おじさん、割り切る。
銀貨1枚分で購入したエール酒の小樽を脇に抱えて宿に戻る。
結局今夜は宿で夕飯を済ませる事にした。
辺境の都市と言っても、ここバルモアは大陸西側でも一番大きな都市であり、夜の帳であっても歓楽街の方では煌々と明かりが漏れている。酒や食事を楽しむ者もいれば、女を楽しむ連中だっている。その多くは根無し草で生活をしている冒険者達だ。
命を秤にかけて報酬を得る。そして、手にした報奨金を一晩で使い切る奴もいれば、先々の事を考え蓄える奴もいる。商売を営む者からすれば、思いきり良く散財してくれる冒険者は有難い存在だろう。逆に俺の様に、浪費も倹約もそこそこの人間は、実に旨味に欠ける存在だろう。
(ま、分相応に慎ましく生きるには問題ないってね…)
そんな事を思いながら、更に宿に向けて歩を進める。
次第に擦れ違う人も、建物から照らし出される灯りも乏しくなってきた。
(まぁこんなとこか)
「もういいんじゃない?出てきなさいよ」
足を止め、周囲に誰もいなくなった所で夜の闇に向かって声を発する。直ぐ様に闇の中からゆらりと人影が現れた。息を殺して、こちらの気配も伺っていたのだろうが、これだけ露骨に殺気を出され続けていたら、犬猫だって普通に気付く。影の中から現れたのは、つい先ほどギルド内でやりあったガルダックだった。
「やれやれ…。お前さんもしつこいねぇ」
ガルダックに向かって呆れた口調で話す。
「うるせぇ!お前ぇのおかげでここらで稼ぐ事も出来なくなった!手下共もあっさりと縁を切りやがった!何よりも俺様をコケにした奴を生かしておけねぇ!」
既に抜いている剣を構えている。どうやら問答の是非もなさそうだ。
「お前の噂は聞いた。万年シングルスター!採集ばかりの腑抜けた冒険者さんよぉ!!スライム相手にどんな武器を使っても、何度も攻撃してやっと倒せるくらいに哀れな最弱者だとな!」
「あらま、ご正解」
「ふざけやがって…!今度は手加減も油断もしねぇ…。ここはギルドの外だ。明日の朝に死体が一つ発見されて終いだっ!」
言葉通り、今度は脇を絞めて無難に剣技を繰り出すガルダック。太刀筋も先ほどと打って変わって悪くはない。それでも単調に見える剣筋は、見切るには容易く、その隙も突きやすかった。
ぽこん。
ひのきの棒で小突かれた音が短く聞こえる。
「ッチ!またその子供騙しか!!」
両手で剣を構えて左から右へと横薙ぎの一閃を繰り出す。
そんな大振りではかすりもせず、余裕をもって躱す。
「あー…ガルダック。お前さんスライムは何回攻撃したら倒せる?」
「あ?何を言ってる。あんな雑魚モンスター、一撃だろ!」
息を切らし、肩で呼吸しながら体制を整えている。
「そうだろうね、そしておじさんなら8回攻撃したら倒す事が出来る」
「だからそれがどうした!!最弱のシングルがぁ!!」
上段からに袈裟切り、返す刃で今度は逆袈裟。剣は切っ先ほどもかする事もなく、空しく闇を切り裂いてはその風切り音だけを残していく。
「はぁっはぁっはぁ…当たらねぇ!」
「当たると痛いからねぇ」
「くそっ!どこまでもなめやがってっ!!」
「もうここいらでお開きにしないかい?ガルダック?お前さんにも夢や野心もあるだろうに。おじさんも早く休みたいし、無駄に体力を使いたくないんだよ」
脇に抱えたエール酒の小樽を大事そうに見つめる。
「上からの物言いが気に食わねぇ!もう引けねぇ!終われねぇ!俺は、俺様はガルダックだぁぁ!!」
怒りと殺意を含んだ気迫をぶつけてくる。
冒険者ってのは面倒な生き物だ。
たまに命を秤にかけるのではなく、己の自尊心をかけて殺し合いまで問答無用でしようとする。
「そうかいそうかい…。それじゃあ交渉決裂だ。こんな稼業で生きているんだ。お互い恨みっこなしって事で」
腹の足しにもならない覚悟を決めて、俺もひのきの棒を再び構える。
『可視化』
また右目を閉じて、言葉を紡ぐ。
『ノコリ4』
俺にしか見えない数値がガルダックの頭上に現れる。
その言葉にガルダックもまたも一瞬身構えるものの、ギルドでの一戦同様に、自分に何も影響がない事に気付くとがむしゃらに剣を振り下ろし襲い掛かってくる。
「死ね!死ね!死ねっーー!!」
戦い始めよりも大振りな攻撃は当たるはずもなく、躱され、ただ疲労しただけのガルダックが先ほどよりも激しく肩で息をしている。
