再会3
突如として紅の肩は強く引かれた。肩から辿ればフィリーネピュスが険しい顔をしている。近付く気配すら気付かなかった。焦りから周りが見えていなかった。常に周囲を見通す視野を有している紅からすれば失態ものだ。
「魔力を使うのはもうやめよ。おぬしまで倒れる気か?」
反論しようとするも正論を云われてはなんの返しも見当たらない。それでも蘭が心配で、何もできない自分が情けなくて、八つ当たりのようでもフィリーネピュスを睨みつける。
「どれ、わらわに診してみろ。…………これは、魔力が枯渇状態に陥っておるな。しかも、身体がボロボロで危ういな……」
蘭に翳したフィリーネピュスの手が光る。すると蘭の顔が少し和らいだ。
「魔力切れは寝ていれば魔素を取り込んで回復するが魔力枯渇だと回復する前に命を落としかねん。一先ずは魔力譲渡を施して安全な魔力量まで戻した。が、こやつは無意識に自己治癒を行っておる。わらわは治癒魔法は不得意じゃからな。急ぎウーリュミアの処に戻るぞ」
「……分かりました。――……蘭、必ず助けるからもう少しだけ我慢して」
蘭の腰巻にしている打掛を外してその身体を包ませる。これで寒さは少しはマシになるだろう。抱えてなるべく衝撃を与えないように静かに、けれど速く山を下る。
数々の強大な魔法を扱うSランク冒険者の魔導士フィリーネピュス。ウーリュミアは彼女の妹御だ。ウーリュミアは薬屋を経営している治癒魔法師。どちらも高い魔力量に緻密な魔力操作を身に付けている。詳しくは知らないが貴族の出自らしく魔力量も家系故らしい。毒に苛まれていた紅を解毒したのはウーリュミアだ。その礼としてこうして薬草や素材を採取しに来ていたのだ。
「門兵はオレに任せな。魔物の回収もこっちでやっとくから安心して彼女のことだけに集中しなよ」
長物を持っている黄色髪の男性の厚意に甘えて任せる。先導したフィリーネピュスの後を追って街を駈ける。小夜だからか通りに歩いている人の数は少ない。そのお陰で奔りやすいのだから好都合だ。ウーリュミアが経営している薬屋に着いたフィリーネピュスは力任せに戸口を開けた。無遠慮にズカズカと中に入る。
「ウーリュミア! いるのであろう、はよう出ないか!」
「うーん……なあに? あっ、お姉ちゃん、やっと来た~。遅かったね~」
「それより重傷者じゃ。命が危うくてな、はよう治してやれ」
「またあ? どれどれ~……うっわ、凄いボロボロじゃん。早く寝台に乗せて。すぐに治療するから」
怠そうな態度で現れたウーリュミアは蘭に手を翳したのち、真剣な表情へと早変わりした。指示通りに寝台に乗せる。離れようとしたらクンッと引っ張られる感じがした。視線を下げると蘭の手が紅の胸辺りの布をぎゅっと握っていた。意識もないのにその手はしっかりと力が込められていた。
「蘭……大丈夫だよ。どこにも行かないから、ね」
手の甲を優しく撫でながら声を掛けるとフッと力が抜けた。その隙に腰を緩め衣袴を脱がせて小袖姿にさせる。〈暁〉や懐剣、草鞋を取ったらウーリュミアがやって来た。
「今から施術を開始するからベニさんは外に出ていてね。終わったら呼ぶから」
「はい、蘭をよろしくお願いします」
一礼して退室する。フィリーネピュスから夕餉を食べるかと訊かれたが蘭が気掛かりな今の状態では腹に何も入らなくて断った。椅子に腰を下ろして蘭の持ち物を抱き締める。先刻の蘭の姿だけが蘭の頭を占める。
何もできない己が歯痒い。高望みはしない。もし、なんて考えても意味がないし、仮定は所詮、仮定でしかない。それなら同じ失敗をしないように鍛練した方が有意義だ。悪い想像ばかりしてしまう頭を振って切り替える。大丈夫、蘭は生存本能が強いからちょっとやそっとのことでは死なない。だからまた、何事もなかったように目を覚ましてにぃさま、と笑顔で云うんだ。
「終わったよ~」
戸口に寄り掛かったウーリュミアは元の調子でそう云った。窓の外は朝未のよう。夜もすがら施術していた彼女はとても気だるげだ。すぐさま蘭の元に近寄れば穏やかな寝息を立てて眠っている。
「今は疲れと魔力切れで寝ているだけだから回復したら起きると思うよ~。その部屋は自由に使っていいからベニさんも休んだ方がいいですよ~。相当無理しちゃっているでしょ」
じゃっ、お疲れ~、と欠伸をしながら部屋を出て行った。感謝を述べて一礼すれば振り向くことなく手を振られた。
「蘭……」
