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十五

暗く冷え切った地下牢。足音だけは良く響き、それは同時にいつもの時間だとユーリックに教えてくれた。


蝋燭の灯で男の下卑た顔がよく見える。既に恐怖はなく、何も感じていない振りをした。腹の中では、直ぐにでも殺してやりたいと思っていたが、手足は鎖に繋がれ、身動きすら取れなかった。


魔術を使おうにも、牢屋自体に魔術陣が描かれており、何も起こらない。その魔術陣にすらユーリックの魔素が使われていたのが何より腹立たしかった。


男は牢を開けると、ユーリックに近づいた。慣れた手つきで、心臓部に手を当てる。手は吸い込まれる様に、肉の内へと入っていく。


心臓は熱くなり、激しい痛みが襲う。最初の頃は悲鳴をあげ、男の嘲笑う声が耳に響いたが、今は無気力を演じ続けた。


何も反応を示さなくなってからというもの、男は面白みが無くなったのか、飽きたのか、それ以上の事は何もしなくなった。男は魔素を取り出すと、他に用はないと牢を閉め足速に去っていった。


ユーリックは、無気力を演じながら何かを待ち続けた。

どれくらい時が経ったかわからない、同じ日々が続き、日が登ったか沈んだかも地下牢にいては判断もつかない。


だが、その日は足音がいつもと違うという事だけは分かった。灯を持って現れたのは、見たことのない顔の男だった。

男は気弱そうな顔が灯に照らされ、ユーリックの無残な姿を見ると顔を歪ませた。


「…すまない。」


男はそう口にすると、牢を開けていつもの男と同じ様に魔素を取り出した。手慣れていないのか、手が震えているのがわかる。痛みはいつもの比ではなかったが、ユーリックにはただ耐えるだけだった。


男は、逃げる様に去っていった。


それからというもの、その男が毎日のように顔を見せるようになった。男はしきりに、ユーリックに語りかけた。


男は、リウと名乗った。魔術師としては認められたが、自立できる程の才は無く、師どころか弟弟子にすら馬鹿にされ雑用を押し付けられ此処にくる事になったと語った。


話をする相手もなく、反応すら示さないユーリックに語りかける事で気を紛らわせているようだった。

ある日、リウはいつも以上に足取りが重かった。牢屋に着くなり、座り込み俯いていた。


「なあ、どうしたらいい?師匠が僕には才能がないから、もう必要がないと言うんだ。君は老師の弟子だったんだろう?どうやったら強い魔術師になれるんだ?」


リウはユーリックが何も答えないとわかっていながらも、問いかけ続けた。


「君は強い力を持っているから此処に入れられたんだろう?どうやったんだ?」


リウは焦っていた。何かしら結果を残せなければ、戦地に送り込まれるかもしれないと、師に脅されていた。もしそんな事になれば、この男は直ぐに死んでしまうだろう。リウには時間が無かった。


何も返さないユーリックに諦めたのか、リウは諦めた様にため息をつきながら、いつもの様に牢を開けユーリックに近づいた。


「強くなる方法ならある」


聞いた事がない掠れた声が、リウの耳に届いた。リウは驚いて手を止め、ユーリックを見た。


今まで、一度としてリウを捉えていなかった紅い瞳はリウを見ていた。


「…こんなところで雑用ばかり押し付けられているのが嫌なんだろう?」


ユーリックに表情はない。その姿に尻込みしたが、リウには時間が無い。たとえ、傀儡の様に扱われている女だろうと縋りたかった。


「そんな方法があるのか?」

「あるさ。やるか?死にはしないから安心しろ。」


リウは固唾を飲み、心臓が高鳴るのを抑えた。


「…やる。どうすれば良い?」

「簡単だ。いつものように、私から魔素を取り出せば良い。だが全てじゃない。爪先で砂を書くようにやってみろ。」


聞いた事のない方法だったが、そもそも魔素を取り出す為にだけ存在する者などユーリックの他には居ない。リウは言われた通り、ユーリックの心臓部に手を入れた。指先を動かし、何かが削れた様な感覚がした。それを掴むと引き摺り出した。


