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アルビオンの用心棒  作者: adalwolf
2/7

無垢



「例の貴族の動きは?」

 ヘイゼルウッド家当主、エドワードの執務室。英国(イングランド)はもちろん他国からも取り寄せた調度品が壁や棚に並べられた豪奢な一室で、鳴河が抑揚のない声色で訊ねた。やや深刻そうな鳴河に対し、黒檀製の歴史を感じるデスクを挟んで座るエドは、

「ない。アレでおしまいならいいんだけど」

 緊張感の欠片もなく言葉を返した。

「もうしばらくは警戒を続けるか」

「さすがに屋敷にまで仕掛けてくることはない、と思うけどねぇ。ここ郊外だから移動すれば目立つし」

「とはいえあの男、よほど腹に据えかねている様子だった。あれで終いとはいくまい」

「面倒なお人だよ。ダメになった商売なんて忘れて次を始めればいいのに」

「お前は恨みばかりを買いすぎだ」

「引き取り手がいないもんでね。〝買い〟ばかりだよ」

 エドが肩をすくめてカップを持ち上げ、だいぶぬるくなっていたお茶に口をつけた。ちょうどそのすぐ後に、

『旦那様、よろしいでしょうか?』

控えめに扉を叩く音がして、ノックと同じく大きくも小さくもない声が訊ねてきた。

「いいよー」

「失礼します旦那様。農園と醸造所からの報告書が届きました」

 了承を得てドアから現れたのは初老の男で、上品だが目立たない意匠の燕尾服を着ていた。すっかり色の褪せた髪も口髭もきれいに整えられ、全身から清潔感を滲ませている。三代に亘ってヘイゼルウッド家の家令(スチュワード)執事(バトラー)従者(ヴァレット)を兼任する男で、名前は、

「ありがとグレイ」

「航海が順調なら、到着は五日後になるかと」

 歩を進めるグレイが、場所を空けるため下がった鳴河と入れ替わりに机の前に立ち、花の紋章が描かれた紙をエドに手渡した。

「豊作だねぇ。他に何か報告は?」

 ざっと目を通したエドが訊ね、グレイは少し困ったような顔をして、

「それが、(わたくし)からは以上なのですが、」

「?」

 言葉尻を濁すグレイにエドが小首を傾げ、続きを促そうとしたところで、廊下からどたどたと力強い足音が聞こえだした。それが段々と近づいてきて、

「お兄様っ!」

丁寧に閉められていたドアを蹴破らん勢いで、彼女は入室してきた。

「あれマリサ? 今日は友達と乗馬に行ってたんじゃ」

「大急ぎで戻ってきたのです!」

 艶やかな茶髪を縦にロールさせた、乗馬服を着たままのマリサなる少女がずかずかとエドに歩み寄り、

「いったいどういうことですかお兄様っ!」

 怒声で質問しながら両手で天板を叩いた。机に載る羽ペンやインク瓶はもちろん、椅子に座るエドや壁際の鳴河、さらには先ほどの鳴河のように退()いたグレイまでもが反動で跳ねるほどの衝撃だった。

「……何が?」

「私の結婚相手のことです! 勝手に婚約を決めるなんていくら家長でも許しませんよ!」

「ちょちょちょちょっと待って何の話か全然見えな」

「とぼけないで下さい!」

 再び机を叩くマリサ。あまりの勢いに頭から羽飾りのついた帽子が落ち、グレイが床につく前に拾い上げた。

「ティファニーから聞きましたよ! 兄様が私とバーゼル卿の御子息との婚約を考えていると!」

「いや違う違う! それ、前にドラコ達との晩餐会で『ウチの妹ももうすぐ二十歳(はたち)だしそろそろ結婚を考える時期だねぇ』って話してて、そしたらドラコが『そういえばバーゼルの旦那もそろそろ息子に身を固めさせたいって言ってたな』って、ただそれだけの話。それに尾ひれが過分についただけだって!」

「本当ですか?」

 据わった目を近づけながら問うマリサに、エドはコクコク頷きながら、

「可愛い妹を騙したりするもんですか」

「……ならいいのです」

 乗り出していた身を引いたマリサに、『はぁ』と大きく息を吐いたエドが、

「ただ、君ももういい歳なのだから、そろそろ婚姻についても真剣に考える頃じゃないかい? 政略結婚なんてさせる気なんてないから、好きな相手を好きになっていいんだよ?」

「それは、そうでしょうが……」

 先ほどまでの威勢はどこへやら、マリサはしおらしく少し悩んだ後、

「お兄様」

 改まった態度で口を開いた。よく見ると、その頬は少しばかり赤く染まっている。

「すぐにとはいきませんが、いずれお兄様に紹介したい方がおります」

 短い報告に、エドは心底驚いた表情を見せた。目を丸くし、しばらく言葉を失ってから、

「驚いたな。マリサにそんな話があるなんて。今すぐお目にかかりたいくらいだよ」

「色々と事情があるのです。ひとまず今日のところはこれで」

「そうだね。それじゃ早く着替えておいで。淑女(レディ)がいつまでもそんな恰好で屋敷をうろつくものじゃない」

「そうします。グレイ、衣裳部屋にエマを寄こしてちょうだい」

「畏まりました」

「ではお兄様、失礼します」

 グレイを連れて部屋を出ていく妹を見送り、扉が閉まり足音が聞こえなくなってから、


 だんっ!


