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再会2

 蘭は上を、それならば自ずと紅は下にいる魔物を相手にすることとなる。右手には打刀〈青月〉を、左手には大脇差〈天つ日〉を携えて泰然たる態度で目の前に蔓延る魔物を見遣る。



 警戒しながらも紅の脳内には先刻の光景が過る。風に紛れて微かに聴こえた蘭の声。気のせいだと幻聴かと思った。けれど、もし、もしかしたらと考えると気が気でなかった。気になってフィリーネピュスに断りを述べて風上に足を向ける。


 暫くすると小さな黒影が見えた。目を眇めて凝望するとそれは中空を舞う蘭の姿だった。人形のように力が抜けたままに空に放り出されててそのまま、受け身も取らずに地を転がった。起き上がる様子が見受けられない蘭に血の気が引いて慄然とした。歩調が緩慢となっている間に倒れている蘭の前に腕を振り上げている大猿の魔物が。


 カッと頭に血が上った。すぐさま駈け寄り腕を振り下ろしている魔物を吹き飛ばして蘭を見れば彼女はとても痛々しい状態だった。身体はボロボロで見て分かるほどに憔悴しきっている。顔が歪んだのが分かる。胸が張り裂けるような痛みに襲われ戦慄が走る。必死に呼びかければゆっくり、ゆっくりと顔が上がった。瞼を上げた瞳には虚ろで光が灯っていなかった。そして、紅を映していなかった。震える手を掴んで引き上げれば記憶にあるより幾分か軽くなった身体を抱き締める。冷たくなった身体を温めるように抱き込む。額に唇を落として眼を覗き込めば徐々に輝きが宿っていく。心の中で安堵の溜息を零したのは云うまでもない。




 見上げれば蘭が空を駈けている。尋常ではありえないそれも蘭ならばと納得してしまうのは妹に盲目になっているからかもしれない。


「張り切っているなあ。深く入っているし」



 紅だって蘭を探していないわけではない。最初は暗器に塗られていた毒によって死の淵を彷徨っていた。野山に倒れて魘されていた紅は偶々通りすがったフィリーネピュスによって助けられたのだ。そして道すがら世界のことや魔法を乞うた。



「さて、私もやりますか」


 大群を成している魔物に向かって一歩踏み出す。




 紅は人間らしい人間だ。蘭ほど感覚が鋭いわけでも本能的直感が働くわけでもない。蘭が天才だとしたら紅は秀才止まりだった。それでも蘭に優っていたのは偏に彼の努力の賜物。


 夜叉と異名を付けられた紅はそれ相応の実力を有している。紅が人より優れていたのは記憶力と洞察力だった。知識は力となる。戦術を学び技術を磨いた。人の動きを見て覚えて吸収した。それを己に合った戦い方に組み換える。盗んだといえば聞こえは悪いがそれが紅のやり方であるしなんと云われようと変える気はない。勿論、それを扱えるだけの身体をつくったし鍛えている。


 一対一において紅と打ち合う場合、早期決戦で片を付けなければならない。然もなければ癖、重心、力み、動きのすべてを見切られる。そうなってしまえば当然勝つことは厳しくなる。蘭が紅に勝てないのはこの点にある。


 戦場において紅は隊の指揮を任せられたときもあった。前線で戦いながらにして戦況を読めるほどに視野が広い。さらに指示が的確で無駄がない。それはなによりの強みだ。刻一刻と変わる状況は距離が離れた分だけ時差が生まれる。伝達も指示もその分時間がかかり、それだけで命は危うくなる。


視野が広く優れた観察眼。判断が早く的確で柔軟な思考を持つ。脳内には次々と情報が組み立てられて想像しうる未来をすべて想定する。その中から最善となる一手を選び取る。即断即決。軍師に匹敵するほどに頭の回転が速い。




 魔物が相手だろうがやることは変わりない。攻撃など当たらなければ意味を成さない。思考力がない分、人間より遥かに楽だ。牽制も見せかけの行動はなく、予備動作が大きく攻撃は単調で見切りやすい。


 刀を振るう。刀を魔力で強化すればとても切れ味が良くなる。さらに風魔法を纏わせれば大剣を扱っているように斬る範囲が伸びる。並行して雷魔法を飛ばす。無闇矢鱈に放つのではなく確実に急所を狙ったもの。それも一つや二つではない。無数の雷電が迸る。


 不意に上からポロポロと切り刻まれた肉が落ちてきた。見上げればすぐさま蘭と目が合った。蘭もそれに気付いたのか大きく手を振っている。直後背後から逼ったワイバーンに振り向くことなく躱した。態勢を低くした後、その場から消えた。空に朱色の軌跡が描かれる。曙光のようなそれに紅は眩しそうに目を細めた。



 蘭が紅なしでは生きていけないように、また紅も蘭なしでは生きていけない。家族愛、相思相愛と云えば聞こえはいいだろう。共依存と云われれば否定はできない。狂気的なまでのそれは第三者からしてみれば可笑しいと異常だと眉を顰められる。それでも二人にとってそれが当たり前の感情であり変わらぬ想いなのだ。


 愛おしい蘭。紅の妹。己の命より大事な存在。迷いも不安もすべてを晴らす小さなお日様。



「――――私も片を付けなければね」


 魔物は軍勢は二手に分かれていた。紅の周囲とフィリーネピュスたちがいる辺りとで。知らない人がいるがフィリーネピュスがいるのであちらは任せても問題ないだろう。集まっているお陰で殲滅しやすい。


 風と雷の魔法をそれぞれに纏わせる。斬撃を飛ばすように力強く一回転して薙ぐ。紅を中心に円を描いて飛ばされた二連の斬撃は広がり伸びる。魔物は斬られて焦がされる二連撃にバタバタと倒れ伏す。濃い血の匂いと焼け焦げた匂いが辺りに充満する。それも強風に吹かれて瞬く間に消え去った。