「…これは」


いつもなら、握り拳ぐらいの紅玉の様な物が出来上がる。今、手中にあるのは小石程度の塊だった。


「それを飲み込め。お前の魔素の器が大きくなる。ほんの少しだがな。」


リウは他人の魔素を取り込む事が出来るのは知っていたが、それが出来るのは戦地で他国の魔術師と相対した時ぐらいだと聞いていた。

此処でユーリックの魔素を取り出しているのは、殆どが戦地で流用するからだと師から教えられていた。


「それなら、いつものやり方で…」

「お前の魔素の器はあまり大きくはない。一度にやりすぎると、破裂して死ぬ。何より、数が足りないと厄介な事になるだろう?」


取り出した魔素の数は厳重に管理されている事はリウも知っていた。だが、一度に取れる量は上下する為記録には残らない。甘い誘惑の様にも思えたが、リウは迷いなく口に放り込んだ。口に入れると、飴玉の様に溶けて無くなった。


「…それで?」

「今日は終わりだ。明日も同じ事やればいい。結果はいずれ判る。」


物言わぬ傀儡と思っていたから同情していたが、リウは淡々と話すユーリックが気味の悪さを覚えた。


「私と話をした事は誰にも言うなよ。魔素を取り込んだ事もな。」

「何で、僕に教えた。」

「…ただの暇つぶしだ。仕事の方もさっさとやって帰れ。あまり遅いと怪しまれる。」


いつもなら、少しばかり話をして戻っていた。確かにこれ以上いると上にいる物達に怪しまれるかも知れないと、いつものようにユーリックから魔素を取り出すと逃げるように帰っていった。


次の日もリウはユーリックの指示通り魔素を二回に分けて取り出した。小さい方は飲み込み、もう一つはいつもの様に持って帰る。そんな日々が続いた。


それから暫くして、リウは以前より多くの事が出来る様になっている事に気がついた。

魔素を込める事が早くなり、魔術がいとも簡単に扱える。魔素の器が大きくなるというのは本当だった。


兄弟子達は不信に思っていた様だったが、師は年齢的に成長する事もあると言っていた。このままいけば直に不死の術も身につくだろうと。


リウはその事をユーリックに報告した。ユーリックは不死の術にはまだ魔素がいると言い、それからもリウに同じ事を続けさせた。


そして数年が経った頃、リウは不死の術が扱える様になっていた。


「師が認めてくれた。君のおかげだ。」

「それは良かった。」

「何か礼をしないと…何か持ってこよう。小さい物なら、こっそり持って来れる。何が良い?」

ユーリックは、首を振った。

「物は要らない。鎖を外してくれ。」


リウの顔は一転した。それは到底無理な話だったからだ。リウは自分が不死の術を極めた事でユーリックの貴重さがよりわかっていた。だから、此処に繋がれているのだと納得もしていた。


