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朝日が登る頃、二人は屋敷を出た。村から西へと進み朴省を目指す。屋敷を振り返り、少しばかり名残惜しくなったその場所を見つめた。


果てしない旅に出るわけではないが、半年過ごしたこの地は穏やかで、ユーリックには心地が良かった。


青々と風に靡く稲穂を眼前に捉えながら、馬を進める。どこまでも続く平原にユーリックは胸が詰まる思いだった。自身が留まっていた場所が如何に狭かったかを、思い知らされている様だった。


朴省へは、幾つかの町や村を通っていく。朴省都への道のりは遠かったが、ユーリックには慣れたものだった。


ユーリックは蚩尤が心配だった。身なりから、ある程度身分があると推測はしていた。旅路は長い。大丈夫なのかと尋ねると、彼もまた旅には慣れていると答えた。


夕方の日が沈みかけた頃、今日は此処までにしようと野宿になった。イルドがある辺りは雪が多過ぎて人が住みずらく、村がない。途中はどうしても野宿になる。


ユーリックは慣れた手つきで、火を起こし、食事の支度をした。蚩尤としてはユーリックに全てを任せるつもりはなかったが、彼女なりに気を遣っているのだろうと思い、木切れだけを集める事にした。


「慣れているな。」

「……以前は妖魔狩りの為、辰の南部を巡っていましたから。」


ユーリックの答えは曖昧だった。それだけでなく、辰や魔術については聞かれるままに答えてはいたが、自身関する事柄は不審なまでに口を閉ざしていた。不審に思っても、蚩尤は敢えて問いただす事はなかった。


ユーリックはただ他に頼る者がないだけだ。蚩尤も又、頼る者の無いユーリックに手を貸しているに過ぎない。二人の間には今はまだ信頼と呼べるものは無買った。


――


幾日後の夕刻に差し掛かった頃、宿場町に辿り着いた。

蚩尤は過去に一度だけ、この街に来た事があると言った。宿が幾つか有り、朴から来た旅人や商人が杏省の省都キアンへ向かう為に使う宿場町だった。

賑わい始める時間帯ともあり、早々に宿を取った。


「暴利な店も良くある。気をつけなければならない。」


蚩尤のその言葉がユーリックには無性に可笑しかった。蚩尤の様な御仁が口にする言葉には思えなかった。笑いが込み上げ、つい声に出して笑ってしまった。


「そんなに面白い事を言った覚えは無いが。」

「いえ、蚩尤様がその様な事を言われるとは思っていませんでした。」


ユーリックは笑いを抑える様に口元に手を当てていた。あまり明るい表情を見せなかったが、蚩尤は少し安心した。


「昔は良く旅をしたものだ。それこそ野宿も安宿も当たり前だった。」


蚩尤は厩のある一件の宿に決めた。食事は無く、馬を繋ぐと適当な店に入った。

ユーリックは此方の金銭を持ってはいない。旅にかかる資金は蚩尤が持つと言われ、今は甘える事にしていた。


二人は食事を終えると、宿へと戻った。部屋は相部屋で寝台と衝立が置かれているだけの簡素なものだった。


「イルドとは大違いだろう。」

蚩尤は寝台に座ると窓の外を見た。夜が訪れ提灯の灯が街を照らす。二階から見下ろす町には、人が行き交い、喧騒が部屋まで届く。

ユーリックもそんな姿を眺めた。


「確かに比べると。でもイルドは穏やかな村です。」

「ユーリック、あそこに住んでいた者達で気付いた事は?」

「……特には。皆働き者だとは思いましたが。」

「彼等は獣人族です。半身は獣を持つ者達です。」


ユーリックは余り関わらなかったが、人と然程変わりが無い様に思えた。


「気付きませんでした。」

「この国は、人、龍人族、獣人族の三種族がいる。獣人族は政に余り関わらず、山や森、イルドの様な小さな村に住み、自然を好む者が多い。勿論、率先して政に身を捧ぐ者も居る。」

「姿は只人と変わり無かった様に見えました。」

「転じていなければ、人と変わりは無い。彼らは、二つ目の魂の姿と呼ぶ。」


ユーリックは町を見る。この町の中にもそういった者がいるのだろうか。自身を助けたカンも同様に変身が出来たのだろうか。どうやって転じるのだろうか。ユーリックの好奇心が少しづつ育ち始めた。


「悪い癖です。この国では、答えのない事もあるのだと言われたのに、どうしても頭の中で考えてしまいます。」

「何も考え方を変える必要はない。ただ多くを知り、学べば良い。何より、貴女の考え方は面白い。」

「そう言って頂けると、助かります。」

「さあ、今日はさっさと寝てしまおう。先はまだ長い。休める時に休んでおかねば。」


ユーリックは頷くと木窓を閉め、蝋燭の灯りを消す。寝台に横になると、静かな部屋には外の喧騒が未だ響いていた。目を閉じると、騒がしい外の様子がどこか懐かしくも思えた。


――


旅路は順調に進んだ。天候にも恵まれ、朴手前にある最後の街まで辿り着いた。杏省で三番目に大きな街、ウジ。華やかで、朴省も近い事から商人が行き交う街でもあった。


「大きな街ですね。」

「陽皇国では小さい。此処は妓楼も多いし、商人達が多く宿も高めだ。馬を繋いだら、少し街を観て歩こう。


蚩尤は宿を選ぼうとしたが、今は春と商人達の往来が多く、どこも空いていない。仕方なく、少し高めの宿となった。


「彼方の派手な色の建物は妓楼が立ち並んでいます。行かない方が良い。」


蚩尤が指差した方には、朱色の屋根に黄色の柱が良く目立つ建物が並んでいた。蚩尤は其方とは反対側の露店が並ぶ方へと進んだ。最初の宿場町とは違った賑やかさを見せる中、時折擦りの子供が目立った。ユーリックは、上手いものだと感心しながらそれを見ていた。


