第十五話
「旦那ァ……。もしかして暇なんスかァ?」
ノーラはつい最近もリットの姿を見かけたはずだと、疑いの半眼を向けた。
グリザベルの姿は見かけていないので、やることはあるはずだ。なのにリットは行ったり来たりとしているので、暇でふらふらしているように見えた。
「暇なら酒場の椅子にケツを貼り付けたまま動かねぇよ。やることがあるからうろついてんだ」
リットが来ているのはノーラとマーが泊まっている宿屋だ。
今回は早々に資金を使い切ることはなかった。宿もベッドがあるくらいの質素なもので、いくらノーラと言えどもさすがに懲りたようだった。
「もしかして、資金の追加ですか?」
ノーラに言われ、リットはそれも必要だと気付いた。
デルフィナという実力者の熱にうなされたグリザベルは、すっかり他の考えが疎かになってしまっていた。マーのことも気にかけてはいるが、具体的にどうしているかというのは聞いてこない。漠然と元気だったかと、リットに聞くだけだった。
お金もないので仕方ないことなのだが、結局リットがマーの面倒を見ているようなものだった。
「まぁ、もう少しかかりそうだからな。宿代は払っとく。マーはどこだ?」
「マーはシーナにお手紙を書いた後はやることがないって、落ち着けるところで本を読んでますよ。おかげでこっちは暇ったらないっスよ。あっちで寝て、こっちで食べて。まるで納屋に押し込められた家畜っスよ。どうして魔女っていうのは、あーも自分勝手なんすかねェ」
ノーラはベッドへ後ろ向きに倒れ込むと、埃が舞う中でため息をついた。
「そりゃ精霊の力を好きに使おうって奴がなるもんだから、身勝手な奴しかいねぇよ」
「魔法なんて何が楽しいんスかねェ……。ご飯が出てくるわけでもないし、出てきたご飯が美味しくなるわけでもないのに」
「美味しい思いの意味が違うだろ。魔宝石で美味しい思いをするってのは、人生を豊かにするって意味だ。楽に火を起こせたり、凍らせたりな」
「豊かな人生っていうのは、どれだけ美味しいご飯を食べれたかだと思うんスよ」
「否定はしねぇよ。特に人の金で食う飯や酒はうめぇもんな」
「そいうことっス」と、ノーラはベッドから跳ねるようにして起き上がった。「さぁ、人生を豊かにしに行きましょう!」
「オレは飯屋じゃなくて、マーを探しに来たんだよ」
「同じことっスよ。どうせマーもお腹が減ってご飯屋さんに向かって歩いてるところっスよ」
ノーラはもう食事の気分になってしまったので、リットのお尻を押して部屋から出た。
それから昼食を食べた二人だが、マーを見つけることはなかった。
「どこへ行ったんスかねェ」
ノーラは満腹になったお腹をさすりながら、通りを行き交う人を眺めていた。
「オマエみたいに食い意地ははってねぇからな。どこかで寝てんじゃねぇだろうな」
「可能性は否定出来ませんね。昼の太陽遮る木陰。涼しい風。川沿いでも探してみます? どうせ暇ですし。腹ごなしの散歩にちょうどいいっスよ。お腹が小馴れば、帰りになんかつまんで帰れますし」
「よくそれだけ食った後に、また食うことを考えられるな……」
「幸せについて考えることは苦にならないスからね。豊かな人生に乾杯っス。ところで……旦那はなんでマーを探してるんですか?」
ノーラはマーを探すために元気よく踏み出した右足を軸にして、くるっと回ってリットを見た。
「『ハッカ』とかいう植物を持ってこいとよ。魔女薬に使われるようなものらしいから、マーに見てもらわねぇとわかんねぇんだよ」
「サラダが美味しい店なら紹介出来るんスけどねェ。それにしても、ゴーレムを作るのってもっと楽なものだと思ってましたよ。こねて魔力を流して、ぼぶぶんと登場みたいに」
「オレもだ」
リットはノーラほど単純には考えていなかったが、当初の予定では今ぐらいには解決すると考えていた。
グリザベルの実力を認めていることもあるし、デルフィナという更に実力者が現れたので、とんとん拍子に物事が進むと思っていたのだ。
しかし、実際には遠回りばかりしているような気がしていた。
デルフィナにあれこれと頼み事をされるが、それがなにに使われるかは全く不明。どこまでゴーレム作りが進んでいるのかもわからない。
