第二十三話
「――まったく……。呆れてものも言えぬわ」
グリザベルはロウソクの火を吹き消すかのような細いため息をついた。
「もう散々好き勝手言った後だろうが」
リットがサラマンダーとノームと話してきたことを伝えると、グリザベルは突如として怒り出した。
四精霊に気安く話しかけすぎだということ、ナメていたら痛い目にあうなど、愚痴なのか小言なのかわからないものを延々と言われ続けたリットは、どんな話をしてきたのかを言わなければ良かったと後悔していた。
「精霊だぞ。力を寄越せなどと……おとぎ話に出てくる悪者になりたいのか?」
「聞かなきゃわかんねぇし、寄越せとは言ってねぇよ。協力関係にあるんだから力を貸せって言っただけだ」
「同じことだ。お主は魔力の知識など聞きかじった程度だ。それで精霊と深く関わろうなどというのは、どれだけ危険なことかわかっておるのか? わかっておらぬから、そういう発想が出るのであろうな」
グリザベルにしては珍しく、強気の姿勢を崩さずにリットを責め立てた。
精霊の力は人間にとって強大過ぎるので危険ということもあるが、単純に自分がいないところで精霊と交流を深めたことによる嫉妬もある。
精霊の言葉や思考とは、それだけ魔女にとって有用なのだ。魔女見習いのマーとシーナとヤッカも、ウンディーネと話す機会があるとなった時は、三人とも揃って興奮していた。
前回で慣れたのか、それよりも打倒グリザベルに燃えていたのか、それとも一大事が迫っていたからなのか、今回のマーはサラマンダーと交流する機会があったのに、取り分けて興奮するようなことはなかった。
それはルードルやデルフィナといったベテランも同じだ。
方や魔女。方や精霊師と考え方は違うものの、必要以上に精霊そのもののとは関わろうとしない。
それが正解だと遥か昔に答えを出しているようだった。
グリザベルの止まない言葉に、デルフィナは「気にすることはない」と口を挟んだ。「四精霊からしてみれば、リットは子犬みたいなものだ。吠えてきたところで本気で相手などしない」
「あんな男……子犬みたいに可愛いものではないわ」
「あくまで例えの一つだ。人間が子犬に構うように、四精霊に構われやすい人間もいるということ。本人が問題を起こしているわけではなく、巻き込まれているだけだ。目くじらを立てて怒るようなことでもないだろう」
デルフィナに言われると、グリザベルはなにも言えなくなってしまった。精霊のことは確実に自分よりも造詣が深いのはわかりきっているからだ。
そこに口出しするほどグリザベルは無粋ではない。
代わりに「とにかくだ」と話を区切ると「安全を確保する他にも、早急に問題を解決してしまおう」とリットに積荷を急がせた。
「オマエが長話で手を止めさせたんだよ……」
リットが土嚢を乱暴にグリフォンの背中に乗せると、その衝撃にグリフォンが「ちゅー」と不機嫌に鳴いた。
抗議するように肩をクチバシでつついてくるグリフォンに、リットは「文句があるならグリザベルに言え」と言った。
すると、グリフォンはスズメの目をタカのように鋭くさせてグリザベルを睨んだ。
「わ、我は悪くないぞ……。だいたい今の主人はリットではなく我だ。なのに……なんだその態度は! いい加減我の言うことを聞けアホめ! アホ鳥ぃ……アホネコぉ……アホネズミぃ……」
グリザベルが子供のように地団駄を踏むと、グリフォンはたじろぐように数歩後ろへ下がった。
「見たか!? リット。グリフォンが我に畏怖の念を抱いたぞ」
「引いてんだろよ。涙に鼻水によだれ……汁気を垂らすのは顔からだけにしとけよ。下からも垂れ流しにしたら、話しかけてもやんねぇぞ」
リットが先にグリフォンに乗ると、グリザベルは袖で顔を拭いてデルフィナと向き合った。
そして、先程まで泣いていたのが嘘のように凛々しい顔で「デルフィナ……世話になった」と別れの握手をするために手を差し出した。
「こっちも有意義な時間を過ごさせてもらった。礼を言う」デルフィナはグリザベルの手を握ると「結果は伝えに来なくていい。成功か失敗は、魔力の流れでここまで届くからな」と言った。
なぜかグリザベルは不満そうに「う、うむ……」と言い淀んだ。
「それだけ、今の精霊バランスは崩れている。気を付けろ」
デルフィナが声をかけて二人を送り出すと、すぐさまグリフォンはその場で翼を数回はためかせてから、勢いを付けて一気に上空へと飛び上がった。
