676話 会話劇の末に
思いもよらぬ言葉が燕女史の口から飛び出したことで、燕淑妃のみならず、雨妹たちこの場にいる皆が凍り付く。
「一人で立つ主にとって不要な存在であるわたくしを、解雇して清々しておしまいなさい」
そうして一人で勝手に納得して話を進める燕女史に、理解が追い付かない燕淑妃が愕然としていた。
「なんと、馬鹿なことを仰るのか!」
郭比が顔をくしゃりとして叫ぶのも、燕女史は聞こえないふりをして、燕淑妃を真っ直ぐに見る。
「さあ、なにをしているのです、お早く」
燕女史に急かされた燕淑妃の目から、ポロポロと涙が溢れ出る。
「姐姐、なにを言うの? わたくしを捨ててしまうの?」
泣き出した燕淑妃に、ぐっと唇を噛み締めた燕女史が吐き出すように告げる。
「いいえ、逆です。主が私を捨てるのです」
「捨てるわけがない、わたくしの姐姐なのに!」
その発言に燕淑妃が反射的に言い返せば、燕女史はフルフルと首を横に振った。
「捨てねばならぬのです。わたくしの存在は主の害悪となりましょう」
「なんということを言うの!? どうしてそのようなるのかわからないわ!」
椅子から立ち上がって叫ぶ燕淑妃どころか、他の誰もが燕女史の言い分を理解できない。
「そのうち、妹妹もわたくしを鬱陶しく、憎らしく思う日が来る。そうなる前に、美しい思い出であることができる内に、わたくしは身を引いた方が良いのだ」
「憎むなど、わたくしのことをそのように思っていただなんて。わたくしを信じていなかったのですか!?」
「なんと言われようとも、わたくしたちは離れるべきなのです!」
燕女史と燕淑妃が激しい口論を始めてしまい、雨妹としても戸惑ってしまう。まさかここまで燕女史が激しく拒絶する、というか、ここまで思いつめるとは。一体彼女はなにを思ってあのような態度を取るのだろうか?
燕女史は妹のことをちゃんと好いているようだったのに。燕淑妃は姉のことが大好きだという風であったのに。どうしてその「好き」がこんなにも噛み合わないのだろう? この疑問について、あの父からの依頼のこともあわせて考えれば、この口論に至った事情について思いつくことはある。
――燕女史はひょっとして……。
それに賛成できるかは別のことだが、理解はできる。でも、この方法はいけない。このように感情任せで一方的に決めつけて、早急に進めるべきではないことだ。このまま口から出るままの言葉に任せていたら、やがてこの姉妹の間に修復不可能な傷ができるだろう。
「嫌です、そんなことはしない!」
「するのだ、妹妹はそもそも――」
「二人共冷静に、一旦口を閉じるんだ!」
姉妹の口論に、ようやく郭比が乱暴な言葉遣いで強引に割って入る。そのせいで姉妹が口をつぐんだことで、一瞬の隙が出来た、その瞬間――
「感情で事を進めようとするのは、後に大きな後悔を生みますよ」
発した雨妹の静かな声が、妙に一同の間に響いた。
「雨妹……」
くしゃりと顔を歪めて泣いてもなお美しい燕淑妃が、瞬きをして雨妹を見る。燕女史は口論を再開する様子ではなく、黙して俯いていた。雨妹が視線を巡らせると、立彬も郭比もなにも言ってこない。どうやら発言を止められないようなので、雨妹は姉妹に向かってさらに述べる。
「言葉とは時折勢いがつくと、自分が思ってもいないことを紡いでしまうもの。だから熱い口論であっても、頭は冷めていなければなりません。ですがお二人共に、頭に血が上っているように見受けます」
そして燕女史もハッとした顔をした。まさに、そうした言葉が出そうになった寸前だったのかもしれない。
「対話が全てを解決するとは思いません。話が通じない相手というものは存在しますから。ですが、互いに隠し事をしたまますれ違う対話程、無為な時間はないと、私は考えます」
そう語り掛ける雨妹の頭巾の下から覗く青い目が、まるでそれぞれの心を射抜いたかのように、姉妹が動揺を見せた。