それだけ精霊の力を制御するのは難しいことなのだろうが、リットにとって今まで会ってきた精霊全部がお気楽な思考をしているせいで、もっと簡単に出来るんじゃないかという思考に繋がってしまっていた。
「ゴーレムとは箱庭を作るようなもの。って言うのが魔女の言葉にある」
突如として現れたマーは腕に一冊の本を抱きかかえて、自分の言った言葉にうんうんと頷いていた。
「ちょうどよかった」というリットの言葉を無視して、マーは続きを喋り出した。
「箱の中で完成された世界。でも、それを飾るのに風景に馴染まないといけない。つまり自然との調和が大事なのだ」
マーはエヘンと口に出して威張ると、本の裏に隠れていたパンを取り出して一口齧った。
「調和もいいけどよ。ハーブ探しに付き合え」
「また? つい最近付き合ったばっかり。私は魔女薬は専門じゃないんだけど……」
「野宿したくなかったら、素直に協力しろ。ハッカって植物だ」
「ハッカ? まさかどこか放火するつもり?」
「おいおい……そんな危険な植物なのか。ミントって言ってたぞ」
「ミントなのは間違いない。でも、ただのミントではない。魔女薬の中でも劇薬を作る時にしか使わないようなハーブ」
マーの話ではとても燃えやすいハーブということだ。
火を扱う前には絶対触ってはいけないと言われている。ハッカの油は布で拭いても、水で洗っても落ちることはなく、自然に気化するまで待つしかない。もし手に付着したまま火に近付こうものなら、発火してあっという間に火だるまになってしまうほどだ。
「そんな危険なハーブ。どう魔女薬に使うんだよ……」
マーは「さぁ」と肩をすくめた。「シーナに聞いてみる?」
「シーナといえば手紙の返事は来たのか?」
「まだ。そろそろ届いてもいい頃だけど、コウモリ便は気まぐれだから」
マーはとりあえずハーブを買いに行こうと顎で通りを指すと、先頭を歩き出した。
小さな広場に向かってドアがある店が四軒。
ハーブの店は畑ほど多くはないが、採れたてのフレッシュなハーブから乾燥ハーブ。それに基本的な調合を済ませたハーブまでなんでも揃っている。
ものぐさの魔女の代わりに、調合したハーブを使い魔に渡すサービスも行われているので、人流よりも鳥や小動物などが多かった。
使い魔にとってここは一時的な休息の場なのか、暇つぶしにばらまかれた餌をついばんでいる。
他の街にはない独特な活気に満ち溢れていた。
リットはここに来るのは二度目。一度目のお使いの時もここに来ており、ここですべて揃えることが出来た。外観は古く中は狭いが、品揃えと品質は確かなものだった。
四軒のうちに一つ。魔女が経営している店があり、リットは迷わずにそこへと向かった。
「ハッカって植物は置いてあるか?」
リットがドアを開けるなり言うと、店の奥から男の店員が出てきた。
店員は「いらっしゃいませ」とリットの顔を見ると、少しだけ表情を明るくした。「また来てくれたんですね」
「まぁ、色々あってな」
「わかります。ハッカでしたね。在庫を確認してくるので少し待っていてください」
店員は走って店の奥へと消えていった。
この店員は魔女の弟子であり、お使いを頼まれるリットを見て、同じうだつの上がらない男魔女だと勘違いしてシンパシーを感じているのだ。
そのことに不都合はなく、勝手に思いやってサービスをしてくれるのでリットは黙っていた。
店員は小瓶を片手に「乾燥させたは在庫がありますが……」と申し訳無さそうに戻ってきた。
「そう言えば……ハッカとしか言われてねぇな……。おいマー、ドライハーブでいいのか?」
「わからない」
「おいおい……なんのために連れてきたと思ってんだよ」
「私は私の買い物の為」
マーは本の虫よけの為のハーブを頼むと、支払いをする前に店から出ていこうとしたので、リットは首根っこを掴んで引っ張り込んだ。
「オマエの買い物なら金を払ってけよ」
マーは「リット……」とバカにしたようにやれやれと首を振った。「お金があるなら自分のお金で宿をとってる。そんな高いものじゃないんだから、大人の余裕を出して欲しい」
