贖罪
十一月二日の昼過ぎ、王都憲兵団の全団員は、街中に散在する犯罪集団の拠点を固めていた。人手不足で部外者にまで応援を頼んだがそれでも頭数が足りず、
「あの東洋人も助っ人ってわけか」
駆り出された鳴河を、団員達が物珍しそうに見ていた。
「メイソン卿の友人からの推薦だとさ。相当腕が立つらしいが」
「この際何人だろうとかまわんよ。いくら何でもここだけ少なすぎるだろう。どういう基準で配分を」
「やめろ。それ以上はメイソン卿への批判になるぞ」
他の団員を制したレイが鳴河に目を向ける。これから凶悪な犯罪者の巣へと突入するというのに落ち着き払った様子は、実は立ったまま寝ているのではないかと疑いたくなるほどだった。
わずかな間、レイは鳴河を、その腰の得物を睨んでいた。やがてつかつかと歩み寄り、仲間達が『お、おい』と止めようとするのも聞かずに、
「失礼。たしか、ナルガ殿でしたか」
「ああ」
「無礼を承知で頼みますが、その腰の剣、見せてもらえませんか?」
「…………」
無表情のまま了解し、鳴河は脇差を腰から抜いて差し出した。受け取ったレイが刀身を露出させて、思わず息を飲む。
(禍々しいまでに研ぎ澄まされた片刃剣。サーベルにも似ているがこの磨き抜かれた刀身は……。これなら可能なのか? あの鋭利且つ豪快な斬撃が)
だいぶ昔としばらく前に起きた斬殺事件、目の前の男がその犯人なのでは、〝断ち切り魔〟なのではないかと疑いの眼差しを向けたが、
(けど、もしそうなら辻褄が合わない。〝断ち切り魔〟が現れたのは少なくとも五年は前。この人がイングランドへ来たのはついこの間だ。偽っていたとしてもこんな町中に東洋人がいれば目立って仕方ないはず)
「もういいか?」
形ばかり疑問形で早く返すよう催促する鳴河に、レイは鞘に戻した脇差を両手で渡した。再び腰へと収まるその刀をまだ注視したままでいて、
「準備はできているか?」
アドルファスがやってくるまで、視線はそのままだった。
「アドルファス様? 何故こちらへ?」
「人数不足で負担をかけた罪滅ぼしにな。こんな老いぼれでも多少は役に立てるだろう」
上司の言葉に先ほど愚痴っていた団員が緊張し、
「貴公もすまぬな。助力に感謝する」
「確認するが、中にいる不貞の輩を鏖殺せばよいのだな?」
「……その通りだ。中に入るのは貴公とレイナーの二人。他四名は正面と裏口を見張れ。炙り出された連中が現れれば即時対応。投降の意思がなければ即射殺しろ。これは〝許可〟ではなく〝命令〟だ。よいな?」
「はっ!」
危険な任務から外れた四人が悟られぬよう安堵し、逆に大役を仰せつかったレイは、
「…………」
誰が見ても明らかなほどに緊張していた。ただし同僚の四人はそれが身の危険を感じてのことだと思っていたが、鳴河とアドルファスには違って見えていた。
アドルファスはそっと鳴河へ寄って、
「すまぬが、あやつのことをよく見ていてくれまいか?」
誰にも聞こえぬよう小声で耳打ちした。
「功に焦った顔だ。外した方がいいと思うが?」
「……分かっておる。だが、」
「手柄を立てさせたいということか」
沈黙で肯定したアドルファスに、鳴河は事情を聞こうとはせず、
「エドからは貴公の指示に従うよう言われている。ならばこれも仕事の内」
「かたじけない」
作戦開始時刻数分前、レイは鳴河と道端の馬車の中にいて、黙ったままブロードソードを抜いた。名に『幅広』とあるがその実『レイピアなどに比べれば身幅がある』というだけの剣に毀れがないかを見る。そもそも今やっても遅い上に昨夜と午前中で五回は行った確認をもう一度していた。
そちらを終えた後は銃の装填を確かめた。一人二挺ということで合計四挺用意されていたが、
