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十六

蚩尤は腕の中で眠りについたユーリックを寝台に寝かせると、離れを後にした。


廊下を進み、自身も休もうかと用意された客間へ向かった。居間を通り過ぎようとすると、邸宅の主人が待ち伏せをしていたため、そうもいかなくなった。


「……立ち聞きはどうかと思いますが。」


祝融は、その言葉を気に留める様子もなく、蚩尤を見た。


「聞いたからには、善処する。お前の養女にする気は無いのだろう。」


蚩尤は言葉を返す言葉は無いと、祝融から目を逸らした。

迷いがある様にも見えたが、祝融にとってはその様な蚩尤の姿が珍しかった。


真っ当な人間らしい感情を持った事に喜べば良いのか、はっきり物言わぬ事に呆れたら良いのか、わからなかった。


「ならば、手段は一つだ。俺の養女として姜一族に迎え入れる。本人の意思も聞くが……それが何を意味するかはわかっているな。」

「どの道、不死身ならば、それしか手段はないでしょう。」

「わかった。本人の意思を確認次第、手続きをする。引き止めて悪かったな。」


祝融は、要は済んだと、そのまま自室へ向かって行った。

蚩尤は主人の背中を見送り息を吐くと、当初の目的である、客室へと向かっていった。


ユーリックは雨と雷の音で目が覚めた。降り頻る雨音が、部屋の中まで響いていた。


部屋の中は薄暗く、昼か夜かも判別はつかない。

話をした後の記憶は無く、そのまま眠ってしまった事に気が付いた。


「(醜態だ……)」


泣きじゃくり、子供のように縋り付くなど、初めての事だった。しかも相手は、さんざん世話になっている蚩尤に見られた事が恥ずかしくも思った。


ユーリックは身を起こし、寝台の脇の卓に置いてあった蝋台を手に持つと灯りをつけた。


そのまま部屋を出ると、雷が大きく光った。光は中庭にまで届いた。ごろごろと唸る空は、はっきりと見えずとも今が夜だと悟らせた。そのまま空を眺めながら、壁を背にその場に座り込んだ。


どれくらい経った頃か、套廊の先から気配が近づいた。ユーリックはそちらに目を向けると、姿を現したのは祝融だった。


「起きたのか。話がある。」


そう言って、祝融は来た道を戻って行った。ユーリックは立ち上がり、後に続いた。


祝融は居間へと案内すると、女官にお茶を用意するように指示した。居間は広く、卓を囲むように置かれた長椅子や、窓際に置かれた二対の椅子が置かれていた。祝融は窓際に座ると、ユーリックは向かいに座った。


