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約束をもう一度

 蘭の身体が回復し目を覚ましてからの数日間、二人は外に出ることなく宿屋の部屋で篭った生活を送っていた。蘭が戦いにのめり込むと反動で情緒が不安定になる。それは行動に現れいつも以上に紅にべったりくっつくことになる。常なら一日くっつけば大概元に戻る。けれども今回は長い間離れ離れになっていた分もあり正常に戻るのに時間がかなり掛かった。


 瞼は上がっているが瞳は虚ろで、夢と現、その狭間を揺蕩う。酷使した身体を休めるために感覚がとても鈍くなる。完全なる無防備。それが分かっていて尚入り込めるのは偏に紅がいるから。精神安定剤。それが分かっている紅は静かに寄り添う。密着密度を大きくして全身で包んでゆったりする。このときばかりは紅も考えることを止めて頭を休ませる。ずぅっと蘭を見詰めるのは飽きないし退屈とは思わない。時折背中を撫でたり髪を梳くだけで殆ど動くことはない。



 緩やかに流れる時間は幸せなものだ。二人だけの世界。外界とはかけ離れて日常も現実も忘れられる。明くる今日が来るかも分からぬ日並みには一日一刻が大事だ。だからこそ、この時間はかけがえのない大切なものとなる。


 安全な場所など何処にもない。平穏を望むなら戦え。死にたくないのなら力をつけろ。生きたいと願うのならば勝ち続けろ。弱い者に生きる価値などない。いつだって死が隣り合わせに存在する。隣人がいつまでも生きているとは限らない。瞬きの間に物言わぬ亡骸となる。過酷だろう苛烈だろう残酷だろう無情だろう無慈悲な世界。戦絶えない戦乱の時代。救いなき世界で信じられるのは己のみ。


 生きているということは死ぬということ。死という運命からは決して逃れられない。存在する唯一の絶対。武士は平然と死するもの。死を恐れるな。それが戦場に赴く武士の共通認識だった。

 そんな中、少しでも長く生きるために戦う紅と蘭は他から見れば異常だった。そして戦いを愉しみ笑みを浮かべる二人は味方でありながら恐怖を覚える。必死に生にしがみつく姿は愚かで無様。けれど筋が良くて着々と力をつける様は倦まず弛まずで胸に染みる者も少なくない。


 幼少の頃から戦場に参加している彼彼女を嘲り、これは遊びじゃないんだと憤る。そんなことは理解している。全部、分かったうえで尚戦場に立っている。紅は蘭を守るために、蘭は紅を守るために。立った二人しかいない家族を一番に想って。




 ☆ ★ ☆




 蘭が目を覚ますと視界いっぱいの肌色。顔を上げれば目を閉じて穏やかにすやすやと寝息を立てる紅の顔。魅入られたようにぼんやりと眺めていると緩やかに瞼を上げる。覚醒しきっていない眼だ。


「おはよう、にぃさま」


 緩慢に瞬きをして頭を下げた。そうされれば自ずと二人の視線が交わる。身を屈むように動いて唇が重なる。感触を愉しむように食まれる。


「おはよう、蘭」


 啄むように顔中に唇を落とした後にぎゅうっと抱き締められて耳元で囁かれる。低く掠れた声。寝起き特有の気怠さを纏って行われた行為に蘭はうっとりと頬を緩める。愛しの紅からの愛情表現なんだ、嬉しくないわけないだろう。


「もう平気……?」

「元気いっぱい!」

「ん、よかった」


 睫毛が触れるほど近い距離で囁き合う。二人の間には甘い空気が漂う。




 ☆ ★ ☆




 身支度を整えた二人は薬屋を訪れた。蘭は独特な匂いが漂う店内に小さく顔を顰める。


「彼女はウーリュミアさん。この薬屋を営んでいて蘭を治療してくれたのが彼女なんだよ。私の毒も彼女の薬のお陰で解毒できたんだ」

「にぃさまをすくってくれて、感謝する」

「いーよいーよ~。礼はたくさんしてもらったし~。ベニさんも妹ちゃんに会えてよかったね~」

「ええ、とっても」


 抱き合う二人にうんうんと頷きながら眺めるウーリュミア。そこにフィリーネピュスがやってきた。


「なんじゃおぬしら。もう体調はいいのか?」

「はい、この通りすっかり良くなりました」

「それは良かったのう。ならばギルドに行くぞ。討伐した魔物の処理が残っておるからな」


 三人で冒険者ギルドに入ると場は一気に騒然とした。フィリーネピュスの後を追って歩いているとロジェームが近寄ってくる。


「よーっすお二人さん。オニイサンは初めまして、かな。オレはロジェーム。よろしくな」

「ロジェームさんですね。私は紅と云います。妹がお世話になりました」

「いやなんのなんの。オレが勝手についてっただけだから気にしなくていいぜ」


 ギルド員に呼ばれて個室に案内される。腰を掛けるように促されて腰を下ろした紅の膝の上に座る。


「雪山での仔細をお伺いします。回収した魔物はこちらに記録しておりますのでご確認してください。ロジェームさんによればその紙に記載されているのがあなた方が討伐した魔物となっていますが間違いはないでしょうか」

