競売【底】
「ようこそお集まりの皆々様。ここにおいでになっているということはもちろん御存知であると思われますが、これもルールですので退屈な説明にお付き合いいただければと思います」
道化師のような格好をした恰幅の良い男が舞台の上で声を張り上げる、その背後には檻と首輪と契約書。世界で最も深い位置にある奴隷マーケットが今日も取引を始める。
「まず1つ目、奴隷の代金は絶対にこの場で支払っていただきます、守れない者がどうなるかは言わずとも明白ですね?」
男がちらりと視線を送った先には晒された首のなれの果てである頭蓋骨が積み重なっていた。
「そして2つ目、奴隷の返品は受け付けません。わたくし共は可能な限りの情報を既に皆様にお届けしております。全てを納得した上でお買い上げください」
男の手に剣が現われる。
「それを理解いただけなければ、お分かりですね?」
空を切る剣、怪しく光る刀身は人間の首など空を切るように無抵抗に斬り飛ばすだろう。
「最後に、ここでお買い上げいただけるのは1度のみ。わたくし共もまことに心苦しいのですが、これがここのルールですのでご了承いただきますよう」
一生のうちで一回だけ奴隷を買うことのできる場所。それが【底】と呼ばれるマーケットだった。なぜこのようなルールがあるのかを知るものは居らず、ただルールを守れぬ者が死んでいくことは確かだった。そして、一生に一度と言われるのも納得できるくらいに希少なモノが扱われる場所であることもまた確かであった。
「さて、説明も終わりましたので競売に移るといたしましょう。普段であれば、ここに奴隷を並べて品定めと行くところなのですが……」
男がわざとらしく溜めをつくる。
「今日の商品がそのような紹介ができぬことはお分かりいただけていると思います。今日は皆様に伝説をお届けすることができてわたくし共は大変幸福でございます。御存知でしょうが、今一度高らかに宣言させていただきます。今日あなた様方が手に入れる可能性があるのは、腕の一振りで山を崩き瞬きほどの思案で理を読み解くと言われた神の一柱」
男は興奮が頂点に達したように拳を突き上げる。
「五十の頭と百の腕を持つ巨神ヘカトンケイルの末裔でございます!!!!」
会場は熱狂に包まれた、神を手中に収めるという偉業を賤しき人の身で成し遂げるのは人間の狂喜をいとも容易く引き出した。
「ああ……ようやくだ」
誰も彼もが華美な仮面で顔を隠す中にあって、一人だけ簡素な木彫りの面を被る者がいた。ローブに身を包んでいることから細かな情報を読み取ることは出来ないがやけに右側だけローブが余っているように見受けられる。
「ヘカトンケイルの頭脳さえあれば、俺はたどり着ける……」
「あまり焦らすといけませんね、それでは始めましょう」
飛び交うハンドサインと怒号、熱狂はそのままに価格は天上へと昇りゆく。
「読み上げる間もありませんな、さもありなん。神を従えるとなればこうなるのは必定でしょう。ただいまの価格は当初の万倍を優に越えております。さぁどうです、ヘカトンケイルはもうすぐあなた方の手の内でございます!!」
満面の笑みを浮かべる男に向かって何かが飛来する。
「これは……?」
想定外の事態に会場が一気に静寂に包まれる、競売以外の行為はそのまま処刑につながりかねない空間にあって司会にものを投げるなどとは正気の沙汰ではない。
「悪いな、ヘカトンケイルは俺が貰う」
「お客様、これはなんの真似でしょうか」
「俺はそれを代価にする。この中でそれ以上の価値があるものを差し出せる奴はいないはずだ」
いきなり舞台に上がってそう宣言した木彫りの面の男の首にはすでに剣があった。
「これは、重大なマナー違反ですお客様。今首がつながっているのは遺言を聞くためですが、何か言い残すことはございますか?」
「確認してみろ、それは愚者のサイコロだぞ」
「何を馬鹿な、アルカナの遺産がこのような……場所に……」
握り混んでいた拳を開き、掴んでいた二つのサイコロを見た瞬間に道化師の男の顔が驚愕に染まる。黄金と白銀のサイコロが一つずつ。しかしその目は常に変動し一定の目になることはない。アルカナの遺産と呼ばれる伝説にある通りであった。
「本物……!?」
「そうだ、右腕と左目その他細々と持っていかれたけどな」
「……これに値はつけられません」
「だろうな。これを越える金はあるか?」
「ない、でしょうな」
「じゃあ決まりだ」
木彫りの面の男が振り向いて面を外す。空洞の左目と肩の辺りから消滅した右腕が露わになった。
「文句はないな? 俺の他にアルカナの遺産をもってきているのなら話は別だが」
静まりかえった会場から反論は飛んでこなかった、アルカナの遺産をひっくり返すようなものなど同じ遺産でしか不可能であった。
「ここに競売の終了を宣言いたします!!!!!」
木彫りの面の男は全身を貫く喜びをただ噛みしめていた。