湖に向かう最中。グリフォンの背中の上でグリザベルは鼻をすすった。
「なんだよ……また泣いてるのか……。たかが別れの一つだぞ」
「そんなことで泣くか! 友になろうと思ったのに……成果を伝えに来なくていいと言われたせいで、言い出せず終いだったことを悔いているのだ!」
「情けなくて言葉も出ねぇからよ。別れで泣いてたことにしてくれ……」
「お主にわかるはずもない、この気持ちは……。同じ国の言葉を話すような者との出会いだったのだぞ。この先、自分と似たような価値観を持つ魔女と出会える保証もない」
「いい加減友達くらい作れよ。弟子なんか育てるより、よっぽど重要だろ。グリザベルにとってはよ」
「作れと言われて作れる……よう……な」否定から入ったグリザベルだが、思い当たることがあったようで、これだとリットの背中を強く叩いた。「そうだ! マーを友人に育て上げればいいのだ!」
「なんだよ……友人に育てるってのは……。畑にでも埋めるのか? 育つのは徒花だぞ」
「良き師匠であり、良き友人であるようにということだ。師匠と弟子というように、一言で説明できる関係でいる必要はない。お主とノーラのようにな」
「魔女のしきたりってのはどうしたんだよ。師匠と弟子ってのは重要なんだろ?」
「我は古きを大事にするが、縛られるつもりはない。デルフィナが精霊師という新しい道を選んだように、我も新しい道を選ぶ時が来たということだ」
グリザベルはやることが見つかったと興奮気味に話した。精霊をゴーレムに入れようとあれこれ考えている時よりもやる気に満ち溢れ、熱量を持って語っていた。
「目標を持つのは勝手だけどよ。まずは目の前の目標を終えてからにしてくれ」
「当然だ。わかっておるわ。その為に準備をしてきたのだ」
グリザベルが作るゴーレムというのは、自己修復機能を持ったゴーレムだ。
というのも、ゴーレムの材料になる土というのはノームの力と被ってしまうので、力が増幅されてしまう。均一性を保つために他の元素の力を強めていくのにも限界がある。
魔力が強ければ強いほど隙間ができやすく、魔力が垂れ流しになってしまうからだ。それは魔力の暴走を意味する。
そこでその隙間を埋めるために利用したのが、デルフィナの提言する精霊学だ。精霊の力は世界を均一に保とうとするために存在する。常に補い合っているということだ。
その力をゴーレムに使うにはどうすればいいのかというのは簡単な話だ。ノームが入ることにより、ゴーレムは精霊と等しくなるからだ。
土という原料とノームの力が呼応して、ゴーレムが作られるということ。必要なものは、自然的に相性の良いものだ。
マーの作るゴーレムのように水にこだわればいいというわけではなく。全てにこだわらなければならない。
土はデルフィナが特別に配合したもの。水もその土に良く馴染むものを選んだ。風は湖から陸地に向かって吹く湖風が必要で、その風に乾かされた枝を擦り合わせて上がった火が必要になる。
それらの力は魔法陣によって一箇所に集められてゴーレムとなる。
要するに儀式を行うということだ。遥か昔から魔力を持たない種族が、精霊の力を得るのに使った手段。
だが、雨乞いや風乞いのように大きな力を欲するものではない。微々たる力を貰い受ける。
そうして貰える恩恵が精霊学の基本であり、小さな奇跡を起こせるのが精霊師ということだ。
魔女はリスクが必要になるが、大きな力を使うことが出来る。精霊師はリスクは必要ないが、大きな力を使える方法は今現在存在しない。
デルフィナが出来る一番大きな力が、天使族が使えるような光の階段という力で、見えない短い橋を架けられるくらいだ。
――という話を、グリザベルはグリフォンに乗っている間も、降りて精霊のいる湖で準備をしている最中も続けていた。
「わかるか? なぜ浮遊大陸の土が良いのか。風に吹かれ、陰ることない太陽に照らされ、雨雲を吸った土だからだ。他にも様々な要因をつなぎ合わせている。そして、今回使った材料は、応用が効かないのだ。別のことをする時には、また一から材料を考えなければならない。それも、地域によって精霊が違うからまったく別物になる。砂漠が多い地域と海ばかりの地域では、まったく違う考え方をしなければならない。浮遊大陸の土ではなく、海底の土が必要になるかも知れない。枝を擦り合わせた火ではなく、海水で水のレンズを作り、それを使って起こした火が必要になるかも知れない。魔女一人ではとても使いこなせないものなのだ。なぜなら精霊の力とは、人間だけではなく全ての生命が影響されているからだ。人間一人で動かせる力ではない。水のレンズを作るとなるとマーメイド・ハープの力が必要になるように、様々な種族の知識や文化を知る必要があるのだ。……聞いておるのか?」