「使い慣れぬ武器は要らん」
渡そうとしたのを一蹴されて、レイはどこか悔しそうに、そして羨ましそうに引き下がった。
「貴方ほどの腕があれば、ここまで足が竦むこともないのでしょうね」
皮肉めいた発言に、鳴河は静かに口を開く。
「何故焦るかは知らぬ」
「え?」
「だがどれほどの功を成し名を遂げたとて、死んで花実は咲きはせぬ。残るは武名だけだ」
「死んでしまってはなんにもならない、と?」
「違うのか?」
正論で図星を突かれ、レイはそれ以上返せなかった。
「ここもか」
建物の陰から鳴河達の馬車を見ていた男がぼやくように言った。奇襲のため中に兵士がいると気取られぬようにしていたが、見る者が見れば途端に看破できるものだ。
「やはり駄目か?」
後ろからやってきた男が聞いて、訊ねられた男が『ガイ』と名を呼んだ。
「ダンチャーチもスタフォードシャーも、隠れ家付近に憲兵がいる」
「まさか発覚したのか?」
「そうであれば地下倉庫の火薬も見つかっている。確認してきたが発見された形跡はなかった。俺達ではなく噂になっていた一掃作戦だろう」
「大人数でいるのは愚策か」
「やはり俺一人で行こう。皆はフランシスが確保していた隠れ家に潜んでくれ。あの辺りには憲兵はいない」
「分かった。皆で成功の爆音を待っているぞ」
「ああ。ロバート達によろしく言っておいてくれ」
男達が誰からともなく十字架を掴み、目を閉じ祈りを捧げた。これから起こす、起きるはずの大それた企みの成就を願った。
「…………」
気配を感じた路地裏を一瞥してから、アドルファスはシックな懐中時計で時刻を確認し、傍の馬車をノックした。
反対側の扉から鳴河とレイが降り目的の建物へと突入。四人の仲間が瞬く間に出入り口を固めた、
屋内に侵入した二人は入ってすぐの部屋で呑気に酒を飲んでいた男二人を手早く始末した。鳴河は言うまでもなく、レイも決して劣らぬ動きで男の心臓を突いて殺した。
できるだけ音を立てずに次へ。酒瓶と食い散らかした食料、鼠の死体が転がる部屋を抜け、地下室への階段を降りる。そして、
「な、何だてめ」
そこにいた男が言いきる前に、大振りのダガーを構える前に、レイは首に切っ先を走らせた。すぐさま残りに向かおうとして、
「……!」
すでに二人を斬り伏せていた鳴河に唖然とした。疾風の如き動きもそうだが、死体と衣服の切り口の鮮やかさに驚愕していた。それに見覚えがあったからだ。
(やはりこの人が? いや、だが……)
五年前の記憶を呼び覚まし眼前の鳴河と重ねてみるも、
(似ては、いない。そもそもあの時の記憶などあてになるものでは)
「おい」
「! な、何か?」
「次へ行くぞ」
先に扉へと近づいた鳴河に、レイが焦ってついていった。二人とも事前に知り得た内部構造を頭に叩き込んでいて、行動に迷いは少なかった。
だが、
「!」「っ!」
開こうとした扉がむこうから開けられ、さらに女達がなだれ込んできて、両名ともさすがに動じてしまった。一人や二人ではなく十人近い女達の服や髪は乱れ、中にはシーツを巻いただけの裸同然の者までいた。
「た、助けて!」
「お願い! 私達は」
口々に言うので聞き取りづらいが、レイはすぐに察したようで、
「囚われ客を取らされていた女達でしょう。すぐに外へ。そこにいる憲兵の指示に従って。決して慌てず取り乱したりしないように」
「は、はいっ!」
次々に出口へ向かう女達にレイは息を吐き、鳴河は警戒心に満ちた鋭い眼差しをくれた。その差が決定的だった。
逃げゆく群れの中から飛び出す女がいた。シーツにくるんで隠してあったダガーを手に鳴河へと突っ込んでいく。
