第二十話
リットはゴーレムとは単純なものだと思っていた。
魔力で動き、術者の簡単な命令をただ実行するものだと。
しかし、実際にはその場から半歩分だけ動かすのにも、複雑な魔法陣を書かなければならない。そこから半歩戻るのには、魔力を逆に流せばいいというわけではなく、また別の術式が必要になる。
再び利用できるところは利用し、利用できなければ新たに描き足す。それを繰り返すことによって、一見に無秩序に見える図形や文字が秩序を持つようになる。
つまり落書きではなく、まるで絵画のように様々な情報を見せるようになるのだ。
リットは魔法陣のことなどわからないが、マーの描く魔法陣の変化には気付けた。
明らかに深みが増している。
だが、それと同時に疑問も浮かび上がってきていた。
「ゴーレムを動かすのはサラマンダーだろ? ゴーレムを動かす魔法陣を描く意味があるのか?」
リットの疑問に、ルードルは「もちろんあります」と断言した。「何事も基礎が完成してこそです。心配しなくても、時間はかかりませんよ」
マー一人では手に負えないので、肝心なところはルードルが手伝うことはわかっているのだが、今更のんきに基礎固めをしているのを見るとリットは不安になった。
そんなことはお見通しと言うように、ルードルは口元に笑みを浮かべた。
「そんなに心配なら、火の命を吹き込むお方を連れて来てください。戻ってくる時には、きっと必要になりますから」
「またかよ……」
リットは魔女達にいいように使われて、まるで伝達係だと嘆いたが、向こうの様子も気になるのも確かだった。
まとめる荷物などもないので、リットはその足でルードルの町を出てグリフォンを呼んだ。
デルフィナの家があるウトリ山の中腹へと戻ると、不機嫌な顔でグリザベルがリットを待ち構えていた。
今はもう既に夜。手元のランプに照らされて出来た顔の濃い影は、感情以上に不機嫌さを強くさせている。
「なんだよ。オマエの人生がうまくいってないのも、友達が少ねぇのも、オレの責任じゃねぇぞ」
「いい加減腹が立ってきたのだ。なぜ、お主だとグリフォンが言うことを聞くのかと……」
「どうせ最初にナメられるようなことをしでかしたんだろ」
「しておらぬわ! ――ただ……。我にも正式な使い魔が出来るかもと思うと嬉しくてな……ついつい甘やかしたような気がしないでもない……」
「元々魔女嫌いな上に甘やかされたら、そりゃ言うことを聞かねぇわな」
「なぜだ!? 厳しくするならともかく、甘やかしたのだぞ!」
グリザベルは納得がいかないと声を荒らげた。
「そりゃ関係を築いたとは言わねぇからな」
「随分偉そうに言うが……お主はグリフォンと関係を築いたとでも言うのか」
「お互いやることを割り切ってて、必要以上に干渉はしない。まっ大人の関係ってやつだな」
「また詭弁を……」
グリザベルは愚痴ってもしょうがないと諦めたので、リットも話を先に進めることにした。
「グリフォンとの関係を見直すのもいいけどよ。まずはゴーレムだろ。こっちのはどうなってんだよ」
「完璧と言っておこう。ゴーレムなどとうの昔に通った道だ。我に必要な知識は精霊に関してだけ、その知識もデルフィナという偉大な精霊師のおかげで補うことが出来た。あとはひたすらに技術を磨くだけだ」
グリザベルは偉そうに言ったのだが、リットは結局やってることはマーと変わらないと不安に掻き立てられた。
しかし、久しく見ていなかった天を貫くような暴力的な火柱が上がると、途端に安堵の気持ちが沸き上がってきた。
火柱は一度だけではなく、時間を開けてもう一度上がった。
二度目の火柱は、夜の帳を燃やし焦がして朝を迎えるような眩くも優しい閃光を放った。
「ふむ……こっちの調合のほうが、火は純に近付くな」
デルフィナは少し焦げた前髪の先を手で払いながら言った。
「私にはさっぱりスよ。わかるのは、この炎で焼いた目玉焼きは真っ黒な墨になるってことくらいっスかねェ」
料理に使えるかも知れないと聞いていたノーラは、あまりに強力な炎を見て興味がなくなっていた。この炎は制御できそうにもないし、出来たとしても使う機会はゼロに近いだろうと。
「山火事でも起こすつもりか?」
「おかえりなさい、旦那ァ。見ましたァ? 懐かしの私を」
顔を出したリットに駆け寄ったノーラは、炎が消えた夜空を指して言った。
「あぁ……目に焼き付けた……」
リットはまだ少し眩んでいると目をこすった。
