決別
作戦成功の恩賞としてもらった休暇、その初日を、レイは屋敷の自室で終えようとしていた。どれだけ時間が経とうとも、頭を巡るのは同じ気持ち。
(やはりおかしい)
何度考えを巡らせてもその結論に至ってしまう。数ヶ月前からそうであったが、このところは、特に昨日のアドルファスの様子はどう考えても尋常でなかった。
あれからアドルファスとは一度も言葉を交わしていない。何度か顔を合わせてはいたが、その度にむこうが逸らしていた。
「あの方の苦悩など私に分かるはずもないだろうが、アドルファス様、いったい何に悩んでおいでなのですか。どれほどのことを抱えているというのですか」
お前が私に、礼など言ってくれるな……!
「……このままにはしておけない」
レイは立ち上がり、きちんと服を着て部屋を出た。廊下をアドルファスの部屋へと向かい、その途中で、
「?」
屋敷の裏手にある厩付近に人影を見つけて立ち止まった。馬泥棒にしては服装がしっかりとしていて、ローブの下はほとんど正装だった。
「あれは、アドルファス様?」
目を凝らしてみれば間違いなく恩人の姿だが、チラチラ周囲を窺う様は本当に盗人のようである。
「こんな時間にどちらへ……」
疑問が浮かび、その答えを知りたいと、レイは見えない何かに背を押された。
「私の力など微々たるものでしょうが、」
先ほどまでアドルファスがいた厩から一頭連れ出し、レイは月明かりの下出発した。
「たとえわずかでも、あの方のお役に立てるなら。いや、立たねばならぬのだ」
「どこへ連れて行く気だ?」
夕食後馬車で連れ立ったエドに、鳴河は当然の疑問を口にした。
「どこへ行くかは重要じゃない。誰が来るか、と、なんで来るか、が肝要だよ」
エドはいつもそうであるように飄々とはぐらかした。出発前にした、今いる場所からは見えない御者台にいるのがいつもの地味な男ではなく、執事のグレイであることに対する疑問にも、同じように返していた。
「黙ってついてこいということか」
「キミだって知りたいだろう? むこうに着いたらすべての疑問に答えてあげるよ」
「……なら今は黙っていよう」
「え、いやなんか話そうよ。無言ヤダ」
「おう、やっと着いたか」
郊外の無人の屋敷、馬車を降りて開けっ放しだった門をくぐったエドと鳴河を見知った顔が出迎える。ハーカー兄妹とハムの三人が真っ暗な豪邸の前にいた。
「ここは?」
「メイソン卿の別邸、にする予定だった豪邸だよ。忙しくて手を付けられなかったから、憲兵の訓練所代わりにしてたらしいよ?」
「そんなところで密会か」
「隠し事が多いからね。僕らは」
そう言いながらエドは辺りを窺う。
「卿はまだかな? 遅れるとは珍しい」
「いいや、今着いたところだ」
建物の角から現れたアドルファスにエドが少しだけ驚いて、
「裏門からでしたか」
「やはり連れてきたのだな」
アドルファスの視線は鳴河を捉えていた。エドは大きく頷き、
「もちろんですとも。はっきり言って完全な〝異物〟ですが、」
「誘わずにはいられなかった」
「面白そうな人ですもの」
エドだけでなく、ドラコとアリィも当然そうに答えた。状況が同じなら同じ道を選択したということだろう。
「ならそろそろ話してもらえるか。お前は、お前達は俺に何をさせたい? 何を隠している?」
鳴河が一歩前に出て聞いた。他の五人の内、少なくとも先ほど発言した三人は話したくて仕方ないといった顔をしている。
「じゃあ話そうか。まずは、そうだな。ここに集った面子について」
厚い雲が月を隠し始めた夜空の下、皆を代表してエドは言った。
「僕らはね、〝託されし者〟だ」
「『なんだそれ?』って顔だね」
「実際そう思っているからな」
「じゃあ説明しよう。もう一年近く前かな? 夢を見たんだ。ここにいるキミ以外の全員が、恐らくはもっともっと多くの人が、同じ夢を見た」
「夢?」
