第五話
「オマエらなぁ……。ガラクタを買うにしても、もう少しまともなガラクタを選べねぇのか? せめて言い訳が出来るようなものを買ってこいよ」
リットはノーラとマーが持ってきた陶磁器の人形を見て呆れた。まさか置き物にもならないようなものを買ってくるとは思わなかったからだ。
「リット、甘い。これは一点物というやつ」
マーはカエルの人形を片手に、不気味にケケケと笑った。
「そういうのは不良品ってんだ」
「いいではないか。精霊が何を気に入るかというのはわからん。我らが選んでいたら、無駄に時間がかかっていかもしれんぞ」
グリザベルは酔い醒ましの水を飲みながら、マーから人形を受け取って隅々まで眺めた。
「そりゃ、オマエの金が使われてねぇから言えるセリフだ。なんだ、その両手に抱えてるものは……」
リットが睨みつけたのはノーラが抱えている大量の食べ物と、マーが抱えている数冊の本だ。
「旦那ァ……これは正当な報酬ってやつですよ。働いて対価を得るのは当然じゃないですかァ」
「オレのポケットから抜き取った財布でか?」
「違いますよ。旦那のポケットから逃げようとしてたんですよ。それを私がバゴっと捕まえたってわけです。そしたら、なんとやつは恥じることなく、身ぐるみを脱ぎ捨てて逃げていってしまったんスよ。いやー……敵ながら見事なもんでした。でも、私も果敢に掴みかかり、そのほとんどは見事ひっ捕らえてみせましたってなもんです」
ノーラは軽くなった小袋をリットに投げ渡した。
「まぁ、半分以上残ってりゃ上出来きか……」この小袋はいざというときの酒代が入っているもので、仕事でたんまり稼いだ報酬が入っているものは肌身離さずリットが持っていた。「それで、もう一人のちんちくりんは。言い訳はあるのか?」
マーは「ない」と言い切った。「欲しかったから買った」
「なんて素直な奴だ……感動したぞ。許してやる――とでもなると思ったのか?」
「全然」とマーはぷるぷると顔を振った。「欲望に負けた。ただそれだけ。さぁ蔑むがいい」
「オマエなぁ……オレにあーだこーだ言われる方が安く済むと思ったんだろ」
「安いっていうか……ただ?」
「なんの本を買ったってんだよ」
リットが手招いて本を見せろと言うと、マーは「見たかったなら、素直にそう言えばよかったのに」と本を渡した。
ノーラが「あっ」と止めようとしたが遅かった。
リットがページを捲りだしたのだ。
「お師さんも見る?」
マーは別の本を勧めるが、ノーラは首を振った。
「旦那に渡したら取られちゃいますよ。あんなんでも読書家なんスから」
「でも、蜘蛛の巣全集だよ。どっかの物好きが蜘蛛の巣を見る度に描き溜めて本にしただけの」
「あーあ……ダメっすよ。そんなの見せちゃ……どっかの物好きなんスから」
ノーラはリットを指した。酒を飲むのも忘れて、カウンターに肘をついて本を読んでいた。
「オマエもたまには本の一冊でも読んだらどうだ?」
「読んでどうするんスか。私は蜘蛛になるつもりはありませんぜェ」
「オレだってねぇよ。ただ、魔女が蜘蛛の巣から魔法陣を作った話をよく聞くだろ」
「アレはヒントを得たと言うただけだ。たまたま垂直円網の一つが、そのように見えただけだ。蜘蛛の巣にも様々な種類がある。そのどれもがむやみやたらに糸を張っているわけではない。引く線全てに意味があるという教えのほうが肝なのだ。魔法陣の本質を教えているということだな」
グリザベルはここぞとばかりに偉そうに講釈をたれ始めたが、リットは興味なく鼻をフンと慣らすだけだった。
そして、本を閉じるとマーに向かって「まぁ、合格だな」とだけ言うと、会計を済まさて一人さっさと宿に帰ってしまった。
「……私が買ったのに」
「だから、私みたいに食べ物にすればよかったんスよ。食べればなくなるんスから、旦那に取られる心配はなし」
ノーラはお菓子を一つマーに渡すと、並んで酒場を出ていった。
二人の小さな背中を見ながら、グリザベルは「うーむ……リットも苦労しているようだな」と同じ境遇者のように同情していた。
それから二日後。グリザベルは安宿のボロい椅子に座って「わかったぞ!」と声を大きくした。
しかし部屋の中から反応が帰ってくることはなかった。リットとノーラは隣の部屋を別に借りており、マーは暇つぶしのためにそっちの部屋に行ったきりになっていたからだ。
グリザベルは大きめな咳払いをすると、もう一度「わかったぞ!!」と声を大きくした。
しかし、またも反応はない。
今度は、魔女薬の材料のハーブが入った小袋を壁に投げつけると「わかったぞ!」と繰り返した。
