658話 闖入者
穴から現れたのは、雨妹よりも小柄な宮女だった。そばかす顔が愛らしく、どうかすると子どもにも見えてしまう。子どもなのに宮女として誤魔化せてしまうくらいに大人びていた、一時期雨妹の後輩であった何静の逆である。
「……あれ?」
その娘は穴を塞いでいた戸棚が急に動き、その向こうに複数人がいる光景が広がっていることにしばし呆けていたのだが。
「まずっ!?」
自分があまりよくない場面に出くわしたのだと、遅まきながら気付いたようだ。慌てて穴の中に後退しようとするも、それも一寸遅く、立彬の手が彼女を捉える方が先だった。
「びゃっ!?」
まるで猫のように襟を掴まれて持ち上げられたが、長く穴を這ってきたのか、なかなかの汚れ具合である。
「あ、皇后様ぁ! お助けぇ~!?」
その娘は立彬に持ち上げられたまま、ジタバタともがいて寝台の上の皇后に向かってへ手を伸ばす。
「はぁ」
助けを求められた皇后はというと、渋い顔でか細く息を吐いていた。
「放せ放せぇ!?」
娘は掴み上げられながらも暴れ続けるが、当然立彬は放したりはしない。まあ見るからに怪しい現れ方をしたので、危険視するのは当然だろう。
しかし、そんな立彬を止める声が上がった。
「その娘を解放せよ」
なんと、皇后が命じたのだ。
「……は」
皇后命令とあれば逆らうことなどできず、立彬が彼女を床に放す。
「ぎゃん!」
しかし床への置き方が多少雑だったようで、彼女は尻を打ったのか一人ウゴウゴともがいていた。なんというか、一人で賑々しい娘である。しかし宮女のお仕着せの意匠を見るに、皇后宮の宮女で間違いないみたいだ。
しばらくして尻の痛みが引いたようで、彼女はハッとした顔になったかと思えば、身を起こして目の前の立彬を睨むと。
「悪者め!」
なんとそう言ってビシッと指を突き付けたではないか。
「……は?」
何故か悪者認定されてしまった立彬が、ものすごく眉間に皺を寄せて怖い顔になる。そんな立彬に彼女はちょっと怯んで何度か口をはくはくさせたものの、破れかぶれのようにして叫ぶ。
「皇后様をいじめるな! 死ぬ前におらは言ってやるからな! 皇后様をいじめるなんて許さねぇぞ、馬の手先め!」
「……なんだ、この娘は」
馬の手先扱いをされてしまった立彬は困惑顔で、仕舞いにはため息を吐いている。
「アレは皇后宮の宮女か? にしては、変わった毛色であるな?」
この様子を眺めていた父が不思議そうに疑問を零すのに、呉が答えた。
「人手不足のために、急遽入れた人員がかなりいますので、そのうちの一人でしょう――教育が十分な者はどこの宮からも引く手数多ですし、仕えたい宮を選べるのです」
呉が遠回しな説明をしたが、つまり皇后宮はその引く手数多な人材からは不人気だということだろう。皇后宮も昔はともかく、現在は今後の行く末が不確定なのだから、将来性を考えると選びたい仕事先ではないかもしれない。だからこんな一般の宮女としても少々どころではなく教育不足な娘であれど、皇后宮に居られるというわけか。おそらく普段の彼女は、客人の目に付かない場所で働く仕事を任されているのだろう。
――ということは、皇后宮に居る教育が十分で仕事が出来る人たちって、数が少ない上にすごく忙しいんじゃあないの?
雨妹は皇后宮で馬やらサボリ宮女やらばかり見てきたのだが、それはひょっとしてそういう人ばかりがウロウロしていて、皇后宮に本当に必要な人たちは仕事に忙殺されてどこかに閉じこもっているからだという可能性が、雨妹の中で急浮上した。
なにはともあれ、闖入者のせいで変な空気になったのだが。この隙を見逃さずに雨妹たちの方へタタタッと駆け寄った彼女は、皇后のすぐ近くにいる陳を突き飛ばし、寝台の上へガバッと倒れ込むようになる。
「いじめるな、いじめるなぁ!」
そうやって必死に訴える娘は、もしかして自身で寝台を覆い隠しているつもりなのかもしれないが、小柄な彼女では寝台の端にしがみついているようにしか見えない。そして穴を這ってきて汚れた姿で寝台にしがみつくものだから、当然布団などが汚れてしまうのだが、皇后はそれに怒る様子を見せない。
――余程の仲なのかな?
少なくとも、彼女が皇后に懐いているらしいのは確かだ。




