと思った。

 だって、そんな蘭を紅は怒らずに受け入れている。

 甘える蘭を紅はいつまでも甘やかしてくれる。




 そうだ、思い出した。先刻頭を過った一幕。湿気た空気を切り替えようと酒を呷る男に蘭が云った言葉。


『にぃさまがいるなら天国でも地獄でも、どこでもいい。わたしの居場所はにぃさまのそばだから』


 フンスと得意げな調子でそう答えた蘭に、目の前の男は呆けた顔をした。直後に笑い泣きのような表情をして声を立てて笑い声を上げた。そうかそうかと頭を撫でてくるから苛ついて殴ったが……。紅が見えたから側に行こうと立ち上がると男は蘭の背に向かって言った。


『悔いなく生きろよ』


 それがあまりにも真剣な声色で。首だけ動かして振り向くと、男は声と同じく真剣な顔をして、けれどもそのまなざしは遠くここではないどこか、大切な情景を見ているような気がした。当然、と口角を上げて言うと、やっぱり男は噴き出して笑ったのだ。




 蘭は頭で考えるより身体を動かす方が得意だ。むずかしいことなんて蘭には分からないし理解できない。なにをうだうだと考えていたのだろうと自嘲する。


 両手で思いっ切り己の頬を叩く。パシンと小気味好い音が響く。ヒリヒリと熱を持つ掌と頬に気持ちを新たにする。


「にぃさま、待ってて。わたしが、わたしが必ずにぃさまのもとまで往くから。そしたら、そしたら――いっぱいぎゅうってして頭なでてね」


 立ち上がりグッと拳を握りしめて天に向かって高らかに謳う。それは自分に向かって宣言するような色も含んでいた。蘭の内のモヤモヤと燻ぶっていた思いはすっかり吹き去り晴れやかな心持ちとなっていた。



 さて、と気を取り直して再び森を歩み出した。いつの間にか曙景になっていたがそんな些細なことも気にならない。その足取りは軽やかで活気づいていた。

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