682話 崩れるのはあっという間
雨妹たちの顔色の悪さを見て、燕女史は話が正確に伝わったと確信したようだ。
「当時、皇太后陛下は安全な百花宮から、道士伝いに聞こえてくる戦場の勝ち負けを、まるで盤上の遊戯のように楽しんでおられたという」
同じ国の中であるのに、それは酷い温度差である。
「戦を遊戯だなどと、なんという恐ろしい……!」
燕淑妃が怯えたように震わせる肩を、燕女史が何度も撫でる。
燕家の道士たちは当時の皇后という後ろ盾のおかげで怖いもの知らずであり、道士の中でも特に自らの力を世に知らしめたいと思う者らは、戦乱の世を良しとして、己の目の前で戦況が面白いくらいに動く状況に酔っていたという。
ところがある時、そんな道士たちの手に負えない存在が現れる。
それが現皇帝、志偉であった。
「燕家の小細工など、真の強者の前には無力であったそうだ」
燕女史が微かに苦笑してから語る。
戦上手であった新米皇帝の猛攻により、諸侯たちや道士たちは打つ手が追い付かなくなってしまう。怪我を癒す秘薬も敵を制する毒も使う間もなく、新米皇帝が戦に勝ってしまうのだ。そうなれば「戦ごっこ」で延命していただけの諸侯たちは、たちまちのうちに新米皇帝の元へ下ることになった。
こうして長い間戦況を支配していた燕家の道士たちは、あっという間に主導権を奪われてしまったわけだ。
――なるほど、父無双の真相はこれか。
前世の小説や映画では圧倒的強者が蹂躙する物語があったものの、現実でそんなことが起きるのかと、我が父ながら疑っていたのだ。だがなんのことはない、双方のやる気が違ったのである。実際に父が強かったのは真実であろうが、「戦ごっこ」を止めさせる気概のある皇帝候補が出てこなかったこともまた、戦乱が長引いていた理由だったのだ。ひょっとしたら父も、相当無理無茶と思われるような作戦でも決行したのかもしれないが。
とにかく、こうして内乱はどうにか終息したわけだが、その後に待っているのは戦後処理である。
「当然、燕家も戦争責任が問われることとなった」
諸侯たちはここぞとばかりに燕家に責任を押し付けようとして、八百長戦争は燕家主導であったのだと口を揃えたらしい。これをどうにかするのだって頭が痛いというのに、同時に燕家内でも戦後処理問題というべき騒動が勃発した。道士たちの分裂騒動である。
「戦が道士たちを変えてしまったのだ。道士たちはこれまで通りの地道な修行の積み重ねではなく、もっと高揚感を得られる過激な修行を求めた。彼らはすっかり戦遊戯に酔ってしまっていたのだ」
――戦の後遺症か。
雨妹のみならず、立彬と陳もそれを察した顔である。
戦場を経験すると、戦場の高揚感が忘れられない者、戦場の過酷さに大きな心の傷を負った者が出てくる。これが兵士であれば、軍やら傭兵団やらで言い伝えられていて、その対処の心得もそれなりにあったであろう。
ところが燕家の道士は、実際にはそうした戦場の現場に出ていたわけではないそうで。後方の安全な場所から指示を出し、動くのは諸侯たちに仕える兵士たちだった。戦場の過酷さを経験しておらず、机上の戦場を動かすのみであったがために、道士たちには高揚感しか残らなかったのだ。
「無茶な修行の末に見るに堪えない死に様を残す者が多くいたし、実際にわたくしも垣間見たことがある。なんとも酷い時期であったよ」
そんな道士の姿を憐み、危機感を覚えたのは、戦に道士を参加させることをずっと反対していた、平和を論じる一派である。
『道士とは己と対話する者なり。自分で自分を弄んでいる内には、対話など永遠に不可能なり』
平和派はこう宣言して、戦の高揚感を忘れられない者たちを戒めた。しかしこれに、戒めを突き付けられた方が反発する。
『戦を知らず山奥で温い修行をしていただけの連中が、なにを偉そうに! 我らこそが真理に近付き、高みへと進んだ道士である』
このように述べ、己らの戦の成果をことさら強調する道士たちを、悪いことに燕家の長老たちが支持したという。




