十四
凰省 皇都シンラン
ユーリックが祝融の別邸に着いて一刻半の後、蚩尤達も手当を済ませ到着した。蚩尤は軽い火傷だったが、他の三人は凍傷になりかけていた。
医者はこの時期に見る症状では無い為、首を傾げるばかりだった。しかも一人は龍人族だった為、下手な事も言えず、黙々と診察するだけだった。
四人が邸宅へ着くなり女官は居間へと案内した。
そこでは祝融が待ち構えており、ただ座れと言った。顔色を伺えば、少なからず共工と蚩尤には怒りを見せている様だった。
「まず共工だが、俺は殺すなと言ったはずだ。何故命令に従わなかった。」
「判断が遅れたならば、危ぶまれるのは私の身だけではありません。私にはあの状況ではあれが最善と思いました。」
「ユーリックを疑っていたのは俺も同じだが、まだ何も判明していない状態だった。次に俺の判断に従えんのなら、杏の武官としての立場が無くなると思え。良いな。」
「承知しました。」
言葉ではそう言ったが、共工は内心、不服だった。だが、立場は祝融が上だ。上官に逆らったのなら、それ相応の処罰は当たり前だ。祝融の息子だから、何の処罰も下らないだけだと言うのはわかっていた。
「次に相柳。」
「俺ですか……」
自身に対して言われることは何も無いと思っていただけに、少しばかり焦っていた。
「お前、ひどく鈍っているな。」
その言葉に相柳は肩を竦ませた。兵士だった頃の方が余程鍛錬に身を入れていたのは確かだった。妖魔狩りも然程苦には成らない程ではあったが、ユーリックに苦戦して見抜かれていたのかと、祝融の目を直視は出来無いでいた。
「相手が女だからと高を括ったのも有るだろうが、相手の実力も計れん程とは気の緩み過ぎだ。」
「申し訳ありません……。」
「蚩尤、杏に戻ったら武官を全員鍛え直せ。」
「承知しました。」
鬼が戻ってくる。相柳にはそう思えてならなかった。過去に祝融や蚩尤、共工相手に鍛錬を積んだ事はあった。
その中でも特に蚩尤は峻厳だった。武官にまでなったのに、まだこの御仁に指導される身になると思うと身震いすら覚えた。
「豪雷も暇な時は参加しろ。俺の付き人ばかりさせていたのも有るが、これからを考えるとお前も鍛えた方が良い。」
「御意。」
豪雷は平然としていたが、ユーリックに負けて悔しく無いわけではなかった。祝融の直属付きである立場を思えば当然の事だった。
そして、祝融は最後に蚩尤を見た。
「それで、経緯を話す気にはなったか?」
蚩尤は祝融に面と向かった。
「……祝融様にだけお話します。」
「蚩尤!お前ここまで来て何様のつもりだ!」
共工はそれを聞いて腹を立てたが、祝融は仕方が無いと、三人に下がる様に言った。
祝融がそう言っては今回ばかりは共工も部が悪いと素直に引き下がった。三人の足音が遠ざかるのを聞くと、静かに口を開いた。
「ユーリックは如何していますか。」
「今は離れにいる様に言ってある。明凛も一緒だ。共工と鉢合わせする事は無い。後で会いに行くと良い。」
祝融は蚩尤がユーリックを心配しているのが妙だった。あまり個人に固執する様な男では無かったからだ。
「何故、ユーリックが白仙山を越えてきた異邦人だと黙っていた。」
その問いに蚩尤は淡々と答えた。
「彼女が不死身だと知った時に、祝融様に仕える存在だと思いました。同時にどうやったら、此方に取り込めるかを考えました。彼女がこの国へ来たばかりの頃に祝融様に会わせた所で彼女は不信感しか抱かなかったでしょう。ある程度、懐柔させる必要がありました。」
淡々と答えてはいるが、表情に機微が見えた。
「お前らしいな。だが、それだけでは納得は出来ない。」
「彼女の性格、行動、実力、それを計る時間が必要でした。祝融様に返答をしなかったのは、沈黙しか手段が無かったからです。正直、不周山での異変は計算外でした。本当なら、彼女に国を見せ、神殿へ赴き、ユーリックが害のない存在で有ると証明してから祝融様に対面させる予定でした。」
「適当に嘘でも吐いておけば、ユーリックを傷付けずには済んだはずだ。」
「それは、後にユーリックに対しての不信感に繋がります。何より、不周山で異変が起きた事により祝融様が何も知らないという状況も必要になりました。」