「最初は魔女になったみたいで面白かったんスけど、もう飽き飽きっスよ」
ノーラは親指と人差指の腹を何度もこすり合わせてため息をついた。
それが火を起こすための動作だというのはわかったが、今までノーラはそんなことをしたことがなかった。
リットがその指を見て疑問を口にする前に、デルフィナが先に答えた。
「マッチみたいなものだ。乾燥させたハッカと、特殊な鉱石を砕いて砂にしたものが数種混ぜ合わされている。詳しくは教えられない。材料を教えると厄介なことになるからな」
デルフィナは気になるなら試してみろと、ケースを取り出して蓋を開けた。
中には、厚い雲が夕日に照らされて影を作ったときのような黒い砂が入っていた。
リットは人差し指に腹を押しつけて砂を貼り付けると、ノーラがやったように親指の腹とこすり合わせてみた。
すると、指には熱さではなく冷たさを感じた。まるで氷でも持っているかのようだ。
しかし、一瞬で小さな炎だが、リットの指先には確かに炎が上がったのだ。
「まさか……砕いたってのは魔宝石じゃねぇだろうな……」
リットは不安になった。火は熱があるものだ。それを冷たく感じるということは、ウィッチーズ・カーズが起きたのかも知れないと。
「教えられないと言ったはずだ。だが、心配することもない。人体にはなんの影響もない。火傷もしていないだろう?」
デルフィナは自分もリットと同じようにやってみせた。
傍から見ると、まるで見えないマッチを擦ったかのような炎が上がっている。
だが、ノーラのような火柱が上がるようなことはない。予感さえも感じなかった。
「風を呼んだんだ。ここが魔女と精霊師の大きな違いだ。魔女は一から作ろうとするが、精霊師は有るものを使う。火を大きくするのは風の力だ。鉱石の摩擦で生み出された小さな火花は、風を食って大きくなる。ヒノカミゴの力とはそういうものだ。洞窟の少ない風を効率的に使えるドワーフの力。面白いだろう? 実は火ではなく風をあやつる種族だということだ。火をあやつるのならば、なにもないところで火を出すことが出来るからな。起こすのは風。燃え上がるは火だ」
この話にノーラは首を傾げていたが、リットは納得した。
他のドワーフは洞窟の中で限られたエネルギーを使っていた。そのおかげで力の調節ということを覚えられたが、外にいたノーラのエネルギーは無限だ。常に新しい風が吹き入れてくる。調節などということを覚える必要はないし、勝手に次から次へ燃料がくべられていたようなものだったということだ。
「ってことは……ノーラが起こす火ってのは、また別の力ということか?」
「魔女の知識で凝り固まっていないのせいか、随分柔軟な考えが出来るな。その風のエネルギーで燃え盛る火。それが精霊の力に近いということだ。だが、ヒノカミゴの力にも限度がある。そこでハッカという植物の力を使い火力を上げる。火は余計なものを焼き尽くし、純な火の元素に近付く。つまり擬似的なサラマンダーの力を呼び起こせるということだ」
「サラマンダーの火の力だと聞くと、どんな鉱石でも溶かして使えるってのは納得がいく。それを自由に扱えるのはドワーフの技術だと思うけどな」
デルフィナはリットが納得したのを見て、満足げに頷くと話を続けた。
「精霊学は『作用』に重きを置く。力を他に及ぼして、影響を与えればどうなるかということだ。風が火を強くするように、水が土を柔らかくするようにとな。魔女学のように、四性質から細々と考える必要はない。もっと単純で自由。それでいて奥深いのが精霊学ということだ」
「あ? あ、あぁ……」
急に言葉の熱量が上がったデルフィナに、リットは少し気圧されて返事をした。
「魔女学の基本の一つであるゴーレムもそうだ。大事なのは四大元素のバランス。すべてが等しい地など存在しない。つまり、その土地土地の自然に合わせて作り上げるものだ。それが土でも鉄でも同じこと。それをわざわざいくつもの魔法陣を組み合わせて複雑にする。いわば魔力の『混沌化』だ。精霊にはない力。ディアドレの失敗からなにも学んでいないと見える」
ルードルがリットに見せたゴーレムの基礎というのは、魔法陣を一度四つに破っていた。そして、その四つの紙切れが元に戻ろうとする。その魔力の流れにまかせて出来たものが、ゴーレムの元だと。
「ルードルのゴーレムの作り方の基礎がそれってだけだろ?」
