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終わりの始まり

 木々が生い茂る森林。木洩れ日が差し込む昼方。

 長閑な景観と、それにそぐわぬ無数の足音が辺りに木霊する。



 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ――――


 奔る、駈ける、止まるな



「にぃさま……っ!」


 先行して奔る紅がよろけ倒れかける。一念の隙に追い越してしまい、慌てて振り返る。

 振り向きざまに木々の合間から陽光に反射して光るものを捉えた。即座に紅を背に庇う位置に立ち抜刀する。 続けざまに放たれる矢を斬り落とす。


「っ蘭……」


 紅の声に従い深追いせずに先を急ぐ。今は生きるために逃げに徹する。




 ☆ ★ ☆




 今回の任務は囮。小田原城から北上し滝山城へと向かう道すがら輿に乗せられて山を越える。仔細は伝えられることはなかったが紅は間諜の焙り出しが目的だと推測していた。同行者に怪しまれている者がいるらしい。敵襲や裏切りを加味して少数で任務に当たった。



 休息の隙を狙った奇襲。全方位から一斉に放たれた矢。続々と射殺される同行者。


「――……蘭、やはり待ち伏せされていた。即時撤退の準備を。〈暁〉と草鞋は持ってきてるね」

「はいにぃさま」

「予定を変更して一番近い津久井城を目指す。今の装いでは動き辛いと思うけど何としてでも奔りなさい。敵は想定した数より多くいるから深追いはなし。…………往くよ」


 輿中に隠し置いていた太刀を佩き草鞋を履く。紅の掛け声とともに輿から出て駈ける。その間にも絶えず矢が飛び交う。抜刀し避け切れない矢を防ぐ。紅も帯刀している打刀と大脇差を抜刀し応戦する。背中を合わせ周囲を警戒する。同行者は全滅。全方位を囲まれている。このまま乱戦に持ち込むには場所が悪い。


「蘭から坤の方角が手薄。そこを叩き、一気に抜けるよ」


 チラリと目線だけ左後ろに向け視認する。了承の意を込めて敵に気付かれない程度にそっと触れる。矢が放たれる隙をついて紅が踏み出したのに遅れず蘭も続く。前方の木や茂みから潜み隠れていた伏兵が飛び出し武器を手に立ち塞がる。奔る足を止めずに流れるように敵を斬り伏せる。



 包囲から抜けると二人の後を追う数多の足音が聴こえる。包囲網から抜け出ても未だ警戒は怠れない。

 開けた場所に出ると横から何者かが襲ってきた。


「っにぃさま、……助太刀します」


 軽々と受け止めた紅から一歩引いた瞬間を見切って踏み込み太刀を振るう。急所を狙った一閃で相手は地に伏せた。

 小さく息を吐き刀身に付着した血を薙ぎ払い鞘に納める。


「蘭っ、…………っ」

「――にぃさま!?」


 気が抜けてしまったのか反応が遅れた。その寸陰を狙った死角からの投擲にいち早く気付いた紅は刀だと間に合わないと悟り、蘭の腕を引き己と蘭との位置を立ち換える。蘭を庇った紅の左腕には暗器が刺さっていた。


 暗器を抜いた箇所に布を当て上部を紐で締める。簡易な止血だが何もしないよりかはマシになる。


「……不味いな。毒が塗られている」

「そんなっ……!」


 紅は引き抜いた暗器を腰から下げている袋物に入れ、印籠から常備している丸薬を取り出し飲み込む。毒の種類は不明だが取り敢えずといった服薬。暗器からして忍び衆もいるのだろう。忍び衆が使う毒はおおむね強いものを使用される。多少毒に慣らされている身体であろうと完全に回ると危ない。紅が庇って毒を受けたことに蘭は胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じる。完全に毒が全身に回る前に休めれる場所に行かなければと焦りが蘭の思考を奪う。



 再び奔り出したが紅の動きは明らかに鈍っている。顔色がどんどん悪く、その額には脂汗が滲んでいる。蘭は自分のせいだと奥歯を噛む。後悔に苛まれそうになる心の内を、然れど今はそんな暇はないと気持ちを奮い立たせる。後悔する前にまずは生き残らなければ、と。刻一刻と時間が経過する。毒が紅の身体を蝕んでいく。


 一時止まっていたせいか三方を囲まれてしまった。深追いすれば別の二方面から襲い掛かってくるだろうことは明白だ。片腕を負傷したとはいえ紅は二刀使いだ。元来の紅であれば片腕でも対処できるだろう。が、毒を受けた状態ではその限りではない。そんな紅の傍を離れるということは敵に攻め込む機会を与えると同義だ。それは、それだけはいけない。



 囮任務からして平民のような装いでは即座に見破られる。たとえ輿に入っていたとしても。そのため普段身に着けている布より数段上質のものを身に着けている。その分動きが制限されることは然る事乍ら重量も。


 体力の消耗が激しい。荒くなる息を誤魔化すように深い呼吸を繰り返す。状況はすでに絶望的。これ以上悪くしてはそれは死をも意味する。覚悟は幼き頃より当にできている。それでも抵抗するのは抗う理由があり、生きる希望があるから。早々に死しては、命を諦めては、紅に顔向けできない。