当たり前の様にユーリックの魔素を自身のものとして取り込み続けるうちに、同情など消え去っていた。


「…そんな事をしたら、君は逃げるのだろう。僕は殺されたくはない。」

「何故だ?それだけの事はしてやった筈だ。それともまだ足りなかったか?」

「無茶を言わないでくれ、君が逃亡を企んでいると報告をしても良いんだ。」

「それなら私はお前が魔素を盗んだと教えてやらないとな。さぞや最長老はお怒りになるだろう。」


リウの顔は青ざめ、ユーリックは笑っていた。今迄一度として表情を見せる事は無かった女が、笑う姿は不気味でしかない。


「誰が君の話を信じるんだ。」

「信じないかもしれない。だが疑われる。お前の魔素は私の魔素で染まった。調べれば直ぐにわかる。」


リウの心臓は鼓動が早くなり、冷や汗が止まらなくなっていた。


「どうした?顔色が悪い。」


ユーリックは嘲笑うかの様に、リウの顔を覗き込む。リウは、ユーリックが恐ろしくなった。


この女は何だ?何故笑っていられる?女は今も牢で鎖に繋がれている。いつもは当たり前の様に開けていた牢を開ける手さえ震え始めた。


「…と、とにかく話は終わりだ…」


震える手を抑え、鍵を開けた。

リウは魔素を取り出す為、ユーリックに恐る恐る近づき心臓部に手を入れたその時だった。


ユーリックの顔がいつも以上に近くにあり、一瞬彼女が何をしているのか理解ができなかった。口付けをされていると気付き、慌ててユーリックから離れた。


「なっ、何をしてっ…!?」

「協力に感謝する。」

「何を…」


リウは、言葉が出なくなった。身体中が燃える様に熱くなり、内側から刺す様な激痛が襲った。


自分の意思とは関係無く、魔素が体の中で暴れている感覚が確かにあった。まともに体を起こす事もできず指一本すら動かす事がままならない。


リウは痛みに襲われ堪えきれずに蹲った。背中は裂け、血飛沫が牢屋中に飛び散り、それは結界にも及んだ。ユーリックはその様を見ているだけだった。


ふと、金属が床に落ちる音だけが痛みに悶えるリウの耳に届いた。リウは霞む目を凝らし、ユーリックを見ると、鎖に繋がれていた女は立ち上がっていた。


「(な…なん…で)」


ユーリックは疼くまるリウに近づき、背中に手を当てた。


「私が頼んだ時に外してくれていたら、そんな痛い思いをせずに済んだのにな。」


ユーリックは当然の様にリウの体内に手を入れ、魔素を抜き出した。


「助かったよ、リウ。」


最早その声がリウに届く事はない。

取り出した魔素は玉の様だったが、掌の上に転がす様に載せると液体に近いものになった。ユーリックは躊躇する事なく、それを飲み込んだ。


ユーリックはリウの亡骸に目を向ける事もなく歩き出した。


――


北部ソウン地区付近の森の中、隠す様にその建物はあった。最長老直轄地であり、彼の所有地であるそこには、魔術師が出入りしていた。


一部の魔術師にしか知らされておらず、管理はグエスという男が任されていた。


此処には休み以外はそのまま此処で寝泊まりしているものばかりだったが、グエスは近くに家を持ち、馬で毎日往復を繰り返していた。


その日もいつも通りだった。グエスは弟子であるリウに指示して今日の分を取ってこいと言った。地下には皆行きたがらない。リウも最初こそ青い顔をして戻ってきていたが、今は慣れたのか、その様子はない。


最近は何やら下にいる時間が少しばかり長くなったが、多少遅くても気にはしない。何をしているかなど、誰も気に留めないからだ。


前に任せていた者も、どうせ治る、何をしてもバレやしないと、度々暇つぶしでもするかの様に何かしている様だった。グエスもそれを黙認した。


グエスは書類の確認のため、机に座った。

暫くして、地下に続く扉が開いた音がした。だが、リウが出てくる様子は無い。


扉も開いたままで、何かがおかしいと弟子の一人が覗き込んだ瞬間だった。覗き込んだ弟子は、その場に崩れ落ちた。僅か一瞬で魔素が抜き取られたと気付いた時には既に遅かった。