「魔物の名前が分からないので間違いが、と云われても……」


 紅は渡された紙をチラリと見て困ったように苦笑する。


「にぃさま字、よめるの……!?」

「読めるよ。蘭も読めるように教えてあげるからね」

「ひぇっ……」


 凄い凄いとキラキラした眼で見れば紅が有無を云わさぬ笑顔で頭を撫でる。告げられた言葉に絶句した蘭は慌てて云い募る。


「で、でも! にぃさまがよめるなら……」

「蘭」

「わたしはよめなくても困らな……」

「蘭」

「…………はい……」


 宥められてシュンと俯いて渋々承諾する。いい子いい子と誉めるように頭を撫でられても嬉しく……いや、うれしい。紅に誉められればなんでも嬉しいし紅がやれと云えばなんでもやる。蘭は単純である。


「……コホン。続きをよろしいですか? こちらの魔物をお二人が討伐したとギルドカードに記録させていただきますので提示をお願いします」

「……ねえ蘭。私は蘭の荷物にギルドカードが見当たらなかったけれど、どこに入れていたの?」

「腰兵糧に入れてました」

「その腰兵糧がなかったけど……?」


 お互い見合わせて……蘭が首を傾げる。ロジェームに視線を向けると首を横に振られた。


「……なくした……?」

「探すのはもう無理じゃろうな。あれから日にちは立っておるし今頃地に埋まっておるじゃろう」

「……では再発行いたしますね。検索いたしますので名前とランクを伺います」

「……?」

「ランさんは身分証にしか使っていないから最初のFランクだろ」

「はい、では少々お待ちください。再発行は報酬から差し引きますね」


 ギルド員は紅のギルドカードのみを持って退室していった。


「二人はこれからどうするんだ?」

「そうですね…………二人で冒険者をするつもりです。私たちには、戦うことしかできませんので」

「おぬしはそれでよいのか、ラン」

「にぃさまと一緒なら、いい」

「二人ならすぐにSランクになるだろうねえ」




 ☆ ★ ☆




 冒険者ギルドを後にした二人は街を出てすぐそばにある花畑に来た。初めて見る光景に蘭は目を輝かせる。わー、と子供のように奔り回る蘭をゆっくりと歩きながら穏やかに眺める。何かを見つけたように急に立ち止まった蘭は次いで紅のところに駈け寄ってくる。


「にぃさまにぃさま! こっち、こっちに来て」


 グイグイと腕を引っ張りながら促す。


「これっ! 薺」

「ああ、本当だね」




 二人が共に出陣するその前日。雲一つなく大きな三五月だけが空に浮かんでいた日のこと。


『蘭、私たちはこれから辛く苦しい日々が待っているだろう。戦って戦って死ぬまで戦って。それでも平穏が訪れるかは分からない。私は蘭がいればそれでいい。それだけで幸せなんだ。だから、二人で生きよう。私と蘭、二人でなら何でもできる気がするんだ。私は蘭を守る。蘭は私を守ってくれるのだろう。蘭なら安心して背中を預けられる。……蘭、ずっと一緒にいよう。離れないように手を繋ごう。そして二人で幸せになろう。思い出もいっぱいつくって、いつまでも笑顔で笑って……。だから、一人で死んだら駄目だよ。死ぬなら一緒に。約束』

『うん、やくそく』


 それは二人だけの秘め事。月光が幼い二人を照らす。その手には白い花を咲かせた薺が握られている。小指を絡ませて誓った約束。二人だけが知っている一夜の出来事。いつまでも忘れないようにと胸の奥底に刻んだ記憶。




「にぃさま、約束、もう一回」

「……うん。もう一回誓おう」


 薺を摘んでせがむように云った蘭に目を瞠って、ふっと微笑む。



 風が吹く。長い黒髪が靡く。色鮮やかな花畑を背景に微笑む愛するあなたはとても美しい。見詰める眼差しはいつも優しく真っ直ぐで、輝く瞳に映るのが己だけだということがなによりも嬉しい。



「「約束」」



 力を篭めた小指は上下して堅く解けない。

 笑った顔は陽光を浴びて一段と輝いて見えた。

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