 エドは天板に顔面から崩れ落ちた。

「どうした?」

 鳴河が聞いて、エドは赤くなった額を持ち上げながら、

「いや、小さい頃から勝ち気で男勝りで、『これ嫁の貰い手あんのかなー』って心配だったマリサに想い人がいたのは嬉しい話だったんだけど、なんか妹を取られた気がしてだいぶ複雑……」

「…………。俺は部屋に戻っている。用があったら呼んでくれ」

「フォローくらいしてってよ」

「悪いが先約がある。セシル嬢に日ノ本の御伽噺(おとぎばなし)を聞かせると約束した」

 にべもなく拒否して部屋を出る鳴河に、エドは恨めしそうにうなだれて、

「下の妹まで取られてた……」


 自室として宛がわれた一室に戻ってきた鳴河が、他に誰もいない部屋の真ん中ですっと目を閉じた。しばらくそのままでいて、唐突に柱の一本に近づいていく。入り口からはその柱の陰になって見えない位置の床に手を触れ、跳ね上げ扉となっている板を持ち上げた。現れた空間には、

「どうして分かるの?」

 一言も発せず、衣擦れの音さえ立てていなかったはずの自分を見つけた鳴河に驚きを隠せない少女の姿があった。

「長年の研鑽としか」

 生真面目に答える鳴河に、少女は『んしょ』穴から這い上がり、鳴河に促され椅子に座った。そして、

「お話……」

 上目遣いに鳴河を見つめながら、おっかなびっくりの口調で催促してきた。

「よいですとも。セシル嬢」

(ずいぶんと慣れてくれたものだ)


 鳴河がその少女、セシルと出会ったのは、ヘイゼルウッド家にやってきて二日が過ぎた頃だった。

「今日から客間じゃなくてこの部屋を使ってくれ。一応頼まれてた家具は用意させてあるけど、要り様になったらなんでも言っていいよ」

「ひとまずはこれでいい」

「じゃあ、用ができたら呼ぶよ。そっちに用があったら遠慮なくメイドを使ってくれ」

 『ああ』と返した鳴河に、『じゃあね~』とエドが手を振りながら去っていった。後ろ手を組んだエドの姿がすぐ隣の階段の陰に消え、鳴河は部屋へと足を踏み入れる。

「…………」

 ベッドとクローゼット、そして書き物をするための机と本棚が一つずつという、ミニマリズムに則った最低限の家具が、同じセットをあと五つは入れられそうな広い室内に収まっていた。壁や天井の作りは見事だがそれに見合う調度品の類が見当たらない、酷くバランスの悪い部屋だ。数ヶ月前まで日ノ本にいた鳴河にとっては、様式も含めて落ち着かぬ空間である。

 ベッド脇に置かれた、日ノ本から持ってきた荷物を一瞥して、鳴河は部屋の真ん中に腰を下ろした。紗良紗(さらさ)と呼ばれるインドの染め物を敷いた床の上で、愛刀を膝に載せて座禅を組み、瞼を下ろして微動だにしない。普段からやっている精神統一だが、

(またか……)

 不意に感じた他者の気配に、鳴河はその顔をしかめた。

 感じ取ったそれを見失わないようゆっくりと目を開け、視線だけ動かして部屋を見渡す。自分以外誰もいない室内で確かに察知した何者かの存在。今はどこを探っても感じられない。

「南蛮に座敷童がいるとも思えんが」


「え、なんて?」

 鳴河の部屋とは打って変わって豪勢な造りの執務室で、エドは唐突な質問にやや焦り気味に聞き返した。

「この屋敷、霊の類が住み着いていたりしないかと聞いたんだ」

 たっぷり三秒間、エドは同じ顔のまま硬直し、その後滑稽なほどに狼狽えた。

「ままっまままままっさかぁ! こここの屋敷で幽霊なんてああり、ありえるはずがにゃ」

「……お前、もしやその手の話は苦手か?」

「だ、だって幽霊ってほら、いざ襲われた時対処の仕方が分かんないし。金で懐柔とか絶対無理そうだし」

 書類仕事をする時だけかける眼鏡がずれるほど激しい身振り手振りを交えながらの弁解に、鳴河は皮肉気味に言う。

「神にでも縋ればいいだろう」

「僕無宗教って()ったろ? 今さら神頼みしたって絶対助けなんてしないって」

「救われるは信じる者ばかりか」

「んで、なんで急にそんな話を? 嫌がらせ?」

 眼鏡の位置を直しながら訊ねたエドに、鳴河は否定を返した。

「部屋で瞑想していたら気配を感じてな」

「外から誰か見てたんじゃないの? エマとか東洋からきた君に興味津々だったし」

「あれは間違いなく内からのものだった。この屋敷に来てから何度か感じていたのだが、刺客にしては殺気の『さ』の字もなくてな。どちらかというと怯えているようだったが」

「……それなりに興味のある話だけど、今はやめとこう」

「怖いからか?」

「忙しいから!」

 ムキになって否定するエドに、鳴河は小さく息を吐き、

「外で鍛錬をしてくる」

「はいはい行ってらっしゃい」

 『しっ、しっ』と野良犬を追い払うような手振りを見せるエドに、鳴河は部屋を出ていった。


 コの字の形をしたヘイゼルウッド邸の裏庭、井戸や厩のそばで、ブォンブォン、と素振りの音が響く。

 脱いだ上着を厩の柵に掛け、シャツの袖を巻くって、鳴河は一定のリズムで足を前後に動かしながら黒い金属の塊を振るう。

 それは普段使う刀と形は似ているが、刃はついておらず厚みも三倍はあった。柄すらなく、布を巻いて持ち手にしている。切れ味などなくともその重量で人を殴り殺すには適した得物だ。鳴河の腕なら人の頭など容易く粉砕できるだろう。

(まただな)

 屋敷の中でも感じた視線を背中に受けながら、鳴河は気を取られぬよう素振りを続ける。ぜんまい時計が時を刻むように正確に、乱れなく調子を保ったまま。


 およそ二十分が経って、鳴河の素振りは静かに終わった。疲労感を逃がすように大きく息を吐き出しつつ腕を下ろし、浅く乱れた呼吸を、まるで誰かに悟られまいとするように整えていく。

