第1話
――西暦2035年9月第3週 土曜日 午後2時半頃 ノブレスオブリージュ・オンライン フランドル地方にて――
「いやあ、今日は秋晴れですねえ。こんな日は1日、部屋に籠ってノブオンのイベントにどっぷり浸からなければなりませんねえ?」
「ガハハッ! 運営も今回のイベントの報酬は太っ腹ときたものでもうす。午前中に買い物を済ませておいてよかったのでもうす!」
ハジュン=ド・レイ(出雲・叶一)とカッツエ=マルベール(出雲・永夏)が今週と来週の2週間に行われているノブレスオブリージュ・オンラインの運営が用意したイベントに珍しく昼から参加していたのであった。
そのイベントとは、イングランドとフランス領国の国土で、各地の名産品を集めるといったものであった。秋と言えば、日本に限らず、ヨーロッパでも収穫祭が行われているのだ。
憎いことに運営側はこの『秋の収穫祭』イベントを【ヴァルハラの武闘会】週とぶつけてくれたおかげで、いつも戦で忙しいノブオンプレイヤー層も参加することになったわけである。
「しかし、運営もなかなかに嫌らしいイベントを考えましたよね。2人1組の数チームかでまとめられた中くらいのグループ単位で集めた名産品の数と、その名産品の評価点が、ランキングに反映されるなんて……」
「ガハハッ! 秋の収穫祭と言えば、仲睦まじい男女が互いに口吸いをしあうものでもうす。デート代わりにはちょうど良いイベントでもうすな!」
カッツエはそう言いながら所作『口吸い』をする。カッツエは静かに目を閉じて、ハジュンの応えを待つ。
こ、これって、何かの試練なのでしょうかね? 永夏くんは筋肉だるまのキャラを操作していることをすっかり忘れているのでしょうか? せめて、彼女のサブキャラだったら、先生も嬉しい限りなのですが……。
「う、うっほん……。永夏くん? 所作『口吸い』はリアルでしますので、こんな草原のど真ん中で、先生を求めるのはやめてもらいませんか?」
「えーーー? 叶一くんの意地悪なのでもうす。わたしだって、あそこの2人のようにゲーム内でも熱々になりたいのでもうすよ?」
カッツエが所作『いじける』をしながら、ハジュンに抗議を行う。彼ら2人の前方、やや30メートル先のリンゴの木の下で、所作『ひざ枕』をしているフランス陣営1のバカップルが居たのであった。それを見たカッツエ(出雲・永夏)が、その熱に当てられて、旦那であるハジュン(出雲・叶一)に甘えたという流れであった。
もちろん、フランス陣営1のバカップルと言えば、この2人。マツリ=ラ・ヴィクトリア(加賀・茉里)とデンカ=ラ・ヴィクトリア(能登・武流)であった。
デンカが所作『正座』をしているところに、マツリが所作『ひざ枕』をして、デンカのもちもちしたふとももに頭を乗せて、幸せそうに微笑んでいたのである。
「おい。普通、逆だろ。なんで、男が女をひざ枕してんだよ。俺にどんな役得があるんだよ……」
デンカ(能登・武流)の抗議の色をにじませた台詞を聞いたマツリ(加賀・茉里)が少し身をよじり、顔をデンカに向けて
「あら? そんなこと言っておきながら、ここは元気そうだけど?」
いたずらな笑みを浮かべながら、さらにマツリがもう少し、デンカの腹の方に視線を向ける。
「ば、ばっか! ゲーム上のキャラが新婚用屋敷の外で反応するわけがねえだろっ! 冗談もほどほどにしとけよっ!」
デンカ(能登・武流)は、そう言いながらも本当に反応してないよな!? と思いながら、どきまぎとさせられてしまう。
そんなあわてふためくデンカを見ながら、マツリ(加賀・茉里)は、くひひっと笑ってしまう。そのいたずらな笑い声がスカイペ通話を通してデンカ(能登・武流)の耳に届き、武流は耳が真っ赤になってしまう。
「はい。お昼休みのサービスはここまでねっ! そろそろ、『秋の収穫祭』イベントに本格的に参加しないとねっ!」
マツリ(加賀・茉里)はそう言うと、自分のキャラを起き上がらせて、側に立つ、リンゴの木から、美味しそうなリンゴはどれかと見繕い始めるのであった。
「お、おい……。もう少し、ひざ枕を続けてくれたって良いんだぞ?」
ひざの上から去ってしまったマツリの疑似的な体温を惜しむかのようにデンカ(能登・武流)が残念そうな声でマツリ(加賀・茉里)にそう告げる。
「だーめっ。夜のお楽しみにとっておきなさい? さあ、収穫数でも評価点でも、ヨーロッパ全土1番を目指すわよっ! 秋の名産品は、あたしと武流で2人じめにしちゃいましょっ!」
武流はやれやれと思いながら、自分のキャラを立ち上がらせて、茉里と一緒にリンゴの選別に入るのであった。リンゴはどれも紅い色を付けており、ひとつ、枝からもぎとってかじりつきたくなってしまう。
だが、残念なことに、時代は2030年代に入っても、本格的VRMMOですら、ゲーム内の味覚をリアルなニンゲンの味覚に伝えるような技術は完成していなかった。
匂いに関しては、かなり技術的にクリアされるようになったのだが、如何せん、ニンゲンの味覚はニンゲン自身が思っていた以上に神秘的な構造になっているため、なかなかに疑似的と言えども再現は難しいのであった。
動物的見地から言うと、ニンゲンの嗅覚はかなりいい加減な部類なのである。犬や猫と比べれば、どれほど劣っているかは説明不要であろう。
しかし、味覚の鋭さとなるとニンゲンは、地球に現存する動物の中では一番と言える。それが禍して、『似ているような味』だと、ニンゲンは拒否反応を示してしまうのだ。
ちなみにデンカ(能登・武流)が先ほど、マツリの体温を疑似的に感じていられたのは、それ用の加圧・加熱式アンダーウェアを着用しているからである。
こちらは上下合わせて現在3万円ほどで購入可能であり、本格的VRMMOプレイヤーにとっては必須のアイテムとなっている。
ノブレスオブリージュ・オンラインでも、シーズン5.0より実験的に、疑似体温システムが導入されてはいる。しかし、もともとこのゲームはVR対応MMO・RPGのために、それ用に開発されたわけではないので、主に『結婚』をしたプレイヤーたちを対象とした本当の意味で実験的なサービスでしかない。
「あっ。このリンゴなんてどうかしら? デンカ? ひとつ、もいでみるから、重さを感知してみてよ?」
マツリ(加賀・茉里)の方は、デンカ(能登・武流)のように、加圧・加熱式アンダーウェアを購入していない。
【やらしいっ!】との一言でデンカ(能登・武流)の提案を却下したからである。武流の野望、ここに潰えるとはまさにこのことであった。
しかし、彼の野望の火はまだ完全に消えたわけではなかった。上手いこと、茉里を上機嫌にして、いつの日か、茉里にも自分のキャラの体重と体温を感じてほしいと思うのは必然であったのだ。
「ん。どれどれ? おお、こりゃずっしりとしてんな? けっこう、高評価をもらえるんじゃねえか? 茉里。あと2,3個ほど、見繕ってくれないか?」




