第十六話
ノーラだけではなくマーもいるので、リットは宿の部屋を別に取っていた。
今回はいつもと違って資金は十分にある。
金持ちの道楽に付き合わされた依頼だったので、精神的には多少の面倒臭さがあったものの、いつもよりも楽して大金を稼げたことには変わりない。
なので、一人部屋で寛ぐのに少しの躊躇いもなかった。
宿代をケチるために三人で一部屋を使っていれば、今頃こんなにゆったり過ごせていなかった。
リットは自分の判断に間違いはなかったと、窓際で夜風を浴びながらコップ一杯の酒をチビリチビリとやっていたのだが、急に風が変わったような気がした。
なにか生臭いものが混ざっているような不快な感じ。気の所為と言われれば、そうかも知れないと流してしまいそうなくらいの僅かな違和感。
だが、確実に浴びていたいと思う夜風ではなくなっていた。
リットは変に酔いが回ったのかもと思い、窓を閉めようと立ち上がった。
その時、ものすごい勢いで、ある生き物が部屋の中に入ってきた。
「にゃー」と鳴き声をあげたので、ツマミの川魚につられて子猫が入ってきたのかと思ったが、ここは三階。周囲に猫が登れるような木などないので不可能だ。
リットはランプの明かりを強くして、部屋の隅にうずくまる生き物を照らした。
すると、眩しさのせいか歯を剥き出しにして威嚇すると、「にゃー!」と鋭い声で鳴いた。
しかしその生物の顔は犬そのものだった。しかも、コウモリの羽で縦横無尽に暴れて飛び回り出した。
関わるとろくなことにならないと判断したリットは、虫でも追い出すように壁に立てかけられていた箒で窓へと追いやった。
コウモリ羽の犬はニャーと鳴いて窓から出ていくと、月にでも向かうように空高く飛んで行ってしまった。
今の騒動のせいで部屋は散らかってしまったので、リットは床に落ちたコップを拾うためにしゃがみ込んだ。するとテーブルの下には見覚えの無い封筒があった。
幸い、こぼれたお酒に汚れることもなく、差出人の名前は消えることはなかった。
リットがその名前を読み上げようとした時。ノックもせずに開いたドアからノーラとマーが小走りに入ってきた。
「今日はやたら侵入者が多い日だな。なんの為に一人部屋を取ったんだが……」
リットは休まる暇もないとため息をつくと、布団の乱れたベッドに腰掛けた。
「旦那が暴れるから何事かと思って飛んできたんスよ」
「そうそう。なにかあったのなら助けないと」
もっともらしいこと言うノーラとマーだが、その手には魚の干物が握られていた。おそらく夜食にとっておいたものだろうが、猫の声が聞こえたので餌付けにやって来たのは間違いなさそうだった。
ノーラもマーもリットの顔を見るわけでもなく、ベッドの下を覗き込んだり、部屋の隅を確かめたりと、猫を探しているのが丸わかりだった。
「もういねぇよ。手紙を落として出て行った」
「手紙?」
マーはリットの持つ手紙を見た。そこには『シーナ』と言う名前が書かれていた。
リットも差出人の名前を確認すると「やっと届いたか」と、マーに手紙を投げ渡したのだが、マーはそれを受け取ることなく一歩リットに近づいた。
「嘘!? コウモリ便見たの!?」
「見たらなんだってんだよ」
「すごいこと。魔女見習い全員に自慢出来る!」
コウモリ便の正体は誰も見たことがなく、たまにロウソクに映るコウモリの羽が見えることから、そう呼ばれるようになったものだ。
「そりゃ良かったな。で、シーナからはなんて返事があったんだ?」
リットはコウモリ便に興味はないのでサクッと話を終わらせようとしたのだが、マーにとっては身近だが正体がわからないものという興味案件なので、驚くほど食いついてきた。
「姿は? どんなの? 大きかった? 小さかった?」
これは話すまで終わらないと思ったリットは、正直に答えることした。
「まずコウモリの羽を持ってた」
「やっぱり」
「それに犬の顔で、ニャーと鳴く。サイズも子猫くらいもんだったな」
「そんな適当な言葉で騙されない」
マーはそんな生物は信じられないと半眼で睨みつけたが、リットは全部本当のことだと肩をすくめた。
「信じようが信じまいがそれが答えだ。もしも別の姿で例えて欲しいなら遠慮なく言え。オレにとっちゃコウモリ便の真実なんてどうでもいい。それで納得したら、シーナからの手紙の要点だけを教えてくれ」
リットは飲み直しだとコップに酒を注ぎながら言った。
リットが嘘をつくメリットなどないと納得したマーだが、「そんな姿だって手紙に書いて回しても誰も信じない……」と肩を落とした。