グリザベルは冗長な話を一旦止めて、脇目も振らずにゴーレムを作る儀式の準備を始めるリットに呆れていた。こんなに素晴らしい価値観を共有できないのは損をすると。
「聞いてるよ」
「ならばなにか言うてみい」
「種族どころか、人間の友達も少ねぇオマエに精霊師は向いてない。諦めて、孤独か魔女を極めたほうがいいぞ」
「そういうことではないわ! いや、だが……言われてみれば友ではなくとも、多種族に知り合いがいるのが大切なことに変わりないな。それだけ出来ることが増える。入手できる原料も増えるということだ。つまり魔力よりも世界を知るのが重要ということ……。うーむ……精霊師とは奥が深い」
「世界を全部知ってるのは神様ってんだよ。神になれば精霊の力なんて必要ねぇよ。好きな時に酒を飲めるんだからな」
「またみみっちいことを……それではただの酒場だ」
「なるほど、だから客は神様だって言うんだな。なら今更精霊師に興味もねぇよ。わかるか? だから、黙ってさっさと儀式の準備をしろってことだ」
リットはさっさと魔法陣の用意をしろと、グリザベルの鞄を投げ渡した。
「神と精霊師は違う。そもそも神と四精霊の関係はだな……。いや、言うても無駄だな。まったく……あちこち見て回っているくせに、一向に大人にならんな。お主は」
グリザベルは鞄から出した魔法陣を開くと、この場で描き直し始めた。環境に合わせて、正しい術式にするためだ。
「お互い様だろ。それにな、嫌でも大人になってる。あっという間におっさんで、瞬きしてる間にじいさんになって、そのうち瞬き出来ないで墓に入る」
「お主は……もっと光のあることが言えんのか。仮にも、闇を晴らした者だろう」
「光といえば……フェニックスを見たぞ」
「また突拍子もない事を……」
「嘘じゃねぇよ」
「疑ってはおらぬ。関係ない話だと言っているのだ。それに、我も見たぞ。フェニックスならな。空を物凄い速さで翔けておった」
「なんだよ……見たのかよ。珍しいもんって言ってたぞ。なんでも、浮遊大陸の土は餌だってよ」
「何度も餌を食べるとなると、栄養が不足してるのかもしれんな。次に転生する準備でもしておるのやも知れぬ。誰から聞いたのだ?」
「ガルベラの使い魔のネコだ」
グリザベルは凍ったように手を止めると、慎重に筆を羊皮紙から離した。
「危うく描き損じるところだったではないか! 魔法陣はこれしか用意していないのだぞ!! 冗談は今度にしてくれ」
「冗談じゃねぇよ、憶測だけどな。錬金術に詳しい化け猫でな。人間の中でも、特に魔女嫌い。浮遊大陸のことにも詳しい。これで他の名前が出てくるなら教えてくれ」
グリザベルは息を呑んでしばらく固まると、観念したかのような頼りないため息をついた。
「お主は……あちこちで色々な体験をし、知識を仕入れてくるな。まさかとは思うが……精霊師にでもなるつもりか?」
「今まで名前も知らなかったものになるつもりはねぇよ。だいたいな、やってることは冒険者の真似事だ。最近じゃ割りを食ってばっかり。だから、それで手に入れた酒が『干天』で消えないように協力してんだろう」
「だが、冒険者の知識というのは精霊師に役立つものなのかも知れぬな……本人がどう思おうが、世界を動かす力に触れている可能性がある」
「触れてても使い方がわからなけりゃ意味ねぇだろうよ。ベッドの上で乳を掴むと揉むのじゃ全然違うからな」
「乳の話はしておらんわ! お主の父の話……いや、父親だ……。まったくややこしい……」グリザベルは自分の言った言葉に対して頭を垂れた。「あれほどの冒険者だったのならば、なにかしら世界に影響を与えていたかも知れぬという話だ」
「そりゃそうだろう。そういう男だ。常に誰かが影響されてる」
「お主もヴィクター王と過ごしてから随分と変わったからな。あの時からだ。お主が世界の謎に積極的に触れるようになったのは」
グリザベルはからかうように言ったが、図星を指されたリットは言い返すことが出来ずに、「早く魔法陣の描き変えを済ませろ」と話を逸らすことしか出来なかった。




