エピローグ
――西暦2035年9月第1週 月曜日 午後19時半頃 神奈川県 横浜市 とある駅前広場にて――
高山・慶次は平日のサラリーマンが帰宅に向かう時間帯に、駅の出口付近に移動式屋台を止めて、そこでタコ焼きを焼いて、手売りしていた。
しかしながら、今日は小雨が降っており、高山・慶次が開くタコ焼きの屋台の前で足を止めるサラリーマンは、いつもよりかなり少なかった。
「ふう。やれやれだぜ。9月に入っても残暑厳しく、客足がかなり衰えているってのに、さらに小雨ときたもんだぜ。今日は仕込みの3分の2も売れて無いんだぜ……」
高山・慶次は、嘆息しながらもそれでも時折、足を止めて、彼の屋台でタコ焼きを買っていってくれる客のためにせっせと作り続ける。
いつもなら、この時間帯は、慶次の屋台にとって書き入れ時であるが、如何せん、やはり小雨は客足を遠のかせるには十分な威力を持っていた。
午後も8時に近づくと、完全に慶次の屋台で足を止める者は居なくなる。慶次は今日はここまでかと思い、タコ焼き台の清掃に入るのであった。
「おじさんー。もう、今日は店じまいなのかなー? あたし、タコ焼きを1つ欲しかったんだけどー?」
おじ……さん? ちょっと、待つんだぜ。俺はまだ27歳だぜ? まだおじさんと言われるような年齢じゃねえんだぜっ! と慶次はつい客らしき女性に文句をつけそうになる。おっと、しまったしまった。大切なお客様にいちゃもんつけてどうするんだぜ……と慶次は右手で頭をポリポリと掻く。
「ああ、今日は客足が鈍くてな……。いつもより30分は早い店じまいにする予定なんだぜ」
「ふーーーん。それはもったいないなー? せっかく、わたしも予定を変えて、いつも降りる駅よりふたつも前で降りたっていうのにー」
ん? なにを言ってるんだぜ、この女性客は。わざわざ、俺様のタコ焼きを食べたいがために、自分ちの最寄り駅よりも2つも前で降りたってのかよ。物好きも居たものだぜ。しかし、俺様の腕前もようやく認められてきたってことか? わざわざ、こんな小雨がぱらつく日に俺様のタコ焼き目当てに、来てくれたのはありがたい話だぜ、と慶次は思う。
「あんた、良いお客様だぜ。今日は店じまいにするところだったが、あんたのために新しいタコ焼きを作ってやるんだぜ。ちょっと、待ってな? タコ焼き台に火を入れるからな?」
慶次は、ふんふん~と鼻歌交じりに、タコ焼き台に再び火を入れる。せっかく、自分のタコ焼き目当てに来てくれた女性客だ。もしかしたら、自分の店の新しい常連客になってくれるかもしれないんだぜと、慶次は意気揚々であった。
慶次は、十分に熱しられたタコ焼き台に油を塗りたくった後、麦酒用大型ピッチャーの中に入っているクリーム色の液体をどばどばと流し込んでいく。
「おっと、1人前だけで良かったのか? どうせなら、追加でもう1人前、買っていかないのか?」
「うーーーん。そうだねー。ついでだから、お兄ちゃんの分も買っておこうかなー? じゃあ、追加でもう1人前、お願いするねー?」
はいよっ! と慶次は元気よく、女性客に返事をして、もう1人前分のクリーム色の液体ををタコ焼き台に流し込んでいく。1人前だけ作るより、2人前分を一気に作ってしまったほうが、ガス台も浮く。追加注文は慶次にとっても嬉しい話だった。
慶次はカチャカチャと先がとがったタコ焼き用のピックで焼き具合を確認していく。
「おじさん。タコ焼き屋を始めて、結構、長いのー?」
