第二話
魔女学の基礎は『四性質』と『四大元素』だ。
四性質とは、熱・冷・湿・乾であり、その性質を組み合わせて生まれるのが四大元素だ。
熱と乾が合わさることにより火の魔力が生まれ、湿と冷が合わさることにより水の魔力が生まれる。熱と湿では風が、乾と冷では土が。というのが基本だ。
「ここまでは、お主には口が酸っぱくなるほど言うたな」
グリザベルは作りに作った威厳のある雰囲気を壊さないように、落ち着いた声で言った。
「それらを複雑に組み合わせて魔方陣を作ることは聞いたぞ。他に知ってるのはオマエのとこの弟子に聞いた『元素分解』くらいだな」
マーは自分が教えたわけではないのに、腕を組んで偉そうにうんうんとかぶりを振った。
元素分解とは、四性質から四大元素を生み出すのではなく、四大元素を分解して四性質を生み出すことを言う。
これは魔女学よりも錬金術に近い言葉で、火と水という四大元素を使う。つまり煮るという過程により、湿や熱という四性質を生み出すことを言う。
「そうだ。今回原因はその元素分解というものが近いのだ。元素分解とはマイナスに使う技術だ。引いて作られるもの。マイナスがあるのならばプラスの技術もある。魔女が遥か昔の大戦で生み出したものだ。そもそも元素分解というものは、魔女学から発展した技術だが、魔力の理からは外れておるのだ」
魔力というのはバランスが大事であり、それぞれの四大元素には結び付きがある。火と水や、風と土という組み合わせは魔力が反発しあってしまい。魔力の暴走により、時には大惨事を起こす。
なので錬金術はその技術をマイナスと捉えて、魔力元素を分解し、弱めて四性質にするという技術を確立させていった。
だが、魔女は純粋に魔力としての力を使い、プラスの技術を磨き上げていった。その結果生まれたのが、魔女の中で『精霊召喚』と呼ばれるものだ。
魔力を増幅させて合わせることにより、魔力元素よりも強い魔力性質を造ることに成功したのだ。
『風』と『水』という元素を結びつけるために間にある性質は『湿』だ。それを強力にする。つまり大雨を引き起こせるほどの力が生まれるのだ。
「話を聞いた今のところ……オマエら魔女のせいとしか思えねぇんだけどよ」
「早合点するな。お主には魔女には失われた魔法や、使われなくなった魔法があると教えてあるだろう。使いたくても使えないということもな。今回もその類のものだ。だが――使える者もおるということだ」
「まさか過去から蘇った魔女じゃねぇだろうな……ゴーストはこりごりだぞ」
「そんなことになれば、我にも手には負えぬ。なぜ我々魔女が精霊召喚と呼んだか考えればわかるだろう」
「私はわかるよ」マーは「ふふん」と口に出して言うと、自慢気な笑みを口元にだけ浮かべた。「精霊の力だよ」
グリザベルはマーの答えに満足気に頷いた。
「そのとおりだ、マー。そして、天候の変化とは四精霊の領域だ。だが、普通は四精霊同士でバランスを取り、急激な天候の変化は起こらないようにしている。そうでなければ、この世は地獄だからな。つまり、今回のことは四精霊の暴走により起きたのだ。魔女の魔力ならばディアドレであっても、大雨を起こすくらいだ。だが、精霊なら豪雨になる。今回のことは火の精霊『サラマンダー』と土の精霊「ノーム」が争うことによって起きたのだ。その結果、『乾』という性質が強大なものになり『干天』を引き起こした」
グリザベルは勢いよく立ち上がると、そのままの勢いで窓を開けた。
目の前に広がるのは乾いた大地だ。
証拠が目の前に広がっているので、グリザベルの言うことに間違いはなさそうだと思ったリットだが、窓から入ってきた砂埃に盛大に咳き込む様子を見て呆れていた。
「余計なことをするから、最後がしまらねぇだろ」
「このほうが格好がつくと思ったのだ……。まったくひどい目にあった」
グリザベルが唇についた砂を手で拭っていると、マーが弟子らしく水をコップに注いで口をゆすぐように勧めた。
「もう介護されてんのか?」
「聞いて驚くな。このマーは、我の正式な弟子となったのだ」
「そりゃ、よかったな」
リットは聞きたいことは聞いたので、もう用はないと立ち去ろうとしたのだが、マーが先回りしてドアを塞いでいた。
「まだ、お師匠様の話は終わってない。……はず」