似たようなことを何度も繰り返し、いよいよ業を煮やしてコップを投げつけてやろうと振りかぶった時に、ようやくリットが部屋に入ってきた。
「なんだってんだよ、一回呼べば聞こえる……」
「ええい! 何度も読んでも来なかったではないか! アホめ!!」
「いいか? 今度から人を呼ぶ時は名前か用件を言え。それでなにがわかったんだ? 癇癪の起こし方以外に」
「サラマンダーとノームの行き先がだ。魔力の暴走を起こしながら移動しているせいか、途中いくつか魔力に満ちた土地を経由しておる。己の魔力と土地の魔力がぶつかりあったところ、精霊召喚が起こるようだ。つまり、魔力に引かれてくるということだ。平坦な草原にある小さな湖だが、月鏡と呼ばれる湖だ。夜の間は月をずっと映しているという」
「そこに行くってことだろ。今から間に合うのか?」
「十分だ。だが、直ちに向かったほうがよいだろう。用意しなければならないことがある」
「酒で場を清めるなら任してくれ。それなら、オレの体が一番清らかってことだからな」
リットが机の上のワインの瓶を振って、中身が入っているかどうか確認する姿を見て、グリザベルはため息をついた。
「アホなことを言うとる場合か。ただ精霊を迎え入れるわけではないのだぞ。依り代に入ってもらうためには、様々な準備が必要なのだ。なんのために儀式があると思っているんだ。言うておくが、今回はお主は見ているだけだ。下手に手を出されては計算が狂ってしまう」
「そりゃありがてぇ。用もないのに、わざわざ呼んでくれたってか?」
「何も言わずに、計画を進めてもお主は協力せぬだろうが。それに加え……困ったことに我の弟子はやる気が足りないときたものだ」
グリザベルは深い溜め息を落とした。
本来ならば一番にグリザベルの元へ駆けつけるはずのマーは、今リットの部屋でノーラとお喋りをしているからだ。それも、ちょっと話が弾んだ程度のお喋りではなく、お菓子を広げての本格的なものだ。
マーは気分屋であり、自分が気になったことや為になること以外だと途端に消極的になる。
連れ歩いている最中に、今回のようなことは度々あり、その都度グリザベルは頭を悩ませていた。
本音を言えば師匠としての威厳が欲しいのだが、まず、マーに弟子としての自覚を持ってもらいたかった。
だが、マーにしてみれば今が一番つまらない時期であり、わかりきった基礎のことをこと細やかに言われるのに嫌気が差していた。今までは他にも預かり弟子が二人いて、それなりに楽しくやってきていた。グリザベルの冗長で退屈な話も三人で分散されていたが、今はマーだけが聞かされることになり、少々うんざりしてきている。
師匠と弟子という関係に摩擦が生じてきたのだった。
「少なくとも尊敬はされてただろ。特にマーには」
「確かに同じ分野には明るいからな……。だが、我が言いたいのはそういうことではない。ほら、わかるだろう?」
「もっとちやほやされて、実直に賛辞の言葉を貰えると思ってんだろ? あのなぁ……弟子からしてみりゃ、師匠なんては目の上のたんこぶだ。尊敬はしてても、煩わしいもんなんだよ」
「わかったようなことを言うではないか」
「そりゃあな。感謝しろよ、実体験だ」
「お主にも弟子時代があったとは……とても想像出来んな」
「出来ねぇだろうよ。ほとんどが修行という名の遊びだったからな。それに、その道には進んでねぇよ」
グリザベルは「だろうな」と大きく頷いた。「もし師匠がランプ屋だったならば、お主はもう少しまっとうに商売をしているはずだ」
「そりゃなんだ? ケンカを売れっていう合図か?」
「そうはやるな。お主には買ってきてもらいたいものがあるのだ」
「忘れてるかも知れねぇけどな。オレはもう魔女の弟子じゃねぇんだぞ」
「わかっておるわ。我に手持ちがないのだから仕方ないだろう。そう高いものではない。心配ならマーを連れて行け。さぁ行け。やれ行け」
グリザベルにそそくさと追い出されたリットは、部屋に戻るとマーに買ってくるものリストを伝えた。
「……リットなにする気なの?」
「各国の王を集めてどんちゃん騒ぎをするんじゃないのは明らかだな。奴らはこんな安宿に来ない」
「じゃなくて、今言ってた材料は一時的に魔力を増幅させるのに使うもの」
「よく材料聞いただけでわかるな」
リットの言葉に、マーは調子に乗って鼻の穴を膨らませた。
「お師匠様が井戸の水を戻したのと同じ。魔力を増幅させて、呼び水にしたやつ」
「よくわからねぇけどよ。それが必要なんだと」
「でも、効果は本当に一時的。ほとんど影響もないよ」
