620話 父はなんだか可哀想
立彬からは警戒されてしまったが、「強者二人の対立」というのはありがちな構図だ。前世では政治の世界でよく見られたものだし、それをもっと視線を落として「主人公と好敵手」という関係にも通じるものであろう。
皇帝の権威を制限したいと言われると、普通に考えれば「その人は皇帝をお飾りにして、実質の権力を握りたいのか?」と思ってしまう。けれど雨妹が想像するに、燕家はそういうことではない気がする。そういうことではなく、どちらかというと縁の下の力持ちのような立場に意味を見出しているのではないだろうか?
――あれだよ、格好良く言えば影の支配者!
そういうことにロマンを感じる気持ちは雨妹にもあるし、巻き込まれる立場でなければ、ニマニマと燕家のやっていることを見守っていただろう。さらに言えば、表に出ない存在であったから、雨妹は最近まで「燕家に気をつけろ」というような忠告を、誰からも聞いたことがなかったのだ。
そもそも、何故燕家は皇太后に目をつけたのだろうという疑問はあるが、雨妹が想像するに「おだててやれば、すぐその気になったから」というのが理由である気がしなくもない。
――威張るのと権力が大好きな人なら、おだてに弱そうだもんね。
裏で糸を引く立場からすれば、自分たちの手の中で動いてくれる人であるのが都合良いはずである。
そんなことを考えながら、雨妹は話を続ける。
「燕家にとって、皇太后陛下の失脚が失敗だったとすればですよ? 皇太后陛下がああなる前、もっと早くになんとか状況操作をできなかったのかと、そう現場を責める意見があってもおかしくないような気がします」
「うぅむ」
これに立彬が難しい顔をして唸る。
「指揮官と現場で戦う兵との判断の齟齬は、たまに聞くことではあるな」
立彬もそういう経験があるのか、この意見を否定できずにいる。これは誰が良い悪いというものではなく、どんな組織でも上司が必ずしも現場に精通しているとは限らないということだ。
「そもそも、皇帝陛下に強い外敵が存在すれば、燕家だって皇太后陛下を壁として育て上げるような事をしなかったのかもしれませんけれど……」
雨妹が困ったように言うと、楊と立彬も渋い顔になる。
「陛下は外敵にも全勝したお方だからねぇ」
「その上、最後であり最大の敵でもあった黄家とも融和してしまわれた。その黄家の大公も老いたし、その次代は大公に比べて迫力に欠ける」
楊がそのように述べ、さらに立彬も意見を加えてきた。
父がこれだけ敵を撃破しまくってしまったために、燕家はその存在を脅威に思ったのだろう。父が戦に費やしていた力が、敵がいなくなったら暴走するのではないか? と恐れたのだ。しかも父は次期皇帝としての教育を受けていたわけではないので、国内を統治する能力は当時未知数だったわけである。
――まあ、普通の人からしたら怖いっちゃあ、怖いかぁ。
戦に勝って敵を撃破していた時は盛り上がっていた世論も、敵がいなくなった瞬間に現実に立ち返ったのだろう。この強い皇帝は、その力を自分たちに向けはしないのか、まだまだ血を流すことを求めているのではないかと。戦時には称えられた英雄が平和になったら害に変わったというのも、前世の歴史でもたまに見られた話である。
そんな世論を汲み取ったのが、燕家であるのかもしれない。
――けれど父、強すぎたせいで全方向から嫌われてしまったのなら、すごく可哀想すぎるんじゃない?
田舎でほのぼの暮らしていたところを、「皆が困っている」と言われたから頑張ったのだろうに。それか、どれか一つでも敵を生かして残しておけばよかったのかもしれない。雨妹は可能であれば、若かりし頃の父に忠告しに行きたいくらいだ。もしくは、既に本人が似たような後悔した後かもしれない。
「陛下の優秀さが燕家を警戒させてしまったのならば、皮肉な話だねぇ」
楊がそう言って「ほう」とため息を吐いて、自分でお茶のお代わりを淹れている。
「まあ、これも全てはなんの確証もない、私の妄想ですけれど」
「それでも、ありそうな筋の妄想ではあるな」
己の考察をそう述べて締めた雨妹に、立彬がそう告げた。
まあでも、雨妹はここまで考えてみたものの。それはそれとして、偉い人たちがやんやと好きにやればいいと思う。ここまでの話はあくまで問題の背景についてであり、雨妹が気にするべきは燕女史の事情だ。
「燕家の件で私が問題だと思うのは、燕女史がそんな御家事情と自分の気持ちをごっちゃにして、心身共に身動きが取れなくなっているのではないか? という懸念です」
「ふむ、つまり?」
唐突に話を戻した雨妹に、立彬が眉を上げた。
「燕女史は話した感じだと、すごく真面目な性格みたいですし。ああいう人って、あちらもこちらも立てようとして、結果なにもできなくなるような気がします。御家の命令に対して『できるか・できないか』を考えず、全てを真面目に遂行しようとすると心を病みますって」
雨妹は話しながら、そうなってしまう燕女史の様子が容易に想像できる。