第十四話
夕方になる前に山の中腹へと戻ったリットだが、グリザベルとデルフィナの姿はなかった。
リットはデルフィナに頼まれていたものを家のテーブルに置くと、どうしたものかと家の外を無意味にうろついた。
デルフィナがいないと、崖に孤立したこの中腹から動くことが出来ない。特になにか用事があって山を歩きたいわけではない。ただの暇つぶしのためにグリフォンを呼ぶのもどうかと思い、リットは適当なところに寝転んだ。
思いの外強い夕日だったので、腕を目隠し代わりに当てると、昨夜の酒がまだ少し残っているせいか一気に眠気が襲ってきた。
抗うことなく眠りの世界に入ったリットだったが、そう時間が経たないうちに体を揺すぶられ起こされた。
「なんだってんだよ……」
リットが体を起こして、こすってから目を開けると、グリザベルが睨むようにして眉をひそめていた。
「我はお主の小間使いではないわ。マーの様子を見てきたのであろう? どうしておった」
「報われない努力をするしかなくて生活は困窮していたが、運良く街に来ていた王子様に見初められて幸せになってた。めでたしめでたしだ」
「なにを夢物語みたいなことを言うておる……」
「んなことで起こすなってことだ。オレは伝書鳩でも、使い魔でもねぇんだぞ。詳しいことを知りたけりゃ、自分でグリフォンに乗って様子を見てこいよ」
リットはしっしと手でグリザベルを追い払う仕草をすると、寝直すために寝返りを打った。
「なにを不機嫌になっておるのだ……」
「人が気持ちよく寝始めたところを雑に起こされたってのに、にこやかな顔で迎え入れろっていうのか?」
「それが無理なら、我を讃えて迎え入れてもよいのだぞ」
グリザベルは鼻の穴を大きくして、鼻息も荒く言った。
その様子を見るからに、なにが自慢出来ることがあり、話したくてうずうずしているのは明らかだったが、リットは付き合っていられないと目をつぶった。
するとリットの頬をなにかが撫でた。柔らかくもあるが硬くもある。冷たくもあるが温かくもある。その不思議な感触に思わず目を開けるがなにも見えない。
頬を触るとねっとりだがさらさらしているものが張り付いていたので、リットはそれを引き剥がした。
それは土で作られた。小さな人形だった。
リットはつまんで、海の岩から剥がされたヒトデのように動かない土人形を見た。
すると、デルフィナが「頼りないほどもろく感じるが頑丈だろう?」と言ったので、これがゴーレム関係のなにかということはわかった。
さすがに壊しては不味いだろうと思ったので、リットは静かに地面に置いた。
「まさかお人形遊びに付き合えって言わねぇよな……こっちは子守をしてきたばっかりなんだぞ」
デルフィナはフフフと笑うと、土人形を指で砕いた。そして、砂になった土を風に流しながら「これがノームの力。純粋な土だ」と説明をした。
「それって、ウンディーネが作る純粋な水ってやつみたいなもんってことか?」
「考え方としては同じだが、その言葉が正しいとは言えないな。火と水の元素は限りなく純に近付く事が出来るが、風と土の元素は混ざり合うこそ本来の姿に近付いているということ。つまり火と水は不純物が少ないほど力が強大になり、風と土は不純物が多いほど力が強大になる」
「いきなりの講釈もありがてぇんだけどよ。それでゴーレムが出来て問題解決ってなら、もっと嬉しいんだが」
リットは一日中土で遊んでいたのではないかという疑いの目を向けた。
グリザベルはバレたと顔を背けたが、デルフィナはまっすぐにリットの目を見ていた。
「遊びではなく学びだ。赤子と同じ。知らない世界を知るには、遊ぶということが大事だということだ。だからこそ、すんなり事実を受け入れられる。そうは思わないか?」
「割と切羽詰まってる状況なんだよ」
「酒を飲む余裕があるなら大丈夫だ」
デルフィナは来いと指で招くと、リットを家の裏へと連れてきた。
そこにあるのは、風で乾燥させ固くなった土。火で焼き固める土。水で泥になった土だ。