「そう夢。といっても空想妄想の産物ではなく、もっと現実的なビジョン。この国の未だ来たらざる景色。つまり、イングランドの未来の姿」
「未来だと?」
信じ難いと鳴河は他の顔を窺ったが、どれもこれも嘘や冗談でからかっているようには見えなかった。
「……続けろ」
「もちろん。僕らが見た未来、十年や二十年じゃなく百年単位で未来の英国は、衰退していた」
「国の衰退か」
「歴史、これから先のものだけど、その中で帝国にまで上り詰めたこの国はその勢いを失ったのさ。産業、工業力は衰え、植民地化した領土のほとんどを失い、国内には他国から押しつけられた異邦人がのさばり英国人が肩身の狭い思いをする。そんな世界だった。そしてその世界の住人だろうね。僕らに夢を見せたのは」
「どういうことだ? 何故そんなことを?」
「変えて欲しかったんだろう。将来の絶望的な国の姿を過去の人間に見せることで未来を、彼もしくは彼女或いは彼らにとっての〝現在〟を変えて欲しかったんだ」
「恐らく俺達が初めてではないだろう。こいつの予測ではおよそ十年前から、その干渉は始まっていたはずだ」
「何故そう言いきれる」
「すそそ、それはですね……。ええと、」
自分から口を開いておいてどもるハムの代わりにエドが、
「キミの着ているシャツ」
「これが何だ?」
「未来の英国で同じ物を見た。〝こっち〟でも数年前から急に流行りだしたんだけど、恐らくは僕らと同じく未来を見た誰かが模倣した物だろう。でなければそれまでイスパニアやフランスの真似事しかできなかった僕らが、脈絡なくいきなり生み出せるわけがない。食事に使ったナイフとフォークもそうさ。『女々しい』って理由で取り入れることのなかった文化が、何故かその頃から浸透しだした」
「他にも私の着ているドレスの意匠や兄様の燧発式の銃も、」
「アドルファス卿ご愛用の懐中時計も、それまで決して一般的ではなかった物だ。それが十年前あたりを境に突如として生まれ、或いは進歩の流れが加速した。そうそう、キミが心配してた衛生観念の低さ、その改善もきっと〝そう〟だろうね。こっちに来てから、家の窓から排泄物を投げ捨てる光景なんて見てないだろう?」
「アレを避けるために女は〝陰〟になる歩道の内側を歩いていたし、日傘や鍔の広い帽子、外套なんかも、服が汚れないように使われていたのよね」
「頭に桶を被る奴もいたな」
「そういった悪習もこの十年ですっかり消えてしまった。我が英国だけでだよ? ほんの少し前まで、女王が月に一度の入浴で潔癖自慢をしていた国が、諸国を差し置いて衛生面で一歩先を行ったわけだ」
「それらすべてが、未来を見た者達の行動によるものだと?」
「作り手やそのパトロンを刺激した、ってことだろうね。衛生面に関しては、きっと大勢の人間が未来の清潔な社会を見て自らの行いを恥じ改善を促した、ってところかな?」
「ほほ、他にも変化は起きているはずです。正しい歴史の中ではもっと長く生きるはずだった人物の急逝や、思考や思想の変化だとか、」
「国家間の関係なんかもそうね」
「きっともっと多くの差異があるんだろうね。けどその変わってしまった流れの中にいる僕らには、それらすべてを実感できはしないのだろうけど」
「理屈は納得できた。だが分からんな。服や食器を模倣し、衛生に気を遣ったとして、それがこの国の、未来人が言うところの悲惨な姿を変えることに繋がるのか? 未来の姿に憧れ模倣したとして、それではただ早めているだけで近づくことに変わりはないのでは」
「そこだよ!」
鳴河の疑問にエドは嬉々とした声を発した。『待ってました』と言わんばかりにはしゃいで、
「確かに僕らは謎の存在によって未来を見せられた。『こんな世界を変えたい』って意図も酌めた。けれどね、それでどうするかなんてこちらの自由なわけさ」
「どういうことだ?」
「未来に不満があるとして、具体的にどう変えて欲しいかなんて聞いていないということ。そもそも『変えて欲しい』って要望自体、こちらの勝手な解釈でしかないのよ?」