「グリフォンも似たような姿じゃないっスかァ。色んな動物がごちゃ混ぜの。魔女なら見慣れてるから、信じてくれるんじゃないっスかァ?」
猫がいないとわかったノーラは餌やりのつもりで持ってきた魚の干物を自分で食べていた。昼間にもらったスパイスをひとつまみかけて、それはもう美味しそうに目を細めた
「それは普通のグリフォンのことを言ってる? それとも、スズメの顔に猫の体でチューと鳴くグリフォンのこと?」
マーはあまりに風変わりのものは自分の目で見ない限り信じないと説明した。
そして、リットの言うことが真実ならば、コウモリ瓶の正体もグリフォンだろうと付け足した。
今リット達と行動を共にしているグリフォンは、魔女に違法に作られた生物だ。誰が作ったのかも、方法もわからないが、何年か前からこういった魔法生物が増えているという。
本来コウモリ便は特殊な香草とご飯と一緒に手紙を置いておくと、それを届けてくれると言うものだ。それはマーが取っている部屋で用意しており、リットの部屋にはコウモリ便を呼ぶようなものは何一つ用意されていない。
ここらはサラマンダーとノームが暴れた影響で魔力が不安定になって来ているので、マーの部屋ではなくリットの部屋に迷い込んできたのだ。
グリフォンが嫌がって迎えに来なかったように、コウモリ便も魔力の影響を受けた可能性が高いと。
「魔法生物のことは『ヤッカ』の方が詳しいけど、私もこれは知ってる。魔力を方位磁石のように使って、迷わないようにする生物は結構多いって」
マーはリットが魔女の酒デルージを作らせた時に、呼び寄せたミジミという虫も同じ性質を持っていると説明した。
「誰が魔法生物の説明をしろって言った? オレが聞いたのはシーナからの手紙の内容だ」
マーは「リットが見たものは結構凄いものなのに……」と不服そうにしたが、一通り喋って興奮を吐き出すと、シーナの返信の方が気になったので手紙を開けた。
最初に書いてあった義務的な挨拶と、修行先での不満話を飛ばして読み進めていくと、最後に一文。「『詳しく聞きたければ、ルードル』にいらしてください」と書かれていた。
「ルードルってのはどこだ?」
リットが聞いたことがないと言うと、ノーラもマーも同じく首を傾げた。
「お菓子だったら、美味しそうな名前っスねェ」
「オマエらに聞いたオレがバカだった……グリザベルにでも聞いてみるか。オマエらも明日はついてこいよ」
「それって……デルフィナっていう胡散臭い魔女がいる場所?」
マーはあまりいい顔をしなかった。完全なる食わず嫌いだが、このまま一度も顔を合わせることなければいいと思っていたからだ。
「胡散臭くない魔女がいるってんなら驚きだ。この街から離れるなら、どの道師匠のグリザベルの許可は必要だろ。オレはオマエの人生を預かるなんて絶対お断りだ。そして紋章のせいで体が枯れるのもお断り。嫌って言っても引きずって連れてく」
リットは今夜のうちに用意をしておけと、二人を部屋から追い出した。
「『ウリア・ルードル』は高名な魔女の名前だぞ。まさか知らんとはな……」
「オレが知るかよ。どうしても覚えさせてぇなら、スリーサイズと下着の色もセットにしてくれ」
「我はマーに言っておるのだ。育て方が悪かったか……」
グリザベルは恥ずかしいところを見せたと、デルフィナに頭を下げた。
「知らないことは恥ではない。知ろうとしないことが恥だ。もし、恥じるのならば、弟子に気まずい思いをさせたことを恥じるべきだな」
デルフィナは弟子の不出来を謝る姿を見せるのは、褒められたことではないとグリザベルに釘を刺した。
マーは複雑な気持ちだった。人前で自分を叱るグリザベルに不快感を覚えたのも確かだが、それを指摘されて叱られているグリザベルの姿を見るのもいい気持ちはしなかったからだ。
それに、二言三言話すだけでもデルフィナの有能さはわかったので、見習いの自分があれこれと意見をできる相手ではないと黙っているしかなかった。
そんな少し重い空気が流れたのはリットにもわかったが、そんなことを配慮するつもりなど微塵もなかった。
「オマエら頭が良いつもりでいるなら、さっさとオレの質問に答えろよ。ルードルってのはどこにあんだ」
リットはシーナからの手紙を取り出すと、グリザベルの顔面に貼り付けるように押し付けた。
「こ、こら! マーとデルフィナの前だぞ! やめんか! 我にも守るべき威厳というものがあるのだ!」
「威厳で済みゃいいけどな。尊厳まで打ち砕かれたくなけりゃ、手紙をよく読め。ルードルに来いって書いてあるだろうが。オマエの言った。『魔女の名前だぞ』――それが答えになってると思うか?」
