十
杏省 不周山
薄暗い山中、木々が生茂り夜ともなると、角灯の灯程度では前方など暗闇でしかない。その中を袁相柳は前を行く姜共工を追っていた。
背後に気を配りつつ、ひたすらに練り歩く。妖魔は何処からともなく湧き出てくる。
昔のように湧き出る場所は決まっていない為、一所にいても仕方がない。既に三刻は山を歩き回っている。今のところ、妖魔に二匹出くわしただけで、今はそれらしい気配も無い。
不意に前を行く共工が足を止め、相柳の方へ振り返った。
「先程の二体で一旦枯れた様だな。」
「……ですかね。戻りますか。」
「ああ。」
二人は野営地へ戻る為、再び歩を進めた。
「しかし、今回は何がどうなっているんでしょう。未だ原因不明何でしょう?」
「らしいな。祝融様が調べているが、それらしい異変の片鱗も見えていないのか……」
共工は父親である祝融を父とは呼ばなかった。相柳が共工と出会った当初からそう呼んでいたため、最初は親子だと気付かなかった。他人行儀に聞こえるそれに、今でこそ慣れたが違和感だけは残っている。
「こう、不周山とキアンの往復じゃ体が保たないですよ。」
「泣き言をぬかすな。今までが穀潰しの状態だったんだ。その分働かないならば、恥晒しもいいとこだ。」
「分かってますけど……」
ここ数年は本当に暇だったと、相柳は思い返した。山賊にこそ頭を悩ましたが、妖魔は出ず、軍として出向く事案も無い。そのうち、軍に代わる組織でも立ち上げ解体されるのではと、想像してしまった程だった。
二人は念の為、全ての方位に気を配りながら、山を下ったが、結局何にも出会わずに野営地へ着いた。
「全部で何匹になりましたか?」
「百は裕に超えている。次は半月後で十分だろう。了顕らと一斉にやった方が良さそうだ。」
「兵士を鍛えて、山狩りがしたいです。その方が楽だ。」
「この数相手に戦える兵士などおらん。鍛えるにも時間がかかり過ぎる。」
確かに正論だが、それは相柳にも分かっている事だった。いつまでこの状態が続くのか考えたくもない。相柳は共工程真面目でもなければ、相柳や明凛の様に忠誠心を持っているわけでもない。
兵士になれば、獣人族でも省都で食っていける。そう思ったからに過ぎなかった。気付けば、実力を見出され武官にまでなっていただけだった。田舎で畑を耕したり、獣を追って狩りをする生活が嫌いで省都に来たが、今では昔の生活が少しばかり恋しい。
妖魔が出ようと出まいと、どちらにしろ面白みは無かった。
共工と相柳は天幕に中で暫し休むことにした。
現状ならば、少しばかり余裕があると見ての事だった。朝日が登る前に此処を出れば、昼前には城に着く。
だが、事は思うように運ばないようで、兵士が突如天幕の外より声をかけた。
「共工様、朱家の方がお見えです。」
朱家が来たという事は、厄介事に違いない。相柳は重たい体を起こして、共工の後ろに着き朱家を出迎えた。
「先程、皇宮より伝達が有り、不周山は国軍の監視下に置かれる事となりました。国軍が不周山に着き次第、一時撤退との御命令です。」
相柳にとっては、またとない申し出だったが、共工は違った。
「それは勅命か。」
「その様です。祝融様からも、従うようにと連絡が有りました。」
共工からは舌打ちが聞こえ、明らかな苛つきに朱家の伝達役は慌てているようだった。
「元々、不周山は国の管理下にあります。この事態を重く受け止めての事でしょう。」
「いつ来る。」
「数日中には……」
それを聞いて相柳は顔を歪ませた。国軍が来るまで、自身はこの苛ついた上官を相手にせねばならないと考えると憂鬱になった。
――
杏省 キアン
執務室に篭り一人仕事をしていた玄瑛の下に一羽の志鳥が届いた。玄瑛の指に留まると、それは自身の父の声を真似て、ただ『其方はどうなった。』とだけ語って消え去った。