「おお、おそらくはそういうルールなのかと。過去に干渉するにあたっての規則、制限でしょうか? 明確な意思の伝播ができず。だから回りくどくイメージだけを見せた」
「あるいはどう行動するかをこちらに一任していたか。見せられたほとんどの人はただ文化文明の進歩を後押ししただけだったけど、僕らは違う」
「あんな英国の未来は受け入れがたい。変えたいというのなら手は貸してやる。ただし、歴史の改竄は俺達の好きにやらせてもらうということだ」
「僕らの想う通りに歴史を動かす。言葉にするだけで昂るだろう?」
「どうする、つもりだ?」
鳴河の静かな問いにエドが小さくほくそ笑んだ。そしてその言葉を口にする。
「火薬陰謀事件」
「なんだそれは?」
「未来の英国の、お祭りかな? 皆が八の字の髭を生やした仮面をつけ練り歩いていたのが〝見えた〟」
「祭りで未来を変えるか?」
「ハハハ。それで変われば苦労はないね。けれど違う。その祭りはね、ある王の生還と、ある男達のしくじりを祝う祭りだったんだ。今年の十一月五日、未来では暦が変わって十五日ということになってたかな? その日にある事件が起きる。その失敗を祝うのさ」
「未来の日付か……」
「前に話したろう? 英国が抱える諸問題の一つ、宗教的対立。そこから生まれたものさ」
「わわ、我がイングランドでは国教優遇政策の下冷遇されているカト、カトリックの未来を憂いた過激派が、大それたけけ、計画を……」
「大それた計画とは?」
「……現イングランド王、ジェームズ一世の謀殺」
「っ! 弑逆か」
見開いた目と声色で驚きを示す鳴河に、エド達が頷きを返した。
「そう。スコットランド王ジェームズ六世だった頃は母親のクイーン・オブ・スコッツことメアリー・ステュアートと同じくカトリック信者だったはずなのに、突如英国教の優遇と他宗派の排除を決めた彼と、国会の大多数を占める国教会派、ついでに清教徒の議員達を同時に抹殺して議会の機能を失わせ、代わりにカトリック派が舵を取り、権威の復古をなしイングランドをカトリックの理想郷とする。成功していれば歴史に残る大叛逆だ」
「だが、失敗してしまうのだろう?」
「少し前にソールズベリー伯からメイソン卿へと密告状の報せが届いてね。もっとも仕事熱心な卿は、以前から不穏な一団の存在に気づいていらっしゃったみたいだけど」
「カトリックや清教徒のいくつかの集団の監視をしていてな。その噂も聞いていた」
「メンバーの中に未来の祭りと同じ名前の人物を見つけた時には驚いたよ。『ああ、このことなのか』ってね。そしてその密告状で確定的になった。彼らと、僕らの陰謀の全容がね」
「ウェストミンスター宮殿を知っているかしら? もうじきそこで行われる開院式に集まる標的達を、地下室に設置した大量の爆薬で木っ端微塵にする。それが〝彼ら〟の計画。けっこう難航していたらしいわ。きっとその密告者が計画を阻止しようと手を回していたのね。だから私達が所々でサポートしてあげた。彼と同じく、裏からこっそりとね」
「つまり、成功させるつもりなのだな? その陰謀を」
「その通りだ。だが奴らではなく、俺達の思惑でな」
「国の衰退を止めるのが目的だろう? 弱らせてどうする」
「つれない女を腕に抱く手管を知っているか?」
唐突な話題の転換に、鳴河は眉を動かして否定した。
「揺れる吊り橋を並んで渡ればいいのさ。足元が揺れ慄けば、俺のようなむさ苦しいブ男相手でもその腕にしがみつくもんだ」
「国をぐらつかせ、不安に駆られた民衆をお前達がまとめるということか」
「国王と議会員のほとんどがいない世界で、残されたのは幼い王女と王子のみ。そんな状態で国民の恐慌を払拭する働きを示せれば、」
「民衆も、王家さえも無下にはできない。むしろ重用せざるを得なくなる。そのために、」