と同時に、もう一人が視線も注意も外していたレイへと向かうのが鳴河には見えていた。当人が気づいた時には女は腕を伸ばすだけでレイを突き殺せる位置にいた。
「……え?」
迫ってくる切っ先が実際以上に大きく、そして近くに見えた。遅速再生のような視界の中で喉元へと突き上げられるそれは、呆気なく自分の命を奪うのだと理解した瞬間、首が飛んだ。
殺しにかかっていた女を、鳴河は実に冷静に処理していた。短刀に近い脇差を左手で抜き女の心の臓へと突き立て、刀を残したまま振り向きつつ小太刀を横一文字に振ったのだ。ぎりぎり届いた刃は女の素っ首を両断し、残った体はビクビクと震えた後、レイに寄りかかるように崩れて倒れた。
「あ、……たす」
「お前の血か?」
「! えっ?」
唐突に訊ねられ我に返ったレイが、吹き上がった鮮血で真っ赤になった自分に気づき、
「い、いえ! 浴びただけで」
「ならば進むぞ」
死体から脇差を抜いて血払いをし、鳴河は次の部屋へと向かう。まだ荒れていた息をようやく整えたレイが手元の剣を、そこに着いた血糊を凝視して、
「……やるんだ」
固唾を飲み、後に続いた。
「あらかた片づいたか」
本人達には、少なくともレイにとってはだいぶ長い時間がかかったように感じていたが、実際には小一時間もかけずに屋内の掃討は完了したかに見えた。どの部屋にも生きた人間はいない。予測されていた人数はすでに死体と化している。
「ここで全部のはずです。戻りますか?」
「そうだな。……いや」
同意しかけた鳴河が急に緊張を見せ、その何倍も張り詰めた顔のレイが剣を構え直す。
「まだ残りが?」
鳴河は返事をくれずに神経を尖らせた。微かだが強烈な殺意、それはつまり、気配を消して忍び寄る殺戮者の存在が確かに感じられた。
「壁から離れろ!」
鳴河の怒号が飛ぶのと、それをかき消すほどの轟音が響くのがほとんど同時だった。他と変わらぬ煉瓦の壁、に偽装された扉を粉々に吹き飛ばしながら、フード付きのローブを纏った男が現れ、
(っ! 斧っ? あの、顔は……)
手斧をまずレイへと振り、次に離れていた鳴河へと力任せに投げつけた。
しゃがんで避けた鳴河が、躱し損ねて肩を怪我したレイの表情に訝った。間違いなく怯えているが、それは殺されかけたからだとか、そんな理由に思えなかったのだ。男は逃げたが、それを追うことすらできないでいる。
「あ……、つ……」
「? どうした?」
「あい、つだ……!」
通り過ぎざまのほんの一瞬だけ、しかもフードでほとんど見えなかったが、
(あの笑い方は……)
その歪んだ口元だけは見えていた。
母さん! 母さんっ!
五年前、何の必然もなく母親の命を奪った男の笑み。ただ通りで肩をぶつけただけのようにあっさりと、胸の真ん中に斧を残して去った殺人鬼の下卑た笑い方。
「あいつだ……! 断ち切り魔、あの男が……」
「何を言って、っ!」
うわ言のようにぶつぶつ呟き続けるレイからふと逸れた視線の先、先ほどまで男がいた隠し部屋内部の有り様に、鳴河は顔をしかめた。レイがその動きに気づいて、
「……?」
「よせ」
鳴河が止めようとしたが間に合わず、そちらを見てしまった。
簡潔に言ってしまえば、そこにあったのは死体だけだった。ただし一人や二人ではなく、では何人かと聞かれても頭を数えてみなければ推測も立たないほどに分断された骸の山。おそらくすべてが女性のもので、首や腕や足や腹が斧で切られたり断たれたりしている。中には歯形が、つまりは喰い千切った痕が残るものまであり、半分だけ骨が露出した手も転がっていた。
「……ああ、ぅあああああ!」
甲高い悲鳴とともにレイは頭を抱えてうずくまった。酷くショックを受けているようで、ほとんど半狂乱と言える。
「まただ! またあいつが殺した! 断ち切り魔がまた母さんを!」