「オレが終わったんだからいいんだよ」
「でも、このままだとリットの家に向かっていくコースらしい。それでも話が終わったと言うなら、帰るがいい。けけけ……」
マーがあまりに不気味に笑うものだから、リットは思わず「本当なのか?」とグリザベルに聞いた。
「その可能性はある。だが、正直わからぬ。精霊の力が影響する範囲がどこまでなのかがわからんからな」
四精霊とはその土地にいるもので、世界に一つだけの存在というわけではない。リットが前に会ったウンディーネも、あの土地にいるウンディーネというだけだ。
「待てよ……こっちにも、この現象が広がってきたら……」
リットはそこで言葉を止めると、行く手を塞ぐマーを抱っこするように持ち上げて、適当なところに投げるように置いた。そして大慌てで宿の店主の元へと向かった。
「どうかしましたか?」
驚く店主に向かってリットは、息を整えないままで「……酒は?」と聞いた。
「収穫してあった野菜と一緒です。乾いたようにすっかり空になってしまっています。困ったものです……高級なものもあったのですから」
店主は開栓していないはずの酒瓶をわざわざ見せてくれた。
リットは本当に開けられていないのかを確認すると、短く礼だけを言って走ってグリザベルの部屋へと戻った。
「早くこの問題を解決しろ……」
「なにを焦っておるのだ」
「オレの家には、苦労して作らせたウンディーネの酒があんだよ。それに、近い内に獣人の酒も届くはずだ。飲まずに空にしろってのか?」
リットは投げ飛ばされた格好のままで床にくつろぐマーを拾い上げると、元いた椅子に座らせた。
「我だってどうにかするつもりだ。このままでは我の故郷であるドゥルドゥが被害に合う計算だからな。なんとしても食い止める」
グリザベルは決意の瞳で言った。
グリザベルの故郷というのは、水の都と呼ばれる街だ。ベリアほどではないが、野菜や果物が育てられており、中でも魔女薬に使うハーブは品質が良く、世界中の魔女がわざわざ買いに来るほどだった。
それは水だけではなく、肥えた水もちのよい用土によって育てられたからこそのもので、ベリアのように干天を起こしてしまったら一大事だ。街だけではなく、魔女界にも多大な影響を及ぼすことになる。
「店主から聞いたぞ。井戸の水が湧くようにしたんだろ。方法は知らねぇけど、その力を使えばなんとかなるだろ」
「外れた関節をハメたようなものだ。ペングイン大陸でのことを覚えておるか? 川に水が戻ったり、足元に草花が生えたときと同じだ。あの時はお主のランプの力だったが、今回は魔法陣によって元あるべきものへと魔力を戻しただけだ。それが呼び水となり、再び水が湧いただけのこと。四精霊が引き起こしたことは、魔女の浅知恵ではどうにもならぬ。根本から解決する必要がある。ゆえに我らは四精霊を追って、この街へとたどり着いたのだ」
「長い旅だった……お師匠様がグリフォンに振り落とされ、ローブの裾を握られていた私まで真っ逆さま。幸い落ちた先は川で助かったけど、お金もなく絶望にうろついていたところ、あの現象に出くわし、たまたま近くの村で井戸を復活させたところ、ようやくご飯にありつけた。それに味をしめて、四精霊の魔力の痕跡を追っているうちに、お師匠様の故郷へ向かっているということに気がついたので……あった」
マーは溶けるようにテーブルに突っ伏すと、長く重いため息をついた。
「マー……。普段言葉短いお主が、今日は随分饒舌ではないか……」
「それだけ不満ということ」
「とにかく、早々に解決してくれ。なんだって、良い酒を手に入れた途端にあれこれ問題が起こんだよ……」
リットは部屋に戻ろうとしたのだが、マーが「ちょいまち」と言うと動けなくなってしまった。
足元を見ると、両足のそれぞれが紙を踏んづけていた。
「なにしやがった……」
「それは凍結の魔法陣。リットの足の裏は床とくっついたのだよ」
マーは勝ち誇ってケケケと笑うが、リットは靴を脱いであっさり出ていこうとした。
しかし、「次はどうするつもり」とマーが魔法陣の描かれた羊皮紙を見せつけるようにひらひら振るので、リットは諦めて振り返った。
「なんだってんだよ……」
「なんでリットはこんな高いところに泊まってる?」