「知らなければ、元老院達の前で発言する義務も発生しない……か。」
「ええ。祝融様の立場に害は及びません。」
「結果的に俺はユーリックを害の無い者と判断し、ユーリックもお前を信じ、杏に取り込めそうな所まで来ていると言ったところか。」
「そうなります。」
悠々と言ってのける蚩尤に祝融はユーリックに対する態度が浮かんでいた。ユーリックが不死身だと知っていたはずなのに、蚩尤の姿は失う事を恐れている様だった。その姿には慈しみの感情にも見えた。
「それにしては、些か固執している様にも見えたが。」
「……他領に取られると面倒になるとも考えましたから。利用しているも同然です。」
表情は変わらず、蚩尤が何処まで本音で話しているかは見えてこない。
「とてもそれだけには見えなかったがな。」
「長く時間を共にし、ある程度の情は湧きました。」
「お前は他人に、大して興味を持たないだろう。」
「異国ならではの考え方や話には関心があります。」
「聞き方を変える。気に入っているのか?」
蚩尤は迷いなく答えた。
「それなりに。」
「素直では無いな。」
「評価は満足するものでした。礼儀正しく誠実で従順、実力は言うまでもない。これ以上の人材はいないでしょう。」
「実力に関しては……異能無しにしてもかなりのものだ。」
「あれは異能では有りません。魔術というものらしいです。」
「異国の力か。彼女は何者だ。」
「主に妖魔退治を生業にしていたと。」
「とてもそれだけには見えないが。」
妖魔は素早く強いが、所詮大きな獣に過ぎない。いくらか鈍っているとは言え、相柳も豪雷も手練れと言える。手こずったとは言え、二人相手に対等に戦っていた姿は、武術の熟練者を思わせた。
「優秀な師匠の下で育ったのでしょう。厳しく修練を積んだのではないかと考えています。」
「……ユーリックの素性はどの程度聞き出した?」
蚩尤は沈黙した。未だ、ユーリックの過去は何一つとして聞いてはいない。
「何も知らんのか。」
蚩尤は目線を落とした。
「ユーリックは、誰もいない場所へ行きたかったと言いました。そして、白仙山を選んだ。」
「誰もいない場所か……」
それは容易には想像出来ない事だった。
「いくら不死身とは言え、共工に刺された姿を思い起こせば、痛みがない訳ではない。ならば、神域であり極寒の地でもある白仙山で過ごすのは、尋常な苦しみでは無かった筈です。それでも尚、ユーリックは白神に導かれるまで、山に留まり続けた。それだけの事が有ったのは確かでしょう。」
祝融は目を閉じた。
「彼女は、信用に値するか?」
「誓って。私が彼女を裏切らない限り、ユーリックは私を信頼し続けるでしょう。」
蚩尤は真っ直ぐ祝融を見ていた。
「彼女を保護の対象として頂けますか?」
「俺の名の下、保護はする。共工の行いの償いをせねばならん。だが、それだけでは他の元老院が黙ってはいないだろう。手を考えねば。」
「出来れば、この国の戸籍を与えたい。杏に付かなくても生きて行ける様にしてやりたい。」
祝融は頭を抱えた。ただの異邦人なら簡単だっただろうが、ユーリックは不死身だ。平民として生きるのは無理にも等しい。
「難しい事を言うな。不死身など、それなりの権限のある者の身内にするしかない。それこそ姜一族に加えるしかなくなる。国に尽くして生きる事になるぞ。そもそも彼女は何を望んでいる。」
「……人らしく生きる事。」
その答えに、祝融は心苦しくなった。あれだけの力が有りながら、望んだ事は無欲にも等しい答えだった。
同時に、それが叶わない望みだという事も考えずとも想像に難くなかった。
「無欲な様で、無謀な望みだな。」
「ええ。誰もが彼女の力を狙うでしょう。」
「お前の連れ合いにする気は無いのか?」
蚩尤の顔に憂いが浮かんだ。
「彼女は不死として、まだ若い。私など選ばないでしょう。」
「……お前の意思を聞いている。」
「彼女を利用した身として、私に権利など無いでしょう。」
蚩尤の憂いを帯びた表情に祝融は確かなものを得た気がした。ユーリックの存在があれば、蚩尤は一族の者として戻ってくると思えた。
「……そうか、少し考える。」
祝融は一息吐いた。