「……なっておらぬ」グリザベルは涙目になったのを鼻をすすって誤魔化すと、続きを話し始めた。「ルードルは魔女の名前だが、町の名前でもある。つまり町を作った魔女だ。場所は我も知らぬ」
グリザベルは最後にまた鼻をすすると、偉そうに腰に手を当ててふんぞり返った。
「私は知っているぞ。昔馴染みだ。地図を持ってきてやろう」
デルフィナとグリザベルが家の中に入ると、マーは息苦しさから解放されたので声を出して深呼吸をした。
「リットって凄いよね…。普通は無知であれだけ偉ぶれない」
「自分のことは棚にあげるのがコツだな」
「褒めてない」
「知ってる。だから嫌味を言ったんだ。棚から降りた気分はどうだ?」
自分のことは棚に上げてデルフィナに色々と文句を言っていたマーだが、実際に目の前にデルフィナがいると借りてきたねこのように大人しくなってた。
「もう一度飾り直して欲しい。手の届かない棚まで」
「そんな高いとこにいてどうすんだよ。下から男にパンツでも覗かせる気か? おひねりを投げるのも一苦労だな」
「リットはもっと魔女のことを知るべき。師匠と弟子という関係は、魔法陣のようにとても複雑なのだ」
「なら単純になったら教えてくれ。それよりルードルに行く前に、シーナに聞くことをまとめておけよ。オレが説明すると二度手間だからな」
「まさか……ついてくる気?」
「ルードルの滞在費なんて持ってねぇだろ。それに、オマエとノーラのコンビはどうも仕事が遅い気がする」
リットはカバンに寄りかかってうつらうつらと船を漕ぐノーラを見ながら言った。
グリザベルはもう既に何度もゴーレムの運用試験に入っているのに対し、マーはまだだった。やるべきことは決めているものの、行動に移すのがとにかく遅い。
相棒役のノーラもマイペースなので、マーを急がせるようなことがないのも原因だろうとリットは思っていた。
マーもそれを自覚していたらしく、幸せそうな寝息を立てるノーラを見てため息をついた。
確かにノーラは自分にない発想を持っているが、リットの方が自分の発想を形にする能力があるのはわかっているので、こっちを頼った方がいいかもしれないと。
「そろそろ相方を蹴落として、高く跳躍する時期なのかも知れない……」
マーがそう決心すると、ちょうどよくデルフィナが地図を持って現れた。
「ルードルへ行くには山をいくつか越えなければならないが、グリフォンがいるのなら大丈夫だろう。念のため、この地図は持っていけ。周辺の村や町も記載してある。いざという時にも役に立つ」
デルフィナはリットにではなくマーに地図を渡すと、ノーラの肩を揺さぶって起こした。
ノーラはご馳走にかぶりつく時のように大きく口を開けてあくびをすると、ゆっくり目を開けた。
「……ご飯スかァ? 食べるなら美味しいものがいいっスねェ」と。
「残念ながら違う。だが、美味しいものを作れるかは自分次第だ。リットに買いに行かせたハッカという植物は、一時的にだが火の元素の力を強める効力がある。その力の使い方を教えよう」
「マーと一緒に行動してますけど、私は魔女じゃないっスよォ」
「ドワーフなのは知っている。精霊学の力の使い方だ。魔女でなくとも使える。ヒノカミゴの力と合わせれば、火力は凄まじいことになるだろう。そして、そういう炎でなければ調理出来ない食材というのも、この世には腐るほどある。使い方を覚えておけば、腐る前に食べることが出来るぞ」
デルフィナの言葉に、ノーラは瞳を輝かせた。
もらったスパイスと、ハッカの使い方を覚えれば、どれだけすごい目玉焼きが焼けるのだろうと。
「旦那ァ……。もしかしたら魔女っていうのは、私が目指すべき頂きなのかもしれません。ドラゴンの卵を使った目玉焼き……そんなものまで作れるかもしれませんよ」
「宝の持ち腐れだな……」
「卵が腐らなければそれでいいっス。さぁ、行きましょう。やりましょう。やってみせましょう。お師匠さん」
ノーラは白状にマーに別れの言葉を告げると、デルフィナの腰巾着へと素早い変わり身を見せた。
マーは「ぐう……」と歯を食いしばった。「なんだか裏切られた気分……」
「なに言ってんだ。最初からノーラとは手を切るつもりだっただろ」
「そうだけど……これじゃあ、なんか私の立場が下みたいな感じ……。そうだ!」
マーは思いついた顔でリットを見た。
「オレは言わねぇぞ。どうしてもついていかせてください。なんてな」
「仕方ない……シーナに偉ぶろう」
マーとリットはルードルに向かう準備をするため。一旦宿へと戻ることにした。




