650話 こちらからも参戦する
雨妹が一人「う~ん」と悩むと、立彬が声を上げた。
「まず私が出よう。燕殿では話が拗れるかもしれぬ」
偉い人同士の揉め事が起きても落ち着いているのは、さすが太子付きである。
「それがいいでしょうね」
燕女史も同意したので、立彬が外の様子見に出ることが決定したところへ、雨妹はビシッと手を上げた。
「私も一緒に行きます!」
「なにを言うか、余計にややこしくなるとしか思えぬわ」
同行を宣言された立彬は渋い顔をしたが、雨妹にも考えあってのことだ。
「宦官一人が皇后の寝所から出てきたら、それはそれで話が拗れませんか? 私が一緒だとその点では安心でしょう?」
とてもお利口な理由を述べる雨妹だが、もちろんそれだけではない。
――それになにより、私は修羅場が見たい!
あんな状況、野次馬心を静めろという方が無理である。そんな本音が建前を押しのけて口から溢れそうになるのを、雨妹は笑顔で隠し通す。
「ふぅん」
立彬はこの言い分に一理あるという顔をしたものの、疑わしい目でじっと見つめられたのに雨妹が数秒耐えた後。
「いいだろう。だがくれぐれも、余計なことをしないように」
結果同行を許可した立彬から、深い眉間の皺と共に睨まれつつ釘を刺されたのに、雨妹はコクコクと懸命に頷いた。
そうとなれば、雨妹は外していた頭巾を再び被り、目深になるように調節する。
「雨妹、これを返しましょう」
そこへ燕女史が香を少量取った手巾を差し出してきた。そういえばアレを渡したままであったか。話の流れで必要になるかもしれないので、雨妹は香を包むようにして手巾を折り畳み、懐に仕舞う。
立彬も衣服の汚れを軽く目視して身なりを整えてから、雨妹を見た。
「行くぞ」
「はい!」
雨妹が背後に付いたところで、立彬は外で会話が途切れた隙に扉を開ける。
「お休みになられている皇后陛下が起きてしまわれますので、お静かに願います」
そして立彬は姿を現すなり、ちょっと不機嫌そうな調子で騒ぎに向かって注意を促した。
「なんと、何者か!?」
皇后の寝所から皇后宮の者ではない宦官が出てきたことに、叩頭から身を起こしかけている馬がぎょっとした。一番隠すべき場所に、まさか先立って誰かに侵入されていたのだ。
それにしても馬は優雅な仕草とは程遠く、髪や衣装が少し乱れている。移動に時間をかけるのが優雅であるとされる高位女官であるのに、皇后宮に戻るためになりふり構わず急いだらしく、余程慌てたのだろう。
立彬はというと、そんな馬には応じず父だけを見てその場に叩頭するのに、雨妹も続く。
「皇帝陛下、万事つつがなく行われました」
「なにを――」
立彬がこのように述べると、馬が立彬に噛みつこうとする。
「よくやった。皇后はいかにしておるか?」
だがそんな馬の言葉に被せるように、それまで黙っていた父が立彬に声をかけた。
「くっ!」
さすがに皇帝に対して「うるさい!」などと文句をつけるまでは理性を失っていないようで、馬は口を閉ざす。そして父からの問いかけに、立彬は微かに顔を上げて答える。
「案内の者についていけば、皇后陛下が濃すぎる香の煙の中でお眠りになられていたので、大変驚きました。その香というのがどうにも具合を悪くするものであり、あのような環境に皇后陛下を滞在させるとは、皇后宮は主に対して悪意を抱いているのかと、疑念を覚えざるを得ません」
「ほう、なんとな」
順を追って説明する立彬に、父がことさら驚いてみせた。
「なにを、でたらめを言うでない! さような事実はございません!」
そして馬がさっと顔色を悪くしながらも否定するのに、すかさず立彬は言い返す。
「静かにせよと言ったぞ、次席女官の馬よ。それに、誰の許しを得て皇帝陛下の前で顔を上げているのか?」
「おのれ、わたくしに意見しようとは無礼な!」
立彬から「次席女官」という身分をことさら強調されたような呼び方が癪に触ったようで、馬はギリッと唇を噛み締めて、いよいよ完全に身を起こした。