「見てのとおりだ。土というのは、他の魔力元素を引き入れる力がある。つまりどんなものにも馴染むということ。だが、それは同時に土という力を弱めるということでもある。バランスが必要ということだ」
「そんな話はグリザベルに散々聞かされてる。魔法ってのはバランスが大事。制御が大事ってな」
「魔法ではない精霊の話だ。バランスが崩れた結果。干天という現象が起きたことを本当にわかっているのか? 我々がしようとしているのは、ゴーレムというガラス瓶の中に、液体という精霊を閉じ込めるようなものだ。瓶底が安定しなければ倒れてしまうし、いびつな形では許容量がわからない。穴が空いているなど論外だ。瓶口から適度に液体を流してやるということが大事だ」
「本人達は殴り合いをするつもりだぞ」
「させればいい。だが、割れる瓶で殴り合いをさせるわけにはいかない」
「まぁ、割れた瓶で喧嘩すりゃ怪我するからな」
リットが適当に茶化した言葉に、デルフィナはその通りだと意味ありげに笑った。
「浮遊大陸の土が必要だというのは、様々な土を混ぜるのに必要だからだ。様々な魔力が込められている浮遊大陸の土は、異なる性質を持つ土を混ぜて馴染ませるのに丁度いいものということだ。グリザベルに土遊びをさせたのも、それを肌で感じさせるためだ。元々魔力に造詣が深いからか、実に飲み込みが早い」
デルフィナの言葉を聞いて、グリザベルは得意気に胸を張った。黒いドレスが泥に汚れていることなど、全く気にしている様子はなかった。
リットは付き合っていられないと家の中に入ろうとしたが、ふとノーラとマーのことが気になって「そういや……火ってのはどうなんだ?」と聞いた。
「土は結びつくが、火は作用するだけだ。だが、四大元素の捉え方は一つではない。なにをするかによって効果は変わっていく。魔女学と精霊学で捉え方が違うようにな。心配事があるなら言うんだ。問題を後回しにしても、答えが出るのが遅くなるだけだぞ」
リットは確かにと頷いた。わからないことを自分で考え続けるよりも、すぐに答えを出せる者が目の前にいるなら利用しない手はないからだ。
ノーラとマーは水を重要視し、サラマンダーに焼き上げてもらうことでゴーレムを完成させるという話をした。
「サラマンダーとなにを話していたのかは知らねぇけどよ。大体のことは今話したとおりだ」
「なかなか面白いな。確かに……サラマンダーを入れるためのゴーレムならば、陶芸に似ているかも知れない」
「そんな単純なのか?」
「言葉にすればな。魔力と考えると自然界にあるものは限られている。だが、精霊の力と考えると、途端にそこら中に溢れ出す。水にこだわり、それを使った粘土を探すことはなにも間違っていない。魔女にしては柔軟な思考をしているな」
デルフィナはマーに感心したようだが、リットの考えは違った。
おそらくだが、そういった単純な考えを出したのはノーラだ。魔力のことなど知らないので、結果のことを考えずに思ったことを口に出すだけ。それを受け入れるマーは柔軟な思考をしているのか、考え足らずなだけなのかは微妙なところだった。
だが、デルフィナの好意的な言葉にリットはひとまずほっとした。あっちはあっちで正解へと進んでいるようだと。
「不公平だ……我の時とは違うではないか」
グリザベルはリットを睨んだ。自分の弟子のことなのに、なぜこっちには素直に教えないのかと。
「ゴーレムのことを聞いたなら答えたぞ。元気にしてるかなんて聞くからだろ」
「そんなことを聞いてはいないだろう。我はもちろんゴーレムのことを聞いたのだ」
「なら、今ので解決しただろ。向こうは向こうで上手くやってる」
グリザベルは「む……うーん……」と納得いかずに唸った。「お主の言うとおりだな……マーは上手くやっているか。フハハハ!」
急に笑い出すグリザベルをリットは不審に思っていた。
「なんだってんだよ……」
グリザベルはひとしきり笑うと「服を洗わなければ」とリットに背中を向けた。
グリザベルが着替えるために家に入るので、リットは仕方なくまだ外で時間を潰そうと寝転がったのだが、グリザベルはまったく歩こうとしない。
「靴の泥でも固まったのか?」