女官は二人分のお茶を用意すると、颯爽と部屋から出ていった。

ユーリックは気まずい雰囲気の中、静かにお茶を一口飲んだ。


蚩尤のいない状況で、祝融と二人きりなるのは初めてでは無いものの、彼の威圧がユーリックには心地の良いものでは無かった。


「実の所、お前を書簡で保護すると言ったところで、あの手この手で邪魔をしてくる者達がいると予想している。保護だけでは正直足りない。」


祝融が口を開いた事で、ユーリックは手に持っていた湯呑みを置いて、姿勢を正した。

祝融の浮かない顔色から、あまり状況が良くない事が伺えた。


「それでだ。お前を俺の養女として迎え入れることにする。」


あまりにも突飛な発言にユーリックは耳を疑った。


「……理由を伺っても?」

「一つは他の元老院への牽制だ。手出しはできん。もう一つは、戸籍を得る事ができ、尚且つ保護する手段になる。」

「そもそも、元老院とは何でしょう。」

「皇帝に次ぐ権力を持つ国家機関の一つと考えれば良い。俺は、その一人だ。」


ユーリックは言葉が出なかった。蚩尤に見せてもらった国全体の地図には九の省があった。

その一つの杏を治める一族という所までは理解できていたが、その一族を纏める当主の権威というのが、どれ程のものかなど想像も出来ずにいた。


「待ってください。そこまでの事をしなければならないのですか?」

「蚩尤に聞かなかったか?不死身はそれだけ特殊と言うことだ。何より、今は不死が減り、生まれ難くなっている。力を持つ者をどこの省も欲しがる。」


ユーリックは卑賤の生まれだ。今ですら、これまで生きてきた環境と程遠いと言うのに、簡単に受け入れられるものでは無かった。


「時間もあまり無い。他に手段は無いと考えた方が良い。」


戸惑うユーリックに祝融は、追い討ちを掛けるように口を開いた。


「皇帝からいつ呼び出しが掛かるとも分からん。現状、お前は異変を起こしている者と推測されている。良い加減返答を出さなければ、あちらも強行手段に出るだろう。」


脅しにも思える言葉ではあったが、祝融にも時間がないのだと、ユーリックに分からせる必要があった。


「……私は孤児です。生まれも、辺境の田舎です。そんな私が、身分を与えられても、祝融様に御迷惑を掛けるのではないのでしょうか。」


言葉の節々に不安は見せても、それを態度には出さず、祝融に面と向かっていた。

この場で縮こまっている様では、どうしようもなかったが、凛とした姿勢に祝融は蚩尤の評価の高さを納得ができた。


「お前は自己評価が低いな。俺は生まれも育ちも気にしない。何より、蚩尤はお前を高く評価した。それで十分だ。」


蚩尤にそれ程まで信頼を置いてるのだと受け取れる言葉に、ユーリックは目を閉じた。


「(蚩尤様を信じると決めた。そして、この方は蚩尤様が最も信頼できると仰ったお方。)」


ユーリックは祝融を見た。


「わかりました。祝融様の娘として、杏にお仕えいたします。」

「話が早くて助かる。仕事の話は、追々だな。」


祝融は女官を呼ぶと、紙と墨を用意するように言った。

女官が一頻りを盆に乗せて持ってきた。


硯は既に擦られており、目の前に置かれたそれに祝融は迷いなく筆を下ろした。一通り書き終わると、祝融は最後に自信の名を署名した。


「字は書けるか?」

「書けますが……」

「そういえば、名が特殊だったな。漢名で書けるか?」

「私の名は異国に由来するものなので、この国の文字では書けません。」


祝融はどうしたものかと、首を傾げた。


「名を改めるか。何が良い。」

「……では、ユウリと。それならば、こちらにも通づると聞きました。」

「確かにそれならば問題はない。」


祝融は、白紙の紙に漢名で悠李と書いて見せた。


「これで良いか?」


ユーリックはただ頷いた。


「では、ここに署名を。」


言われた通り、ユーリックは祝融の隣に姜悠李と署名した。


「後は、俺の印章と領主の印章が必要になるが、流石にここには置いていない。」


祝融は一息つくと、冷めてしまったお茶を一口啜った。


「雨が上がり次第、俺は一度杏に戻る。その間、蚩尤と明凛をここに置いてくが、外には出るなよ。お前の赤目は少し目立つ。」


祝融が外に目を向けた事で、ユーリックも釣られて何気なく窓の外を見た。

外は暗く何も見えないが、雷は遥遠くで雲の存在を見せる様に唸り、雨が硝子窓に当たり未だ雨が続いていた。


「分かりました。……あの、領主様に相談もせずに決めてしまっても良かったのですか?」

「問題ない。俺の息子と違って、理解がある。他の者も、説得してくるつもりだ。」


ユーリックは、頭に自分の胸を貫いた男が頭に浮かんだ。他に手段が無かったとはいえ、あの男と義理の兄妹になるのだと今更ながらに気付いた。


「息子も俺が何とかする。手出しはさせん。」