 小休止を挟んで、鳴河は井戸へと向かった。シャツを脱ぎ上半身裸になって、冷たい井戸水で濡らした布で汗を拭っていく。

 そこへ、

「ナルガ様ー?」

 甲高い少女の呼ぶ声がして、鳴河は視線を振りながらやってきたメイドに、

「こちらだ」

「あ、そこでしたか……、って!」

 銅褐色の髪を二つ結びにした、『田舎娘』の印象が強い少女が鳴河を見つけ、その半分だけの裸体に顔を真っ赤にした。エマという名のハウスメイドで、まだ十七で純真なためか男の裸に免疫はないらしい。

「ああ、失礼した」

 赤面のわけを察した鳴河がひとまずシャツを羽織り、それでもエマは直視できないまま、

「お、お昼ご飯、じゃない! 昼食の準備がそろそろ整いますので、食堂の方へ」

「相分かった。着替えを済ませたら参る」

「で、では」

 緊張したままのエマがそそくさと立ち去り、鳴河も服と素振り用の刀を持って部屋に戻った。裏口から入って階段を上り、

「ん?」

 部屋の前まで来て、その人影に気づいた。

 薄い黄色のドレスを着た女の子で、主不在の部屋を恐々と覗き込んでいる。

「そこで何を?」

「ひゃうっ!」

 尻尾を踏まれた猫のように飛び跳ねた少女が振り返る。鳴河の姿を認めて完全に怯えきった、今にも泣きだしそうな顔をして、

「あ、おい」

 その後脱兎の如く逃げだした。慌てて手を伸ばす鳴河だったが、小さな背中は曲がり角の向こうに消えていた。


「女の子?」

「ああ。鳥の子色のドレスを着た」

「『トリノコ』色?」

 昼食の席で、細長いテーブルの向こう岸に座るエドへと、鳴河は気配の正体であろう少女の特徴を伝えていた。言葉の壁に多少難儀しながらも、

「鳥の卵のような淡黄色のことだ」

「あー、それならウチの妹だね」

「妹?」

 そう言われて真っ先にマリサを思い浮かべた鳴河だったが、

「下にもう一人いるんですよ。名前はセシル」

 当人が席に着きながら、心中を読んだかのように説明した。

「確かに髪の色は同じだったな。しかし今日まで目にしておらなかったが」

「まあ、ちょっと事情がね」

「事情?」

「素直でいい子なんだけど、小さい頃から人見知りが激しくて引きこもりがちなんだ」

「最近では屋敷の中くらいならたまにうろつく程度にはなりましたけど、姉妹の私とすら数日に一度顔を合わせる程度で」

「僕なんてドア越しの会話ばっかりでこの一月(ひとつき)一度も顔見てないんだけど」

「商売優先で(ないがし)ろにしているからではないか?」

「そんなことないよ! 僕これでも家族との時間を大事にしてる方だよ? 暇を見つけてはスキンシップを図ってたよ?」

「ならばその『すきんしっぷ』とやらが鬱陶しくて嫌になったか」

「やめて悲しくなるから!」

「ともかく得心がいった。見知らぬ東洋人が自分の領域に入り込んでいて警戒しているということか」

「念のために断っておきますが、べつに他意があるわけではないのですよ? あの子に人種の違いを気にする見識はありませんし、無論私も……、いえ、正直に言えば多少構えてはいましたが」

「異物を警戒するのは当然のことだ。それをしない方が異常か、無責任というものだろう」

 鳴河の返しに、エドは悟られぬ程度に口元を歪めた。そんなエドへと、

「食事はどうしているのだ?」

「いつもシャーリーに部屋まで運ばせているよ」

「シャーリー、ああ、あの銀髪の女中か」

「ほとんど家政婦(ハウスキーパー)も兼ねているんだけどね。管理職に専念しないで侍女(レディースメイド)家庭教師(ガヴァネス)なんかを兼任してくれてる」

「セシルも唯一シャーリーだけには心を開いていますからね。四年前にお母様を亡くして、その後ずっと母親代わりを務めていましたから。……考えてみれば、お母様が死んでからよりふさぎ込むようになってしまいましたね。無理もないですけど」

「左様か。先ほどばったり顔を合わせた時も慌てて逃げ出してしまったが」

「それ警戒してるっていうより君が怖い顔してたからじゃないの?」

 至極真っ当そうに言ったエドに、

「怖い顔?」

 鳴河は本気で覚えのない顔で返した。

「自覚ありませんのね」

「……そんなに強張っているか?」

「夜道でいきなり出くわしたら真っ先に生命の危機を感じるくらいには」

「その目つきも、まるで刃物のようですし。視線が物理的に刺さってしまいそうなほど」

「護衛というより『臨戦態勢の刺客』といったところでしょうか。私もそばにいるだけで緊張感が生まれます」

 雇い主とその妹とその従者にそこまで言われ、

「そんなにか……」

 鳴河は磨き抜かれた銀のナイフの側面を覗き込んだ。ぼやけた像がそこに映る。

「キミってさ、今まで笑ったことある?」

「なんだ唐突に」

「いやさぁ、なんていうかナルガの仏頂面見てたら、生まれてこの方一度も笑ったことないんじゃないかなって思えてきて」

「いくらなんでもそんなわけ……」

 からかい半分に言ったエドに鳴河が反論しようとしたが、語尾を言いきる前に口をつぐんでしまった。

(そういえば、最後に笑ったのはいつだ? 日ノ本を出た後はもちろん、剣術修行で全国を行脚していた時も覚えはない。奥州にいた頃も剣を習っている間は笑わず、というか無駄口すら叩いていなかったし、それより前となると記憶が曖昧に……)

「どしたの?」

「ナルガ様?」

「……お前の言う通りかもしれん」

「?」

「少なくとも、ここ十三年の間は、笑った記憶がない」

 珍しく深刻そうに呟く鳴河に、エドもマリサも何とも言えずに押し黙り、グレイだけが静かに微笑んでいた。


 鳴河が地味に衝撃を受けていた頃、

「セシル様、昼食を運んでまいりましたよ」

 幽霊と誤解されていたセシルの部屋のドアを、シャーリーというメイドがノックした。

 銀細工のような髪を結い上げたおっとりとした女性で、見た目の年齢は三十手前といったところか。その物腰や服の上からでも目立つふくよかな胸のサイズから、強い母性を感じさせる、そんなメイドだった。

