96話 上手くいかない
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利民の屋敷での宴を早々に退出した黄県主は、娘と共に軒車の中にいた。
黄県主は佳を訪れた際、いつもであれば利民の屋敷に滞在する。
こちらから特に先ぶれを出しておらずとも、利民側が自分をもてなすのは当然のことだと思っていた。
いかに利民が公主を娶ったとはいえ、ここは黄家の土地。
皇族よりも黄家が上に立つのは当然。なので黄県主が潘公主にへりくだったりはしない。
ゆえに利民の屋敷に押しかけた黄県主は、本日もこれまで通りに家令に命じて、いつも使う部屋を用意するように告げた。
だがこれに、想定外の答えが返ってきたのだ。
「使えない、ですって?」
これまで一度たりとも己の意見を否定させたことのない黄県主が眉をひそめるのに、家令の男が丁寧に頭を下げつつ言う。
「はい、仰られている部屋は、現在他の方が滞在されておられるので」
黄県主がいつも滞在に使っている部屋は、この屋敷で最も広い部屋であった。
何故最も広い部屋が潘公主の部屋でないのかというと、その部屋から海が見えないからである。
せっかくの港町であるのに、海が見えないなど勿体ないという意見を利民が取り入れ、二番目に広い、しかし佳が一望できる部屋を潘公主の部屋としたのだ。
しかしそのような事情を知らず、海などには全く興味がない黄県主は、ただその部屋は自分の専用なのだという認識を持っていただけである。
それにこれまではなにも言わずとも、あの部屋は自分のために整えてあった。
そのため部屋のことなど尋ねもしなかったというのに、使えないとはどういうことか?
いつも港で働く者に紛れており、上流の者たちとの交流をほとんどしてこなかった利民のことだ。
どうせ客人というのだってそうした下々の類だろうと、黄県主は考えた。
「そんなもの、追い出しなさい! わたくしを誰だと思っているの!?」
黄県主は目の前の家令を怒鳴りつける。
だいたい、どうしてこの男が家令なのだ。
このような男を、黄県主は知らない。自分が用意してやった家令は、一体どこにいるのか?
自身が知らぬ間に屋敷の人員が変わっていることに、黄県主は苛々するのを隠せない。
これまでは自分が屋敷を訪れると、屋敷を挙げて出迎えたというのに。
今回は「お約束はされていたのでしょうか?」とこの家令からいらぬことを言われ、何故そのような詮索をされるのだと怒ったものだ。
黄県主がわざわざこの屋敷のために用意してやった者たちは、一体どこにいったというのか?
分からないことだらけで混乱する黄県主の一方で、怒鳴られた家令は困った顔をする。
「そのようなことはできかねます。
何故ならば滞在されている客人は、太子殿下の御使者の方でございますゆえ」
「……なんですって?」
黄県主は驚く。
彼女とて、利民の下を太子が訪れたことは知っていた。
病に臥せる妹を見舞ってのことだったとか。
けれどすぐに帰ったという情報が届き、その後はなにも聞こえてこなかった。
なので大した用事ではなく、本当に見舞っただけだったのだと思い、気にも留めていなかったのだが。
それがまさか、太子の手の者がまだ滞在していたとは。
――そのような者が、どこにいたの?
黄県主は先程の宴の場を思い起こす。
少なくとも、黄県主に挨拶をしに来た者の中にいなかったのは確かだ。
それに宴の席にいたのは誰もかれも醜く日に焼けて、佳固有の衣装だという奇妙な意匠の服を身に纏う者ばかりで、黄県主には見分けがつかない。
黄県主にとって付き合うべき人らしい人は、都人だけであった。
そして都人とは、宮城にいる上流階級の者を指している。
――けれどそういえば、あの場に都の武人らしき格好の男がいたか。
その男があの場にいた唯一の都人だと思ったのだが、都人らしからぬ容姿と格好の女を連れていたので、都落ちかと意識から外したのだが。
もしやあれが、太子の使者だったというのか?
とにかく、相手が太子の手の者とあっては、黄県主の方が下がらねばならない。
――なんということなの!?
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