「おいしっかりしろ」
腕を掴んで立ち上がらせようとしたが、レイはその手を振り解いて喚き続けた。やがてそれは滂沱に変わり、
「なんだったのだ、今の男は」
鳴河は男が逃げていった方を睨んだ。
「全部で七人です」
建物の入り口を固めていた憲兵が、突然逃げ出してきたのを保護した女達について報告した。それを受けたアドルファスが、
「そこでは危険だ。ひとまず馬車に乗せる。むこうのもこちらへ」
そう指示しかけたタイミングでもう一人出てきた。ただし被害にあった女ではなく、
「どけぇ!」
「のわっ!」
どすの利いた声で叫ぶ殺人鬼だった。銃を置き女達を移動させようとしていた憲兵を突き飛ばし、斧を振り回しながら馬車に繋いだ馬めがけて駆けた。輓獣を車と繋ぐ輓具の革綱をブッチャーナイフで無理矢理切り落とし、
「もらってくぜ!」
はらりと跨りナイフで鞭を入れて馬を走らせた。
「今のは、まさか」
「レイ!」
目を見開いていたアドルファスの背後でその名を呼ぶ声がした。慌てて振り返ると肩を貸した鳴河に引きずられるレイの真っ赤な姿があり、
「どうしたっ? 負傷したのか?」
「傷は浅いが様子がおかしい。奴はどこへ?」
レイを下ろした鳴河の問いにアドルファスの視線が答える。馬に揺られるローブ姿がかろうじて見え、
「俺は奴を追う。中は死体だけだ」
先ほどの殺人鬼と同じく脇差で綱を切り、鳴河は男を追った。今さら止めようもない背中から手当てを受けるレイへとアドルファスが向き直り、
「レイナー、大した傷ではないぞ。しっかりせんか」
「……断ち切り魔」
「なんだ? なんと言った?」
「断ち切り魔です……! あの男は、母さんを、殺した……!」
「! ……そうか」
(やはり、そうなのか……。ドラ息子がっ! どこまで苦しめれば気が済む!)
握った杖が軋むほど怒りに肩を揺らすアドルファスが、歯を食い縛ったまま立ち上がった。
「……! 何か来てやがる」
街外れまできた男が背筋に刃物を突きつけられるような感覚に振り返った。追っ手の姿は見えないがその存在を確かに感じる。人ならざるものとさえ思える何かが迫っていると。
「くはは。ゾクゾクするじゃねぇか」
男は楽しそうに笑った。
男に遅れて、鳴河もまた廃屋だらけの街外れへと差しかかった。このまま街道を行けば別の都市や町に着くのだろうが、そうなっては土地勘のない鳴河に為す術はない。だからこそ馬の息が上がるまで急かしてきたのだが、追いつくどころか標的の姿は地平線の向こうへと消えていた。
(いや、ありえない)
一度馬を止め、鳴河は注意深く辺りを見渡した。昨夜の雨で柔らかくなった土には古い轍と真新しい蹄鉄の後が地平線まで延々と続いている。だがそんな中に一ヶ所、他とは違う後を見つけた。馬を進めてその箇所を見下ろすと、馬ではなく人間の足跡が残っていた。正確にいえばついてしまった靴底の形を消そうとした痕跡が。
「やはりか」
予想の的中に小さく漏らし、鳴河は馬から降りようとして、途中で慌てて身を捻った。不自然な体勢で地面に手をつくことになったが、そうしなければ廃墟の方から飛んできた解体用の大振りなナイフが脇腹辺りに突き刺さっていただろう。既のところで殺気に気づいた鳴河が躱したことで代わりに馬が犠牲になった。
「ひゃあ!」
奇声を上げながら男が突っ込んできて、鳴河は身を翻して距離を取った。男の手斧が空を切り、目元口元どこを取っても下品な笑顔が向けられる。
「やるじゃねぇか東洋人。それによく見破った。馬だけ先に行かせて追わせる、名案だと思ったんだがなぁ」
「こっちの馬もバテていたんだ。わずかな間に荷物を載せてあんなに離されるわけがない」
