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5. 屋根上
「美味しいでしょ」。そう自慢気に笑っていた彼女の顔が思い起こされ,溜め息を吐く。
何を考えているのか分からない。いついなくなるかも分からない。そんな相手に頭の隅っこさえも占領して欲しくはなかった。
真っ黒な空に,分厚い雲が掛かっているのが見える。背中に当たる瓦の感触が冷たくて,身震いした。硬いその感触には慣れているはずだったのに,何故か唐突に,彼女の肌は柔らかそうだな,なんて思う。最後に人肌に触れたのはいつだっただろう。
そこまで考えて,頭を思い切り左右に振った。馬鹿みたいだ。こういう時は,ピアノにでも集中するに限る。
上体を起こし,窓に手を掛ける。
桜の匂いが,ほんの少しだけ鼻を掠めた気がした。