『今開ける』

 ドア越しの声の後に錠の音がして、扉はゆっくりと開かれた。シャーリーがワゴンを押して入り、すぐに閉じられる。

 閉め切っていたカーテンが開けられ、薄暗かった部屋に明かりが差し込む。汚れてはいなかったテーブルが一度拭かれ、そこに昼食が並べられていく。

 椅子を引いてセシルを座らせ、シャーリーは一歩下がった。セシルが無言のまま食べ始め、小さな一口を飲み込んですぐに、

「シャーリー」

「なんでしょうか? お嬢様」

「あの人、いつまでいるの?」

「あの人とは?」

「あの長い黒髪の人……」

「ナルガ様ですね。いつまでかは私には。ただ、あの方はご当主様がお雇いになられた護衛ですから、しばらくこちらで過ごされるかと」

「…………」 

 食事の手を止めてしまったセシルに、

「お嬢様は、ナルガ様がお嫌いですか?」

 シャーリーは見た目通り優しい声で、しかし核心をつく質問をした。セシルがピクッと震えて、

「……だって、あの人怖いもん」

「そうですね。とても鋭い眼光をお持ちで、私は頼もしくも感じますが」

「おんなじ目、してた……」

 食事の手を止め泣きだしそうに漏らしたセシルへと、シャーリーは表情を変えずに、

「では、ナイトと考えてみてはいかがですか?」

 思わぬ提案に、セシルはきょとんとして首を傾けた。

「騎士様? お話に出てくる?」

「ええ。セシル様も白馬の騎士が出てくる物語はお好きでしょう? ナルガ様のお役目は、もちろん第一にエドワード様の護衛ですが、セシル様やマリサ様の身の安全も、その対象の内だそうですよ。ですから、あの方はセシル様の騎士のような人なのですよ」

「騎士様……」

 説得が功を奏したか、セシルは怯えるのをやめて考え込み、

「シャーリー?」

「はい」

「……またお話して。できたら騎士様が出てくるの。お勉強の後でいいから」

「畏まりました。お嬢様はお話が本当にお好きですね。王子様よりも騎士様のお話ばかり。もうどのお話も一度はお聞かせしてしまいましたが」

「何回でもいいの。シャーリーが話してくれるのがいいの」

「光栄です、お嬢様」

 まさに慈母といった笑顔のシャーリーに、セシルも微笑みを浮かべて食事を再開した。


(確かに酷いものだ)

 部屋への帰り道、ガラス窓に映った顔つきに、鳴河は自嘲気味に漏らした。子供が見たらそれは怖がるだろうと、自分で納得できてしまう。

「この(かお)ではな。しかし〝笑う〟か」

 試しにと口角の左右を手で引っ張ってみる。真顔のままやっても不気味なだけだが、

「目元、はどうだ?」

 今度は目尻をいじり始めたその顔は、ますます奇怪(きっかい)な物となっていった。よりにもよってそんなタイミングで、

「あっ」

「っ!」

 すぐ後ろから聞こえた声に、鳴河は目を見開き振り返る。声の通り背後にセシルがいた、

(背後を取られるまで気づかなかっただと?)

 その存在によほど驚愕したのだろう。鳴河はいつもの〝怖い顔〟に戻っていて、

「あ、……あっ」

 その顔がよほど恐ろしかったのだろう、セシルもまた昼前に見た怯えた顔をした。そのまま慌てて逃げ道をと周囲を見回し。焦るあまり駆け込もうとした先は鳴河の部屋だった。

「ま、待てっ!」

「ひっ!」

 大声で呼び止められ、セシルはゴルゴーンに見入られたように硬直した。油の足りていない歯車のようにぎこちなく首だけ振り返り、

(笑顔を、意識……)

 戦慄(わなな)く少女へと、鳴河は浮かべうる限りの笑顔を向けた。もっともそれは『笑み』と呼ぶのもおこがましいほど引きつっていて、最大限擁護しても、『獲物を前にして高揚した快楽殺人鬼』としか形容できない。

 ただでさえ他人に怯えるセシルがそんなものを向けられて堪えられるはずもなく、

「ふぇ、ふぁあああああー!」

「ぬっ!」

 じわっと溢れた涙を撒き散らしながら、悲鳴とともに部屋へと飛び込んでいった。一方かなりバツの悪そうな鳴河は、幼子を泣かせたところを見られてはいないかと周囲を確認し、大急ぎでセシルの後を追った。そして部屋に入ったところで、再び驚愕する。

「……いない?」

 出入り口は一つだけ。窓は開くがベランダなどはなく、高さは落ちたら『痛い』では済まないほど。家具が少ないため隠れ場所すらほとんどないはずだが、セシルの姿はどこにもなかった。

(いや、近くにいる)

 見えぬのならと目を閉じ耳を澄ませた鳴河が、少女のすすり泣く声を聞きつけた。蚊の羽音のようにひどく小さく手繰るのが困難ではあったが、どうにか部屋の端にまで歩を進めることができた。

「? これは」

 壁際の床の異変に、鳴河は気づく。一部分がせり上がって、わずかな段差ができていた。そこに指先を触れそのまま持ち上げてみると、床板は跳ね上げ扉になっていて、

「!」

 その奥にセシルの姿があった。大人が立って移動できるだけの空間があって、その壁にもたれかかって泣きべそをかいていた。

「隠し通路か。西洋の屋敷にもあるのだな」

 半分感心していた鳴河を、セシルは赤く腫れた目で見つめる。まだ怯えてはいるようだが、逃げ出そうとはしない。

「……さっきは」

 そう言いながら手を伸ばした鳴河だが、セシルはビクッとして身を引いてしまい、無言のまま引っ込めた。

 しばし考え込み、鳴河はすっと後ろに下がった。姿が見えなくなって、しばらくしてもそのままで、気になったセシルが動きだした。巣穴から出る小動物のように床の穴から顔を出し、