姿を表したのはリウではなく、地下に繋がれていた女だった。グエスは慌てて立ち上がり、弟子たちにも攻撃しろと命令を下した。


だが、魔術はグエスを含め誰一人発動はしない。それは、余裕を見せつける様に、弟子から抜き取った魔素を飲み込んだ。

女はわざとらしく一人一人を指差して数えた。


「…一、二、三、四…何だ、これだけか。」


ほんの一瞬の出来事だった。グエスは自分達の足元に陣が浮かび上がるのが見えたが、反応する間も無く氷の柱が足に突き刺さり、悲鳴と共にその場に倒れ込んだ。


女はゆっくりとグエスに近づき背中に手を当てると、グエスの顔色はたちどころに変わっていった。それが何をしようとしているかなど、分からない訳がなかった。


「…助け…」

「良かったじゃないか、死ぬのは一回きりなんだから。」


手は背中に飲み込まれ、魔素が取り出される。グエスはこの世にものとは思えない悲鳴をあげた。弟子達にもそれが聞こえ、怯えた声が部屋中に響く。


彼らは逃げようともがくが、突き刺された痛みで思うように動けない。近づいてくる恐怖で顔は青ざめ、瞳に映るそれは、異形の者にしか見えなかった。


一人、また一人と魔素を抜き取り口に含む。女は、人を殺しても何も感じてなどいなかった。


全てを終えると、ユーリックは建物内を物色した。適当な衣服や金品を奪い鞄に詰める。


手頃な短剣を見つけると鬱陶しいほどに伸びた髪を切り、リウの血で汚れた身体は布で拭った。衣服を着替え一階に戻ると、もう一つ部屋が有るのを見つけた。


中へ足を踏み入れると、十歳にも満たない子供が一人、部屋に隅で蹲っていた。子供はユーリックを見ても怯える様子もなく、ユーリックをじっと見ていた。害はないと判断したのか、子供を外に出る様に促した。


「好きに何処でも行けば良い。」


ユーリックはそのまま最初の部屋に戻った。子供は外に出る事はなく、それに続いた。子供は転がっている死体に驚く様子もなく、ただ部屋の隅に座り込むだけだった。


ユーリックはそれを気にする様子もなく、部屋中にある書物や書類を中央に集め、側にあった酒や角灯の油を全てかけた。


「…此処は危険だ、外に出ろ。」


ユーリックは子供を連れ立って外に出た。ユーリックは部屋に火を放つと、扉を閉めた。


中では轟々と音を立て、激しく炎が上がる。炎が大きくなるのを確認すると、外に繋いであった馬を一頭を残し全て逃がした。


子供は相変わらずユーリックの側から離れなかった。

ここに置いておくわけにはいかないと、仕方なく子供を抱えて馬に乗った。


「家は何処か判るか。」

「…売られたんだ。帰る家はないよ。」


隔離されていたのなら、魔術師の弟子ではないと考えていた。捕らえられていたのなら哀れに思えたが、子供を思えば一緒に居ない方が良いだろうと考えていた。


「私はこれから追われる身だ。連れては行けない。」

「…僕を連れていった方が良いよ。」

「何故?」

「見えるから。あっちに行く方が良いよ。」


そう言って、子供は一つの方角を指差した。子供が何かをしたようには見えなかった。

ユーリックは不信に思ったが、子供が指差した方へと進路を変えた。


「…お前の名前は?」

「ヨナ。お姉さんはなんて言うの?」

「…好きに呼べば良い。」

「じゃあ、先生。」


何故先生なのかは判らなかったが、些細な事など、どうでも良かった。ユーリックはヨナが指差した東へと向かった。


それからというもの、ヨナは事あるごとにユーリックにどちらに行けば良いかを指示した。時にははっきりと街の名を指定し、時には一晩宿をとろうと言った。


あちらが良いと指さすだけの時もあった。不思議とヨナの言う通りにしていたお陰か、二人は捕まりそうになるどころか、追われることすらなかった。ヨナの言う通り、彼を連れてくる事は正解だったが、逃げ続けなければならないという事だけは理解していた。


