第10話
しかし、心の中では悪態をついているデンカであっても、マツリの叩き出したダメージは期待を大きく上回る結果であった。マツリが二人分のダメージを稼ぎだしてくれるのだ。これなら、無理に自分が攻撃役として回る必要もない。
続くターンでは、従者:ヤツハシとダイコンは行動不能状態からの復帰で終わる。続けて、デンカの全体回復魔法【水の全回帰】が発動する。デンカは、あっれ? おかしいなと思ってしまう。全体回復魔法全般は対象1体の回復魔法よりもかなりウエイトペナルティが重い。だから、マツリよりかはデンカに速く行動順番が巡ってくることはあっても、アダムとイブを追い越すようなことは今までなかった。
デンカがおかしいぞ? と疑念を持ったのも束の間、アダムとイブが行動開始する。
「よくぞ、我をここまで追い詰めたのでアル……。よって、この楽園から我らと共に追放するのでアル!」
アダムがいきなりしゃべりだし、ここで強制的に演出ムービーが流れ出す。
「えっ? いきなり、ここで演出ムービーが入るの!?」
「やべえっ! ここまで順調すぎたから、すっかり忘れてたわっ!」
アダムが『共に追放する』と宣言した途端に、戦闘フィールドであった『楽園』の大空の一点に紅い点が付く。その紅い点から渦が巻き起こり、蒼穹から次第に深紅の色に染まり出す。
「何よ、いったいぜんたい、何が起きるの!?」
マツリは血のような色に染まった大空を恐怖心を抱きながら見る。その深紅の空から怨霊ともいうべき何かがが大量に降り注いでくるのである。その怨霊たちはアアアアア嗚呼ッ! と嗚咽や慟哭に似た声をまき散らしながら、マツリたちに降り注いでくる。
「くっ。こんなに早く『失楽園』が発動するのは予定外だったぜ……。マツリ、気をつけろっ! 俺はこの先、回復に専念させてもらうからな! マツリはいつでもアダムにトドメを取れるように、アダムの体力を削れるだけ削ってくれっ!」
デンカ(能登・武流)は必死な形相でマツリにそう呼びかける。だが、マツリ(加賀・茉里)のオープンジェット型・ヘルメット式VR機器のスピーカー部分からは怨霊の軍勢の嗚咽、慟哭が鳴り響き、デンカの声はうまく届かない。
これはオープンジェット型・ヘルメット式VR機器の長点でありながら、同時に弱点となる部分であった。スポーツサングラス式VR機器と比べてオープンジェット型・ヘルメット式VR機器は、よりプレイヤーのゲームへの没入感を高めるために開発されたものだ。
そのため、アダムとイブが放った『失楽園』は、視覚や聴覚を通してマツリ(加賀・茉里)に恐怖心を植え付けることに成功したのである。
「いやっ! やめてっ! あたし、怖いよっ! デンカ、助けてっ!」
マツリの悲鳴がデンカ(能登・武流)の耳に突き刺さる。
「マツリ、しっかりしろっ! これはゲームだ! 現実じゃないっ!」
デンカ(能登・武流)は必死にマツリに声をかけ続ける。しかし、マツリからは悲鳴しか聞こえない。デンカ(能登・武流)はどうすれば良いんだと考える。どうすれば、マツリを冷静に出来るんだと考える。マツリに何かあったら、俺が守ってやると言ったはずだっ!
俺がマツリを守るんだっ! 俺しか出来ないんだっ!