「滞るであろう食料物資の流通を維持するために僕は商売の手を広げたし、」
「溢れかえるであろう賊や他国軍に対抗するための兵器と兵力を研究運用し、」
「荒れるであろう市井を平穏に保つため憲兵団の規模を拡充し、犯罪の芽も摘んできた」
「それでどうする? どういう筋書きでこの国を救う?」
的を得た質問がなされる度に、エド達は実に嬉しそうに答える。
「巨大帝国の建国」
「帝国?」
「神聖ローマ帝国やオスマンをも超える国力を持った、過去から未来においても最大勢力となる帝国、その名も、」
もったいつけたエドが一拍置いて、
「アルビオン帝国!」「ブリタニア帝国!」
ドラコと同時に口を開いた。その後二人が顔を見合わせ、
「だーかーら! アルビオンで行くって言ったじゃん!」
「ふっざけるな! ブリタニアの方が強そうだろうが!」
子供の用に言い合う二人に、他の面子が『やれやれ』とばかりに首を振った。
「どちらでもいいのだけど、パイレーツ帝国よりはマシね」
「名称に関してはどうでもいい。何故帝国を興すことに行き当たる?」
「ん、ああ。僕らが見た英国衰退の原因が、他国からの干渉によるものだったからさ」
「他国の干渉か」
「そう。共同体とは名ばかりの連合を組まされ、協力という名の譲歩を迫られ、要らんモノを押しつけられて。それらすべてが他国からの要請、要求かな? とにかく他の国が原因で生まれたものだった」
「か、かかと、かといってその連合を抜けてみても、のこ、残ったしがらみで余計困窮してしまって」
「ならばどうするか? 答えは簡単だ。他国の思惑など跳ねのけられるだけの力を持った強大な国家を成せばいい」
「欧州の国々を平定する気か?」
「それもプランの一つだったが、今のイングランドにそれだけの力はない。かつての海戦では勝利こそ収めたが、それ以降はガタガタだ」
「百年戦争をもう一度、なんて謳い文句じゃ民衆も動かせないだろうしね」
「ならば?」
「アメリカ大陸」
「どこだ? それは」
「ここから西の、海を挟んだ大陸だ。あの詐欺師の女々しい名前がつけられてしまった土地には各国が次々に進出している。まさに新天地だな」
「その地を私達が押さえる。他のどの国よりも大きく、力強く、幅広く手に入れる。武力を含めた、如何なる手段を用いてでもね」
「彼の地から得られるあらゆる恩恵をこの国だけで独占し、帝国の基盤を築く」
「そそそそして、その力を以って欧州全土の平定を成す。西回りの海路をすべて押さえ、ぶ、物流さえも支配する」
「かくしてかつてない強大な帝国がこの地に降臨する。世界に覇を唱え、誰に屈するでも媚びるでもない帝国が」
「ローマの再現というわけか」
「いいや。僕らが作るのはまったく新しい形の帝国だ。かつてのような専制君主制ではなく、世襲の貴族による議会制でもない。〝傀儡〟の長は立てるつもりだけどね」
その〝新しい形〟を想像できず、鳴河は聞いた。
「それも夢で見た未来から学んできたというわけか」
「そうだよ。けれど、たぶんキミの考えるのとはまるで逆の意味の〝学び〟だ」
「どういうことだ?」
エドは一度息を吐いて、やや伏し目がちに口を開いた。
「未来の英国、というか多くの国々では、『絶対平等主義』なる考えが幅を利かせていた」
「平等主義……」
「その名の通りすべての人間が、たとえ王族でも奴隷の子でも全く同じ権利を持ち、同じように扱われるべきだという思想だ」
「それは、」
鳴河が言いかけて、エドは大きく頷いて続ける。
「まったくもて馬鹿げた話だよ。前にキミも言った。人は平等には生まれない。平等に育ちもしない。悪事とは無縁で妻と子の幸せを願い懸命に働く男と、国にも社会にも人々にも一切の貢献をせず、あまつさえ自分の欲求を満たすためだけに他人の妻や子供を襲い殺し奪う犯罪者、この二つを同列に扱えと言うんだ。悪人と善人、異常者と健常者に同等の権利を認め、同じだけの決定権を与えろと。もうこの時点で不平等。破綻しているも同然だ。なんでそんな主義がまかり通る世界になってしまったのか、どれだけ頭を捻っても考えつかないよ」