「精霊を呼び寄せるのに使うんじゃねぇのか? 魚を釣る時に撒くコマセみてぇなもんだろ」
リットのついてこいというジェスチャーに反応したのか、精霊という言葉に反応したのか、とにかくマーはリットの後に続いた。
「精霊? どういうこと?」
「魔力に引かれてくるみたいなこと言ってたから、コマセをばらまいて餌に食いつかせるつもりなんだろ。あんな不味そうな餌に食いつくか微妙だけどな。針も見え見えだ」
リットはノーラとマーが買ってきた依り代の人形を思い出して苦笑いを浮かべた。
「なるほど……一時的に魔力を放出させて、ウィッチーズ・カーズを起こして吸収させる。精霊をその流れに乗せて、半強制に依り代へ移すようにする……」
「そんなこと出来んのか」というリットの言葉は無視して、マーは「お師匠様は他にもなにか言ってた?」と聞いた。
「オマエを連れて買い出しに行けだ。だから連れてきてんだよ。だいたいよ、気になることがあるなら本人に聞けよ」
「……お師匠様は私のことを過小評価してる」
マーは不満に頬を膨らませた。
「乳がでかいだけが取り柄だとかか?」
「お師匠様がそんなことを!?」
「いいや、オレが思ってることだ。三人揃ってりゃ、そこそこ色々出来ただろうけどよ。三分の一だぞ。今のオマエには、魔女の酒を作ろうだなんてそそのかさねぇよ」
「おぉ……私の評価は地の底まで落ちたとは」
「そんな落ちてねぇよ。言ったろ乳がでかいだけが取り柄だって。首から下くらいだ。垂れて、地面を引きずって歩いてるんじゃなけりゃな」
「リットの考えは甘い。私も成長している。今の私は『反抗魔法陣』も描けるのだ」
マーはエヘンと口に出すと、両手に腰を当てて胸を揺らすように張った。
「そりゃ良かったな」
「反抗魔法陣ってなにって聞かないの?」
「聞かねぇよ。喋りたくてウズウズしてる奴からはな。聞きゃ長くなるって知ってんだ。経験上な」
「よいか? 反抗魔法陣とは、魔法陣を描き換えて反対の魔力を使うようにすることだ。簡単に言えばウィッチーズ・カーズのようなことだな」
グリザベルは腰に手を当てると、胸を揺らして偉ぶった。
「そりゃ、わかりやすくて結構なんですけど……。なんで私に言うんスかァ?」
場所はリットの部屋。二人が出掛けて、ノーラが一人お菓子を食べているところにグリザベルが乗り込んできたのだった。
「最近マーに教えたものだ。集中力が続かないせいか、成功率は五分と言ったところだが、これはなかなか良い数字だ。あの年でここまで魔力解析を出来る者はおらんからな」
「そういうのは、本人に言ってあげたほうがいいっスよ」
「うむ……そのことなのだが……ノーラはマーと親しいな」
「そりゃあ、師と弟子の関係っスからねェ。お遊びみたいなもんスけど」
「その……そのだ……。我のことをなにか言っていなかったか?」
「黒い髪に黒い服で下着まで黒。そんなんだから、根暗になるんだって」
「マーがそんなことを言っておったのか!?」
「マー? いやだなー旦那っスよォ。あの根暗は年代物だって。お酒なら高く売れるのに、根暗を寝かせてもカビが生えるだけだぞって」
「あのアホウのことは今はよい……いや良くないぞ……。とにかくだ! 一旦置いておいて、マーはなにか言っておらんかったのか?」
「尊敬してるって言ってましたよ。本にも載ってないことを、独自の観点で正解へ導き出せる稀有な人物だって」
他にも話が長いや、言っていることが意味不明や、知り合いが少なすぎてコネが作れないなど、マーから色々聞かされていたのだが、ノーラは言わないほうがいいことだろうと口をつぐんだ。
そしてそれは正解で、グリザベルは上機嫌に「フハハハ!」と高笑いを響かせのだった。
「うむ、やはり弟子とは師の背中を見て育つのだな。いらぬ懸念だった」
「でも、たまには相手の言葉で話してあげればいいと思いますよ」
「相手の言葉?」
「そうっス。自分の中だけで完結させるんじゃなくて、会話をして正解へと導いてあげるんス」
「マーにはそんな心配は不要だと思うがな。基礎は理解している。忘れぬために、重要な基礎を口に出したほうが有意義だ」
「でも、新しいことを覚える時が一番楽しいもんスよ。はいって正解を渡されるんじゃなくて、自分で導き出したものならなおさらってなもんですよ」
「うーむ……そういうものか……」
グリザベルは納得がいかないのか、腕を組んでその場で考え込んでしまった。
「この分じゃ、旦那もマーと一緒に居て苦労してそうっスねェ……」
ノーラはお菓子を口に詰め込むと、今頃マーの愚痴を聞かされているだろうリットのことを思った。