祝融は、頭を掻く仕草を見せたかと思うと、ユーリックに向かって頭を下げた。


「……昨日の件は申し訳なかった。」


ユーリックは慌てて祝融に頭を上げる様に言ったが、祝融は応じなかった。


「あれは連れてくるべきでは無かった。下手をすれば、お前の首を斬っていたかもしれん。」


ユーリックは不意に自身の首を触った。


「俺もお前に剣を向けた。蚩尤の判断は間違ってなどいなかったという事だ。」


祝融は頭を上げ、ユーリックを見た。


「蚩尤様は私にも思惑を隠していました。何を考えているか解らず、蚩尤様を疑いました。」

「蚩尤らしいな。今はどうだ。」

「信頼出来るお方だと。」

「そうか……お前から見た蚩尤はどう言った人物だった。」


その問いの理由はわからなかったが、ユーリックは少しばかり思案した。


「思慮深く、聡明な方かと。常に冷静で、判断に迷いが無い。信仰を持ってはいますが、私の様に神に懐疑的な者の考えを否定する事もない。」


祝融はユーリックの言葉に目を背けたくなった。蚩尤は一見の人間には清廉潔白の傑物だと称される事が多い。


だが、祝融から見た蚩尤や他の者からの評価は聡明こそ間違いでは無いが、基本『冷徹』『陰険』と称されていた。ユーリックは蚩尤を尊敬に値すると言わんばかりの褒め言葉に、蚩尤の本性に気づいてないのか、それとも未だ蚩尤が猫を被っているかが気にはなった。


祝融の含む様な笑う姿に、ユーリックは首を傾げた。


「悠李、この国を見てどう思った。」


この問いにも、ユーリックはどう答えるか悩んだ。全て見たわけでは無いし、あくまで表面を見たに過ぎない。


「何でも良い。思った事を述べてみよ。」

「最初は、物語の中に迷い込んだのかと思いました。街並みや人が生きる様を見て、ようやく現実なのだと実感しました。」

「他には?」

「此方は孤立している為か、文明が遅れている様にも見受けられます。」

「例えば?」

「私は墨や筆を使い慣れてはおりません。彼方では異国から輸入されるペンやインクを使っていました。」


祝融にはユーリックの言ったものが、墨や筆の代替え品とは分かったものの、それがどう言ったものかは想像できなかった。


「硬貨の造成技術はどうだ。」

「詳しくはないのでなんとも……衣服は古来の民族衣装の様だと思いました。言葉は同じでしたが、文章は古典の様にも思えました。本の装丁も古い。……隣国は辰というのですが、貧しい国だったので、暮らし自体は然程変わりは無いです。私はそれ程こちらでの暮らしに苦労はしませんでした。食べ物も、こちらの方が豊かです。」

「……差がある様で無いか。」

「ええ。ただ、異国はより文明が進んでいると聞きます。辰は、それによって文明が進んでいる様に見えるだけです。」

「成る程、ちなみにだが、悠李は何かしらの技術をこちらで広げる事は可能か?」


ユーリックは少し困った様子を見せた。


「……私には魔術しかお伝え出来るものはありません。あとは、異国……エンディルと呼ばれる国の文字や言葉だけです。」

「ならば地図は描けるか。」


この国は封じられている。ユーリックは祝融が何を気にしているのかがわからなかった。


筆を手にとり、線をつなげる様に描く。大陸を上下に二つ描き、大雑把ではあったが、それなりの地形が出来上がった。その内の上の一つを三つに割った。そして、その内の一番南に位置する部分を指差した。


「推測ですが此処が、恐らく陽皇国がある場所かと。」

「この下は何だ?」


祝融は、陽皇国よりさらに下の大陸を指差した。


「そちらは、エンディルやファラン、他にも小国が幾つか有ります。余り詳しくは無いので、省略しました。」

「……他に大陸はあるか」

「有りますが、知識としては噂程度です。より文明の発達した国があるのだとか。」


祝融は地図を見た。陽が有る部分こそ曖昧では有ったが、大陸の中に小さく描かれていた。それは、今まで自分が生きてきた世界の狭さを物語っていた。


「陽は小さいな。」

「辰に比べればですが。それ程小さい国では無いかと。此処は地図では海域とされていますが、船は通れないと聞きます。海に飲まれてしまうのだとか。」


祝融は眉間に皺を寄せながら、ユーリックを見た。


「悠李、俺はお前を基準に考えて良いのか?」

「どう言った意味でしょうか。」

「地図を描けと言われて、迷いなく描けるのが、辰の一般常識か?武芸に秀でて、武官を相手取れるのが当たり前なのか?」


ユーリックに身分は無い。だが、魔術師として育てられたからこその知識や経験がある。


「……魔術師として育ったならば、知識として持っていても何ら不思議ではありません。只人の平民では、自分の国の大きさ位置を把握している者は少ないかと。何より、私はかなり特殊な環境下で育っていますので、力量に関しては魔術師としても基準にはなり得ません。」