女性客が慶次の流れるようなタコ焼きピックさばきに、ほうほうと感心しながら慶次に質問をする。慶次は、やれやれと思いながら、女性客の質問に答える。
「おじさんってのはやめてほしいんだぜ……。こう見えても27歳なんだぜ? 俺様は高校を卒業してすぐに、親父のタコ焼き屋を継いだんだぜ。だから、そろそろ10年目ってところだぜ。そろそろベテランと呼ばれても良い頃合いなんだぜ?」
「ふーーーん。じゃあ、味にはおおいに期待して良いってことだねー? わたし、こう見えても、舌が肥えてるんだよねー。もし、わたしが思っている以上に美味しかったら、職場の皆にも宣伝しておくねー?」
「ありがたい話だぜ。夏場はどうしても屋台関連の売り上げが落ちてしまうんだぜ。あんたところの会社の前でタコ焼きを売るのも悪くないかもだぜ……」
捨てる神あれば拾う神あり。慶次の頭の中にはそんな言葉が浮かんでくる。
慶次は手際よくタコ焼きをタコ焼きピックでひっくり返していく。カチャカチャというタコ焼き台とタコ焼きピックの擦れる音がまるで何かのメロディを奏でているかのようだ。女性客の顔はその音を聞いて、だんだんと笑顔になっていく。
「よっし、そろそろ出来上がりなんだぜ。紅ショウガとマヨネーズはどれくらいが好みなんだぜ?」
「あたしは紅ショウガは少々かなー。マヨネーズはたっぷりだと嬉しいー!」
女性客の元気な受け答えに、慶次も嬉しい気持ちになってしまう。そのため、慶次は、機嫌良く、ふんふ~んと鼻歌まじりになってしまう。慶次はタコ焼き作りが自分にとっての天職だと思っている。自分のタコ焼き目当てでやってきてくれる客の眼の前で、自分の腕前を披露し、そして、客側も今か今かと嬉しそうに待ってくれる。
実際、ただ一人の客である女性も慶次の鼻歌にまじって、ふんふ~んとつられてしまっている。慶次はなおさら嬉しい気分になってしまったのは致し方なかったのかもしれない。
慶次は白色の発泡スチロール製の小箱の中に出来上がったばかりのタコ焼きを手際よく10個入れていく。女性客の注文通り、紅ショウガは少々、マヨネーズはたっぷりとかけてだ。慶次は、小箱をこれまた白色の発泡スチロール製の上蓋でしっかりと閉じる。そして、茶色の薄い紙でその小箱を包み込み、輪ゴム2本でしっかりと固定する。
「はいよっ。お待たせしたんだぜっ! 1パック500円な? 2パックだからちょうど1000円だぜ。もちろん、消費税込みだから、気にしなくて良いんだぜ?」
「おおー。これは良心的な値段なんだよー。家に帰ってからが楽しみだー。おじさん、ありがとねー? はい、これ、代金ねー?」
女性客は小さな女性用の財布から千円札を取り出して、慶次に渡す。慶次はその千円札を受け取り、毎度ありっ! と返事をする。
女性客はタコ焼き2パックが入ったナイロン袋を大事そうに抱えながら、満面の笑顔を浮かべる。そして、慶次に一礼した後、駅の入り口に向かって歩き出す。慶次は良い仕事が出来たぜと、また、後片付けを再開するのであった。
しかし、そんな慶次に向かって、女性客が振り返り
「ケージ! 食べ終わった後の感想はノブオン内で言うからねー? 覚悟しておきなさいよー? てか、わたしがネーネだってことに少しは気づきなさいよー!?」
女性客はそう大声を上げたあと、スタスタと小走りで駅の構内に消えていくのであった。
「たはーーーっ! これは1本、取られたんだぜっ。もう少し早く気づいてりゃ、タコ焼き作りよりも、ネーネさんを口説くことに専念できたってのによっ! 俺様、大魚を逃がすとはまさにこのことなんだぜっ!」