玄瑛は頭を悩ませてばかりだった。
何が目的なのか教えてくれと言ったところで、返事は返ってこないだろう。
既に朱家の者が山賊の死体が転がる地を見つけたが、異様な光景だったと語った。
二人がかりで二十名近くの山賊を相手にした様で、剣で一撃で殺された者は蚩尤の行いと見てとれたが、それとは違う死に方をした者達が数名いたという。
殴り傷や、喉元を斬られた傷、その中でも不可解だったのは一切の外傷無しに殺された者達がいた事だった。それらの顔は恐怖のまま死に絶え、どの様に殺されたのかも想像すらできなかったと言うのだ。
蚩尤にその様な異能は無い。ならば、異邦人の異能とでも言うのだろうか。何も解決しないまま、謎ばかりが増えていく。
玄瑛に考える間も与えないように、執務室の扉が突如として開かれた。そこにいたのは、今はまだ不周山にいた筈の共工だった。
「玄瑛、どうなっている。」
怒りを露わにし、後ろで慌てふためく伝達役の朱家の者を下がらせると、共工に椅子を勧めたが無視をするように、玄瑛に詰め寄った。
「国軍が来るまでは、指揮官としてあちらに居て頂かないと困ります。」
玄瑛は立場は共工よりも上だったが、共工の方が年長者であり祝融の実子ともあって、あまり強く出れずにいた。
祝融とは似ても似つかない顔付きと、誰よりも武人として体躯に恵まれた男を止める術を持つ者は今は居ない。祝融の子息だからと強く出ているわけでも無く、彼本来の性格だろう。
傍若無人というわけではないが、いつも強気な態度を取り、玄瑛を困らせた。祝融は立場は玄瑛が上なのだから引き下がる事はないと言うが、それが中々出来ないでいた。
「それは相柳に任せた。それで、国軍は何をすると?」
「不周山を念の為調べるそうです。」
「あそこは原因ではないだろう。今からでも、そう伝えろ。」
「何故そう言い切れるのですか。」
「今は一時的に収まったが、そこら中から妖魔が湧く。他で影響を受けているに違いない。」
「だとしても、不周山は国の管理下にあります。こう言った事態では、従う他ありません。」
「不周山など、此方で管理出来る。それよりも原因を探せば良い。」
「今は何が原因か定かでは有りません。一時的かどうか見定める為にも必要な事です。」
「では、祝融様は一体何を目的に飛び回っている。蚩尤を朱家に探させている目的は何だ?」
玄瑛は言葉を詰まらせた。
「……何故それを」
「先程の者に聞いた。聞かれたくない事だったか?」
安易に朱家の者を使ったのが不味かったか。玄瑛はよりにもよって厄介な人に話したものだとは思ってたが、既に遅い。
「詳しく知りたいのでしたら、祝融様が戻り次第ご自身で直接伺って下さい。私も全て把握しているわけではありません。」
「良いだろう。祝融様が戻り次第、俺にも伝えろ。」
「わかりました。不周山に戻られますか?」
「いや、皇宮の連中に会いたくは無い。家に帰る。」
「相柳に相手をさせるので?彼は武人として腕は立ちますが、官職としては……」
玄瑛が渋るのには理由があった。相柳は武人としての腕を買われ今の地位にいる。真面目には程遠く、立ち回りも出来る方ではないとよく知っていた。
「そこまで馬鹿じゃ無い。心配なら、了顕を送れば良い。」
共工は言いたい事だけ言って、執務室を出て行った。玄瑛はどっと疲れた様子を見せに椅子に保たれ込んだ。
誰にも聞かれていないのをいい事に思い切りため息を吐く。ただでさえ、事態を把握出来ずにいると言うのに、これ以上問題が起こっては対処の仕様が無い。
玄瑛は姿勢を正し机に向き直り、今日は残った仕事を早々に片付け妻の待つ自身の居室へ帰ろうと決めたのだった。