睨み返された男はまた『けはは』と笑い、馬の腹に刺さったナイフを抜いて屋根が崩れた石造りの廃屋に逃げ込んだ。わずかに悩んだ鳴河が刀を抜いてから後を追う。
「せぇえや!」
入り口を抜けてすぐに真横から攻撃が来たが、鳴河は予見していたようにするりと躱した。なおも斧を振るおうとする男を斬りつけようとしたが、
「おおっと!」
刀を持つ腕に力を込めた段階で、男は追撃を止めて数歩跳び退った。
(勘はいいようだな)
「あんたやるねぇ。今までの豚共とはわけが違う」
フードがずれて、伸びたのを乱暴にまとめたくすんだ茶髪が姿を現した。同じ色の無精髭といい顔中の汚れといい、清潔感とはまるで縁のなさそうな出で立ちだった。
「断ち切り魔」
「あん?」
「そう呼ばれていたな?」
「ああ。五年前からだ。女目当てに夜をふらつき、獲物を見つけては狩って喰う。邪魔なオスがいればそいつも刻むが、喰うのは女だけさ。知ってるかい? 牛はオスよりメスの肉の方が柔らかくて美味いんだ。人間も同じだな。ふひゅははははは」
何度となく死肉を噛んできたであろう歯がせせら笑い、元は梁か何かであった木材が蹴り上げられた。造作もなく避けられた鳴河だったが、男は再び逃げ出した。
おそらくはもっと戦いやすい場所へと誘っているのだろう。より短い得物を扱う自分に有利な、瓦礫等でせせこましい空間へと。
それが分かっていても追わないわけにはいかない鳴河が男と同じ道を辿り、
「!」
そこで出くわした三匹の野犬に足を止めた。薄汚れた濃い灰色の毛並みで、どれも体格はいいが一様に痩せていた。鳴河のことを獲物として見ている。
「……邪魔だ」
その獲物の一声と一睨みで、三匹は退散した。格の違い、それを悟った獣は無理攻めなどしない。生存のため素直に退いていく。
それと入れ替わりに、
「ひぃや!」
獣に気を取られた鳴河への背後からの奇襲。虚を突いたつもりの、飛びかかりながらの横薙ぎの斧を鳴河は地面を蹴って避け、男と対峙した。
「念のため聞くが、あの場所を根城にしていた一党の仲間だな?」
「おうよ。わけあってしばらくド田舎に引っ込んでたんだが我慢できなくてなぁ。戻ったついでに軟弱そうな組織を見つけて、頭の首取って成り代わったってわけだ。いい暮らしだったぜぇ? 何もしなくても酒も薬も女も手に入る。ああ、〝メシ〟もだなぁ」
「あの隠し部屋にいたのも」
「商品なんで控えてはいたんだがそれがいけなかったらしいな。つい〝ドカ喰い〟しちまった。まっ、おめぇらのおかげでどのみち台無しになったんだろうがな」
笑みを絶やさぬ男が周囲に目を向け、
「しかし思い出すなぁ。いくらか前にこんな感じの街外れで〝食事〟したんだ。道に迷った可愛い仔羊、いや小鳥かな? ガキは守備範囲外だと思ってたんだが妙に美味そうでなぁ。ものは試しと喰ってみたら美味だったぜ? あっ、今のは二重の意味でだ。『ダブルミーニング』ってやつだな。分かるかい東洋人? くひゃひゃ」
得意気に語る男だが、鳴河はそれとは対照的に冷めた表情に変わっていった。凶器を持った殺人鬼を前に、刀を下ろしてしまった。
「あ? どしたい?」
「初めてだ」
「ん~?」
「生まれて初めて、同情でも憐憫でもなく、嫌悪で人を斬りたくなくなった」
「そいつぁ見逃すってことか?」
「お前みたいな奴を斬ったら、刀が穢れる」
そこまで言って刀を鞘へと納め背を向けた鳴河へと、
「ふくっ、くへへ……」
男は気持ち悪い笑いとともににじり寄った。元の半分まで近づいたところで、
「そうかいっ!」
両手の得物で同時に斬りかかった。右手の斧は振り上げ、左のナイフは横薙ぎに、肩と脇腹へ叩き込んだ。鳴河が腕を落とし脇腹から臓物を垂らす姿が脳裏に浮かび、
ヒュオッ……!
