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未完成の肖像画(「紅の秋」企画 参加作品)

この作品は『遥彼方』様が企画された「紅の秋」に投稿した作品になります。


作品の至るところに紅を散りばめてみました。


※なお、この作品はとても悲しい物語です。


悲しい話が苦手な方はお読みにならないことをお勧めします。



 くるり……ひらり……


 紅が舞い落ちる。


 真っ白に染められた清潔そうな床の上へと……


「落ちたよ」

 私は彼女が読んでいた本から舞い落ちた楓の葉のように真っ赤な栞を拾い上げるとそれを彼女へと手渡した。


「……ありがとう」

 彼女は弱々しく笑みを溢すとその栞を本の中へと挟み込んだ。


「もうどれくらいになるのかしら?」

 彼女は窓の外にある楓の木を見つめながら溜め息を漏らす。


「半年くらいかな?」

「長いものですね……」

 彼女はぼんやりと外の景色を眺めながら物思いに耽っていた。


 彼女は末期の癌を患っていた。そのことを医者から告げられた時、私の頭の中は何も描かれていないキャンバスのように真っ白に染められた。


 彼女は私のためにずっと無理をしていたらしい。私が彼女の異変に気が付いた時にはもう既に手遅れの状態だった。

 彼女の美しく決め細やかだった肌が何時の間にやら銀杏の葉のように真っ黄色に染まるまで私は彼女の異変に気が付かなかったのだ。


 それは『黄斑』と呼ばれる症状だった。


 癌によって膨れ上がった彼女の膵臓が消化腺を塞いでしまったため、そのような症状が現れたそうだ。

 彼女がそんな状態であったとは露知らず私は自分のアトリエに篭って売れない絵画をひたすらに描き続けていた。


「ねぇ…… なんかお客さんが私の顔を見て黄色に見えると言うのだけれど?あなたはどう思う」

「気のせいじゃないか?」

 私はずっと太陽の光を浴びず黄色に染まる白熱球の下で絵を描いていたため、彼女の言うように肌が黄色に染まっているとは微塵も感じなかった。


 それからしばらくして彼女は再び同じ質問を繰り返した。


「だから、気のせいじゃないか?」

「そうかな?」

 彼女は不安そうに不服を漏らした。


「そんなに気になるなら病院に行ってくればいいんじゃないか」

 私は自分のことが手一杯で彼女のことを気に掛けている余裕がなかった。


「わかったわ……それじゃ、あした仕事帰りに病院へ行ってみる」

 彼女は寂しそうな笑顔を浮かべると力なく箸をテーブルへと置いた。そして、その日の午後、私は病院の医者から呼び出された。


「先生……それは本当なんですか?」

 私は医者から告げられた事実を受け止めきれずに声を震わせた。


「残念ですが……」

 医者は辛そうに私から顔を叛けると小さく溜め息を吐いた。


 彼女は膵臓にステージ4の末期癌を患っていた。直径5センチの癌は主要な血管を巻き込み彼女の膵臓を膨れ上がらせていたのだ。


「どうにか……どうにかならないんですかっ!」

 私は藁にもすがる思いで医者に泣きついたが、医者は渋い表情を浮かべるばかりだった。


 そんな……そんな馬鹿な……

 私はいきなり訪れた彼女の不幸を受け入れられなかった。だが、いくら嘆いたところで事実を覆すことはできない。


『なんでもっと早く彼女を病院へ行かせられなかったのだろうか?』

 そんな言葉が頭の中を過っていたが、今となってはいくら後悔しても覆水は盆には返らなかった。

 今の私が彼女にしてやれることは彼女が苦しむことなく幸せに看取ってあげることだけだった。


「元気かい?」

「……うん」

 彼女は呆然とした感じで薄ら笑いを浮かべていた。


 突然の緊急入院で彼女は自分の身に何が起きているのか?

