668話 皇后の立ち位置
「馬鹿な、皇后陛下は以前、ほぼ毎日酒宴を開いていたのだぞ!?」
立彬が問い詰めるようにするのに、野猫は「そんなのは知らねぇ」と口を尖らせる。
「けど、おらはこの耳で皇后様が言うのを聞いたんだ! 酒を見ずに済むのが唯一良い事だって。それって、酒が嫌いだってことだろう?」
そう語る野猫には、嘘を言う理由なんてない。ならば、本当に皇后の口から聞いた言葉なのだろう。
「いや、しかしそれは……」
するとブツブツと呟いていた立彬が、やがてハッとした顔になる
「なにか思い当たるんですか?」
雨妹がそっと窺うと、立彬は難しい顔をしていた。
「思い当たるというか、関連があるかわからんが。酒嫌いというならば、皇太后陛下が酒を嫌っておられたのは、皇后陛下の酒宴好きと並んで有名な話だ」
――皇后ではなく、皇太后が酒嫌い?
これまたややこしい話になってきた。
立彬曰く、皇太后が酒を嫌う理由まではわからないそうだ。純粋に酒が苦手なのかもしれないし、酒に酔って酩酊状態になることで大きなしくじりをするのを恐れたのかもしれないし、酒に悪い思い出があるのかもしれない。
「だから、皇后陛下のことを酒宴ばかり開いてみっともないと、皇太后陛下が公の場で苦言を呈されたこともしばしばあった」
皇太后と皇后が衝突することがあったというのは、雨妹としては初耳だが、そもそも雨妹は後宮に来て年数が浅いため、皇太后やら皇后に絡むことがなかったので、知らなかったのはおかしなことではない。
「となると、皇后様がやたら酒宴ばかり開いていたのは、事情があったということですかね?」
敵が嫌うことをするのは、やり方としてはアリだ。酒宴を開くことで、皇太后が近寄らないように避けていたのだろうか? なにしろ「己こそ唯一」であった皇太后にとって、皇后とはいつでも替えが効く存在のはずだ。皇后のことを酒に酔った飲んだくれだと思っていてくれれば、皇太后も敵視しないであろうし、己の立場を危うくする存在として命を狙われることもない。
――気位を曲げてでも、命の方が大事だったんだろうなぁ。
皇太后の目を欺くための酒宴だったのならば、あの内装の雰囲気がとっちらかった酒宴会場も、また別の見方が出来る。とにかく馬鹿騒ぎをしている雰囲気を演出しようとした結果なのかもしれない。
そもそも、皇后が皇太后に懐いていると考える方が変だったのだ。大偉を出産した裏事情を考えれば、皇太后に懐く理由の方が探すのは難しいだろう。皇后なりの、皇太后への反抗だったとすれば、皇后は雨妹が考える以上に頭がいい人だということになる。
――けど、ますますあの父と気が合う人ではないな。
これが戦場で生死を共にする友人であったならば、また話は違ったのだろう。けれど帰る家には癒しを求める父なので、皇后と寄り添えるはずもない。なので皇后とは仕事としての夫婦関係であるとしても、それはそれで夫婦の形なのだろう。それに父も、「皇太后憎けりゃ皇后まで憎い」という態度を今後は改めるだろうし、案外皇后が酒嫌いなことを知っているのかもしれない。嫌っていても、付き合いだけは長いのだから。
そんな意外な情報があったものの、雨妹たちは皇后の寝所へ続く穴の出入り口を確認するという、当初の目的は達成できた。
「この穴、どうするんです?」
「わからん。だが皇后には早急に、寝所を建物ごと変えてもらう他はないだろう」
雨妹と立彬がそのように話していると、これを聞いて野猫が大いに慌てる。
「えぇ~!? それじゃあ、おらはもう皇后様に会えねぇよ、寂しい!」
野猫のこの意見は、まったくもって自分本位で我儘なものであった。しかし、その様子が本当に寂しそうで。
「……ふふっ」
雨妹は悪いと思いはしても、つい笑ってしまう。損得もなく、ただ「寂しい」という理由で皇后に会いたがる者が、今この後宮内でどれだけいるものか?
雨妹と同じ思いを、立彬も抱いたのだろう。
「会えなくはない、きっとな」
「そうかぁ?」
どこか確信を抱いたように断言する立彬を、野猫が唸るように問い詰めるのが、まさに野生の猫っぽい。
「さて、報告に戻るぞ」
いつまでもここでしゃべっているわけにはいかないと、立彬がそう仕切り直す。
――そうそう、私だってこれでお役目終了じゃあないもんね。
皇后宮の状況が落ち着けば、次のお役目が待っているのだ。