「つまり?」
「僕らの作る帝国にはそんな悪徳は生まれさせない。僕らが作り上げるのは歴史上類を見ない、未来に於いても存在し得なかった、徹底的な『差別』によって成り立つ国家だ」
「それは、かつての国々とどう違うというのだ? どの国家にも〝別〟というものは存在していたはずだろう」
「そしてその〝別〟によって問題を生じ、やがて崩壊していった」
「だからこその、徹底だ」
「生まれだの人種だの出身地だの宗教だの、そんなモノで分けるから問題になる。大切なのは能力と人格だ。それのみを以って人を分ける。有能と無能、善行と悪行、勤勉と怠惰、模範と違反。有能で人の役に立つ者は優遇され、無能者は冷たく遇される。たとえ才能があってもそれを活かそうとしない怠惰な者は冷遇されるし、際立った才に恵まれずともそれを埋めようと人の二倍三倍と励む努力家は好待遇を得る。礼儀正しく規範に従い過ごす者は尊敬を集め、罪人咎人は当然蔑まれ、石を投げられ、牢に入れられ、刑に処される。
そういった、『平等』とは似て非なる『公平』の概念、『差別に依って成り立つ公平さ』の正しきを国民に教育し、風習とし慣例とし真理とする。『平等』などという愚にもつかない主義ではなく、この世の不平等を徹底して差別することで生まれる『公平』を以って治める。それが僕らが成さんとする帝国の姿だ」
「当然国を動かすのもそれにふさわしい能力と人格を備えた者達から選ばれる。選ぶ権利もまた、持つべき者と持つべからざる者とに分ける。すべてを平等とすれば悪しき考えを持った連中が徒党を組み、悪党や売国奴の勢力が生まれかねん。それを防ぐには〝分ける〟しかないのだ」
「……理屈は分かったが、意外だな。エドやドラコならともかく、貴公がこれだけ乱暴な企てに加わるなど」
鳴河がアドルファスに目を向け、そちらもまた真っ直ぐな視線を返した。
「戸惑いがなかったと言えば嘘になる。だがイングランドの貴族としても、一民としても、あんな無残な国の姿など到底受け入れられんよ」
「左様か」
「私は見ての通りの齢だ。お前達のような精力も活力も苛烈さはもはや残っておらん。ならばせめて、若者の足を引っ張るような、老害と揶揄されるような者にはならんよ」
自嘲気味に言ったアドルファスが、苦笑しながら『だが』と付け加える。
「よもやあの頃の悪ガキどもがこんな大それた考えを持つことになろうとは思わなんだがな。しかしその考えに関しては賛成できる。故に私はここにいるのだ」
「それで、キミはどうする?」
「どう、とは?」
問いを問いで返した鳴河へと、エドは言う。
「この神をも恐れぬ策略に、キミも加わらないか? 僕らの、〝託されし者〟の仲間に」
おそらくは他の面子も同じ質問をしたかったのだろう。すべての視線が鳴河に集中する。
「キミの望んだ戦だろう? その剣を存分に活かし、天下に名を轟かせる大戦だ」
「……その前に、何故俺を誘った? 夢で未来を見たのが一年前なら、俺と大陸で出会った時にはすでにこの企てが、未来を変えるという思想があったのだろう?」
「まあね」
「そこに何故、何の意図があって同胞でもない俺を引き込んだ?」
決して怒っているわけではないのだろうが、鋭い目つきの問いは咎めているようにさえ思えた。
だがエドの方は、
「同類だからさ」
いつものように軽い調子で返してきた。
「同類だと?」
「そう。同胞でなくてもキミは僕らの同類だ。僕らと同じく現状の変革を願い、それだけの力を、野心を持っている。たとえ具体的な目的が違ったとしても、僕らが目指す夢の彼岸にキミの野望も成就する」
口元に笑みを湛え、エドは鳴河へと手を差し伸べながら、
「改めてナルガ、僕らの同志にならないか? 僕らと一緒にこの国を、世界の歴史を書き換えないか?」