「ではお前の処分だが、理由はどうであれ当主への報告を怠ったのは確かだ。よって隠居生活は終いだ。先程言ったが、この所平和そのものだったからな。武官の指導はしてもらう。後は俺の仕事を手伝え。暫く存分に働いてもらう。」
「それでは処分とは言えませんが。」
「謹慎処分は下す。不周山の妖魔がこれ以上増えなければだがな。」
「そちらはどうなりました。玄瑛からも返答は無かったので、状況がわかりません。」
「増えすぎてはいるが、対処が出来ない程では無い。だが、他領でも増えている。ユーリックの中にいる何かが影響を与えていると見て間違いは無い。神殿には既に書簡を出したが返答はいつになるやら。」
「愚鈍な連中です。気長に待つしか有りません。」
「お前らしい言種だ。ユーリックの前でもその本性を見せれば良い。」
面白がっている。そうとしか思えない言動に蚩尤は立ち上がった。
「もう宜しいですね。」
「あぁ、さっさと行け。」
蚩尤が出ていき、一人祝融は姿勢を崩した。
ユーリックの件は方がついた訳では無い。ユーリックの中にいる何か、それに影響され増え続ける妖魔に、皇宮がユーリックの処遇を判断するかもわからない。
ユーリックの意思が蚩尤に向いたからと言って、どこも不死を欲しがる。手立てを考えなければ、ユーリックの意志とは関係なく他領に利用される身となってしまう。そうなれば、杏省は手出しが出来ない。
「(どうしたものか。)」
戸籍を蚩尤の娘にでもしてしまえば手っ取り早いが、今の蚩尤の様子から見ると拒否するだろう。
ならばと、祝融には一つの考えが浮かんでいたが、反対する者もいるだろうと頭を悩ませた。
――
女官達がユーリックに差し出した衣服は上等な絹の衣だった。金の糸が織り込まれ、明らかに高価なそれに戸惑った。客人として扱う様に言われたらしく、ユーリックには拒否する術は無かった。
イルドの屋敷に比べ、より格式高い邸宅、ユーリックは一つの領地を任されるということが、卑賤の生まれであるユーリックにはいまいち想像が沸かないが、姜一族が相当な資産家である事だけは伺えた。
ユーリックは明凛と共に離れの部屋を与えられた。
共工と顔を合わせ無い方が良いとの祝融の判断からだった。
離れにはいくつかの部屋が中庭を囲う様に連なっていた。
套廊に座わり、草木や花が人工的に植えられ日の光を浴びる様を眺めた。
後ろには明凛が控えていたが、ユーリックに話しかける素振りすらなく、その姿勢は監視を思わせた。特にすることが無く、先程の戦いが嘘の様に穏やかに過ごせていることが夢の様に思えてならなかった。
結果は良好なものとなったが、一歩間違えれば蚩尤がどうなっていたかと心が締め付けられた。
足音が套廊の先から響いた。
ユーリックがそちらに目を向けると、蚩尤がいた。蚩尤の無事な姿は一度見ているはずなのに、安堵した。
明凛は蚩尤の姿に頭を下げた。
「先程は無礼を働きました。」
「お前は祝融様の命に従っただけだ。気にする事はない。」
朱家として本来ならば剣を向けてはいけない相手だった。祝融の命とはいえ、姜一族は仕えるべき存在。明凛は蚩尤の言葉を聞いても尚、深々と頭を下げ続けた。
「少しユーリックと話がしたい。外して貰えるか。」
明凛は素直に指示に従い、蚩尤が現れた先へと姿を消した。
蚩尤はユーリックの隣に座った。至る所に巻かれた包帯や火脹れを起こしている顔の痕が目立った。顔には疲れが目に見え、無理をしていたのだと一目で分かるほどだった。
「蚩尤様、何日も休まず此処まで来ました。お休みになられた方が……」
「不死身の貴女ほどでは無いが、不死は丈夫だ。数日飲まず食わずでは死にはしない。」
それを聞いて多少は安心出来たが、ユーリックの不安な顔色は変わらなかった。
「傷は大丈夫でしたか?」
「問題無い。ユーリックも刺されただろう。」
「私は直ぐに治ってしまいますので、傷も残っていません。」
ユーリックは貫かれた心臓部に手を当てた。既に痛みは無い。落ち着いた表情を見せるユーリックに蚩尤は眉を顰めた。
「すまなかった。」
蚩尤は頭を下げた。その姿にユーリックは慌てた。
「蚩尤様の所為では有りません。私が油断したのです。」
それを聞いても尚、蚩尤はユーリックを見る事は出来なかった。
「本来なら、悠々と旅をするだけの筈だった。私の目論見は大きく外れ、結果貴女に危害を加える結果となった。」