ルードルが作った縫い込んで描いたという、特別な魔法陣の上だから出来ることだと。
それに否を唱えたのはグリザベルだった。
「いや、それは我も気になっていたことだ。魔法陣は複雑になればなるほど混沌化する。お主も見ただろう? テスカガンドで闇に呑まれる現象を引き起こした、ディアドレが魔宝石を利用して作った魔法陣を。我々は四大元素にない。『闇』という魔力を『光』という魔力で調和させたのだ。これは四精霊の理からは外れている」
リットはグリザベルがこの場の思いつきで言っているのではないとわかっていた。
宿で『四精霊が役割を放棄した世界が、闇に呑まれた世界』だという考えを持っているのを伝えられていたからだ。
デルフィナはグリザベルの言葉に賛同するように頷くと「私も精霊の力だけで全てが賄えるとは思っていない」と真剣な表情をした。「ゴーレムを作るのに魔法陣が必要なことも確かだ。それでなければ、術者の命令など聞かないからな。だが、今回作るのは四精霊が入る為のゴーレムだ。そこに指示を出すための魔法陣は必要か否かという話になる」
「ならねぇよ……」
リットは頭を抱えた。デルフィナが説明していることの着地点は、精霊学でも、魔女学でも、干天をどうにかすることでもない。それら全てが通過点に置かれているものだと気付いたからだ。
「大事なことだ。魔力で精霊を制御しようという考えは危険だからな」
「現代の魔女の魔力で、精霊に影響を与えることなんて出来ねぇだろ」と、リットは核心を突いた。「魔女が勝手に盛り上がってるだけで、サラマンダーとノームは人智の想像を超えた『神の産物』みてぇなものを作れと言ってるわけじゃねぇんだ。アイツらが求めてるのは、効率的な力の発散方法だ。人間で言えば、大声で歌を歌うとか酒を飲むとかだ。それを、歌うにはステージが必要とか、酒を飲むのに最高の肴が必要だとか、勝手に付け足すから複雑になってくんだろうよ。オレが受けた金持ちの道楽の依頼と一緒だ。知識も持ちすぎると、ろくな使い方をしねぇらしいな」
あっちの魔女にこっちの魔女にと、散々振り回された鬱憤がいきなり爆発したリットは、剣先でも突きつけるように人差し指をデルフィナに突きつけた。
「なんて嫌な言い方をする男だ……」
デルフィナが怯むと、グリザベルも同じく怯んだ。
「そう思うであろう? 我はいつも泣かされておる……」
「ルードルとデルフィナはグリザベルとマー――強いては、サラマンダーとノームに代理戦争をさせるつもりだろ」
「結果的にそうなっただけだ。私がリットをここに呼んだわけでも、ルードルの元へと行くように仕向けたわけでもないぞ」
デルフィナは心外だと顔を歪めた。
「でも、チャンスだと思ってんだろ。ガキから婆さんまで、何世代同じことを繰り返してんだよ」
ノーラは「まあまあ」と三人の間に割って入った。「旦那なんて、酔っては二日酔いになってってのを一人でずっと繰り返してるんスから。ね?」
「干からびるような事態になってねぇよ」
リットは腕の紋章を見せながら言った。
「水……水ぅ……って唸ってるじゃないスかァ、二日酔いでも。いいですかァ? 大事なのは魔女学でも精霊学でもなく、精霊の力を安全に発散させること。そして、グリザベルの方は問題なく進んでいる。マーの方も、再び目覚めた私の力で万事解決ってもんでさァ」
ノーラはリットの腰を叩いてなだめると、全員の顔を見て同意を求めた。
「そ、その通りだ。式はお主が思っていたのと違うかも知れぬが、答えは同じだ。精霊の力を発散させることには変わりない。そうして、それはもう数日も経たぬうちに解決することだ」
「なら、余計な感情は各々の心の内にしまって、漏れ出ることのないようにしてくれ」
リットはため息をつくと、ノーラを連れて行くのは明日にするとデルフィナの家の中に入っていった。
「ノーラ……助かったぞ。すまぬな、我らの尻拭いをさせてしまって」
グリザベルの謝罪にノーラは、上手く言ったという顔で頷いてみせた。
「いいんスよ。困ったときはお互い様じゃないっスかァ」
「だが、師匠と弟子のいざこざに巻き込んで……。そういえば――なぜ……我とマーは別々にゴーレムを作ることになったのだ?」
「……さぁ。とにかく今は余計な感情は各々の心の中にしまって、漏れ出ることのないようにしましょう」
ノーラは急かすように手を叩くと、考えるより先にやることをやってしまおうと煽り立てた。