 さっぱりと理解していないようだった。


「大丈夫だよ。ちょっと入院すればすぐ良くなるから……」

 私は先ほど医者から告げられた事実を隠すと必死で彼女のことを励ました。


「そう……それなら良かった」

 彼女は安心したように微笑んだ。


 そんな彼女に私は医者から余命を宣告されたことを言うことができなかった。


 そのことを口にすれば目の前の彼女を永遠に失ってしまう気がしていた。


 その日から私の生活は一転する……。


 私はこれまで自分の夢を叶えるために絵を描き続けてきたが、彼女の入院費や生活費などを稼がなければならなかったため、新たにアルバイトを始めた。


 慣れないバイトに四苦八苦しながらバイトが終わると彼女の顔を見るために病院へと足を運んだ。


「一体何時まで入院しなければならないのかな」

 彼女は退屈そうにベッドの上で溜め息を溢すと悲しそうに呟いた。


「まずはその身体の黄ばみを何とかしなければ退院はできないそうだよ」

 私は末期癌の話を伏せたまま彼女に現れた黄斑について治療することを伝えた。


 医者の話では体内に鉄製の管を埋め込むことで塞がっている消化腺を元に戻すことができるとのことだった。その手術をすれば彼女の身体に現れている黄斑を消すことができるのだ。


 私は医者の話を信じて彼女にその手術を受けることを勧めた。


「とにかく今は元気になることだけ考えてしっかりと療養するんだよ」

 私は明るく作り笑いを浮かべると彼女を懸命に励ました。


「これ暇潰しにどうだい」

 私はバイトの途中で見つけた彼女の好きそうな小説を買ってくると彼女へと手渡した。


「ありがとう……これで退屈を凌げるかも……」

 彼女は嬉しそうにその小説を手に取ると興味津々な様子で読書を始めた。私にはこんなことでしか彼女の力になることができなかった。


 彼女が小説を読み終える度に新しい小説を買って彼女の下へと届けた。そして、彼女が入院してから1ヶ月が経った頃、彼女の容態はかなり不安定な状態になっていた。


 それは身体の中に埋め込んだ鉄製の管が身体に馴染まず、彼女が食欲不振に陥っていたためだった。


「何か食べたいものはあるかい?」

「……今はいらない」

 彼女は辛そうな表情を浮かべると苦しそうに首を横に振った。


 このまま何も食べなければ彼女は死んでしまうかもしれない……

 私は何とかして彼女に食べ物を食べさせようと彼女が食べられそうな物を必死で探し歩いた。


 これならば……

 私はデパートで見つけた紅に染まるフルーツトマトのゼリーを見つけるとそれを持って彼女の病室へと向かった。


「これは?」

「トマトのゼリーだよ」

 私は箱の中から取り出したそれを彼女の目の前に差し出した。


 彼女は困惑した表情でトマトのゼリーを見つめていた。


「大丈夫。美味しいから食べてごらんよ」

 私は箱の中からゼリーを取り出すと自らの口の中へと放り込んだ。


━━━━━━ じゅるっ!