「えっ……?」

 一歩引いた位置で腰を下ろし、深々と頭を下げている鳴河の姿に面喰った。先ほどまでの恐々とした気持ちなどすっかり置き去りで、

「な、何してるの?」

「先ほどは、すまなかった。怖がらせるつもりは毛頭なかったのだが、なんにせよ女童(めわらべ)を怯えさせるなど武人にあるまじき醜態。お詫び申す」

 大の男に謝罪されたのが意外だったのか、それとも胡坐をかいて両膝に手を置き(こうべ)を垂れるその姿勢の意味が理解できなかったのか、セシルは困惑しながらも恐る恐る歩み寄っていく。そしてとうとう目の前まで来て、

「あ、あの……」

「…………」

 声をかけてみるも反応のない鳴河に、セシルはややあって理解した。

「か、顔を上げて」

 言われた通りすっと(おもて)を上げた鳴河。その相変わらず鋭利な眼差しに若干ビクつきながらも、セシルはしっかりした声で訊ねる。

「な、ナルガは、お兄様の騎士様なの?」

「騎士……、いや、ただの用心棒だ。一応馬には乗れるが」

「ヨウ、ジンボウ?」

英国(こっち)でどう訳したものか。ひとまず、護衛のようなものだ。迫るすべての危険から護る」

「セシルの、ことも?」

「そう依頼されている」

鳴河の答えに、セシルは一度目を伏せ少し恥ずかしそうに、

「ナルガは、セシルの騎士様なの?」

「『武士』の方が馴染みがあるのだが、そう呼びたいのなら」

「セシルのこと、護ってくれる? 怖いの全部から、護ってくれるの?」

「約束しよう。俺は其方を護る。其方の恐れるすべてから」

 しっかりと頷いた鳴河に、ずっと緊張気味だったセシルの顔つきが緩む。もう一歩近づいて、

「じゃあナルガは、セシルの騎士様。怖いのからセシルを護ってくれる騎士様」

「『怖いの』か。確かに世間はその『怖いの』で溢れていた。旅の途中も無数に見たし、何度となく戦ってきた」

 何気なく言った鳴河に、セシルは心配そうな目をして、

「それでケガしちゃったの? ナルガの目」

「? ああ、これは違う」

 否定の後するりと外された眼帯の下、蒼の宝玉の瞳を、鳴河は晒した。その色合いに驚いたセシルが目を見開き言葉を失う。あまりに繰り返され続けた、鳴河にはもはや見飽きた反応だったが、

「キレイ……」

 その一言は、そこだけは永らく聞いていなかった言葉だった。今度はこちらが驚いた鳴河の頬へ、セシルの小さな手が触れる。

「ナルガの左目、すごくキレイ」

 魅入られたようにセシルが顔を寄せる。波のように揺らぐ光を湛えた鳴河の碧眼に、どんどん食い入っていく。

「!」

そしてその蒼の揺らめきの中に自分の顔を見つけた途端、状況に気づいておたついた。鼻先が触れ合うほどに、いつの間にか顔と顔がほとんど密着していて、セシルが大慌てで赤みの差した顔を引く。相当に焦った様子であたふたしながら、

「あ、あのね、さっきは、……怖がってごめんなさい」

「いや、目つきの悪さは自覚している。むしろ足りなかったと」

「……似てたから」

「?」

「ナルガの目、似てた、から」

「似ていた?」

「……お母さんを、お母さんを殺した人達と、目が、似てたから」

「っ!」

 

 キミも。〝その目〟にしてしまったか。


 いつか聞いた言葉を思い出し固まっていた鳴河が、目の前の泣きだしそうな少女へと、

「母君が亡くなられたとは聞いていたが、襲撃されたのか。其方の言う〝怖いの〟とはそれか」

 セシルはコクッと頷き、

「午餐会の帰りに、馬車が襲われたの。御者さんが殺されて、男の人がいっぱい、手に剣とか斧とかを持って……。囲まれてて逃げられなくて、お母さんはセシルのこと抱きしめて、『大丈夫よ』って言ってくれた。でも、お母さんは殺されて、それでもセシルのこと離さないでいてくれて。すぐに聖堂騎士会の人が助けに来てくれたけど、お母さんは……」

「そうであったか。其方だけは生かそうとしたのだな」

「ナルガの目、その時の人達と同じに見えたの。で、でも違ったの! ナルガの目はすごくキレイだった!」

(それは、勘違いなどではない)

「もう一回、見ていい?」

 上目遣いにもじもじしながら聞いたセシルに、鳴河は言葉なく同意した。小さな手がまた頬に触れ、幼い顔が近づけられる。

「やっぱりキレイ。ナルガの目は、すっごくキレイだよ」

「これは、母から貰ったものだ」

「お母さんから?」

 『ああ』と頷いた鳴河に、セシルは名残惜しそうに手を離し、

「もうすぐお勉強の時間だから、お部屋に戻らないといけないの」

「左様か」

(勉強、俺も早く読み書きを覚えねばな)

 セシルはドアではなく秘密の通路から部屋を出て行った。鳴河が眼帯をつけ直し、

「俺の背後に回れたのもこれか。屋敷中に巡らせてあるわけか」

 閉じきった床板に触れながら納得したように呟いた直後、〝蓋〟が少しだけ浮いた。てっきりそのまま行ってしまったかと思われたセシルが、わずかな隙間からはにかんだ表情を覗かせて、鳴河を見つめながら問う。