リットがふんぞり返るマーに文句を言おうとすると、店員が「あの……」とこそっと耳打ちをしてきた。
「妹弟子だとしても、優しくしておいた方がいいですよ……。数年もしないで、すぐに立場が逆転するはずですから」
「あのなぁ……」とリットは苛立ちと呆れを混ぜた声を上げた。「そんなんだから魔女界での男の立場が弱いままなんだよ。拳を掲げる勇気がないなら、せめて目の前で中指の一本でも立ててみろよ」
リットはこんなチビに気を使っていられるかとマーの頭を掴むと、ボール遊びでもするかのように揺らした。
マーは揺られるがまま「あー」とマヌケに震える声を出すが、いつものように無表情を決め込んでいる。
「強く前に出るのはどうかと……波風が立ちますし……」
「ならせいぜい店番を極めるんだな。足腰が立たなくなる老人になる頃には極められるだろ」
リットはハッカとマーの分のハーブの代金も支払うと店を出ていった。
店員はリットの嫌味が聞いたらしく、肩を落としてシュンとしていた。
ノーラは「店番を極めるのも悪くないっスよ」と声をかけた。
「あなたは?」
「そうっスねェ……通りすがりの店番とでも言っておきましょうか。長年店番を任せられ、一念発起し乗っ取ろうとするも失敗。今はまた店番っス」
ノーラもリットとマーと一緒に店に入ったのだが、背が小さい上に死角だったらしく、店員の目に入らなかったようだ。
「あなたも苦労しているようですね……」
「おっと……同情は不要っスよ。店番を極めたからこそ。旦那が知らない秘密がいっぱいあるんスから。誰が惚れたに、誰が腫れた。あっちじゃ大事件。こっちじゃ小さなこじれ。噂話は尾ひれはしれをつけて泳いでくるってなもんスよ。皆誰かに話したいってことっスねェ」
ノーラは住民のゴシップが聞けて楽しいという意味で言ったのだが、店員は別の解釈をしていた。
「なるほど……顧客のニーズを正しく理解するには現場が一番。ただ漫然とものを売るのではなく、発展を目指す。そういうことですね?」
「うーん……まぁ……元気が出たならなんでもいいっスよ」
ノーラはマーが食べ残したパンを食べながら、呆れて肩をすくめるべきが、自信ありげに頷くべきか迷っていた。
その中途半端な仕草は、店員には何か試されているのではないかと感じる不自然な動きだった。
店員は「そうだ!」と声を大きくすると「少しお待ち下さい」と言い残して店の裏へと入っていった。
そして再び現れた時は片手に小袋を持っていた。
「なんスか?」
「自分が特別に調合したハーブです。是非持っていってください。もちろん代金はいりません」
「私は魔女じゃないから、魔女薬のハーブなんて使えませんよ」
「自分も見習いなので、売れるようなハーブは調合できません。これは……そうですね……スパイスと言ったほうが正しいですね」
目玉焼き以外を作らないノーラは「ほーん……」と興味なさそうに話を聞いていたが、店員の説明を聞くと一転。瞳を輝かせた。
「これはなんでも美味しくなります。それも料理にかけるだけです。ご飯を作る暇もなく店番を頼まれることが多いので、開発したんですよ」
店員はパンにかけるだけでも美味しいと言うので、ノーラは試しにスパイスをひとつまみパンにふりかけてかじりついた。
最初に舌に走る塩気は肉や魚にも合いそうだし、淡白なパンにも奥行きを与えそうだ。果実やお菓子などの甘いものでも、甘みをさらに引き立たせるような絶妙なしょっぱさ。
唾液に溶ける豊かな香りは混じり合って鼻に届く。
幸せに香りをつけるのなら、きっとこれが正解だろうと、ノーラは夢見心地のまま店を出た。
なかなか出てこないノーラを待っていたリットは「遅い」と声をかけた。
「旦那ァ……私が求める魔法は全部この店にありました」
「いつから魔女になったんだよ」
「魔女になったんじゃないっスよ。新たに魔法を使えるようになったんス。いやぁ……美味しい思いはするべきですね」
「店員に惚れられて、貢物でももらったのか?」
「旦那ァ、美味しい思いの意味が違いますぜェ」
ノーラは意味ありげに笑うと、スキップ気味の軽い足取りで歩いていった。




