692話 王美人の屋敷にて
門に三輪車を預けた雨妹が案内されるままに連れていかれたのは、以前も父と面会した部屋であった。
「雨妹、いらっしゃいな」
庭園を愛でながら父と二人でお茶を飲んでいた王美人が手招きをするので、二人の前に進み出た雨妹は、まずは父に向って叩頭する。
「張雨妹、まずは昨日の働きの素晴らしさを褒めよう。そなたと陳医師はよくやった」
「ありがとうございます」
父が皇帝の顔で言ってきたのに、雨妹は顔を伏せたまま礼を述べた。
「陛下、わたくしは雨妹とお茶を共にしとうございます」
「うむ、面を上げてこちらに参れ」
そこへ王美人が朗らかに口を挟んだので、雨妹は父から許可が出て卓を共にすることになる。
――うむ、流れるように座ったけれど、誰かに見られたくはないな。
雨妹は誘われた側とはいえ、確実に不敬だと叱責される案件であり、知らない誰かに見られれば「断るのが礼儀だ」とでも言われそうだ。さらには王美人自らにお茶を給仕されることになりつつ、雨妹は父に話しかけられる。
「それにしてもあの後、燕淑妃宮に向かうとは思わなんだぞ?」
雨妹の燕淑妃宮への速攻作戦は、どうやら父にも予想外であったらしい。けれどこの人の予想を上回れたのが、雨妹にはなんとなく気分がいい。
「ああいうことは、ものの勢いも大事ですし。無事に燕女史も治療を受け入れてくださいましたので、結果良ければ全て良しです!」
「まあ、あの燕女史が元気になるのであれば、良い事ですね。わたくしもお身体の具合が良くなさそうなあの方のことを、少々心配しておりましたのよ?」
そう言い切って胸を張る雨妹に、王美人がふわりと笑いかけてくれるのはまさしくご褒美の笑顔である。
しかし実は、父からの頼まれ事をまだ全ては終えていなかったりするのだ。
「それで、朕の申しつけた事は明らかになったかの?」
「それですか」
父から少し意地悪そうな顔で言われ、雨妹は眉間に皺を寄せる。
そう、雨妹には父からの宿題である「燕淑妃の秘密」がまだ残っていた。その話をするためであろう、癒しの王美人が微笑みながら席を立つと、部屋から退出してしまう。
――なにこの、圧迫面接みたいな状況!
余人を残してできる話ではないと雨妹もわかっているが、わかっていても国の最高権力者と一対一での問答は辛いものがある。
「それで、なんと思うたか?」
しかし心の余裕を取り戻す間もなく、早速答えるように父から促された雨妹は、頭の中を整理しながら口を開く。
「先に結論を述べれば、燕女史が燕淑妃の代わりをして動いていることが、ままあったのではないかと考えます」
そう言い切った雨妹を父の視線が射抜くが、さすがの皇帝の圧力を感じて背に冷や汗が流れた。
「何故そう思った?」
父に問われ、雨妹は気合を入れて告げる。
「燕女史の言動です。良家の子女として教育されたでしょうに、物言いが硬過ぎるのです」
言動の硬さが道士たちに混じって過ごした故のことであっても、あれだけの賢い人であれば、物言いを使い分けるくらいできるだろうに。
「それなのに、お二人が打ち解けた時が特に露わだったのですが、非常に雰囲気や声が似るのです。燕女史が病で容姿に影響が出ていてなおそうなのです。体格も似通っているため、以前の健康な頃であれば言葉遣いや化粧を合わせれば、双子であると思ったかもしれません。だからあの言葉遣いは、他者に印象を違って感じさせるための敢えてのものなのかと考えました」
一気にそう言い切った雨妹の言葉を、父はしばし吟味するように黙する。
燕淑妃は国母である伊貴妃の代わりに、様々な国の行事で皇帝に付きそってきた人であると聞いている。それを身代わりがこなしていたとなれば、不穏どころの話ではない。外交の席もあったらしいので、それこそ外交問題になるだろう。
けれど一方で、そう考えれば燕淑妃の噂での評価がしっくりと来るのだ。最近燕淑妃宮が門を閉ざしてしまっていたのも、燕女史が甲状腺の病で体調を崩してしまい、とうとう燕淑妃の代理をできなくなったことが原因であろう。燕淑妃を頼られ、以前のような対応ができないことを追及されたら困るのだ。