町や村を巡り、時には野宿もした。途方もない旅路にも思えたが、ヨナとの旅はユーリックにとって悪いものではなかった。


今迄は師に付き添う事しかして来なかったユーリックにとって、魔術師達に追われてさえいなければ、身軽な旅にも思えていた程だった。


ヨナは子供の割に大人しいが、笑顔だけはよく見せた。純粋なヨナの姿が、ユーリックの心を落ち着かせていた。

夜になると、二人は寄り添う様に眠る様になった。辰国は広いが、いつまで逃げ続けられるだろうか。


そんな不安からか、次第にユーリックは殆ど眠らなくなった。眠ると痛みが甦り、呻きながら胸を押さえるユーリックに、ヨナは寄り添った。


そんな生活が半年程過ぎた頃、ヨナの様子がおかしくなった。食事を口にする量は減り、徐々に衰弱していった。医者に連れて行こうとするも、意味は無いと言うばかりだった。


「僕は、どうせ長く生きられない。」


そう言って、ただ次に行く場所を指し示すだけだった。ユーリックはヨナのため、馬がなるべく揺れない様にゆっくりと移動する様になった。


ある日、ヨナに休息を取らせようと宿に泊まった時だった。ヨナは突然口を開いた。


「先生、もう殆ど行ける場所がない。」


ユーリックは驚く事はなかった。ヨナが指し示すものが曖昧ではなく、細かい指示が多くなっていたからだ。ユーリックはただ、そうかと返事をした。


「先生、南部に行こう。」

「…南部に何がある。」

「白い山が見える。」


ユーリックはその山に覚えがあった。死の山と呼ばれ、山を登った者は帰っては来ないと聞く。


「あれは、危険だ。」

「でも、先生は大丈夫だよ。誰もいない。誰も追ってこない。」


ユーリックは不死身だ。もしかしたら、誰も居ない山で生きていけるかもしれない。だが、ヨナは違う。


「お前はどうする。」

「…僕は、もうすぐ…。」


ユーリックにはその意味が判っていた。ヨナの身体は弱るばかりで、一向に良くはならない。食事も喉を通らなくなっていた。


「…山の先は何もないと聞く。」

「でも、行かないといけない。僕はその為に、一緒に来たんだ。」


彼が口にした中で一番奇妙な言葉に思えた。

ヨナには何か見えており、道を指し示していた。ユーリックは今までそれを信じ、ヨナの指示に従ってきた。


だが、行かなければならないとはどういう事だろうか。問いただすも、ヨナは答えなかった。


「先生、明日朝には南部に向かった方が良い。」


それだけ言うと、ヨナは眠ってしまった。

ユーリックはヨナの頭を撫でると、彼を抱きしめ、眠りについた。


明朝、二人は宿を出た。南部までは距離がある。ユーリックは道を外れ山中に入ろうかと思ったが、南部には妖魔が出る。

ヨナを庇いながら行くのは難しいだろうと、そのまま道を行くことにした。


今まで一度も南部に足を運ぶ事はなかった。あそこには顔見知りが多い。

何より、あそこで過ごした思い出が、今ではユーリックにとっては苦痛に変わっていた。


ヨナがいる手前、あまり早く馬を走らせる事は出来なかったが、追手には一度も遭遇する事なく南部に辿り着いた。

ヨナの顔色は一段と悪くなっていた。


山に一番近いとされる村で休息も兼ねて、一晩だけ宿をとった。これから標高が高くなるからと、馬を売ってなるべく暖かい外套に襟巻きと手袋を買った。


日が登るのを待って、ユーリックは宿を出た。ヨナは口数が減り、道を指し示す事もない。もう伝える事は余りないと言われている様だった。


ヨナを抱え、山への道を歩いた。ヨナは赤子でも抱いているかの様に驚くほど軽かった。


次第に息苦しさを覚え、一段と標高は高くなる。険しい山道ではあったが、人の手が入った道と思えるものが確かにあった。


それも次第に細くなり崩れた場所が多くなり、殆ど道と言えるものが無くなってきた頃、ユーリックは景色に見覚えがある事に気がついた。その先に何があるかも、道などなくても、何処に向かえば良いのかもわかった。


どれくらい歩いた頃だろうか、少しばかり開けた場所へと辿り着いた。かつては村があったと思えわれたが、石造の家は殆どが倒壊し、屋根だけが腐り崩れ落ちている家もあった。


「…此処は…」


朧げながら、幼い頃に此処で過ごした記憶が確かにあった。ユーリックは一軒の家の前で立ち止まった。まだ形を留めていたその家の入り口に立つと、ユーリックの記憶は鮮明になった。