「丸く収まったではありませんか。それに、私は目的を果たせた様に思います。」
蚩尤はようやくユーリックを見た。清々しい顔と共に、微笑む顔がそこにあった。
「何の事だ?」
「人にはなし得ぬ力を見る事が出来ました。」
「……祝融様か。」
「蚩尤様もです。あの霧は蚩尤様の異能だったのではないですか?」
蚩尤は眉間に皺を寄せ、顔を顰めた。
「そうだ。何の役にも立たない、人を迷わせ惑わせるだけの力だ。祝融様は異能を極めたが、私は使い物にならないと、剣だけを極めた。」
「それでも、一度は逃れたではありませんか。」
「私が、異能の価値を見出していれば、あの事態も逃切れたかも知れない。」
蚩尤は後悔していた。意味は無いと決めつけていた力には意味があった。
蚩尤には異能を長く使うことが出来なかった。祝融の様に自在に扱い、極める事が出来ていれば、なにかが違っていたかもしれないと。
「私も今一度、鍛え直す必要があるようだ。」
蚩尤の己を律する姿にユーリックは、畏敬の念すら抱いた。真剣な眼差しの蚩尤の横顔が凛々しく映り、心臓の鼓動が強く耳に響いていた。
表情に出すまいと、平静を装いながらも少し俯いた。
「傷が痛むか?」
ユーリックは慌てて顔を上げた。
「大丈夫です。」
心の内を読み取られてはいないだろうか。ユーリックは感情を表に出さないのは得意だが、それでもこの気持ちは知られてはいけないと、気が気では無かった。
蚩尤は不審に思っても、口にはしなかった。一息つくと、話をしておかなければならない事がある。と言った。
「私が導くのはここまでだ。」
ユーリックは不安を顔に浮かべながらも、ただ聞き入れた。
「祝融様は姜一族が当主。私がお仕えしてる方で有り、この世で最も信頼できるお方だ。決定は全て祝融様に委ねられた。姜一族の下、貴女は保護される事になるが、まだ何も決まってないも同然だ。……貴女は何を望む?」
ユーリックは、中庭の揺れる草木を見つめた。正直、満足に陽皇国を見れたわけでもない。まだ、杏省すら旅路の中で寄り道程度だった。
「多くは望みません。出来れば、杏省だけでも、もう少しばかり巡りたく思います。」
迷った末の答えというわけでは無かった。蚩尤が元領主と言うなら、彼が治めた地を全てとはいかなくも目に留めておきたかった。
ユーリックの答えに、蚩尤は満足したように頷いた。
「問題は無いだろう。」
「私は、これからどうなるのでしょうか。」
「祝融様が既に神殿に神子への面会を申し出ているが、返答を待つしかない。それまでは、ここで過ごすことになる。」
ユーリックは不安を表すように躊躇った様子を見せたが、ぼそりと呟いた。
「私の中には、何がいるのでしょう。」
祝融達がユーリックと対面した時に見せた顔が忘れられなかった。まるで、異形の者を見るかのように敵意を剥き出しにした。
ユーリックには自覚が無くとも、彼らにははっきりと何かがわかっている様だった。
「最初、祝融様は、私を人の形をしているだけと言われました。」
蚩尤はどう答えれば良いか悩んだ。蚩尤にも、何かいるのはわかっても、その存在を捉える事はできない。
「もし、事を起こすならとうにやっているだろう。私は、それが答えだと考えている。」
「何もする気は無いと?」
「あくまで推測だが。妖魔の増加は存在に影響されたにすぎない。問題は何故こちら側に来たかだ。」
蚩尤は腕を組み、顔を顰めた。ユーリックは、そんな蚩尤を見て、言葉を溢した。
「私は、自分の意思で白仙山を選んだわけでは有りません。」
その言葉に蚩尤は、ユーリックを見た。その顔は、悲哀の表情が浮かんでいた。
「蚩尤様は、私を導くと仰いました。あちら側でも同じ様に私を導いた者がいました。彼が、白仙山は安全だと言ったのです。」
「その者は何故わかった。」
ユーリックは戸惑いながらも、蚩尤ならば信じてくれるのではと思い口を開いた。
「彼には、不思議な力が有りました。まるで、未来や、目に見えぬ何かが見えている様で。私は彼の指す道に従い、白仙山に辿り着いたのです。」
只人が聞けば、出来すぎた話に聞こえただろう。
「全て、話してくれるか。」
ユーリックは唇を震わせながら、ゆっくりと語り始めた。




