ヘカトンケイルの正体
「おい、どういうことだ。俺はヘカトンケイルを買ったはずだぞ!!」
「ええ。これが巨神ヘカトンケイルでございます」
「ふざけるな!! こんな小娘が!! ヘカトンケイルなわけないだろうが!!」
「いいえ、ウツロウ様。こちらがヘカトンケイルでございます」
木彫りの面の男ウツロウが道化師の男に詰め寄る。商品引き渡しの際に現われたヘカトンケイルがただの人間の少女にしか見えなかった為である。風変わりなところと言えば黒に見えるほどに深い緑色の髪が腰まであることくらいである。それ以外は、なんの変哲もない、ヘカトンケイルであるとは到底信じられない代物であった。
「こちらが証拠でして」
「ああ!? 何が証拠だ?」
道化師の男が取り出したのは1枚の紙、それは生まれ落ちた時に神殿より賜る身分証明の証書であった。これを偽ることは基本的にはできないため絶対的な証拠となる。
「ここに、確かにヘカトンケイルと書かれておりますでしょう」
「う、嘘だ!! こんなものは偽造だ!!」
「その発言は神殿を敵に回すと分かっていますかな?」
「ぐ……!!」
神殿から発行されたものを偽物だと断じることはそのまま神殿を批判することになり、それは反旗を翻す意思ありとされ異端審問によって処刑になることと同義であった。
「では、愚者のサイコロ。確かにいただきました、今からこのヘカトンケイルはウツロウ様のものです。それでは、一生に一度のお買いあげ誠にありがとうございました」
「待て!!」
ウツロウが叫んだ時には既に遅かった、転移の術式によってウツロウの身体は街の入り口へと移動させられてしまっていた。その背後にはヘカトンケイルの少女が立っている。
「ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「!?」
ウツロウの雄叫びが響く、それに応える者などいなかったが。
「終わりだ……何もかも……遺産も約束もなにもかも」
膝から崩れ落ちるウツロウ、もう何もウツロウには残されていなかった。唯一の資産であった愚者のサイコロも対価として渡してしまったのだから。
「……」
「なんだ……慰めてくれるってのか?」
たった今己を買った男が慟哭するのを目の当たりにしたヘカトンケイルの少女は狼狽えながらもその背をゆっくりとさすっていた。
「お前は何も悪くない、お前は……そう産まれただけだもんな。俺はここまでだが、お前はこれから何にでもなれるさ」
そう言ってウツロウが手元にある奴隷契約を破り捨てた。
「!?」
「驚いたか? 良いんだ、俺はもう終わる。お前を縛ることなんてできない、いきなり放り出しちまう事になって悪いが俺は行く場所がある。お前は、この鈴が導く場所に行くと良い。そこなら面倒を見てくれるさ」
ウツロウが懐から取り出した鈴はかつて己がいた孤児院へと導くためのものだった。
「……!?」
「じゃあな、俺の分までとは言わないが。幸せになれよ、えっと確か名前は……ないのか、それじゃあ俺からやる最後のものとして名前を送ろう。お前はクチナシだ、これからはそう名乗れ」
一方的に言うとウツロウはよろよろと立ち上がる、そして一度だけクチナシの頭を撫でるとその場を後にした。
「く、ち、なし」
クチナシはしばらくその場で固まっていたが、やがてとぼとぼ歩き始めた。その方向はウツロウが行った方である。
「っ!?」
クチナシがウツロウを見つけたのは崖であった、切り立った崖の下は海でありそこから落ちたのなら死は免れないだろう。
「なんだ、ついて来ちまったのか? あまり見てて気持ちの良いものじゃないぞ」
「くち、なし」
「嫌な思いさせてごめんなクチナシ」
「あ……!?」
酷く優しい笑顔を浮かべたウツロウはそのまま崖の先へと消えた。慌てて崖の方へと走り出すクチナシ、崖下をのぞき込むがウツロウの死体はなかった。クチナシの脳裏には産まれて初めて撫でられたこと、名前を貰ったことだけがずっと回っていた。それをくれた人とはもう二度と会えないだろうことも理解していた。
「……」
クチナシは日が沈むまでその場所で立ち尽くしていた。
「?」
日が沈むと手の中にあった鈴が勝手に鳴り始める、怪訝に思ったクチナシが鈴を見つめていると何者かが近寄って来ていた。その者はクチナシの手にある鈴と同じものを慣らしている。
「そう……あなたが。来なさい、行くところもないのでしょう?」
「……」
修道服を着た老女に連れられてクチナシは歩く、どうして良いかも分からず、何をしたいかも知らなかったからだ。
「ここが、あなたの新しい家よ」
神殿が運営する孤児院の扉の前で老女は立ち止まる。
「開けなさい、あなたが自分で開けることに意味があるの」
言われるがままにクチナシは扉を開ける。
「よう、遅かったな?」
「!?」
そこには死んだはずのウツロウが失ったはずの愚者のサイコロを持って立っていた。
「改めて自己紹介をしようか、俺はウツロウ。ペテン師だ」