奇妙な風の唸りが聞こえ、男は唖然として固まった。
「……あ?」
しっかり握っていたはずの斧もナイフも地面に落ち、そもそも手の感覚がない。間違いなく仕留めたつもりでいた相手はこちらを向き、手には刀を逆向きに……、
「……ひぐぁ!」
そこまで状況を理解できたところで、男はようやく両肩の激痛を認識した。かつて味わったことのない鋭い打撃。肉は切れていないようだが、
「筋を砕いた。まともに動かせまい」
「て、てめぇ……!」
犬歯を剥き出しにする男に、鳴河は再び刀を振るった。先ほどと同じく、男が避けるどころか視覚で捉えることすら叶わない速度での峰打ち。肩に放ったのと同様に二連撃だったが、その片方すら知覚できないまま、
「があっ!」
今度は男の両膝が砕かれた。力の入らなくなった足では体を支えきれず倒れ込み、今にも振り出しそうな曇天を仰ぐ。
「斬りはしない。だが俺の仕事は〝お前達〟の殲滅だ」
「ど、どうしようってんだ? ああっ?」
なおもがなり立てる男から視線を外し、鳴河はどこへともなく口笛を吹いた。ややあって、先ほどの野犬が恐る恐るの足取りでやってきて、鳴河は再度刀を収めた。
「こいつらは腹を空かせて難儀しているらしいな」
「お、おい、冗談だろ……?」
涎を垂らしながら唸る野犬に、男の顔から血の気が引いていく。
「今まで散々好き放題喰らってきたんだろう? ならば文句はあるまい。『因果応報』というやつだ。知ってるか? 西洋人」
「や、やめろ! やめやがれチクショウ!」
鳴河が壁に背を預け、それが合図であったかのように三匹は男へと襲いかかった。絶叫などお構いなしに喉や腹や腕に牙を立て、肉を喰い千切ろうと力を込めてくる。
「がぁあああああ!」
パァン!
野太い悲鳴をかき消す、突然の発砲音だった。直後短く甲高い断末魔が聞こえ、喉に喰らいついていた野犬が倒れた。全員の注意がそちらに向き、続けざまにもう一発。また別の犬が弾かれるように死んだ。
そこにいたのは銃を構えた初老の男、アドルファスだった。今し方撃ち終えた二挺目の銃を捨て、いつも持ち歩いている杖の真ん中やや手元寄りの箇所を捻って数回回す。杖は二つに分かれ、現れたのはねじ山の切られた銃口だった。握りの部分にある装飾に偽装された撃鉄が起こされ、カチッと出っ張った突起が引かれる。先の二発よりはだいぶ大人しい破裂音がして、弾丸は野犬の側頭部に命中。吹っ飛んだりはせず、その場でビクン、と身を硬直させ絶命した。
「人の味を覚えた獣は、必ずまた人を襲う。それだけはさせられんよ」
杖を元に戻しながら、アドルファスは満身創痍の殺人鬼へと歩み寄った。何が起きているのか、殺人鬼はまるで理解できていない様子だったが、
「それに、その男を殺させるわけにはいかんのでな」
「……ああっ!」
すぐそこまで来た皺だらけの顔に、ようやく思い出して叫んだ。
「そうかあんたか! 見覚えがあると思った! 〝また〟助けに来たわけか!」
突如嬉々とした声を上げる男とアドルファスとを、鳴河は口を挟まず交互に見遣った。
「同じだな。あの時と、五年前と同じだ」
「頼むアドルファス!」
「しかしですな、ロデリック卿」
「この通りだ。不出来な子に育てた責任は感じておる。だがアレの所業が発覚すれば私の家はおしまいだ。頼む! 秘密裏にアレを捕らえて引き渡してくれ。後のことはこちらでやる」
「ですが、遠縁とはいえナサニエル卿の血族を殺してしまっているのですよ。あちらも血眼になって探すことでしょう。いずれは、」
「ネーデルラントにいる縁者に頼んで匿ってもらう手筈は整えている! 異国へ渡らせてしまえばどうしようもあるまい」
「…………」
「む、無論卿にも相応の対価を用意する。そ、そうだ! 貴公が提唱していた王都憲兵団、その組織と予算案について議会に掛け合うことを約束しよう! 一件の殺人、たった一人を見逃すだけで、それで多くの犯罪を防ぐ組織を持てるのだ! 未来の治安向上のためにも、この通りだ!」
