622話 大胆、かつ挑戦的
「金の話はともかくとして、胆力とは。説得力があるような、ないような……」
けれど反対する要素も思い当たらないらしい立彬なので、これはあと一押しで説得できそうな感じだ。いや、別に今立彬を説得できてなんになるわけでもないのだが、少なくとも雨妹が議論に勝って気分が良くなる。
「あとは決定的な失敗をしないために、お目付け役がちゃんといれば良しなんですけど」
「あぁ、今なら呉様がいらっしゃるねぇ」
雨妹がそう結論付けると、楊がポンと手を叩いてそう言ってくる。そう、案外条件は揃っているのだ。
「けれど、相手はあの皇后陛下だぞ?」
これまで皇后は、言ってはなんだが皇太后のおまけ扱いをされていて、影の薄い存在だった。なので皇帝へ影響を与えられる存在として成り立つのか、立彬はそこを問題視しているのだろう。けれど昔は昔、今は今だ。
「人って幾つになってもどんな状況でも、学び直しはできるものなんですよ? やりもしないでの駄目出しは不毛です」
雨妹がそう言って指を振って見せるのに、立彬が「だがなぁ」と渋い顔になる。
「ふっふ、なるほどねぇ。小妹の考えることには驚かされるよ」
けれど楊の方は、楽しそうにニコニコとしていた。
***
雨妹が立彬と楊相手に相談会を開いた、その日の夜。
こちらは宮城の片隅にある、ひっそりとした部屋でのこと。
「ふむ、雨妹はなかなか面白い考えをするものよ、はっはぁ!」
志偉が酒を飲みながら、誰もいない空間に向かって思わず笑ってしまっていた。
あの陰険で秘密が好きな燕家は、ただやる事全てにケチをつけてくるばかりの連中と思っていたのだが、そのような理由付けを初めて聞いた。宮城では皇帝の味方を称すると同時に不満ばかりを述べて、それでいて自分たちは周囲よりも一段高みから世の中を見晴らしている、特別な存在であるという自負が強い。それが燕家であるというのが、志偉の印象であった。
彼らはなにが目的なのか、どちらからも利を得ようとしている欲深なのかと、まったくもって考えがわからなかったのだが、雨妹の意見は志偉に「なるほど」と思わせる説得力がある。
そして同時に思い浮かべるのは、後宮で奮闘する美しい姉妹の姿だ。
『どうぞわたくしを利用なさいませ。代わりに、お願いがございます』
かつて志偉と二人きりになった閨の中、身体と声を恐怖で大いに震わせながら、それでいて真っ直ぐに見つめてきた燕淑妃の眼差しが思い出させられる。
「そうだ、我は『対価』を守らねばならぬしな」
志偉は一人呟く。
いずれにせよ、皇后のことはどうにかしなければならない問題である。どうやって大人しくさせておくかと頭を悩ませていたところへ、意外な視点が上がったものだ。雨妹の意見は宮城の懐が全く痛まないので、試しにやってみることに問題はない。皇后も自尊心をくすぐる立場を手に入れるのに、否とは言うまい。あとは、志偉が燕家と同じ失敗をしないことだ。
燕家が失敗をしたのは、「自分たちには出来ないことはない」という万能感に支配されてしまったからだろう。一方で志偉は知っている、自分がいかに無力な唯人であるのかを。
そんな唯人である志偉が望むのは、世界の覇権やら支配ではない。娘と過ごす穏やかな老後だ。早く明賢に今の座を明け渡し、自身は山奥に引っ込む。その際に身の回りの世話係として宮女を一人身請けするのに、なにもおかしなことなどないだろう。
すんなり皇帝の座を引き継いでもらうためにも、その引継ぎを邪魔するであろう障害を早めに排除しておくに越したことはない。
「誰のための壁であったか、調子に乗った奴らにお灸を据えてやるのも一興よな」
志偉はそう呟くと、ニヤリと口の端を上げるのだった。
***