 私がゼリーを口に含むと何とも言えない甘味が口の中へと広がった。


 トマトなのでそこまで甘くないと思っていたのだが、それはイチゴやメロンのような甘みを帯びていた。そして、これならば彼女でも充分に食べられることを確信した。


「ほら、君も……」

 私は困惑する彼女の口許に真っ赤に染まるゼリーを持っていくとそれを食べるように強く勧めた。


「わかったわ……」

 彼女はそれを口の中に含むとにんまりと微笑んだ。


「美味しい……」

「そうだろ?なかなか良い買い物をしたよ」

 私は彼女がちゃんと食べられたことに安堵の溜め息を漏らした。それから彼女のお見舞いに行く前にトマトのゼリーを買うことが日課となった。


 その甲斐もあって彼女は少しずつ食欲を取り戻し、2ヶ月経つ頃にはすっかりと体調を元に戻していた。


 だが……彼女の膵臓に巣食う悪魔は一向に改善を見せていなかった。


 彼女が体調を戻してからしばらくすると彼女の体重は再び減り始めていた。


 私は彼女が元気である内に彼女のことを絵に残しておくことを考えた。そして、医者に無理を言うと彼女の病室にキャンバスや画材道具を持ち込んだ。


「そのキャンバス……どうしたの?」

 彼女は真っ白なキャンパスを見ると目を丸くさせた。


「医者に許可を貰ったからここで君の肖像画を描こうと思って……」

「私の肖像画を?」

「そうさ。今までずっとお世話になってきたからね」

 私は彼女を不安にさせないように眩しい笑顔を浮かべた。


「突然どうしたの?」

 彼女は私の突然の行動に疑念を懐いたようだった。


「君が家からいなくなって……初めて君の有り難みに気が付いたんだ。だから、君に感謝を込めて肖像画をプレゼントしたいんだ」

 私はそう言うとキャンバスの裏側を彼女のベッドの方へと向けた。


「綺麗に描いてね」

 彼女は可愛らしく片目を閉じた。


「勿論だともっ」

 私は自信満々に親指を立てると満面の笑みを浮かべた。


 私はこの作品を生涯の最高傑作にしようと張り切っていた。そして、その日からバイトが終わると30分間だけ彼女の傍で彼女の肖像画を描き続けた。


 病院の外にあった楓の葉が紅色に染まる頃、彼女の見た目は見る見る内に痩せ細り、身体の筋肉という肉が削げ落ちて骨と皮だけの状態になっていた。


 私はそんな変わり果てた彼女の姿を見つめながら彼女がふくよかだった頃の姿を思い浮かべた。そして、その姿を必死でキャンバスの上に描き残した。


「あと……どれくらいで……完成しそう」

 彼女は気だるげに体を起こすと肖像画の完成時期について確認してきた。その姿は実に痛々しかった。


「……あともう少しだよ」

「こないだも……そう言っていたわ……」

 彼女は残念そうな表情を浮かべると静かに俯いた。


 下書きは無事に終わっているのだが、この絵に色をつけることができなかった。


 私は最後の仕上げについて悩んでいた。


 彼女の透き通る白い肌は何とも生気がなく、まるで幽霊を思わせるような色だったからだ。そのため、この肖像画に活力を思わせるような鮮やかな肌の色をつけたかったのだが、私にはその色を見出だすことができなかった。


 彼女のためには一刻でも早く肖像画を完成させたかったのだが……この作品を最高傑作に仕上げるためにはどうしても妥協することができなかった。


「ほら、見てごらん……」

 私は彼女のベッドの傍にある窓へと近づくと病院の庭に生えている楓の木を指差した。


「あの真っ赤な葉っぱが全て落ちるまでには完成させるから」

「あそこの葉っぱが……全て落ちるまで」

 彼女は気力を振り絞りながら私の指差した方を見つめると納得したように笑みを溢した。


 絶対に…… 絶対に最高の傑作を描きあげてやるっ!

 私は儚げな彼女の笑みを見つめながら心の中で固く決意した。だが、彼女に残された時間は無情にも刻々と過ぎ去っていった。


 あと少し……

 あと少しだけ……お願いしますっ!

 神様っ!

 私は迫る期限に焦りながら普段は頼りもしない神に祈りを捧げた。そして、彼女の肌と唇、目の色以外を残して全ての色付けが完了した。


 あと少しだ……

 私は肖像画の完成を目前にして何時しか意識が夢の世界へと飛んでしまっていた。正直、私の体力も気力も限界に近い状態だった。


 夢の中で彼女は嬉しそうに私の手を引っ張りながら何処とも知れない真っ赤に染まる彼岸花の畑の中を駆け回っていた。


 私はそんな幸せそうな彼女の顔を見ながら最大限の幸せを噛み締めていた。


「今まで本当にありがとう……」

 彼女はそう言い残すと忽然と私の目の前から消え去った。


「まっ、待てっ!」

 私は消えてしまった彼女の姿を求めて現実世界へと引き戻された。私の心臓は今までにないほど高い鼓動を刻んでいた。


 私は慌てて辺りの様子を見回した。病室には静かに横たわる彼女の姿があった。


 良かった……

 私は彼女の姿を見つけて胸を撫で下ろしたが、刹那、それは動揺へと変化していった。


 彼女は純白なベッドの上で幸せそうな寝顔を浮かべながら呼吸を止めていたのだ。


「そんな……頼むっ! 目を……目を開けてくれっ!」

 私は一生懸命彼女の身体を揺すったが、彼女が目を開くことは決してなかった。ついに私は彼女の肖像画を完成させることができなかった。


 全てが終わってしまった気がした。


 その後はあれよ、あれよという間に時が流れ、彼女はあっという間に僅か数キログラムという軽さになって私の手の中へと帰ってきた。


 彼女の骨壺は彼女の体温のような仄かな温かさを帯びていた。


 私はその骨壺を祭壇に添えると静かに語りかけた。


「君にとって……君にとって私は……最高の伴侶だったのだろうか?」

 当然、私の問い掛けに答える者など誰もいなかった……。



 私は広くなってしまった部屋の片隅で小さく膝を抱えた……。


思った以上に話が長くなってしまったため、話を2つに分けました。


続きが気になる方は次ページへお進みください。

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