「いや、違う。あれだ……その……あれ……マーのことだ……。その……マーは元気にしておったか?」
グリザベルはもじもじとつま先で地面をほじくりながら聞いた。
「オマエらそっくりだな……。安心しろ。元気に人の金で飯を食って手紙を出してたぞ」
「そうか!」とグリザベルはパァッと顔を明るくした。マーが書いている手紙は自分の元へと届くと勝手に思っていたからだ。
リットはその勘違いを正すのもめんどくさいと黙っていた。
それから数日。ノームを入れるための土作りが始まった。
デルフィナが作る擬似的なノームの力というのは実に単純で、デルフィナが配合した特別な土の上にゴーレムの土を置いて一日待つ。
一晩ではなく丸一日だ。しっかり太陽と月の光を浴びせるのが大事であり、ゴーレムの土とノームの力の土が一体化していれば完成なのだが、持ち上げた時に少しでも分離したり欠けたりすれば合わない土だったということだ。
それは雨の日でも風の日でも、太陽が一度も陰ることがない日でも同じだ。ノームに合った土というのは天候に関係なく一体化するという。
今日もいくつかの土の配合をし終えて、待つだけの一日が始まった。
デルフィナは手を洗いながら、ふいに「向こうはどうしているんだ? 見習い魔女なんだろう? 擬似的なサラマンダーの力がなければ、試すことは出来ないぞ」とリットに聞いた。
「見習いにも満たないドワーフがどうにかするだろう」
「ドワーフ……。なるほど、『ヒノカミゴ』の力か」
「知ってんのか?」
「魔女とは唯一魔力を学問する者だぞ。知っていて当然だ。まぁ解明出来る力ではないがな。ドワーフに限らず、精霊体ではないのに精霊体のような力を持つ種族は他にもいる。人魚もそうだ。精霊体ではないが、マーメイド・ハープを使うことにより、まるでウンディーネのように水を造形することが出来る」
リットはなるほどと納得した。マーメイド・ハープは人魚の中でもマーメイドしかその力を発揮することが出来ない。似たような種族でもメロウでは、マーメイド・ハープを弾いても水を操ることは出来ないのだ。
「なるほどな……。魔法よりも、精霊の力に近いってことか」
「リットには本質を見抜く力があるようだな。精霊の力に近いから水を造形できる。ヒノカミゴの力で起こす火もだ。火というのは主に増幅と減少だ」
「精霊学的には火は放出って言わなかったか?」
デルフィナは「なるほど」と納得言った様子で頷いた。「粗暴な態度は、好奇心が旺盛なことの照れ隠しらしいな。人の話したことをよく覚えている」
「まだボケるような歳じゃないからな」
リットの受け流すような言葉に、デルフィナはまぁいいと肩をすくめた。
「ならば、考え方が多様と言ったのも覚えているだろう。放出というのは一面性に過ぎない。鍋の水を沸かすようなものだ。火を放出する。火の力が増幅すれば、鍋の水の減少は早くなる。そういうことだ。ヒノカミゴの力は火力を調整出来ることだろう?」
「そう言われりゃそうだな。今となっちゃの話だけどな」
リットは火力の調整が全く出来なかった頃のノーラを思い出して苦笑いを浮かべるが、デルフィナはそのことを知らないので首を傾げていた。
「そこでだ。リットには新たなお使いを頼もうと思う」
「……オレはアンタの使い魔か?」
「そうなってくれれば嬉しいものだ。あのグリフォン共々ここに残る気はないか? そうすれば、私は一生ここから動かなくてすむ。研究に没頭出来るというものだ」
「使い魔ってのは介護の仕事も含まれてんのか? で、なにを買ってくればいい」
リットはどうせここにいても暇だとお使いを引き受けることにしたのだが、これでは最初の時と同じだと今度は自分に苦笑いを浮かべた。
「買って来るのではなく、買って渡してきてくれ。東の国のミントと大陸のミントが浮遊大陸で自然交配したミントで、名を『ハッカ』という。漢方薬に魔女薬にも使われている数少ないハーブだ。ドゥルドゥで育てられているはずだ。それをドワーフに渡してくれ。後はゆっくり遊んでから帰ってくればいい」
デルフィナは意味深な言葉を残すと、グリザベルに精霊学の続きを教えるために呼びに言った。




