おじさん、理不尽を味わう。
それもそのはず、バルモアギルドを統括する責任者、ギルド長『ハングマン』が現れたからだ。
無論そう呼ばれているだけでその実名は知らない。それに知ってもいてもあまり意味も成さないだろう。
この世界の単位で身の丈250NNの半獣人の大男。やや赤みがかった渦巻く髪は、さながら炎獣の様であり、それでいて小綺麗に着こなしている紳士服とのアンバランスさはギルド内でも噂になっているのだが、隠し切れない鍛え上げられた大胸筋が自己主張しようと、呼吸をする度に着ているシャツのボタンを今にも弾き飛ばしそうとしている。
「馬鹿共が!ギルド内でのもめ事は禁止されている事もわからんのかぁ!!」
またビリビリと威圧を発する。こんなもん普通の人間が受けたら気を失うだろう。チラリと横目で視線を泳がすと、ガルダックは目を見開き若干震えているし、取り巻き連中は腰を抜かしている。ギルド職員は背筋を伸ばして微動だにしていないし、アリエッタ嬢に至ってはまた深くため息をついて、面倒そうな顔を隠そうともしないで聞き入っている。
凄いね、この子。
「では沙汰を言い渡す」
そう言ってこちらに向かって近づいてくる。デカ過ぎるだろこのおっさん。
「イチ」
「はいよ」
気付いたら壁の端まで吹っ飛ばされていた。
「かはっ!」
乾いた空気が口から洩れた。
「お前が馬鹿な事をする様な人間じゃないと俺は知っている。大方受付を助ける為にお節介でも焼いたのだろう」
「おま…だったらなんで…」
「なので!腹パン一発の刑で不問とする!」
「アホか…横暴過ぎんだろ…」
今にも消えそうな意識を繋ぎ留め、ハングマンを恨めしそうな目で見る。そんな俺の視線も意に介さず次はガルダックの方へ近づく。
「次は貴様だ、ガルダック。お前はこの街に来て日も浅いと言う。ならばとく知っておけギルドで問題を起こせばハングマンがやって来る事を」
そう言ってガルダックの頭を掴み、遠慮なしに持ち上げた。
ガルダック自体俺よりも体格も良く、身長もあるのに、易々と片手だけで持ち上げその手に力を込めて握りだす。
「あっ!?ぎゃぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁっぁ!!」
うーわ、久しぶりに見たわ。
『ハングマン』と呼ばれる慈悲なき吊るし上げ。
人だろうが魔物だろうが魔族だろうが、その手で握り潰してきたバルモア最強の男ハングマン。
「ひ、ひくわー…」
流石にガルダックに少しばかりの同情をすると共に、繋ぎ留めていた意識を放棄する事にしたのだった。
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次に目を覚ました時には、見慣れない天井が視界に入ってきた。
反射的に体を起こそうとするが、腹に鈍い痛みが入ってきて、先ほどのもめ事を嫌でも思い出した。
「あのオヤジ理不尽過ぎるだろーー!」
理不尽な仕打ちに怒りに任せてベッドから起き上がる。痛みはまだ残っているが、普通に動ける事実に、ハングマンが本気を出していなかった事が窺える。あれが本気で腹パンしてきたら、今の俺なら確実に体に綺麗な穴があくだろう。
そんな恐ろしい事を想像しつつ、とりあえず部屋から出ようとベッドから起き上がった時、扉からコンコンとノックをする音が聞こえ、返事を返した。
「どうぞ」
「お邪魔します…。あの、イチさん大丈夫ですか?」
心配そうな面立ちで現れたのはアリエッタ嬢だった。
「あぁ、ぶっちゃけめっちゃ痛いし、いつかあのオッサンを倒してやろうと考えていたところだ」
そんな俺の言葉に口を緩ませてくすくすと笑いだす。
アリエッタ嬢は近くにあった椅子に座り、その後の事を話してくれた。
「イチさんったら。でも本当に今日はありがとうございました。ここはギルドの別室なんですが、あれから1時間程経っていて、まだ職員の皆さんも片付けに追われています」
「そうか、あいつらは?」