「そうか……」

「何を気にしておいでなのかが分かりません。この国は入ることが出来なければ、出る事も出来ないと聞きました。外界の情報など不要では?」

「ただの興味だ。蚩尤と同じで、永く生きていると新しい話が面白いだけだ。」


その後も祝融はユーリックに問答を続けた。算術や科挙、異国の言葉、辰で伝えられる物語や神話、勿論わからない事も多くあったが、答え続けた。


気付けば雨は上がり、空が白み始めていた。雨雲は遥か遠くにあり、空には白い雲が浮かんでいた。


「……朝になってしまったか。これならば、杏まで保つだろう。」


祝融は用意した書類を懐にしまい込み、ユーリックが書き留めた紙を適当に纏めた。

不意に居間の扉が開いた。ユーリックは何気なしに目を向けると、蚩尤が立っていた。


「随分と話し合いが長く続いた様ですな。」

「例の話は、早い段階で決まった。名も改め、悠李となった。」


蚩尤は少しばかり怪訝な顔つきだったが、やがてそれもいつもの温和な顔へと戻った。


「俺は一度、共工たちを連れ城へ戻る。玄瑛に話もせねばならん。神殿から早いうちに返答があれば、お前が悠李を連れて行け。」

「承知しました。」

「悠李も付き合わせて悪かったな。屋敷の中は自由にすれば良い。」

「ありがとうございます。」

「気にするな。その内、お前は俺の家族の一員になる。建前で娘になったからと言って、雑に扱うことはない。その代償として、杏に尽くすのだと思ってくれ。」

「承知しました。」


祝融は、朝食まで一眠りすると言って、部屋を出た。

ユーリックは途端に気まずくなった。


蚩尤には泣き顔を見られたどころか、弱さを見せた事が未だに信じられなかった。どういう顔をすれば分からず、つい俯いてしまった。


「少し、庭でも散歩しよう。」


蚩尤はそう言って、手を差し出した。ユーリックは漸く蚩尤の顔をはっきりと捉えた。穏やかな笑みに安心し、その手を取って立ち上がった。


庭は多少ぬかるんでいたが、丁寧に手入れをされた庭にそれも忘れ、ユーリックは見知らぬ花や木々を見入った。


「名前を悠李にしたのか。」

「それしか思いつきませんでした。」

「名を捨てる事に、戸惑いは無かったのか?」

「元々、生来の名前ではないので、拘りも有りません。」


蚩尤はそうかとだけ呟いた。


「生来の名前は何という?」

「覚えていません。幼少の頃の記憶は、最初の死と共に殆ど消え去りました。両親の顔すら浮かびません。」


ユーリックの表情に悲しみは無かった。

少年の死を告白した時の方が、余程悲哀を浮かべていた。抜け落ちた記憶にまで、心を痛めている余裕など無いと言った様子だった。


「これからは、我々姜一族が家族となる。教養は心配ないにしても、礼儀や作法はある程度身に付けねばなるまい。」

「一族の方は、どれだけいるのでしょうか。」

「当主である祝融様と、その子息の共工。諸侯領主の玄瑛。そして、共工、玄英共に妻がいる。後は、共工に子が二人いるだけの少ない一族だ。分家も誰一人として残っていない。」


蚩尤の声は、僅かな機微が取れたが、表情は変わる事は無かった。一族と名乗るには余りに数が少なく、分家が滅ぶというのもユーリックには疑問に思った。


「何かあったのですか?」

「……いずれ、嫌でも知る時が来るだろう。」


話したく無いともとれた言葉にユーリックも、それ以上は聞くことが出来なかった。


朝日が昇り、眩しく庭を照らした。見慣れた紫陽花が甘梅雨を浴びる様を眺め、女官が二人を探し回って呼びに来るまで、二人は庭で時を過ごした。


朝食は祝融の意向で食堂に全員集まって取ることになった。広い食堂で、祝融は上座に座り、後は席が決まっているのか、それに続いた。ユーリックも蚩尤の隣に座り、対面を見ると相柳や明凛、豪雷と言った面々もいた。


時折、共工が睨めつける様にユーリックを見たが、蚩尤が気にするなと耳打ちした。祝融は家族だと言ってくれたが、共工の様子に少しばかり不安を覚えた。もう決まったことだと腹を括るしか無かった。


食事を終えると、祝融は共工と相柳を連れ豪雷の背に乗ると、杏の領主城へと向かった。


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