詭弁もいいところだと、自分でも分かっていたのだ。犯罪を見逃すことで犯罪を防ぐ力を得るなどと。
件の男が殺したのは一人だけ。それが事実でないことも知っていた。正確な情報でなくとも、最低でも十人は下らないということはほとんど確定的だった。
それでも、私は、
「……分かりました」
私は、曲げてしまった。曲がってしまった。生きているうちに、この目の黒いうちにと焦がれていた構想の実現をチラつかされ、首を縦に振ってしまったのだ。
子爵の子となればどのみち隠し立てしようと動かれ、真っ当な裁きは受けさせられぬと、それならば憲兵団の設立に利用した方が結果的に多くを救えると、いくつもの屁理屈で自分を誤魔化してしまった。
「親父殿は?」
「直接動かれれば余計な疑念を生みかねない」
「愛だねぇ。こんな出来息子だ。放ってはおけないか」
言葉も表情も態度も、すべてが不快な男だった。どこでどう間違えれば、人間がこんなクズに変わってしまうのだろうかと、本気で考えてしまう。
「このまま港へ。貿易のため出港予定の船に紛れ込み、ネーデルラントの知人に匿ってもらうそうだ」
「なぁるほど。じゃあ行ってくるか」
「待て、一人で向かう気か」
「一緒にいればあんたにも〝余計な疑念〟とやらが生まれるぞ? どうせ一本道だ。馬だけもらっていく」
繋いでおいた馬の一頭の綱を解いて跨るこの男、どこまでも身勝手な殺人鬼を一時的にとはいえ自由にさせるなど、今にして思えばなんという愚行だったか。
だが私はさっさと手放してしまいたかったのだ。こんな男とは今すぐ分かれて、金輪際関わらぬようにしようと。それは罪の意識も含めてのことだったのだろうが、
「じゃあなご老体。お達者で」
それだけで、私事だけで済んでいればどれだけよかったことか。
異常者から解放され大きく溜め息を吐いた、まさにその直後だった。通りからいくつかの悲鳴が聞こえ、慌てて駆けつけた時には、
「なんだと……!」
一人の女が道の真ん中に倒れて、息子らしい少年が縋りついていた。女の胸には斧が刺さっていて、あの男の犯行だとすぐに知れた。過去すべての事件で、遺体は斧や大型の刃物で〝解体〟されていた。
「バカな……!」
怒りを通り越して呆れ、そこからまた憤怒がぶり返してくる。あの男は何の意味もなく、まるで行きがけの駄賃のように罪もない女の命を奪っていったのだ。あんなものはもはや人ではない。同じ枠に収めてはいけないモノだ。
集まり始めた人だかりをかき分け女の元へと向かった。どう考えても即死の致命傷で、仮に私が医術の達人であっても手の施しようはない。瞼を閉じさせてやるくらいしかできなかった。
そんな私を、少年は見ていた。目の前で母親の命を無意味に奪われ、悲しみに打ちひしがれる子の目が私を見つめてくる。ほんの一瞬、ただ視線が合っただけかもしれないが、私には責められているように感じられてしかたなかった。
いや、実際にしかたないのだ。責められるべきなのだ。何を他人事のように言う。アレを解き放ったのは他ならぬ私ではないか。見返りに目を眩ませ、詭弁に騙されたフリをして、道を誤ったのは私なのだ。
「……済まない」
その言葉を少年がどう受け取ったか、恐ろしくて聞けるはずもなかった。せめてもと、最後の身寄りを失くした少年を我が家に迎え入れはしたが、いつの日か真相を知った少年に咎められはしないかと、その時私はどの面下げて弁明するのかと。考える度に手が震えて、杖を持つようになったのもあの時からだ。
「なあ聞いてんのか? 何なら親父に掛け合ってあんたを取り立ててやってもいい! だから助けてくれ! あの時みたいに、なあ!」
「……そうだな。あの時、」
アドルファスは自嘲ともとれる顔をして、杖の先端付近を掴んで回した。今度は銃口ではなく角錐状の刃が現れる。先端部分はその鞘であった。
「お、おいっ! 何しやがる!」
「あの時、こうしておくべきだったのだ!」
「やめろ! よせっ! よせぇえええ!」
「……ぬぅん!」