鳴河はすぐには答えず、眼光煌めく瞳でエドを見た。
そしてその視線をわずかにずらした。エドの笑みがさらに増し、
「……そっちは、どうだい?」
くるりと反転し、真後ろに向けても手を出した。突然且つ予定外の行動にドラコ達が驚愕し、
「な、に……!」
とりわけアドルファスは、手にした杖を落としてしまうほどの動揺を見せた。
そこにいたのは恩人であり主人であり上司である男の憂いを晴らさんと、闇夜に馬を駆ってやってきた、
「レイ、ナー……」
「アドルファス、様」
老人の狼狽などまるで気にすることなく、エドは変わらぬ口調で訊ねる。
「キミも、仲間にならないかい?」
「レイナー、お前、何故ここに」
未だ困惑から立ち直れずにいるアドルファスに、レイは肩や手足と同様に声を震わせて、
「アドルファス様が、このところの様子がおかしいと、感じ、何かあったのではと」
「つけてきたわけか。お気づきにならないとは卿らしくない」
「何を呑気な。すべて聞かれたんだぞ?」
「だから誘っているんじゃないか。もし賛同してくれるのなら物騒なことをしなくて済む。それに味方は一人でも多い方がいい。そうでしょう、メイソン卿」
「ヘイゼルウッド……」
「アドルファス、様……。嘘、ですよね? 貴方が、その人達の仲間だなんて」
縋る希望を確かめるような言い方に、アドルファスが苦い表情を向ける。
「きっと、その謀略を暴いて捕まえるための欺瞞だったのですよね? アドルファス様が、造反など」
「私の……、お前が聞いた私の言葉に、偽りは、ない……!」
「っ! 何故です! あれだけ罪を憎んでいた貴方が、どうして人を死なせる企てに」
「仕方ないんだよ。えっと、レイナー君だっけ?」
レイの注意がエドへと移り、当のエドは両手を広げながら、
「卿は見てしまったんだ。僕らと同じモノを。同じ未来を。同じ惨状を。そして選んだ。数百年後の英国を救うため、歴史を歪めて失敗するはずの陰謀を成功させる道をね」
「それで、それでいったいどれだけの人が死ぬと……! 大勢が死ぬのですよ!」
「そうね。仮に開院式で地下から爆発が起これば威力は上に抜けて、宮殿内の人間はまず間違いなく全滅するわ。もっとも私達は、」
「そんなこと、させていいわけがない!」
「やらなければ未来が死ぬ。俺達は選択したのだ。未来を殺さぬためのな」
「びょ、びょびょ、平等主義のみみ、未来など、破滅への道でしか」
「それが何故いけない!」
「ひいっ!」
「皆が平等に、生まれも血筋もなく平らかに扱われる未来のどこが」
「これ、見てくれるかな?」
怒鳴るレイを制するようにエドが取り出したのは一枚のハンカチだった。『それがなんだ』といった睨み顔に、
「昔アリィにもらった手作りのプレゼントなんだけど、」
「まだ持っていたの? そんな物」
「所々歪んでいるだろう? 刺繍する時にしくじったそうなんだけど、人は、世界っていうのはこのハンカチみたいな物なんだ。初めから真っ平にはできていない。それを無理矢理均そうとしても、ほらこの通り。どこかに皺寄せが来る」
「つまりは、完全な平等なんてありえないということよ。一見そう思えたとしてもそれは見せかけ。必ずどこかで誰かが不平等に苛まれている。そこに目を瞑り黙殺することで、気づかないフリをすることで成立する平等を、貴方は望んでいるの?」
「そ、それは……」
「結局、〝夢のような〟話というのは夢でしかないのさ。エドの考えた『徹底した差別による公平さ』の方が遥かに現実的だ。どんな生まれであれ努力と能力と自律が正当に評価される世界。そこに何の不満がある?」
「今まで一度も考えたことはないかい? 日々汗を、時には血を流して職務を全うしている自分が、何故毎夜の酒宴に酔いしれ会議と称して踊るばかりの貴族の下でいなければならないのか、と」
「そんな、ことは……」
