第八話 集中力が続かない時の逃げ方
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「そう、戦果よ。あ、予め言っておくけれど、嬉しすぎて腰を抜かしたり、驚きすぎて腰を抜かしたりなんてことは勘弁よ?」
「夏希先輩の中の俺は、どれだけ腰が弱い設定なんですか…………大丈夫です、話してください」
「ふふん! つい先ほど、我々人類は別の『スペース』を確保することに成功したのです!」
そんなしてやったりとニコニコされても反応に困る(いや、可愛すぎて絶世の美女と連呼したいくらいだが)。
スペースって確か……宇宙という意味だった気がするな。夏希先輩が言わんとしていることは『人類が属している宇宙の他に、別の宇宙の存在が観測されて、我々人類がそれを確保した』ということだろうか。まさか夏希先輩が観測したのか。
それにしても、夏希先輩は俺のことを奇異の目で見るが、この人も中々の唐変木だと思うのだが。
「つまりは…………多元宇宙論について、ですか?」
唐変木さんは訝しそうに俺を見て、
「は? なにを言っているの。違うわよ。きゅーたくんって、ろくに勉強していない癖に、そういう単語は知っているのね」
と言った。
ついでにため息も吐いた(おいおい、ため息吐きすぎだろう)。
知っていると言っても、ラジオかなにかで聞いたことがある程度だが。
「では、なんの話ですか」
「補習スペースの話よ。空間であり、場所のことよ。宇宙じゃないわ」
「ああ、そういう」
唐変木さんは額に手を当てた(そろそろ『唐変木さん』という呼び名は自重しよう。うっかり口に出しでもしたら、どうなることやら。想像するだけで総毛立つぞ)。
「きゅーたくん…………冗談でもなんでもなく、本当に理解していなかったのね。まあ、一応説明しておくと、教室はエアコンが設備されていないから今でも暑いし、これからもっと暑くなるから、エアコンがある場所を確保したの」
おお! 流石、気が利く。ついでに、俺が不知を露呈しても、表情や仕草に出さない気遣いまでしてくれたら、嫁に行くことも検討するのに……婿ではないのか。
「その心配り、尊敬しないとですね。ありがとうございました」
「よろしい!」
そう言った夏希先輩は、笑顔を見せ、歩き出した。
ハミングをして、ご機嫌な様子だ。俺もその後姿を追って歩き出した。
どうやら目的地は着いてからのお楽しみらしい。
ずばり目的地は特別棟四階の末端に位置する図書室だった。
冷房の効いた快適な空間で(贅沢だが、少し寒いと感じるくらいガンガン効いていた)、俺と夏希先輩は補習タイムを過ごしていた。
図書室であれば大層に『確保』という手段でなくとも使用できると思うのだが。しっかり者の夏希先輩のことだから、わざわざ教師側に確認するべきだと判断したのだろう(これを確認されても、よっぽどのことがない限り、首を縦に振るしかない気がするけれど)。
ともかく、この桃源郷で勉強できるのだから、他にはなにもいらない。強いて言うなら、紅茶とかクッキーとかがあれば完璧だな……強欲すぎるだろ俺。
この時間帯は校内、または校内付近にいると、運動部の声出し、吹奏楽部のパート練習の不規則的な音色などが織り交ざった『学校の音』が聞こえてくる。卒業して大人になれば、この音は思い入れのある音になるに違いない(俺はまず、卒業できないかもしれないが)。
今日も『学校の音』の一部である運動部の声出しは、放課後のグラウンドの方から聞こえてくる。飽きもせずに活力全開といった感じだ。
彼らの活力を浴びた場合、大抵の人はその熱量が伝染して、鼓舞されるような気持ちになってもおかしくはない。
俺に関しては、その活力を受け入れるだけのキャパシティは持ち合わせていない。ただ、頑張ること自体は嫌いではない。単純に自分のペースで頑張ることが好きなだけだ。仮に許容できるだけの器があったとしても『周りに当てられて』なんてことはないはずだ。
突如、運動部の声出しを上書きしてしまうほどの怒鳴り声が聞こえてきた。
なんと言ったのか、はっきり聞き取ることはできないが、おそらく激を飛ばしているのだろう。
丁度、金属バッド特有のキーンという高い打球音がした後だったから、その声の主は野球部である可能性が高い。
悠々自適に勉強ができる環境にある俺は、せめてなにか彼らにするべきか。しかし、大声を出して応援することは恥ずかしいし、なにより俺では役者が不足している。
俺ができることは、労いの一句を詠むことくらいなものだろう。
「汗滲むー、昨年よりもー、一つでもー。うん、これはいいな」
「冷房がガンガンに効いている図書室で怠けている人に、そんな一句を詠まれてもねえ」
眼前の夏希先輩が間髪入れずに咎めてきた。
「まあ、同意です。自分で言っていて、実に風情がないと思いましたよ。無礼だとも思いましたよ。実に怠慢で、傲慢だと思いましたよ。おまけに低レベルです。酷暑の中、ひたむきに一球一球を相手していく、そんな彼らを労いたかったんですが」
夏希先輩は眉をひそめて、
「酷暑というか、じめじめした暑さだと思うけれど。いずれにせよ実に空々しいわね」
と言った。
俺は故障したロボットみたく、繰り返し頷くことしかできない。
「きゅーたくん」
「無理ですよ」
「まだなにも言っていないのに」
夏希先輩の目尻が上がっている。
それは俺の生命が脅かされていることを暗に示していた(もう暴力は勘弁してくれませんかね)。
「集中しなさい」
これはまた、案外普通の注文だ(できるかどうかは別問題だが)。
「それは無理な注文ですね、無茶です」
夏希先輩は俺の返事に再び眉をひそめて、
「ダーメ!」
とお得意の一言で応戦してきた。
こうなったらその常套句を無視して、関係ない話に持ち込んでやる。
「夏希先輩は無茶の語源を知っていますか?」
Twitter:@shion_mizumoto
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