「また、来てもいい?」


 それから屋敷に、部屋にいる時はちょくちょく遊びに来て、瞑想する鳴河を見学したり、アルファベットを学ぶ鳴河を手伝ったりしていたことなど、

「いつの間にあんな仲良く……」

 ドアのガラス窓越しに見つめるエドには知る由もなかった。二人とも話していないので当然のことではあるが。

 そんなエドを後目に、鳴河は頼まれていた日ノ本の昔話を語る。

「その持ち帰った桃を食った二人は若返り、やがて子が生まれた」

「桃を食べると、若返るの?」

「桃は邪気を払い不老不死をもたらす聖なる果実だという風習があったのだ。それで、その二人の間に生まれた子は『桃太郎』と名づけられた」

「『タロウ』ってなぁに?」

「本来は男につけられる名前、もしくはその一部なのだが、少年や青年を指して使う場合もある。こちらで言うところの、『じゃっく』などにあたるか」

「ふぅ~ん」

「……それでだ。成長した桃太郎は鬼ヶ島の鬼達が悪さを働いていると聞きつけ、」

「『オニ』って?」

「こちらではデビル、いや、デーモン? オーガが近いか。そういった存在だ。化生の物全般を指すこともあるが」

「悪魔なら、教会の人も連れてったの?」

「いや、獣が三匹いただけで、神職はいない」

「それでどうやって悪魔をやっつけたの?」

「それは、普通に斬り捨てたのだが」

「殺しちゃったのっ?」

「ああ。それで鬼が貯め込んでいた宝を取り返し、故郷(くに)に戻って幸福に暮らしたそうだ」

「…………」

 初めて聞く話にはしゃぐどころか沈んだ顔でうつむくセシルに、

(挟む解説が多すぎて御伽噺を語った気がしない。というより価値観の違いか? 話の顛末に納得できてないって顔だ)

 酷く疲れた様子の鳴河が、少しばかり頭を働かせた。

「幼い其方には(むご)く聞こえるかもしれぬが、」

「?」

刃傷(にんじょう)でしか解決できぬ問題というのも、確かに存在するのだ。それを知らぬことは、きっと幸福なのだろうな」

「……ナルガは、」

 色々と思うところがあったのだろう。複雑そうなセシルが何か聞きかけて、途中で怖くなったのかそこで止まってしまった。双方ともに黙り込み沈黙が降りる。が、それも長くは続かなかった。

「っ!」

 前触れなく顔を上げた鳴河が窓の方へと動いた。ガラス越しに外の、屋敷の裏側に広がる手つかずの荒れ地へと目を向ける。遠すぎてしっかりと視認できなかったか、机の上に転がっていた望遠鏡を手に取った。

 枯れたような色合いの草が揺れ、所々に葉の一枚もない朽ち木が立ち尽くすのみの殺風景の中に、数人の男達が確認できた。崩れかかった小屋か何かの近くに四人いて、同じ数の馬も枯れた木に繋がれていた。

「ナルガ?」

 用心棒のただならぬ雰囲気から察してかノックもなしに入ってきた、故にセシルにビクつかれたエドが傍まで寄った。鳴河は望遠鏡を渡しながら、

「だいぶ遠いが四人いる」

「刺客かい?」

「恐らくな。全員から殺気を感じる。〝例の古井戸〟か」

「あーあれか。この距離でよく分かるね、キミ」

 肉眼ではぼやけた輪郭が背景に紛れてしまうほど離れた敵を改めて望遠なしで眺めながら、エドが感心半分呆れ半分で呟く。

「熊だの野犬だのが跋扈する山中を旅してきたんだ。それができなければ今ここにいない」

「壮絶だこと」

 理由を聞いて完全に呆れきったエドに、鳴河は立てかけていた刀を腰に差しながら、

「なんにしても捨ておくわけにはいくまい。行って斬り捨て、」

 言いかけて、ふとセシルに目を向ける。纏うオーラか会話の端々に現れる不穏な単語にか、瞳を潤ませ怯えた表情を見せていた。鳴河がやりにくそうな顔をして、

「……追い払ってくる。万が一に備えて、其方は部屋に戻っておれ」

「……うん」

 しっかり頷いたのを見てから、鳴河は出口に向かい、

「ナルガっ!」

 その背にセシルが声をかけた。鳴河はもちろん、エドが聞いた中でももっとも大きな声量だった。

「ケガ、しないでね? ちゃんと帰ってきてね?」

「無論だ」

 短く返して、鳴河は部屋を出ていった。まるで姫と騎士のような別れのシーンにエドが、

「なんだろこのジェラシー。まあとにかく、セシルもお兄ちゃんと一緒に、って、アレっ? いないっ?」

 いつの間にか見失った妹の姿に慌てふためくうちに、セシルは壁際の秘密の通路に入り込み、そっと蓋を閉じた。


(正面からでは目立つか)

 廊下を駆ける鳴河が、走りながら考えを巡らせる。屋敷から襲撃者達まではだいぶ距離があるが、身を隠せそうな物などほとんど見当たらなかった。正面から挑むことに不安はないが、万が一討ち漏らせば後々が面倒になる。

「!」

 そんな時に見つけたその〝箇所〟。セシルと初めて出会った日に背後を取られた、一見しただけではただの壁でしかないそこも、秘密の通路へと通じている。

「……たしか、裏の古井戸にも通じているのだったな」


 セシルとひとまず馴染んだ後のこと、

「この通路、やはり外に通じているのか?」

「うん。門のむこうの道の先とかお庭とか、あと裏手の古井戸のある小屋にも」

「古井戸?」

「もう崩れかかってるの。危ないし虫もいっぱいいるからもう行かない」

「迷ったりはしないのか?」

「ほとんどまっすぐだから、セシルも迷ったことないよ」


(行ってみるか)