「仕事終わりで金があるからだよ。せっかく、奮発して高え部屋を取ったってのに、酒もなしときたもんだ」
「そう悪いことではあるまい。友を助けることが出来たのだからな」
グリザベルは椅子から立ち上がると、感謝するとリットの手を握った。
「もう一回聞くぞ……。なんだってんだよ」
「お主こそ、我らの話を聞いていなかったのか? お金がないと言っただろう。お金がないということは、宿にも泊まれぬ。宿がないということは、異変の解決も出来ぬということだ」
「オマエらだって、高級な部屋に泊まってるじゃねぇかよ」
「これは街の厚意だ。何日も泊まれるはずもないだろう。常識を知らぬのか」
「まさかオマエに常識を説かれるとはな……。つーかよ、サラマンダーとノームってのは移動してんだろ? この街にいる必要もねぇだろ」
「移動するのにもお金は必要なのだ。グリフォンは我を落としたことにも気付かず、空の彼方へと消えていってしまったからな……」
グリザベルがグリフォンから落ちる姿は容易に想像できた。わずらわしくなって、わざと落としたのだろうということもだ。
何はともあれ、グリザベルに精霊の暴走を止めてもらわなければ、自分の酒まで危ないと思ったリットは協力することにした。
「それで……いくら必要なんだ?」
「ようやく手を貸す気になったか?」
「おい……貸せってのは金の話じゃねぇのかよ」
「金もだ。ついさっきまでは我とマーだけでどうにかすることを考えていたのだが、お主のほうが上手くいくような気がしてな。水の精霊のウンディーネとも上手くコミュニケーションを取っていたようだし、お主が間に入ったほうが上手くまとまるような気がしてな」
「ありゃ、ウンディーネが変わり者だっただけだ」
「四精霊など人間からすれば、皆変わり者だ。価値観が違うのだからな」
「変人のリットにぴったりの役目」
口を挟むマーに向かってリットは壁を指した。
「ここにいる全員が素質ある。隣の部屋でのんきに寝てるやつも含めてな」
「誰か一緒なのか? まぁ……お主に付き合うのはノーラくらいのものか」
「お師さんなら、久しぶりの挨拶をしてこないと」と、マーは部屋を出ていった。
「言っとくけどよ……安宿に変えるぞ」
「思ったより、あっさりと了承したな。もっと渋ると思っていたが……そんなにいい酒を手に入れたのか?」
「まだ手に入れてねぇよ。近い内に届く予定なんだ。魔力の結晶やらなんやら、探すのに苦労した酒だ。またただ働きになっちまう」
「ちょっと待てい! 魔力の結晶だと?」
「そうだ、ウィッチーズ・マーケットにあっただろ? あれのもっとでっけぇやつだ」
リットが牙宝石のことを話すと、グリザベルは一言一句聞き逃さないように興味深く聞いていた。
「なるほど……魔力の形状変化か。確かにそのような現象はある。魔宝石というのも、元はそこの結晶に近づけようとして発展していった技術と言っても過言ではない。魔女の酒もしかりだ。それにしても……お主の人生は興味がないのにやたら魔法の力が関わってくるな」
「ディアドレにでも呪われたのかもな。そっちこそ、もっと興味があると思ってた」
てっきり矢継ぎ早に質問が飛んでくると思っていたリットだったが、グリザベルはうなずくだけで質問の類は一切してこなかったのだ
「他の魔女が魔力の具現化をさせたと聞いたら、お主を縛って火をつけてでも聞き出すが、自然界の出来事だ。自然界の出来事というのは、天候を変えるのと同じだ。つまり精霊の領域。そこに手を出すには、知らないことが多すぎる。そこに手を出した結果どうなったのかというのは、お主は実を持って知っているであろう?」
グリザベルが言っているのは、『闇に呑まれる』という現象を引き起こしたディアドレのことだ。興味本位でヤブを突けば蛇以上のものが出てくると言いたいのだった。
その言葉にリットは深く感心した。というのも、最近は無謀とも言えることばかりするクーと一緒にいたので、堅実なグリザベルの考えがすごく新鮮なものに思えたからだ。
グリザベルならあっちの世界に踏み出そうなどとは考えもしないだろう。
「まぁ、とにかくやるべきことは引っ越しだ。荷物をまとめておけよ、今日の内に宿を変えるからな」
リットは部屋に戻ると、マーにも同じことを言って追い返した。