718話 野次馬心を焚き付ける者あり
皇后宮での報告の後、雨妹は特に仕事が入っていない。今日はこの報告が終われば休みなのだ。そこは面倒を引き受けた雨妹への配慮であった。
なのでそのまま帰宅した雨妹は、家先の台所に置いてある籠に一通の手紙が入っていることに気付く。
「誰だろう?」
つい最近、野猫からの手紙に妙な汗をかかされたばかりの雨妹であるので、若干警戒してしまうのは仕方のないことだ。その手紙も恐る恐る手にして眺めると、折り畳まれた手紙の表に「何宇」の名前があった。
「なんだ、宇くんかぁ」
現在都に滞在中の宇からの手紙と知れて安心すると同時に、手紙であれば静の方が書きそうなものだとも思う。宇が一体なんの用事だろうかと雨妹は不思議に思いつつも、台所にある椅子代わりの箱に腰かけて、折り畳まれている手紙を広げる。
手紙は宇自身が書いたのか、美しい文字が並んでいるのは、改めて考えてさすが元大公というべきか、それ以上に幼い頃からの教育の成果だというべきか。一族が再び返り咲くための希望とされていたのが、こんな所から窺えるのはなんとも妙な気分になるものである。
だが今それは置いておいて、手紙の内容だ。
「なになに、『白百合を知っているか』って?」
なにかの暗号のような言い回しで始まった手紙を読み進めると、静が街中で見つけたという白百合の看板について書かれていた。外城では今店先で、牡丹から白百合に看板が替えられているらしい。牡丹はかつて皇太后の印であったのが今の皇后の印となっており、白百合は叶賢妃の印なのだそうだ。
「へぇ、外城の方では結構叶賢妃の方がやっちゃっているのかぁ」
つい先程聞いた叶賢妃の名をここでも出されるとは、今日は叶賢妃に縁のある日である。
この叶賢妃の快進撃だが、宇が飛からさらに詳しく聞いたところによれば、当時の皇太后はそもそも自身のお抱えである印の牡丹の看板を気軽に出していたらしく、お抱えの店は大店とは限らず大小様々あるとのこと。牡丹の印を与えておけば、店側が忖度して様々な品を献上してくれるので、皇太后としては楽に贅沢が出来る方法だったわけだ。
そんなある意味皇太后の餌食になっていた中でも営業力が弱い店が、勢いのある新勢力に飛びついているのだろう、というのが宇の意見であった。
『けれど結局は木っ端ではなく、大店を抱えている方が強いのが道理』
そんな感想も添えてあったけれど、それは確かにそうだと雨妹も思う。
大店とは歴史を重ねて財を築いたところが多く、そういう店は時世の荒波をかいくぐる方法を編み出しているものだ。たまに流行に乗って瞬間風速的に財を得た成金大店もあるが、そういう場合は成り上がるのも一瞬で、しくじって成り下がるのも一瞬であることが多かったりする。
『菊祭りが近い今、面白くなりそうで大層楽しみである』
そんな言葉で締めくくられているのが、いかにも宇らしいことだが。この手紙は正規の手順で門を通って届けられたものなのだろうか?
後宮で下っ端が受け取ることができる手紙は、後宮内でのやり取りよりも外部とのやり取りの方が厳しい。検閲が入るし、内容が不適格とされれば届けられず処分されてしまうこともあるくらいだ。これが上位の身分になると、金やら実家の力やらで検閲を抜けさせるわけだが、それでも内容が完全自由なわけではない。
それで言うとこの手紙は、宇が新たな騒乱を望むようにも受け取られる危うい内容であり、検閲を抜けたとは疑わしい気がする。
――ひょっとして、飛さんがここへ直接投函しに来たとか?
まあそれでも、宇から善意の情報提供があったと思い、感謝することにして。
「う~む、叶賢妃の顔を見たくなってきたな」
雨妹の後宮ウォッチャー魂がウズウズしてきてしまう。叶賢妃とはどのような女性なのだろうか? 四夫人では伊貴妃は名ばかりの妃、燕淑妃は内政の手助け、黄徳妃は外交に強い妃だ。残る叶賢妃がどのような振舞をするのか、気になって来るのは当然だ。
「立彬様に聞いてみようかな?」
この手の話を聞く相手は、やはりこの人しかいないだろう。それにどのみち敏の件で、立彬に話を聞きたいと思っていた。それというのも、こういう怪我による症状であれば、軍医の方が詳しい可能性があるからだ。