「お前さんに冥土の土産に少し話をしてやろう。あぁ、と言っても『冥土』なんてわからないよな。まぁとりあえず聞いて逝くがいいさ」
「この世の中ってな、目には見えない命の数値ってもんが存在していてね」
「ぜぇ…はぁ…一体なんの話を…」
「お前さんや並みの冒険者達はスライムくらい苦もなく一撃で倒せるだろう。しかし俺はどんな武器を使っても8回程攻撃を繰り返さないと倒す事は出来ない」
「…」
呼吸を整え、回復しているのだろうか。素直にガルダックはこちらの話に耳を傾ける。
「まぁそんな人間はどこにもいる筈がない。良い武器を使えばそれに見合った威力が必ず出るもんさ。でもね?俺には出ない。『何を装備しても何を使ってもダメージは1しか通らない』と言う呪いの様なものをこの身に宿しているからなんだよね」
「…?ダメージ?…1?」
「よくわからないだろう。俺が何を言っているのかも、そしてこれからお前さんがどうなるのかも…。さぁ、かかって来なさい。お前さんの冒険は今ここで終わる」
ガルダックは言い様の無い焦燥を感じていた。物心がついた時から、その恵まれた体躯を活かし荒事を重ねていった。俺を馬鹿だと吹聴していた連中は皆暴力で屈服させるか、剣のたったひと振りで絶命し、物言わぬ骸に落ちた。そうだ、そうなのだ。この世の全ては力で解決出来た。冒険者として好きな様に剣を振るえば金も入ってきた。シングルスターからダブルスターへと昇格し、自分の選択は間違いではなかったと気づいた。力が全て、力こそが正義なのだと。
そう、正義だ。だから俺は決して間違ってなんかねぇ。そんな事は俺のプライドが許す筈もない。こんな冴えないシングルの中年に、コケにされたままで終われるはずなんてねぇ!!なのに、なのになんで…。
「こんなにも身体が冷たく汗が止まらねぇんだ!くそがぁぁぁ!!」
溢れる不安を払拭し、一度も剣が届かない相手目掛けて何度も何度も剣を振るう。そう、何度も何度も。一撃だ、一撃でいい。当たればこんな奴の胴体なんて真っ二つだっ!
「さーん…にー…いーち…」
「だから!そんな痛くも痒くもねぇ攻撃が何をっ…」
「…ゼロ」
トン。
ガルダックが繰り出す攻撃を躱し、1回、2回、3回と攻撃を的確に体に当てていく。そして最後の時がやって来た。『生命の終わり』とも呼べるその時が。全力で振りかぶる訳でもなく、全力で突きを繰り出す訳でもなく、今までそうしてきた様にひのきの棒を胸の辺りに押し当てた。
「ッ!?………」
その瞬間、ガルダックの身体からは力抜け、怒りと殺気に満ちていた両目の光が失われ、夜の静寂の中で突っ伏す。さっきまで勢い良く上下していた息遣いも感じる事もなく、ただ倒れている。手に持っていたひのきの棒を腰に差し、パンパンと裾払いをし、土埃を落とす。
「お前さんには高い授業料だったかもなぁ。お前さんの命の数値は120。大部分はハングマンからのダメージが原因だが、回復もせずに闇討ちなんてするからあっさりと人生の幕を閉じる事になる。まぁ今日得た経験は、次もまた人に生まれ変わる事が活かせば良いさ」
冒険者は命を秤にかけて糧を得る。
己が名誉、富、武勇、理由なんてあり過ぎてきりがない。あっさり死ぬ奴もいれば、しぶとく生き続ける奴もいる。どっちが良いか悪いかではなくて、結果的に結末を迎えるんだろう。えらくドライな考え方に見えるって?そりゃあ俺だって人殺しなんて積極的になんてやりたくない。ただ必要に応じてせざるを得ないだけさ。俺がどんな結末を迎えるとしても、まぁ俺はそこそこ穏やかに過ごして、そこそこ刺激的に過ごせれる様に、なけなしの努力をするだけだ。
後は街の住人か衛士辺りが見つけて処理をしてくれるだろう。全くもって有意義ではない戦いだったが、これもまた世の常と言うものか。
深く呼吸をし、嘆息をつく。
「さてさて、宿に戻りましょうかね」
その男の足取りはいつもと変わらず、きっと明日も変わらぬ日常を繰り返すのだろう。自分に見合った適当な依頼を受けて、依頼に見合う報酬を得て、そこそこの日々を過ごすのだ。
男の名は『イチ』
シングルスターの『イチ』であり、何を装備しても必ず攻撃が『イチ』しか通らない呪いの様な才能と、誰もを凌駕する速さを合わせ持つ男。
そして、数値化出来る対象ならば何者であろうと、確実に命を終わらせる事が出来る男のそんなお話の始まり。