 鳴河は決心し、ただの石壁にしか見えない扉を開いた。



「出かける様子はなしか」

「外に出てくれれば楽なんだがな。夜まで待って、あの壁の崩れた場所からいくか」

「屋敷の中はメイドと執事番に使用人が二人なんだろ?」

「あと東洋人の護衛が一人だ。そしてその男にあのごろつきどもは殺られた。一人残らず、だ」

「あんな半端な連中に任せるからだ。初めからこっちにやらせてくれてりゃ変に警戒されることもなかったろうに」

「費用を抑えたがるのが商人ってもんなんだろうよ。おかげで仕事が面倒になったが」

「だが今回ばかりは相当頭にきているらしいな。遠くからとはいえわざわざ出向いて様子見とは」

「こっちとしてはやりにくいだけだ。おうい、マクドウェルの旦那ンとこへひとっ走り行って、夜まで待つって伝えて来い」

「あいよ」

 指示を受けた男がその場を離れ、残った三人のうち一人が、

「さて、じゃあ暗くなるまであの小屋で、……おい? どうした?」

 繋いだ馬へと向かったはずの仲間が朽ちた小屋の陰で佇んでいる様に疑問符を浮かべた。他の二人と近づこうとしたが、その前に、

「なっ! おい!」

 男の胸が片刃の剣に貫かれているのを見て取って声を荒げた。

 刀を引き抜かれた男が力なく崩れ、死角から鳴河が現れる。眼帯はすでに外されていて、蒼と黒の瞳が刺客達を捉えた。

「て、てめぇ!」

 三人の中で一番若かった男が腰のサーベルを抜いて斬りかかった。上段に振りかぶっての打ち下ろし。そんな単純な動きを、鳴河が見切れないはずがない。案の定ひらりと躱され、

「がっ!」

すれ違いざまに峰打ちを脇腹に叩き込まれ、悶絶しながら倒れ込んだ。

得物を落とし、翅を千切られた羽虫のようにのたうち回る男を見下ろしながら、鳴河は冷めた口調で言う。

「威勢がいいな。お前は殺さずにおこう。……さて」

 視線を残りの二人に向け、鳴河は刀を握り直した。倒れた男と同じくサーベルを持つ長身の男と、右手のブロードソードの他に、マン・ゴーシュと呼ばれる武器よりも盾としての役割が大きい短剣を持つ髭を生やした男。先の二人や先日の連中と違い、

「今度は手練れを用意したわけか」

「お前が、件の護衛か」

 二人の男が目配せを交わし、長身の男が一歩進んだ。サーベルを体の前に出し、左手は邪魔にならないよう腰の辺りに下げられる。それ以上迂闊に動こうとはしない。

 鳴河もまた正眼に構えた姿勢で動きを止めた。男は殺気を纏い、鳴河は冷たい気配を漂わせて睨み合う。

 やがて鳴河の爪先がわずかに動いた。力を込め踏み出したと取った男がそれより速く打ち込もうと慌てて跳び出したが、

(しま……っ!)

 鳴河はその場に留まっていた。自らの失策を悟った男の横薙ぎを体を沈めるように躱しつつ、左の腿を斬りつける。痛みに男が膝をつき、顔を上げた時には鳴河は両手で刀を振り上げていた。

「…………」

 目の前で相棒の首を落とされた髭の男が声に出さずに呻いた。そちらを向いた鳴河が再び中段に構え対峙する。

 再びの睨み合い。髭の男もさすがに用心深く、その頬に一筋汗を流しながらも動こうとはしなかったが、

「な、ぁ……!」

 鳴河の〝目〟に、堅固だった心は揺れ始めた。こちらを見てはいるがまるで体を突き抜けてむこう側へ届いているような鋭い視線。人喰鬼のように禍々しく、幽鬼のように朧げ。身を突き刺すようであり、身の内に沁み込んでくる氷雪のように凍てつく殺気。それらは男を恐怖させ、慄く心は実にあっさりと、男に間違いを起こさせる。つまり先ほどの長身の男のように、ほとんど無策のまま斬りかかったのだ。

 一方、鳴河は冷静そのものだった。そうであるよう、何度も何度も鍛錬を重ねてきたのだ。その頭の中では、日ノ本で師と仰いだ男の言葉が浮かんでいた。


 襲い来る太刀先が一寸離れていれば見逃し次を待て。もし五分をきるようであれば、


(体ごとぶつかるように、斬り伏せる!)

 教え通り、鳴河は斜めに斬りつけてくるのを避けようとはせず、刀身を左に倒しながら右足を前に出し、相手の右脇腹から左胸にかけて刀を振り抜いた。相手の剣は鳴河の長い髪を幾本か宙に舞わせた。

 驚愕に満ちた男の頬が込み上げた血で膨らみ、それを吐き出しながら地に伏した。斬り終えた姿勢のままでいた鳴河が息を吐きながら体勢を戻し、刀を振って血を払う。口笛のような風鳴りの後、乾いた大地に赤い弧が描かれた。

「ああ、うぁ……」

 一部始終を目の当たりにした、未だに喘いでいた男が恐怖に引きつった顔で声を漏らす。そして得物を拾うこともせずに這いずって逃走を図ったが、

「待て」

当然すぐに追いつかれた。顔を上げると刺すような鳴河のそれと視線が重なる。見上げる角度によって、その恐怖はますます助長された。

「た、助けてくれ! 頼む! 殺さないで!」

「だから、殺さぬと言っただろう」

 刀をしまう鳴河にあっさり了承され、男は『へっ?』と間の抜けた声を漏らした。

「お前の役所(やくどころ)は『めっせんじゃあ』だ。雇い主に伝えてもらいたい」

「な、何を……」

 声色はまだ怯えを孕んでいるがその実胸を撫で下ろす男の問いに、鳴河はその安堵を打ち砕く行動を以って答えた。左足で男の腕を踏みつけながら膝でうなじを、左手でもう一方の腕を抑えた。あっという間に動きを封じられ再び戦慄した男の腰にあったダガーを空いた手で引き抜く。

「ま、待ってくれ! 殺さないって言ったじゃないか!」

「殺しはしない。ただ、」

 鳴河はダガーを持ったままシャツをめくり、男の背中を(あらわ)にした。

「さくりと死ねた方がマシとは思うかもしれぬが」

「な、何を……」

 涙を流し始めた男を無視して、鳴河はあらぬ方向に目を向け考え込む。

「文法は、綴りはあっているだろうか? ここで間違えるとだいぶ決まりが悪い」

 その一言で何をされるか理解したのだろう。男は溜まった涙を撒き散らしながら悲痛の叫びを上げる。

「頼むっ! やめてくれ! 頼むよぉ!」

「殺生事に関わっておいて今さら喚くな。お前も俺も堕ちた外道。ならばまともな生き死になどできんと覚悟くらいしておけ。常日頃の手入れが行き届いていれば痛みは少なくて済む」

