716話 それとなく聞いてみる
花の宴の事件は皇后宮にとって皇太后失脚と、自分たちの立場の失墜に繋がる敏感な話題である。なので敏にも気を悪くされるかもしれないとは思うのだけれど、雨妹はどうしてもこれについて確認したいのだ。
しかし敏はこの話題を出されて怒るでもなく、何故か困ったような顔をする。
「それが幸いというべきなのか。騒動の最初で転げた拍子に気を失い、意識を取り戻した時には全てが終わっていましたので、恐怖の記憶がほとんどないのですよ」
なんともあっさりとした口調でこのような答えが返ってきたのに、雨妹の方が驚く。
「それは、火傷もしなかったので?」
続けて尋ねる雨妹に、敏は「ええ」と肯定する。
「わたくしが倒れた場所が良かったようで、全くなくて。転んだ時に負った怪我も、軽い擦り傷程度でしたよ」
「まあ……」
敏の話を聞いた雨妹は目を見張りながらも、脳内では忙しく思考を巡らせる。
あの時は医局にも火傷の治療を求める患者が大勢いて、その全員をなんとかするのに陳と共に大変な苦労をしたものだし、使えるものは部外者だって働いてもらったものだ。それにそもそもが、皇后宮はあの東国兵急襲騒動で皇太后宮に次いで狙われた場所であったので、その皇后宮の者が気を失っていて火傷一つ負わなかったのは、確かに幸運としか言い様がない。
ただし、火傷だけを見れば、であるが。
「気を失ったのは、怪我のせいではなかったのですか?」
なおも心配を口にする雨妹に、敏は「ほう」と息を吐く。
「それは前日、というか寸前まで忙しくしていたので、恐らくはその疲れで眠ってしまったのでしょうね。我ながら間抜けな話です」
「花の宴は、どこであっても大層忙しいものですものね」
この敏の言い分はわからなくはないので、雨妹もひとまず同調してから、さらに問う。
「ではその時、お医者様はなんと?」
これにも敏はなんということもないという様子で話す。
「大した怪我なかったので、似たような者らがまとめて寝かされていた部屋で起きたところで、そのまま帰りましたよ」
――雑か!?
雨妹は口から飛び出しそうになった言葉を、寸でのところで飲み込む。
皇后宮では対処するべきことがあり過ぎて、敏のような「一見気絶しているだけ」な人々は放置されてしまったのだろうとは想像できる。ここで敏に言っても仕方のない事だとはわかっているが、その後に敏が降格処分となった事件が起きたのであれば、やはりそれで済ませてしまったのは見過ごせない問題だった。
「ですが、打ち身などが後で痛みませんでしたか? そうした場合、日が経ってから痛みなどが出てくる場合もありますから」
さらに雨妹が懸念を口にすれば、敏は何故雨妹がこの話題をそんなにも引っぱるのかと不可思議そうにする。
「多少はありましたが、動くのに問題ありませんでしたから、仕事に障りはありませんでしたよ。ご心配、感謝します」
そして感謝の言葉で会話を切り上げられてしまう。どうやら、転んで気絶した事実は、敏本人はもちろんのこと、誰からも重要視されていなかったようだ。
――これだよ、「転んだ」っていうのを軽く見る罠!
前世でもあったことだが、「転ぶ」という事実を案外軽く見てしまう人は多いのだ。「ただ転んだ程度で大袈裟だ」と思ってしまう、もしくは医者にそう言われるのではないか? と気が引けてしまうらしい。けれど転ぶというのは、「打撲」という症状を伴う立派な事故である。
語感が軽く感じるのも、軽んじる要因だろうか? 「転ぶ」ではなく「打撲」として捉えていたら、数日経っても痛みが残れば医者にかかることを考えるだろう。
そしてこれで、雨妹は疑いを確信へと進めていた。
――この人はたぶん、怪我の後遺症による嗅覚障害の可能性が高い。