マツリが何も出来ないまま数ターンが終わる。デンカ(能登・武流)はマツリに必死に声をかけ続けながらも、全体回復魔法【水の全回帰】を発動しつづける。しかし、『失楽園』の継続ダメージ威力はすさまじく、デンカの連続回復でも追いつかない。
マツリたち全員の体力がどんどん『失楽園』に蝕まれる。ついにはマツリたちの残り体力は最大値の5分の1まで削られる。そんな絶望的状況でも、無情にも次の入力受付時間がやってくる。『失楽園』発動から5分以上を経過した現在でも、未だにマツリは嫌よ、あたしに纏わりつかないでっ! と泣き叫んでいる。
デンカは意を決する。ソフトキーボードを立ち上げて、素早くチャットを打ち込んでいく。
「コード入力『/勇気の心』。『天使の御業』発動許可申請……」
――汝、何故、我を再び呼んだ?――
俺には『天使の御業』が必要だからだ!
――汝、かつて我の力を使い、全てを失った。それでも我の力を欲するか?――
ああ。欲しい。例え、再び失うことになっても、俺はマツリを救いたい!
――汝、我の力を使うが良い。マツリ=ラ・トゥールを救ってみせろ。それが汝と我の新たな『約束』なり――
「よっし、許可が下りたっ! コマンド『/天使の御業:風と共に踊りぬ』!!」
デンカ(能登・武流)は自分自身で封印していた『天使の御業』の楔を解き放つ。自分とかつて親しかった友人と共に手に入れた業を。それにより、武流はその親しい友人を失ってしまった。それにより、武流は栄光を失ってしまった。それにより、武流は全てを失ってしまった。
武流にとっては呪いとも呼べる『天使の御業』を、武流は自分が真に守りたい女性のために再び使う。
「マツリっ! 俺がお前を守るっ!」
かつて『楽園』と呼ばれていた世界は暗転し、大空から舞い降りる怨霊の軍勢に生気を吸われて、全ての草木が枯れ、近くに流れる小川は汚水のように濁る。さらに大空からはニガヨモギが降り注ぎ、『楽園』に居た動物たちは全て死に絶え、腐敗していった。
マツリたちの頭上にはダメージを示す数値が絶え間なく表示される。その数値は赤色に染まり、30という数値が1秒間に3~4回、瞬くように連続で表示される。その赤色で30と数値が表示される度にマツリたちの体力バーは蝕まれていく。
そんな地獄のような『失楽園』において、デンカは踊り出す。全てが死に絶えようとしているおどろおどろしい世界で力強いなステップを踏みながら、ひとり踊り出す。
力強く2回、ドンドンッ! と右足で地面を踏み鳴らす。その後、一度、両手でバンッ! と叩き合わせる。
ドンドンッ! バンッ! ドンドンッ! バンッ! ドンドンッ! バンッ!
右足と両手でリズムを作り出しデンカは歌い出す。
――|我らに勇気を《Courage envers nous》!! |我らに勝利を《Victoire pour nous》!!――
ドンドンッ! バンッ! ドンドンッ! バンッ! ドンドンッ! バンッ!
――|我らに勇気を《Courage envers nous》!! |我らに勝利を《Victoire pour nous》!!――
デンカは力強いなステップ、そして歌声を引き連れて、マツリに近づき、震えてしゃがみ込むマツリの手を取る。マツリはデンカに無理やり引き起こされて、デンカと共に踊り歌い出す。
デンカ=マケールはマツリ=ラ・トゥールと硬く右手と左手を結び、共に足を使い、力強いステップを踏み出して踊る。
ドンドンッ! ダンッ! ドンドンッ! ダンッ! ドンドンッ! ダンッ!