窶れた頬に手を添えれば嬉しそうな顔をして頬をすり寄せてくる。近くにあった椅子を寝台の傍まで寄せて座る。奥側の手に〈暁〉を握らせて手前の手を握りしめる。ちゃんと温かい。生命の温もりを感じて安心したら途端に眠気がやって来た。頭を寝台に乗せて抗うことなく眠りについた。
☆ ★ ☆
紅が目を覚ましたのは昼下がり。蘭のことが心配で、だが本人は気付いていなかったが彼も相当疲れが溜まっていた。ぐっすりと寝たことで幾分かスッキリした頭で蘭を見る。起きた様子は見受けられない。このまま一生起きないのではと嫌な考えが頭を過る。
手から伝わる温もり、小さな寝息、一定の間隔を刻む鼓動。それらが紅の焦りを和らげる。
☆ ★ ☆
蘭が目を覚ましたのは倒れてから二夜明けた朝。右手に紅の温もりを感じて顔を倒せば寝台に頭を乗せて眠っていた。
「――にぃさま……」
喉が渇いていて酷く掠れた声で呟けばピクリと声に反応する。ガバリと顔が上がって大きく目を見開いている。その瞳に己が映っているのが見えて、全身に嬉しいが満たされる。飛びつくように紅に抱き着けばしっかりと受け止めてくれる。慣れ親しんだ体温に、匂いに、堪らず首に頭を擦りつける。ぎゅっと力を篭めればお返しとばかりに背に回っている手の力が増す。暫しの間、無言で抱き合い揺蕩う微睡みを享受する。
顔を見合わせれば優しく微笑まれる。頬を重ねてスリスリと擦り合わせると喉を震わして笑われる。その振動が心地いい。蘭の行為を邪魔しないように優しく髪を梳くように頭を撫でられる。自然と顔が緩む。にぃさま、と呼ぼうとしたら喉が引き攣って咳込む。慌てた紅が中空に水の塊を出して飲ませてくれる。喉が潤んだら次はぐぎゅうぅと腹の音が鳴る。
「お腹空いたね。汁物を作っておいたけど食べれる?」
「にぃさまのごはん……! 食べる!」
久しぶりの紅の料理だと目を輝かせればまた腹が大きな音を立てる。「待ってて」と寝台に蘭を乗せて紅が立ち上がったから慌てて彼の背に抱き着く。
「蘭?」
「やー」
離れたくなくてぎゅぅっと力を篭めてイヤイヤと頭を擦りつけれ乍ら横に振ればポンポンと腕を叩かれる。我が儘を許された。紅の動きに合わせて背中に凭れ乍ら歩く。ボウッと火が付く音がした。少しして美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。火を止めて紅がまた動き出したので引っ付いたまま歩く。
「蘭」と呼ばれたので拘束を解けば紅は座って腕を広げる。膝の上に腰を下ろせば身体を寄せられて頭を撫でられる。椀によそってフーフーと息を吹きかけ冷まして「はい」と差し出される。
「美味しい……?」
「おいしい!」
二人で仲良く食べて鍋いっぱいの量はすぐに空になった。
「ごちそうさま」
「お粗末様」
お腹いっぱいになればまた眠気がやって来た。うつらうつらと舟を漕いでいたら頭をそっと誘導させられて肩に乗せられた。
「おやすみ、蘭」
その声に誘われるままに意識がゆるやかに沈む。
☆ ★ ☆
ウーリュミアに感謝を述べ宿で休む旨を伝えて薬屋を出る。蘭の情緒が安定したらまた訪れると云えば首を傾げていながらも取り敢えずは了承された。荷物を全部持って蘭を抱えて宿屋に向かう。
「すみません、店主。泊まる人数を一人増やしたいのですが」
「構わないよ。部屋は個室にまだ空きがあるからそこでいいかい?」
「いえ、同じ部屋を使うので今の部屋のままで大丈夫です。朝と夕の食事を部屋に届けていただくのはできますか?」
「? そうかい。分かったよ。食事は部屋の前に置いておくから食べ終わったら同じところに置いておいてくれ。量は大盛りと普通の量でいいかい?」
「普通の量と消化に優しい汁物をお願いします」
「あいよ」
階段を上って泊まっていた部屋に着けばそこはこじんまりとした質素な部屋だ。だが掃除が行き届いていて清潔だし日当たりもいい。机に荷物を置き太刀、打刀、大脇差は寝台の近くに立て掛ける。スヤスヤと眠る蘭を寝台にそっと寝かせて己もその横に横たわる。もぞもぞと動いて収まりがいいところを見つけたのか嬉しそうに笑った。そんな蘭を起こさないように抱き締めて、紅も一緒になって眠りにつく。
お互い向き合うように抱き合って眠る顔はあどけなく年相応の幼さを感じさせる。
顔が似ている兄妹は寝ているとまさに瓜二つのようになる。
紅は蘭の頭を抱えて誰にも見せないように隠すように抱き込んで眠る。
蘭は紅から離れないようにと腕や脚で絡みついてしがみついて眠る。
それは昔から変わらない二人で寝る姿勢。
そうしてやっと、安心してぐっすりと深く眠れるんだ。