 鳴河の右手が、ダガーの先が男の背に近づく。まだ触れてはいないが、その冷たい存在を確かに感じる男が涙と土埃に汚れた顔で、

「頼む、頼むから、やめて……!」

 冷徹な切っ先が懇願空しく背中に食い込んだ瞬間、壮絶な叫びが辺りに響き渡った。


「これでよし。さあ、主の許へ帰れ」

 〝作業〟の途中から静かになった男を馬の背に載せしばりつけてから、鳴河はその尻を叩いた。短く(いなな)いた後、馬は何処かへと駆けていく。

「お前達も、好きな所へ行け」

 他三頭の手綱と鞍を外した鳴河を六つの(まなこ)が見つめる。しばらくはそのままで、やがて一頭が走り出すと残りもそれに続いた。

「さて」

 すべてを片づけ終え、鳴河は屋敷の方を見る。雇い主と、純真無垢で人見知りな少女の待つ館。


 ナルガは……。


 不意にセシルの顔が浮かんで、鳴河は途切れてしまった問いの言葉を思い出した。それ以上言えずにいたが、何を聞きたかったのかは分かっていた。


 ナルガは、人を殺してしまったこと、あるの?


「……あるとも。四肢の指では数え切れぬほどに斬ってきた」

 誰にともなく呟いた鳴河が、屋敷へと歩きながら、

「俺は、あの人のようにはなれんのだ」



「おい、戻ってきたぞ?」

 襲撃者達がいた地点からさらに離れた場所に、豪奢な造りの馬車が止まっていた。周囲には剣を持った男が数人と、前回の失敗で焦燥を募らせていたマクドウェル。そのうちの一人がこちらに駆けてくる馬を見つけ声を上げた。

「? なんだぁ?」

 茶色い毛並みが近づくにつれ、他の者達も異変に気づき始めた。揺れる鬣の向こうの乗り手は跨ってすらおらず、その背に横たわっている。しかも、

「縛られてるぞ?」

「どういうことだ?」

「おい、止めろ!」

「どうっ、どうっ!」

 正面に出て宥めた馬が止まり、背から男が下ろされる。固く縛るロープを切ると体はずるりと地に落ち、その衝撃で男は目を覚ました。といっても意識が定まっていないのかずっと呆けた顔で、左右の瞳も彷徨っている。

「何がった? やられたのか? 他の奴らは?」

「あ……、えぇ……?」

「おいしっかりしろ! 何があった?」

 業を煮やしたマクドウェルが胸倉に掴みかかり、直後男の表情が変わった。白昼に亡霊でも目撃したように顔中を引きつらせ、凍えたように自分の肩を抱いて震え始める。奥歯がひび割れてしまいそうなほどにガチガチ音を立てる様子は、どう見ても尋常ではない。

「お、おい……」

「ひゃ、ぁは、あ? ひぃ、ひぃやぁああああああああああああああああああああああ!」

 思わず手を伸ばした別の男を振り払って、戻ってきた男は狂ったような悲鳴を上げた。目と鼻と口、顔中の、通常液体の漏れるすべての穴から涙と鼻水と涎を撒き散らしながらの、断末魔よりも凄絶な叫び。

「ひゃあ! あがぇ……、がぁうぁあ……!」

「な、何だというんだ? いったい……」

「……くま。あ、あく……、悪魔、だった……。あい、つぅ……!」

 半狂乱の男がままならぬ呼吸の合間に漏らす単語に、マクドウェル達はより一層混迷を深めていく。そのうち誰かが、

「ま、マクドウェル卿、そいつの背中」

血が染み込んだシャツの背中側に気づいて指摘した。訝りながらもマクドウェルが裾を掴んでめくり上げ、全員の視線がそこに集中し、

「……なぁっ!」

 あまりの凄惨さに、皆一泊遅れて反応した。呻きや悲鳴を上げる者やその目を背ける者、口元を押さえる者もいればたまらず近くの茂みに駆けこむ輩もいた。

 逃げてきた男の背中は、一言で表せば『ズタズタ』だった。どれも深くはないがその数は膨大な切り傷が、ほぼ全面に刻まれている。よくよく観察するとそれはアルファベットの形になっていて、マクドウェルが吐き気を抑えながら目で読んでいく。


 Would you like to sense a hell?(地獄を見たいか?)


「…………」

「ひぐぅぅぅ……! 悪魔、悪魔がぁ……」

 心底実感した戦慄に言葉を失い蒼白となるマクドウェルが、涙ながらに悲痛を訴える男がそれであるかのように慌てて手を離した。眼前の男の痛みを想像してか全身が寒くなり、もう誰も、一言も口を聞けなくなってしまった。



「済んだかい?」

 屋敷の入り口で迎えたエドに、帰りは地上を通った鳴河は小さく首肯した。視界の端に、柱の陰に隠れてこちらを見遣るセシルを捉えながら、

「あれで止んでくれるといいが」

「? 何かしたの?」

「……おこがましすぎてな。とてもじゃないが『騎士』などとは呼べんことを」

「何それ? まいいや。それより今度さ」

 今後の予定を話すエドについていきながら、鳴河はセシルに向かって軽く手を挙げる。それだけで照れて引っ込んでしまったセシルに、

「まさに畜生の業だ」

 挙げた手を戻して見つめた。数分前に、大の男が泣き喚いた挙句気を失ってしまうような〝非道(ひど)いこと〟をした手だ、同じ手を今、無垢なる少女に向けた自分に向けての言葉か。

 手を下ろし、鳴河はぼやくような口調で言う。

「綴り、間違ってなかったろうか?」


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