第六話 ポニーテールを結んだ女性のシルエット、その正体は――?
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覚醒。
暗い。
ここはどこだ。
まず、目についたのは『ジプトーンの天井』だった。
こんな暗がりの中、学校の保健室で寝ているなんてことはないだろうし、そうするとここは…………病室か?
うっ。全身が痺れるように痛い。
そうか、俺はあの少女に襲われて。
全身に響き渡るこの痛みが、如実に教えてくれた。あれは紛れもなく、全て現実の出来事だったのだ。受け入れ難い、呑み込み難い、消化し難い、そんな非現実的な現実が、あの空間において存在したのだ。
俺の予想では………………いや、俺は『少女は人間ではない』と確信した。明確に、確実に、人間ではなかった。
少女について気になったことがあった。断片的な記憶ではあるが、少女が突然吹き飛ばされ、俺と同じようにして地面に突っ伏していた時、異彩を放つ『青紫色の肌』が見えた。あれは一体なんだったのだろうか。
ところで、あれからどれくらい経ったのだろうか。窓の方を見やると、薄暗さが、静寂が、零れた月明かりが、あれから夜になったことを知らせてくれる、知らしめてくれる。この一室の暗さは、人工的な暗さではなく、自然的な暗さだった。
俺は掴めもしない月明かりを掴もうと、左手を動かすが、虚しくも空を切った。
右手も動かそうとすると、ある違和感に気が付いた。見ると、そこには夏希先輩がいて、俺の右手を握ったまま眠っている(その流れで部屋のレイアウトが見たが……やはりここは病室だ)。
俺があの空間で最後に捉えたもの。それはポニーテールを結んだ女性のシルエットだったはずだ。そして、その女性の声には聞き覚えがあった。今になって整理してみたら、自ずとある人物が浮かび上がってきた。
舞原夏希。
おそらく…………気を失う直前に見たポニーテールを結んだ女性は夏希先輩で、ありがたいことに、この病院まで運んできてくれたのではないだろうか(実際は、救急車で搬送されたのかもしれないが、それはどちらでもいいことだ)。
もし俺が今、通常の心理状態であれば、心が温まる話で終わっていたのかもしれない。美談ではないにせよ、後日談くらいには使える。
しかし、今は通常の心理状態ではない。残念ながら、俺はこれを笑って話すような技量を持ち合わせていない。
思い出そうとしているうちに、一つ腑に落ちないことが浮かんできた。
それは『あの少女を吹き飛ばしたのは、夏希先輩ではないのか』ということだ。
救急車を呼んでくれた人物が夏希先輩であれば、助けてくれたのもまた、夏希先輩ではないだろうか。
俺は少しの間、目を瞑り、常識という物差しを用いて考えてみた。
やはり夏希先輩……いやしかし、それはないだろう。
確かに育つところは育っている人だし、暴力的な一面も兼ねているが、それでも運動もしていない俺よりも華奢だと言えるだろう。
夏希先輩ではない。それなら、一体誰が。
あの奇妙で、不気味で、奇々怪々な状況から誰が救い出してくれたのか。誰が助太刀してくれたのか。
「……ん…………きゅーたくん?」
「あ、夏希先輩。起こしちゃいましたか」
夏希先輩は右手で目を擦りながら、
「あ」
と呟いた。
素のリアクションに、ときめきそうになった。
この感じを見る限り、普段の性格は絶対に作られたものだろう(言ったら膝蹴りで昇天させられるから、ここは黙っておくが)。
「どうかしました?」
訊くと、夏希先輩は慌てた様子で、左手を俺の右手から離した。
「あはは、これはなんでもないからね。別に心配してとかではなくて……きゅーたくんの右手が寒そうだったから、温めてあげていたのよ」
どんな理由だよ。あなたは秀吉ですか。手で温めてくれるのもいいんだけれど、どうせ温めるならもっとなにか他の場所があるでしょう、ほら、男心を擽るような『他のなにか』が。
「んっ!」
夏希先輩は両腕を上げて、伸びをした(言うまでもないが『他のなにか』が強調されていた)。
伸びをした流れで、顔をパンパンと二回叩いて、
「もう痛くないの?」
と一言。
思わず感心してしまうくらい、迅速な切り替えだ。これができる男というやつか…………女性ですけれども。
「ええ、全く痛くないです」
「見え透いた嘘ね。下手すぎよ、下手すぎて呆れを通り越して呆れるわ」
バレてるよ。というか、呆れを通り越して呆れるっておかしくない? 酷くない?
「すみません、物凄く痛いです」
「なにそれ。それはそれで正直すぎ」
一つ間が空いて、互いに笑いがこみ上げてきた。
「あ」
またそう呟くと、今度は床に置かれた鞄から花柄の手鏡を取り出し、髪のチェックを始めた。ついでに不満を漏らした。
「ちょっと暗くてよく見えないわね」
当たり前だ。
「あの、一つ訊きたいんですが」
「んー、なに」
夏希先輩は鏡の向こうの虚像を見つめながら返答した。
このお方、人と話をする時は『部屋を明るくして、テレビから離れて観る』という鉄の掟を知らないのだろうか。いやそれは、テレビを観る時のルールだったか。
まあ、釈迦に説法だからスルーしておく。
「あの時、俺を助けてくれたのは、もしかして夏希先輩ですか?」
問うと、夏希先輩は一切声色を変えず、
「そうよ。きゅーたくんが倒れているのを下校中に偶然発見して、慌てて救急車を呼んだのよ。もう大変だったんだから」
と言った。
「ご迷惑をおかけしました。いやはや、夏希先輩のおかげで九死に一生を終えましたよ」
「一生は終えちゃダメじゃない。正しくは『九死に一生を得ました』でしょう」
また、一つ笑いが起こった。だが、俺はすぐに笑えなくなった。気付いてしまったのだ、夏希先輩が嘘を吐いていることに。
月明かりが、夏希先輩の顔を朧気に映し出した。その儚げな表情に、俺は息を呑んだ。
ふと、鼻孔をくすぐられる。
ペトリコール。
今日も雨は止まなかった。
Twitter:@shion_mizumoto
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