 打開策を打とうにも森から抜けなければ話にならない。此度の任務にしては仕方がないことだがそれでも後手に回り過ぎた。チラリと紅の顔を窺うもその表情には眉を顰めていて大変険しい。焦燥感に駆られてさらに呼吸が早まる。心の中で大丈夫と幾度となく唱えても逸る気持ちは拭えない。


 奔り続けると前方に光が射した。出口か。




 そう望んだのがいけなかったのだろうか――――



「なっ……」

「――……崖か。見事に誘導されたね」


 感心したように呟く紅は、しかしその表情は先刻より尚強張っている。崖下を覘くも深く、底までは目視できない。耳を澄ませば逼りくる足音に風の音、葉擦れ音。その合間に微かに聴こえる水の音。川が流れているのか。だが標高は、底が目視できぬ時点でかなりの高さだと分かる。さらに川の深さや岩がないとも言えぬため飛び込むのは自殺行為。万事休す……。



「追い詰めたぞ獅子の二鬼!」

「ここが年貢の納め時っ!」

「夜叉は毒を負い、羅刹は体力の限界だ。ここで確実に息の根を止めるぞ」


 紅を背後に庇うように前に出て居合の構えを取る。左手で鯉口を切り右手は柄の上。左足を後ろに腰を少し落とし前傾姿勢を取る。意識して地を踏み締める。



「………………蘭」

「見ていてにぃさま。わたしがすべて斬る」


 前方は敵、後方は崖。まさに絶望的な状況だがまだ勝機はある。崖は先に進むにつれ足場は狭まる。大人数で攻め込むことも囲むことも出来ない。戦力差は歴然。体力も心許ない。数は不利だが場所は有利だ。あとは遠距離の攻撃にさえ気を付ければ……いける。



 薄暮が差し迫る。宵の口が訪れる前には片を付ける。



 前方から向けられる無数の殺気。嘲り興奮殺意。それらがビリビリと肌を突きさす。あぁ、血が滾る。死の気配がすぐ間近まで逼ってきている。一度のミスも許されぬ状況に身体が震える。背筋にゾクゾクとした高揚感が迸る。



 耳を澄ませて総ての音を拾え。

 瞬きせずに総てを見逃すな。

 頭を空にし今の状況だけを考えろ。

 手の先から足の先まで神経を巡らせろ。

 頭は冷静に、然れど身体は熱く。

 感覚を最大まで研ぎ澄ませる。



 第一陣が逼りくる。場の緊張感が増していく。焦るな、落ち着け、冷静に。見える、聴こえる、感じる。高ぶる気持ちに自然と口元が弧を描く。息を詰める。



 ――瞬間



 左腕が後ろに引かれる。


「…………えっ」


 突然のことに足の踏ん張りがつかず足が縺れた。数歩よろければ崖際に足を滑らせて落ちる。落下する最中、周囲の動きが遅く、ゆっくりに流れる。この感覚には覚えがある。蘭の感覚が限界まで研ぎ澄まされた集中時に見える光景と同じだ。それが今、何故と頭の片隅に掠るもすぐに彼方へと吹き飛んだ。



 崖上の紅に向けて手を伸ばすが届くはずもなく。虚しく空を切る。要領を掴めず落ちる半ば、困惑のままに紅を見る。


「どうして……」


 蘭の口から消え入りそうな声が零れる。先刻までの高揚感は鳴りを潜め、身の内には当惑、混乱が満ちる。


「ごめんね蘭――愛してる」


 そう云った紅の声は驚くほど鮮明に蘭の耳へと届いた。視界に映る紅の表情はその場にそぐわぬほどに優しげで。然もなければ平時の蘭を見詰める表情と酷似していて。それが余計に戸惑いを助長し狼狽える。蘭の目は悲愴なほどに揺れ動いていた。


 崖上の紅に敵が逼りくるのが視界の端で捉えた。



 危ない、逃げてと言いたいのに声が出ない。

 ハクハクと口が開閉するだけで声帯が機能しない。

 敵が逼っているのにずっと紅と目が合う。

 小さくなっていく紅がぼやける。

 目が勝手に潤んでいくせいで視界が霞んでいく。

 ひゅうひゅうと呼吸ができずに空気が喉を通り抜ける。



 瞬きの後の玉響、視界がはっきりと開かれた。紅に逼る刃が鮮明に目に焼き付く。振り下ろされたのを最後に目の前が真っ暗になった。そのすぐ後、背中に痛烈な痛みが奔る。


 濁流に飲み込まれどんどんと流される。紅に突き落とされたこと、紅が殺されそうになったこと、先刻の光景が頭から離れない。嘘だ嫌だと繰り返す。そんなことはないと、そんなことあり得ないと心が必死に否定する。現状すらも理解できないほどに気が動転していた。ともすれば身体が金縛りにあったように動かない。



 碌に抗うこともせずに流され続けてそのまま、プツンと意識が途絶えた。

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