 一息吐いて二振りを鞘に収める。


 寸陰の後、咆哮が上がる。視線を向ければ他より一線を画する大きさの魔物がフラフラになり乍らも立っていた。大猿の魔物。この山の主のような威厳があるそれは腹に大きな切傷が奔っていた。血眼になった目を鋭くして再び咆哮を上げた魔物が紅に逼る。死に物狂いで捨て身の突進。飛びかかり腕が振り翳した途端、轟音を轟かせて地面が揺れた。


 衝撃波により舞い上がった雪と共にふわりと蘭が舞い降りる。圧し潰された魔物は地面にめり込んでいて着地点らしき箇所は凹んでいた。蘭の目は完全に据わっていて危うい光を孕んでいる。

 ――あぁ、ほら。やっぱり深く入ってしまっている。蘭に呼び掛けても一向に変化はない。自我すらも切り離して戦いに耽溺できるのは感心するが誉められたことではない。ボロボロの身体であるはずなのに佇むさまは自然体だ。痛みの感覚を切り離していても痛み自体がなくなるわけではない。寧ろ無理矢理使っているために受けた傷の痛みは倍増される。



 蘭の頭が動く。視線の先は未だ戦闘が繰り広げられているフィリーネピュスらに向けられている。往く気だ、魔物を屠るために。勿論、させないけど。


 蘭が踏み込む前に近付きボロボロの身体を包む。後頭部に手を添えて唇を奪う。瞳を覗き込みながら宥めるように舌で口腔内を舐める。肩を震わす隙に〈暁〉を取り上げて鞘に収める。腰に手を回して己の方へと引き寄せて固定する。蘭の瞼がゆっくり降りていく。身体の力が抜けて紅に凭れ掛かる。ぺしょりと蘭が故意に紅の舌を舐めたのを合図に口を離す。とろんとした目で紅を見上げてくる。



「お疲れさま、蘭」



 いつも通りの言葉を紡げば蕩けた笑みを浮かべる。だがそれはほんの一念だけで、すぐに苦悶に満ちた顔をする。切り離した痛みが蘭を襲っているのだろう。それがどれほどの痛みかは紅には到底想像もつかない。声すら出ない様子から想像を絶する痛みなのだろう。このときはいつも己を怨む。できることなら変わってやりたい。蘭にはいつでも笑っていてほしいから。


 人生を悔やめるほどの選択肢は与えられなかったけれど、蘭が傷付いているのを平気な顔で見ていられるほど無情ではない。戦うことを決意した蘭を否定はしないけれど、それでも怪我をしないでと願ってしまう。



 痛むだろう身体に極力刺激を与えないように包む。優しく、けれどしっかりと抱き締める力加減は嫌でも慣れた。治癒魔法は軽傷を癒すぐらいしかまだ習得できていない。気休め程度にしかならないだろうがそれでもと掛ける。意識を手放しそうになっている蘭を眠りに誘うように背中を撫でる。すると辛いだろうに震える手を必死に動かして紅の肩へと乗せる。意図が掴めないが手に力を加えた蘭の望み通りに後ろに倒れる。馬乗りになった蘭は、然れど上体を支えている腕は見ていられないほどにガクガクと震えている。


「蘭……――っ!」


 ぽた、ぽたりと紅の頬に雫が降り注ぐ。見上げれば蘭が泣いている。大粒の泪が赤く染まった蘭の目から零れ落ちる。あまりの衝撃に息が詰まった。


「にぃ、にぃちゃぁ! なんっ、なんでらんを……らんを捨てるの! 一緒に生きるって、二人で幸せになろうって云ったのに。どうして……! らんが、弱いから……? それなら、もっともっと強くなるから。わがまま、云わないから。にぃちゃの云う通りにするから、捨てないで……。そばにいてよ。にぃちゃがいないなんていやだよ。寒かった。淋しかった。いっぱい……いっぱい苦しかった。らんは! らんは……にぃちゃがいないとなにもできないから……」


 喉が詰まり乍らしゃくり上げ乍らも泣き叫ぶ姿は年相応に幼くか弱い。蘭がこんなに泣いている姿を見たのはいつぶりだろうか。確か……最後に見たのは初めて戦に往く前だった気がする。そのせいで紅は酷く動揺した。初めて見た眼差しに身体が金縛りにあったかのように動かない。泪を流しながらも怒りを帯びた眼は真摯な表情をしていて。くしゃりと顰める顔は、然れども真っ直ぐ紅を見詰める眼からは逸らすことを許さない圧を感じる。


 思い出した。いや、忘れたことなど一度もない。再認識した、というのが正しい。

 蘭はまだ十八才なのだということを。才能が有って筋がいい、然れど力が強くともその心までは強くはないということを。未だ守られるべき幼い子供だということを。

 大きく見えた頼もしい背中は今は小さく、そして震えている。強かなように見られるが心は繊細で脆い。



 愕然としていた紅は動くことも声を発することもできなかった。糸が切れたようにフッと力が抜け倒れ込んだ蘭に漸く頭が働きだした。


「――……らん、っ蘭……!」


 慌てて上体を起こし抱き抱えた蘭の身体は熱く熱を宿し、けれども冷たく冷え切っていた。血相を変えた紅は今ある魔力をすべて治癒魔法にして蘭に施す。しかし先の戦闘で紅は蘭と同じく張り切っていた。残っている魔力量は少ない。すぐに頭に痛みが奔る。魔力は使い過ぎると頭痛がするのだ。魔力は生命力と直結している。即ち魔力を使い過ぎると命まで危うくなるのだ。

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