力の限りを込めて、アドルファスは杖を男の胸に突き立てた。体重を乗せて深々と、間違っても命拾いすることのないよう、もがきが収まるまで念入りに息の根を止めた。
一部始終を眺めていた鳴河に、体を起こしたアドルファスが返り血を浴びた顔を向ける。
「叶うなら、他言しないでもらえると助かる」
「俺の仕事は終わった。後はそちらの問題だ」
「……そうだな。確かに私の問題だ。こやつが乗っていた馬が戻ってきていた。悪いが馬車まで戻してくれるか? 私はもう少し留まっている。今すぐには、戻る度胸が持てんのでな」
無反応で了承した鳴河が道に出ようとして、
「ヘイゼルウッドに伝えてくれ。『誘導も上手くいった。すべては計画通りに』とな」
「…………」
「そのまま伝えてくれればいい。貴公にもいずれ、奴から話すことになるだろう」
「……承知した」
「アドルファス様! ご無事で」
「レイナー、もういいのか」
布を巻いた左肩を押さえながら、アドルファスの帰還を迎えたレイがうつむきがちに、
「取り乱し職務を全うできませんでした。どうお詫びをすればいいか」
「よいのだ。危険な任務によく臨んでくれた」
「アドルファス様……」
「助っ人殿はどうした?」
「先ほど迎えが来て帰られましたが」
「そうか。あやつのおかげで殲滅は完遂できた」
「! 討ったのですねっ! 断ち切り魔を、母の、仇を!」
暗かった顔を輝かせたレイに、アドルファスはこれ以上ないほど動揺を抑えながら、
「そうだ。確かに討った。これから市民はあれに怯えることなく往来を歩けることだろう」
「さすがは、さすがはアドルファス様です。引き取っていただいただけでなく、仇まで討ってもらえて……。これで、これで私も……」
「レイナー……」
「私は、なんとお礼を言ったらよいのか……、アドルファス様」
「! ……言うな」
「え?」
そこにあった顔に、レイは驚愕した。寝顔さえ厳格に見えるアドルファスが両の目に涙を溜め、まるで何かに耐えるように歯を食い縛っていたのだ。
「……礼など、言うな。お前が私に、礼など言ってくれるな……!」
「アドルファス様……」
歓喜に沸いていたはずのレイの胸の内に、にわかに疑念が生まれる。そしてこの疑念が、やがて望まぬ展開を招くことになるなど、どちらも考えすらしなかった。
「お疲れ様。どう? 上手くいったかい?」
帰りの馬車の中で相変わらずの声色で話すエドに、こちらはこちらでいつも通り嬉しくも悲しくもなさそうな鳴河が、
「仕事はこなした」
「他の所も上手くいったみたいだよ? これにてメイソン卿の宿願は叶い、僕はさらなる利益を手にすることになる。万々歳だ。目的はすべて達せられたってことだね。いやめでたい」
「…………」
「あ、そうだそうだ。メイソン卿何か言ってなかった?」
「そういえば伝言を頼まれていた」
「なんてなんて?」
「『誘導は上手くいった。すべては計画通りに』だそうだ」
「なるほどなるほど。大変結構じゃないか」
「それともう一つ」
「お?」
どこまでもおどけるエドへと、鳴河は鎌かけのように言った。
「俺にもいずれ、お前から話すことになる、だそうだ」
「……まっ、さすがに見抜くよね。メイソン卿も、」
「…………」
「キミもね」
「このところのお前の行動は、間違いなく利益を追求してのことだろうが、」
「うんうん」
「何か、別の目的があったように思えた」
「ふむふむ。ちなみにその目的とは?」
「さあな。見当もつかん。だが、」
「だが?」
「俺にとってはさほど重要ではない。お前が俺との約定を守る限り、俺も守り続ける。何かしらを秘密にしておきたいというのなら、それを暴くこともない」
「僕はキミのそういうところが好きだよ。一目惚れは正しかったというわけだ」
嬉しそうなエドが『けれど』と人差し指を立てて、
「一つだけ間違っているよ、ナルガ?」
「というと?」
「秘密にしておくつもりなんてない。メイソン卿の言う通り、キミにもすべて話そう。明日の夜、予定を開けといてね」
不敵に笑うエドに、鳴河はそれ以上何も言わず、無言で馬車に揺られ続けた。