――ラーラーラーラー |我らに勇気を《Courage envers nous》!! |我らに勝利を《Victoire pour nous》!!――
するとどうだ。『失楽園』により、2人の体力バーが削られ過ぎて、残すところ数ミリまで目減りしていたというのに、そこで体力バーの減少が止まったのである。
マツリ(加賀・茉里)はオープンジェット型・ヘルメット式VR機器のシールドに映る画面を見続けていた。デンカと共に力強く踊り、歌声を上げるマツリを見続けていた。
マツリ(加賀・茉里)の耳には、絶望しかない世界で踊るデンカとマツリたちの力強いステップ音が聞こえてくる。依然、空から舞い降りる怨霊の軍勢の嗚咽と慟哭に耳をやられているが、それでも、2人の勇気を与えてくれるステップ音が聞こえてくるのだ。
続いて、全てが絶望に包まれたおどろおどろしい世界には似つかわしくない歌声が聞こえてくる。画面上のデンカとマツリたちの歌声を聞いているとマツリ(加賀・茉里)の心の底からわずかながらも『勇気』が湧いてくる。
そのマツリ(加賀・茉里)の心に連動するかのように、残り数ミリまで目減りしていた体力バーが本当にわずかであるが、回復していくのだ。マツリたちの頭上には回復を示す緑色の数値が瞬くように連続で表示される。赤色で30の数値が出れば、次の瞬間には緑色で31の数値が躍り出る。
「うそっ……。今、何が起きているの?」
マツリ(加賀・茉里)は呆然となりながら、踊る自分たちのキャラの頭上で瞬くように数値が現れ、そして消えていくのを眺めていた。
「この子たち、まだ戦ってるんだ……。こんな絶望しかない世界でまだ戦ってるんだ……」
デンカ=マケールはマツリ=ラ・トゥールと決してこの手は離さないと両手を握りしめ合い、円を描きながら、力強いステップを踏み出して踊る。
ドンドンッ! ダンッ! ドンドンッ! ダンッ! ドンドンッ! ダンッ!
――ラーラーラーラー |我らに勇気を《Courage envers nous》!! |我らに勝利を《Victoire pour nous》!!――
マツリ(加賀・茉里)の耳にはすでに怨霊の軍勢の天から降り注ぐ嗚咽と慟哭は届いていなかった。勇気溢れるステップと歌声が怨霊たちの嗚咽と慟哭を吹き飛ばしたのである。
「マツリっ! 聞こえるかっ! マツリっ!」
デンカの声が聞こえる。勇気を与えてくれるメロディの向こうから、デンカがあたしを呼んでくれている……。
「マツリっ! 聞こえているなら、返事をしてくれっ! 俺にマツリを守らせてくれっ!」
デンカがあたしを守ってくれているんだ……。デンカはあたしに勇気をわけてくれているんだ……。
「戻ってこいっ、マツリっ!!」
デンカの力強い一言がマツリ(加賀・茉里)の胸に、いや、心臓に突き刺さる。絶望しかない『失楽園』においても、デンカはマツリと共に踊っていた。抗えぬ死からマツリを救うために、デンカは勇気をマツリに与え続けていた。
――『約束』の時は来たれり。汝の愛する者に『勇気と勝利』が訪れん事を――
数ミリしか残されていなかったマツリたちの体力バーは本当に少しづつであるが、アダムとイブが放った『失楽園』から与えられようとしている『死』に対抗するために、最大値へと向かって伸びていく。
「あたしは負けないっ! デンカが居るんだものっ。デンカが守ってくれているものっ。デンカが『勇気』をくれるものっ!」
マツリ(加賀・茉里)の魂からの叫びがマイクを通り、電気信号へと変換され、再び音声へと変換され、デンカ(能登・武流)の耳に届く。
「マツリ、アダムにトドメを刺せっ! 俺はイブを倒すっ! この地獄を終わらせるのは、俺たちだっ!」
マツリ(加賀・茉里)はデンカの声を聞き、こくりと頷く。
「【炎の神舞】入力完了。続けて【土くれの紅き竜】入力完了よ!」
「【水の精霊】入力完了。そして【信仰への回帰】入力完了だ!」
入力受付時間の10秒が過ぎ去る。とうの昔に従者:ヤツハシとダイコンは『失楽園』により地に伏した。動けるのは未だ『死の定め』に抗うマツリとデンカのみであった。
アダムとイブはその両眼から血の涙を流していた。アダムとイブもまた『失楽園』からは逃られない。彼らの体力バーは自らが招いた『失楽園』に蝕まれ、残り5分の1まで減らされていた。