「あの人達なら今回の騒動の中心人物として、今後はバルモア周辺の町や村でのクエスト受注の権利を剥奪の上で追放処分となりました」
「ふ~ん、そうなの」
「そうなのって、あまり興味なさそうですね」
味気ない空返事が気になったのだろうか、アリエッタ嬢からそんな事を言われた。
「うん、おじさんあいつらに全然興味ないし」
「イチさんらしいと言うかなんと言うか…。イチさん普段もめ事があっても気にせず去るタイプの人でしょう?どうして今回はそんなお節介を…その…焼いてくれたと言うか…私の為だったり…とか」
最後の方は尻すぼみになってあまり聞き取れなかったが、なんの為と言われたらシンプルな回答は用意している。
「おじさん、銀貨1枚分のお節介をしただけさ」
「え?えっ?」
驚いた様な、戸惑った様な様子でアリエッタ嬢の口から洩れる。
「今回おじさんの報酬に銀貨1枚上乗せしてくれたろ?だからその銀貨1枚分のお節介を勝手にしただけさ。まぁ、ハングマンのおっさんの件で金貨1枚でも割に合わないお節介になったけどな」
「あは、あははははー…」
乾いた笑いが腹に染みる。
ともあれ、気を失ってから1時間程ならそこまで日も暮れていないだろう。
さっさとギルドから宿に戻る事にしよう。
「それじゃ、アリエッタ嬢。おじさんこれから宿に戻る事にするんで、ここでさよならだ」
部屋に掛けられていた自分の外套に気付き、身に着ける。
「あ、私も出入り口までお見送りします」
そう言って、アリエッタ嬢先導のもと、一緒にギルドの出口まで向かった。歩いてすぐにいつもの見慣れたギルドのカウンター周辺の惨状が目に入って来たが、随分と片付けられている様だった。慌ただしく作業している職員に交じって、ハングマン自身も片付けに精を出していた。こちらの姿を見て、手を止めてやって来た。
「おう、イチ。目が覚めたか」
「おっさん、他に先に言う事あるだろ?」
「がーはっはっは!よく耐えたな!」
「思っていた回答と違うわ!この脳筋オヤジめ!」
「まぁそう言うな、イチなら大丈夫とわかった上でやったんだ。それに本気のお前ならあんなのいつでも避けれただろ?」
大男が口元をニヤリと歪ませる。ギルド長とかではなくて、もっとやばい組織のボスか何かしてる方がよっぽどしっくりと来る様な笑顔だった。
「お前今失礼な事考えてたろ?」
半分とは言え野生の感が鋭いにも程がある。
「してねーよ。それに今の俺のなら本気を出して躱せるかどうかは、やってみないとわからんさ」
「そうか?まぁお前は純粋な人族で、普通のおっさんで独身の冒険者だしな!」
「おいコラ大男!お前さんは失礼な事を素直に口から漏らし過ぎだ」
また盛大に笑うハングマンにつられて、アリエッタ嬢も笑い出す。
「もう何でもいいさ、ハングマン。俺はこれで失礼するぞ」
「おう。うちの受付が世話になった。感謝する」
すっと頭を下げて謝辞を述べた。
「へいへい、んじゃおじさんはこれで失礼するわ」
「あの!イチさん本当にありがとうございました!」
「アリエッタ嬢も今日はゆっくり休みなさいな」
「はい!また来てください!お待ちしていますので!」
アリエッタ嬢に手を振り宿に戻る。辺りは既に薄暗くなっていた。今日の報酬でパンと干し肉でも買って帰るか、それとも宿の女将さんに頼んで夕飯を作ってもらうか、道すがら考えておこう。でも必ずあれだけは買って帰る事は忘れない。
「まずはエール酒を小樽だな」
薄暗くなる空に向かって、誰に聞かせるものでもなく呟く。
そんな中年の男の後ろ姿を見続けるアリエッタ。その表情は暗くなる周囲に隠されて伺いしれないが、握った両手を胸に当て、何か思いあり気に徐々に小さくなるイチの背中を見送ったのだった。
「アリエッタ。お前中年が趣味なのか?」
「ギルド長!本当に何でも口から漏らすのデリカシーに欠けますからね!!」
そう言って踵を返し、明かりが灯るギルド内へと戻ってゆく。
ほんのりと頬を染めながら。