酒場も多く、妓楼だけで無く如何わしい店も多い。客引きに蚩尤は幾度となく足を止められた。平民を装っても、金を持っていそうな者には目敏い者も多い。蚩尤もそう見られたのだろう。呼び止められる度に蚩尤は面倒だと言わんばかりに露骨に顔に出る様になった。


「蚩尤様、顔に出ています。」

「あまりにしつこいので、つい。」

「なるべく隣を歩きます。多少は効果があるかと。」


ユーリックはいつも蚩尤の後ろを着いて歩いていた。それでは従者程度にしか思われていなかっただろう。


「歳の離れた夫婦とでも勘違いしてくれたら良いが。」


目論見が当たったかは分からなかったが、その後は声をかけられる事はなかった。


露店には、様々な物が並んでいた。四つの省の境目が近く、其々の特産品が混じっている。細やかな装飾が施された工芸品は愁省独自のもの、辛味の強い調味料や見慣れない食べ物などは朴、美しい瑠璃色の陶器の器は丁、酒や薬は杏独自の物だった。


「杏は酒が上手い。お陰で酒好きも多いが。ユーリックは酒は呑めるか?」

「酒は好きです。酔えた事は無いですが。」

「それは良い。私の知人が飲み相手を探していた。今度紹介しよう。」


蚩尤の知人となれば、やはり身分が高い方なのだろうか。ユーリックはぼんやりと考えながら、街を見渡した。夕陽が差し掛かり、薄暗くなる中で、提灯が次々と灯されていく。


人の賑わいはより一層強くなった。街の喧騒はどこも変わらず、豊かな国と言う事を除けば、辰と何ら変わらない街の姿に、ユーリックは自分がどこにいるのか分からなくなりそうだった。


「ユーリック。」


ぼんやりしていた所為か、蚩尤と距離が開いていた。人混みに紛れない様にと慌てて蚩尤の後を追った。


「どうかしたか。」

「いえ、何でも有りません。」


不安を不用意に口にするべきでは無いと、適当に口を濁した。

それから一通り街を見て回ると、二人は露店で適当に食事を済ませ、宿へと戻った。


蚩尤は少しと言ったが、ユーリックにとっては上等な宿だった。今まで寝台は硬いものばかりだったが、綿の入った布団や整えられた調度品が宿の高さを物語っていた。


「蚩尤様、此処は高かったのでは……?」

「たまには良いだろう。金は足りてるから、気にしなくて良い。」


折角だからと、蚩尤は宿の風呂まで借りてくれた。今までは沐浴程度で済ましていた為、ユーリックは贅沢だと思いながらも、満喫するほかなかった。沐浴していたと言っても、道中は野宿も多かった。髪は油が溜まり、身体中は汚れていた。


湯船に浸かりながら、蚩尤の優しさに甘えてばかりだと思えた。何故蚩尤は此処まで良くしてくれるのだろうか。同情しているだけかも知れないが、恩が降り積もるばかりで申し訳が無かった。


「(私は、蚩尤様が何者かも知らない……。)」


知りたいとは思ったが、此方から聞くのは失礼に当たる。蚩尤はわざと曖昧に言う事も有り、敢えて聞かない様にしていた。何よりも、蚩尤もユーリック自身の事を気を使ってか、何も聞かずにいてくれる。


ユーリックも話したいとは思わなかった。話すと、嫌な記憶が鮮明に蘇る気がしてならない。何より自信に起こった事を人に知られたくは無かった。


だが、このままで良いのだろうか。腹に何かを溜め込んだまま、信頼など出来るのだろうか。蚩尤と共にすればする程、そんな思考が芽生えていた。


ユーリックが風呂から戻ると、蚩尤も既に部屋に戻っていた。髪は濡れていて、彼も同様に風呂に浸かっていたのだろうと伺えたが、顔はどこか訝しんでいる様にも見えた。


「蚩尤様、ありがとうございます。久しぶりに湯船につかれました。」


ユーリックの言葉に蚩尤の顔はいつも通りの穏やかなものへと変わった。


「満喫できた様で何よりだ。」


ユーリックの和らいだ顔を見て、蚩尤は自然と微笑んでいた。その姿を見ると、ユーリックは先程浮かんだ疑問が口から出そうになったが、迷いながらもやはり口には出来なかった。


「……ユーリック、朴へ入ったら私の事はシエイと呼ぶ様に。敬称も不要だ。貴女はユウリとでも呼ぶ事にしよう。」


突然の申し出にユーリックは首を傾げた。


「私の名前は朴では知られている。見つかると面倒なだけだ。貴女の名前は此方では耳慣れないだけだ。」


それには疑問しか残らなかった。何故イルドを出た時からそうしなかったのだろうか。ユーリックは蚩尤が何者かは知らないが、杏の高官か何かだと推測していた。


今までもユーリックは名前を街中で呼ばれている。何故今なのだろう。取ってつけた様な説明を問い詰める勇気もなく、ユーリックは従うしか無かった。


「(何を隠しているのだろうか)」


本当に信頼できる方なのだろうか。信じたいが、彼の行動には疑問が多すぎる。ユーリックは心に蟠りが溜まっていくばかりだった。




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