671話 勢いが大事です
こうして雨妹たちは裏門までやってきたわけだが。裏門の傍に、軒車が待機しているのが見えた。その軒車の横には人が立っている。
「あれは……」
軒車を見た燕女史が微かに眉をひそめているのは、その軒車にも付いている人にも見覚えがあるからだろう。その人がこちらに気付いたようであるのに、雨妹は燕女史の様子に気付かぬ振りをして、大きく手を振った。
「郭比さんじゃないですかぁ!」
そう、そこにいたのは燕淑妃宮の宮女である郭比である。
「やあやあ掃除係殿、そなたとここで会うとは奇遇であるな」
郭比の方も手を振り返してきたが、「ここで会えるとは全く知りませんでした」という態度であるのが、いかにも白々しく見えたらしい立彬が眉間に皺を寄せてジトリと見てくるのだが、雨妹はまるっと無視だ。
「何故ここにいるのです? それに、雨妹とそれ程までに親しかったですか?」
燕女史が色々と不思議だというように問うのに、郭比はなにも不思議などない顔で返す。
「もちろん、お迎えに参ったのですよ。掃除係殿とは、気が合いましてな」
郭比は雨妹との関係を答えているようで、そうでもない。「気が合う」とは便利な言葉なのだ。
「迎えなど呼んでいません」
燕女史からの苦情も、しかし郭比は受け流す。
「なんのなんの、命じられずとも動けるのが、出来る人間なのですよ」
郭比が自分で「出来る人間」などと言ってしまうあたりが、すごい度胸だ。それに郭比とて、燕女史がこうした場合に徒歩で帰るであろうことは予測がつくし、協力者もいるとなれば先回りも容易である。
――まあ、私が誘導先を話し合ったんだけれどね。
今回は立彬の口から裏門へ向かうように言ってもらえたことで、燕女史に警戒させずに済んだのはありがたい。というかこれも、燕女史と合流する前に立彬にお願いしていたことであるが。
「いささか強引ではないか?」
「なんの、結果重視ですよ」
呆れて小声で囁く立彬に、雨妹はこちらも小声で返しつつ笑顔で押し通し、その後ろで陳が無になっている。そんな雨妹たちを、郭比が見渡す。
「聞きましたよ、皆様は大変な騒動に巻き込まれたとのこと。我が主もどうなったかと気を揉んでおりましてな。お疲れでもございましょう? 特に大活躍をした医官殿を労わりたいと、主が仰いました」
郭比がまるで舞台俳優のように大仰な身振りで気持ちを表しているのに、雨妹は「わぁ!」とこれまた大仰に驚く。
「すごいですね陳先生、皇后宮に続いて燕淑妃宮に入れるなんて。こんな経験またとありませんよ!」
「ああ、とても畏れ多いが、断るのも失礼だな」
はしゃいで会話を受ける雨妹に、陳が若干言葉遣いもぎこちなく応じる。
「光栄な話である」
立彬はそうとだけ言って、燕淑妃宮へ向かう空気を助けてくれた。
「……なんだ、どうしたことです?」
この盛大な茶番劇に、一人訳が分からないという顔であるのが燕女史である。なんの目的で雨妹たちがこのようなことをしているのか、理解できないらしい。この人はどうやら自分のことになると、途端に判断力が鈍くなるようだ。
燕女史と陳が顔を合わせたならば、できることがある。それはズバリ、燕女史があれ以来再診に来ないので出来ないままとなっている、健康診断である。
――この人、さてはすっかり忘れているな?
燕女史が陳の前でばつの悪い顔をするでもなく、なにも反応しないので、そうだろうとは雨妹も薄々思っていたのだ。もしくは、雨妹の本気と陳の医者としての使命感を軽く見積もっていたかだ。これを為すために雨妹と陳は根回しをして、燕女史に逃げられないように郭比に来てもらったのだから。
――どうも、姉妹での説得は難航しているっぽいしね。
当初の話では、燕淑妃が言い聞かせて燕女史が自ら医者にかかるのが、理想ではあった。けれどそれは未だに達成されていない。それにこう言ってはなんだが、燕淑妃は説得という作業が得意ではなさそうに見える。
一方で、雨妹はそういう説得工作は大得意だ。なので父からの後押しもあったことだし、多少強引になっても説得を手伝ってやろうと思ったのだ。
「決まりだな、さあ参ろうか!」
郭比が強引に燕女史を軒車に押し込むようにした後に、雨妹たちも続く。
というわけで、雨妹たちは燕淑妃宮へと出発したのである。