「何故自分はあの高みに生まれなかったのか、と」
「っ!」
「キミは本当に平等を望んでいるかい? すべてを平らに均したいのではなく、自分がある高さに到達したいだけ、ではないのかい?」
「……そ、そんな……」
「それができる世界を作ろうというんだ。血筋に縛られず自由に立身出世でき、野心も野望も規律を乱さぬ限りは努力と才覚次第で思いのままだ。そんな社会で成したい願いとか、キミにもあるんじゃないかな?」
絶望にも似た険しい表情で黙り込んだレイが、その瞬間脳裏に浮かべた微笑む少女の姿を、他の誰も知る由などなかった。その幻影がどれだけレイの心を軋ませたのかも。
「どうだろう? 決心はついたかな? レイナー君」
だが、それでもレイは顔を上げた。痛みに耐えるように歯を食いしばった顔を。右手が腰の剣へと伸び、それを素早く抜いて、
「駄目だぁ!」
「おっと!」
今し方歩み寄った一歩分を慌てて下がったエドへと、ドラコや鳴河やハムやアリィや、
「……!」
アドルファスも含めた、その場の全員へと叫ぶ。
「内乱の容疑で貴方方を拘束する!」
「レイナー!」
アドルファスが思わず声を上げ、それとは種類の違う驚きを見せるエドが、
「誘惑には乗らないか。本当に、キミみたいな高潔な人間にこそふさわしい世界なのに」
「無辜なる人々を死なせて作る世界など、私は断じて受け入れない!」
「……残念。至極残念だよ。ナルガと同じく、いい友人になれると思ったんだけどな」
半分以上本気で肩を落としながら、エドはアドルファスへと向いて、
「説得は無理のようですね」
「貴様……」
「メイソン卿?」
睨みつけられながら発したその一言、その声色、表情は、普段のエドからはまるで感じることのない冷徹さを纏っていた。厳格で威厳に満ちるアドルファスが思わず息を飲むほどの、氷の刃物が肉に食い込んだような凍てつき。
「動くな! 全員その場に」
『跪け』とでも言うつもりだったのだろう。しかしそうはいかなかった。ただほんの少しアドルファスが動いただけで、具体的には杖を捻って露出させた銃口が迷いの目つきとともに向けられただけで、
「アドルファス、様……」
レイは動けなくなった。控えめな破裂音が夜に響くまで、時間が止まったようだった。
「があっ!」
剣を落としたレイが後ろ向きに倒れ込んだ。痛む腕を抑える左手に血の感触が伝わる。
軽傷とは呼べずとも大したことのない傷だった。それでも尊敬していた恩人に、アドルファスに撃たれたという、その事実だけで、
「そんな、アドルファス様……」
レイは剣を持つことも、立ち上がることさえできなくなっていた。
「……狙いが逸れましたか?」
エドの問いにアドルファスが強張った。初め胸の真ん中を狙っていたはずだったが、命中したのは上腕の端。間違っても致命傷にはなり得ない箇所だ。
「それとも」
「黙れっ!」
強がって怒鳴ってみせても、その動揺は誰の目にも明らかだった。撃ち終えた銃口は未だ凍えたようにぶれ続けている。
「……アドルファス様」
名を呼ばれ、アドルファスは重々しく向き直った。杖の持ち手の部分を放りながら、
「……仕方がないのだ」
レイへと足を進めた。
(罪深き身でおこがましくも、お前を息子のように思っていた)
「英国の未来のため、この計画は成さねばならぬ。どれほどの犠牲を払おうとも」
杖の先端部分を捻って槍状の刃を剥き出しにし、アドルファスはさらに進む。五年前に見たのと同じ、怯えた顔をしたレイへと。
(お前にだけは知られたくなかった)
「その障害となり得るのなら、」
(お前だけは手にかけたくなかった。だが、私情を優先させるわけにはいかん)
「たとえお前であろうとも、」
(望む未来のため、私はお前を、)
「(殺さねばならん!)」
逆手に持った杖の先を今まさに振り下ろさんとしたアドルファスの胸に、
「っ?」
鳴河の刀を持った左手が当たった。どう見てもアドルファスを止めようとしたものだ。