「ヨナ、見えたのか」


ヨナは答えなかった。

ユーリックは、師に拾われた日の事をあまり覚えてはいなかった。師も語らなかった。


ただ、王命により村人全員の討伐命令下された事だけは聞いていた。

それは、ユーリックも例外では無かった。


両親の死に様を目の前にし、自身の胸に刃を突きつけられた記憶が確かにあった。

ユーリックは心臓を抑えると、燃える様な、押しつぶされる様な痛みが僅かながらに蘇っていた。


ユーリックは、家の中に入ると、外套を脱ぎ床に敷くとヨナを横にした。息苦しそうに呼吸をするその姿は、弱々しく、もう長くは無いと悟らせた。


「…此処から先に行くと、道は無いけど山に入れるよ。」

「…もう、見なくて良い。」


ヨナは話し続けた。


「先生は、僕を信じてくれたでしょ?だから、もし誰かにあったら、その人の事信じてみて。」

「山に誰かいるのか?」

「判らない。よく見えないから。でも、先生は会うよ。」

「…わかった。」

「辰に戻っちゃだめだよ。悪い奴が先生の事まだ追いかけてくるから。」

「…ヨナ、もういい。」

「先生、寂しいから、眠るまでは一緒にいて。」


ユーリックは自らも横になるとヨナを腕に抱きながら、背中をさすった。

ヨナの呼吸は段々と浅くなり、そのまま眠りにつくように息を引き取った。


「…ヨナ…」


ユーリックはヨナの身体が冷たくなるまで、離さなかった。彼に何も与えられ無かった事を悔やみながら。


ユーリックはひたすらに穴を掘った。

この地では、腐りにくいだろうとは思ったが、そのままにしておくわけにもいかなかった。


掘る道具もなく、石を使ってただただ掘り続けた。土は硬く、手には血が滲んだ。魔術を使えば簡単だったのだろうが、今は何も考えたくはなかった。


手を止めると、ユーリック自身がヨナを殺した様な気がしてならなかった。あそこから逃げ出さなければ、ヨナは生きていただろうか。そんな考えが頭に過っていた。

ユーリックは穴を掘り終えるまで手を休める事はなかった。


ヨナを埋め、彼の遺体がある場所を見つめる。そろそろ行かなければ。何度そう思っても、身体は一向に動かなかった。後悔ばかりが、ユーリックを襲っていた。


もう導いてくれる者はいない。追手がいつ来るかも分からない。


ユーリックは山を見た。まだあの山の麓ですらない。ヨナの言う通り誰か居るのだろうかとも考えたが、誰もいない方がユーリックにとっては都合が良かった。


「(誰もいない方が楽で良い。こんな思いはもうしたくは無い。)」


ユーリックは立ち上がり、もう一度ヨナの方を見た。


「さようなら、ヨナ。」


ユーリックは、山へと歩き出した。


――


全てを語り終えると、激しい痛みが、ユーリックを襲った。心臓が潰されるような痛みに蹲り、胸を抑える。

その痛みが幻と分かっていても、止める術はなかった。

蚩尤はその姿に、ユーリックを抱きしめた。


「ユーリック、大丈夫だ。ここは貴女の国では無い。」


あまりの悲惨な過去に、他に語りかける言葉は見つからなかった。

震える体は、ユーリックの恐怖心そのものだった。


「国に……戻りたくは有りません……もう……痛みに耐える日々も嫌です……」


蚩尤にしがみ付き初めて見せる弱さに、子供をあやす様に背を摩った。

暖かさに安心したのか、ユーリックの目から涙が零れた。


「ヨナは……私が逃なければ……死なずに済んだのではないかと……考えてしまうのです。」


緊張の糸が途切れ、今までの不安が溢れるようだった。


「ユーリックすまない。無理をさせたな。」


蚩尤はユーリックが落ち着くまで、その身を離すことは無かった。


ふと、床の軋む音が響いた。

それに気づいた蚩尤は、そちらに目を向けたが、見覚えのある衣の裾が僅かに見えただけだった。


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