665話 組織というもの
どんな組織であれ、率いる長を失えば混乱の末に瓦解するものだ。しかし皇太后には子分と言える皇后がいたので、それである程度組織が導かれるものだと、雨妹も思っていた。けれどそう上手くいっていないのが現状である。
そこで考えるのは、組織運営の一筋縄ではいかない難解さだ。
前世でも大なり小なりの組織運営で面倒だったのは、影響力を持った統率者が消えた後の後継者選びだ。前任者が長い間絶大な信頼感を集めていた場合、後継者がどれほど有能であっても、前任者以外を本能的に受け付けられず、なにをやっても文句を言われてしまう。もしくは人事の癒着が凝り固まって、他のやり方が出来なくなっていくのだ。
――私もあったな、そういうこと。
雨妹は前世で勤めていた系列病院内で、配置換えを周期的に受けていた。その異動先で院長なり看護師長なりが同じ病院に長く配置されていると、その院長や看護師長の意向が強く出る組織運営になってしまうのである。結果彼らの好みが勤務にまで響き、その好みに合わない動きをする看護師や医師は辛く当たられ、理不尽な目に遭ったものだ。
雨妹とてその一人になった経験があり、後にしっかりと同じ被害者と連絡を取り合って署名を集め、上部組織に嘆願書を出してやったが。長く勤めるからこその人脈や信頼感というものも生じるものの、それと癒着とは紙一重なのだ。
そうなってしまうから、配置換えは人事の流れを滞留させないためだという側面がある。そういうことをきちんと説明せずに、ただ配置換えだ転勤だと命令すると、また別の反発が起きてしまうのが人事の難しさであろう。
話を今に戻せば、皇太后は後宮で権力の頂点を握る期間が長すぎた上に、皇后を自分が亡き後の後継者として扱っていなかったのだろう。先代皇帝も同じように後継者を決めなかったせいで内乱を招いたという話だったし、まさに似た者夫婦ということか。
――いや違うか、先代皇帝を真似たんだろうな。
先代皇帝は次代に騒乱の種を残した困ったさんだったが、庶民目線だとその治世は平和であったと、雨妹も尼からの昔話で聞き知っている。それに先代皇帝の側で良い思いをした皇太后ならば、その手法をお手本にする理由としては十分だろう。けれど問題なのは皇太后の目的が平和な後宮運営ではなく、自らのみが後宮の頂点に君臨するという、先代皇帝の負の側面を真似てしまったことだ。
加えて厄介な点は、先代皇帝と違って皇太后はまだ生きていることである。皇太后派の者たちには皇太后に対して「もしかして戻って来るかもしれない」「自分たちの不幸をいつか救ってくれるはず」という期待を抱けてしまうのだ。
――そうなるともう皇太后派ではなく、皇太后教かもね。
皇后宮の者たちが未だに皇太后の名を口にするのも、それがある意味念仏のような代物になっているのかもしれない。
「宗教って面倒臭いんだよなぁ~」
雨妹がそんな風にぐるぐると考えていると、ふと気付けば周りがみんなこちらを見ているではないか。
「雨妹よ、考え事は黙ってするものだ」
呆れ声の立彬に指摘され、雨妹は自身の口を押える。
「……ひょっとして、口に出ていましたか?」
「ああ、結構な声量でな」
恐る恐る尋ねる雨妹に、立彬が渋い顔で頷く。
「すみません、黙りますので続けてください」
雨妹はそう言って殊勝に縮こまったのだけれど、刑部は聞きたいことをあらかた聞けたらしく、野猫の事情聴取は終わりらしい。
「馬をこらしめてくれるんか?」
「犯した罪に見合った罰を与えるのが、我々の仕事である」
野猫の期待満面な様子に、謎はお約束の定型文のような答えを返す。
「なんだそれ、難しいことを言って誤魔化すのか!?」
野猫が噛みつくのに、しかし刑部は表情を変えずに黙している。
――まあ慎重になるよね。
刑部もやはり、皇太后派の残党を警戒しているのだろう。なにしろ皇后宮のような極端な状態ではないにしても、未だにこっそり皇太后を支持する者はそれなりにいるのだ。
『皇太后陛下は犯罪者の手引きはしたかもしれないが、自分個人は良い思いができていたから、結果皇太后陛下は良い人だったのではないか?』
後宮でも外城でも、こういう考えは多いだろう。特に下っ端だと皇太后の怖さには直に触れていないので、特に不満がなければ「皇太后陛下がいらした頃は景気が良い時代だった」で済むのだ。刑部もこれであまり取り締まりを厳しくして、彼らに反乱分子の集団化されてはたまったものではない。父も皇太后関係の処罰を長引かせて、後宮や宮城の空気を不穏にするのは避けたいだろう。
――だから、単なる犯罪を裁くだけならサッサと済む話なんだけれどさ。
これに宗教的要素が加わるとしたら、もしかすると尾を引くかもしれない。