目を剥くアドルファスに、鳴河は横目を向けて、
「覚悟も定まらぬうちに手を下さば、大事なモノを失うことになる」
「…………すまん」
苦い顔で腕を下ろしたアドルファスの代わりに、鳴河は刀を抜いた。鞘をベルトに差し絶望に慄くレイへと進む。
「できるだけ、苦痛のないように、頼む……」
背を向けたアドルファスの懇願に、
「承知した」
鳴河は右腕を引いて、左手を鎬の辺りに添えた。わずかに腰を落として切っ先をレイの胸へと向け、
「アドルファス様ぁ!」
悲痛な叫びにアドルファスが奥歯を軋ませた。それが合図だったように鳴河が動く。右腕が前へと伸び、刀はレイの心臓を貫いた。静寂の中でこそ聞こえる小さな呻きが漏れ、
「…………っ!」
見えないはずのレイの最後を悟り、アドルファスがかつて誰にも見せたことのないような、悲哀に暮れた険しい表情を浮かべた。
鳴河は一度捻ってから刀を抜いた。一瞬硬直していたレイの亡骸が力を失って倒れそうになるのを支えて、ゆっくりと横たえる。
「…………」
どこを見ているのか判断できない虚ろな目を、鳴河は刀を左手に持ち替え閉じさせた。それから片手だけの合掌を行う。
血を拭い納刀を終えた鳴河が戻り、アドルファスに何か言おうとしたが言わずじまいに口を閉じた。アドルファスも何も聞こうとはせずにいて、
「ご老体には堪えましたかな?」
侮辱か、それとも慰めであったか、ドラコが歩み寄りながら茶化した。返答も反論もないが、そのまま続けようとして、
「今ならまだ足抜けも」
「!」
次の瞬間、アドルファスの拳が強く握られ、ドラコの頬へと叩き込まれた。およそ六十を過ぎた老人のそれとは思えぬほど強烈な拳に、ドラコの巨体は慌てて避けたアリィの脇に倒れた。ハムなどは悲鳴まで上げて飛び退き、エドも目を見張り固まっている。
「舐めるなよ小僧!」
一同の中でもっとも驚愕するドラコにアドルファスの怒号が飛ぶ。レイの死に受けたはずの感傷などまるで感じさせない、怒りに満ちた顔だ。
「貴様らの倍以上の年月を覚悟とともに生きてきたのだ! 人の道などとうに踏み外しておる! ならば今さら歩みを止めるものか!」
エドもアリィも、殴り飛ばされたドラコですら、驚きの後にはそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。エドが一歩前に出て、
「それでこそ、」
皆を代表して言った。
「それでこそ、我らが盟主、アドルファス・メイソン卿です」
後日、メイソン家が所有する霊園にて、レイナー・メイブリックの葬儀は執り行われた。参列者はアドルファスとレイの同僚達、そして、
「……レイ! レイィ!」
墓穴の横で泣き崩れるマリサと、彼女に同行したエド達であった。
「お前が、想っていた相手とは……」
涙に暮れるマリサから、アドルファスはエドへと視線を変えた。そのエドへと鳴河が、
「知っていたのか?」
「いいや初耳。これでもけっこう驚いているんだよ?」
まるでそうは見えないエドが、珍しく悲しげに目を伏せて、『けど、』と呟いた。
「もし知ってたとしたら、あの時少しは躊躇ったりしたのかな? 腹違いとはいえ可愛い妹を泣かせるなんて、絶対にごめんだって思ってたのに」
いつもの雰囲気のないエドが自嘲気味に笑って、
「まあ仕方ないかな。靴を傷めずに荒れ地を征く術なんてない」
棺に土をかけ終え、他の参列者が散りだしてもなおそのままでいたマリサの許へと歩み寄っていった。励ましを小さく囁いて、『屋敷に戻ろう』と肩を掴んで立ち上がらせる。妹に縋りつかれながら霊園を後にしようとして、
「後のことは頼みます」
すれ違いざまに、他の誰にも聞こえないくらいの小声で言った。そのまま去っていくエドに、告げられた側のアドルファスができたばかりの墓を見つめながら、
「……分かっている」
やはり小さく返した。




