ホーム
「やってしまった」
最終電車の光が遠くに見える駅のホームで男は些か呑み過ぎてしまったと後悔する。呑みの席が楽しくて、毎回終電ギリギリまで呑んでしまう。
終電を逃したのだって一度や二度じゃない。都内からの最終電車は遅くとも1時近くまで走っている、それなのにだ、また今日もあと一歩のところで電車のドアが閉まり乗ることができなかった。
仕方ないと諦める。こういう時、冬なら近くのカラオケか漫画喫茶に行くが、今は夏だ。
飲み会で使ってしまった分を取り戻すという意味でも、駅の近くで夜を明かして、始発に乗って帰ればいい。
そう思い、改札へ向かって歩き出す。
この前は駅の外に行くのに駅員が誘導してくれたのだが、今日は違うのか?
ホームと駅構内の電気は煌々とついているのに男以外の誰もいない事に気付いた。
すると何処からともなく「ガラガラガラ…」と車輪が回るような小さな音が聞こえてきた。
キャリーケースの車輪のようなその音は構内の奥からこちらに向かって来ているようだった。
出張帰りか旅行者が自分と同じように終電に間に合わず駅から締め出されるのだろう、なんと不憫なことだと男は音のなる方は視線をやる。
「ん?」
ガラガラガラと車輪の音が近くにつれ、蛍光灯の光が奥からこちらに向かって消えていくのが分かった。
「なんだ、まだ客がいるのに電気を消し始めて…気付いていないのか?」
不思議に思いながら眺めていると
ガラガラ…ガラガラガラ…
と車輪の速度も早まっている。
あんな風に電気を消されたのでは焦るのも無理はない、自分もいるのだから大丈夫だと安心させてやろうと思ったが、歩いてくる人影に違和感を感じた。
走りながらキャリーケースを引きずっているのだろうと思っていたが、何か妙だ。
人影はよく見ると白い服を纏っているのだと分かったが、キャリーケースは引いていない。
代わりに何かを押している…あれはなんだ?
あれは…
「ストレッチャー…?」
どんどん近づいてくる形の正体がハッキリとわかった。わかった瞬間男の背中に冷たいものが一筋流れた。
ガラガラガラガラ…
大きな音を響かせながらストレッチャーを押す人物はどんどん…どんどん男に近づいてる。
ストレッチャーの上に横たわっているモノ、あれは…人ではないか!!
瞬間、男は来た道を戻るように走った。
なんだ!なんだあれは!ここは駅で病院ではない、それなのに、なんで!
ガラガラガラガラガラガラガラ
ストレッチャーを押すあの音が構内に響き渡る。
どこかに隠れなければ…!
アレが生きているのか死んでいるのか分からない、分からないがアレに捕まってしまえば無事ではないという事だけはわかる。
駅のホーム、駅員も客も人影はどこにもない。隠れるところなんて、こんな見通しの良いホームのどこにあるというのだ。
けれどガラガラという音は確実にホームに向かってきている。
どこか!どこかないか!
男はがむしゃらに当たりを見廻し身を隠す場所を探した。
ホームに設置されている椅子の近くの自販機に目がいく。
隠れるのは無理でもあのストレッチャーを押してここには登れまい、椅子を伝い、自販機の上によじ登る。
その間もガラガラガラと音はどんどん大きくなり、ホームに響いている。
早く!早く!
気持ちが焦るほどに足下が滑り、手に力が上手く入らない。
ガラガラガラ…
音が止む。同時に男は自販機の上にどうにか登ることができた。
息を殺してじっと身を潜める。
あの白い影はどこだ、下にホームの先にも奥にも見えない。
通り過ぎた感覚は全くない。
自分の息遣いと心臓の音がやけに耳に大きく聞こえた。
ギィ…
心臓が止まるかと思うほど大きく脈打つ。男は目をギュッと瞑り震えた。
タイヤの軋むような音は直ぐ真下、男の乗っている自販機のすぐ側で鳴った。
恐ろしいまでの静寂の中、タイヤの軋む音が聞こえる。
ギィ…ギィ…
恐ろしくて、恐ろしくて、男はいても立って居られなくなり、よせば良いものをチラリと薄めを開けてしまった。
そこには、鼻から上の顔が自販機の上部を覗くようにじっと凝視してこちらを見つめて居た。