615話 安心安全のお迎え
こうして、再び裏門は閉ざされたのだが。
「まずは、さっさと乗れ。まったく、軒車で向かえと言われた意味がわかったな」
立彬から促されたが、どうやら誰かに助言をされて軒車で迎えに来てくれたらしい。
――そうでないと、私の迎えに軒車なんて出さないよね。
その助言をしたのは、燕女史だろうか? それとも今回もどこかで見張っていたのかもしれない父の配下とかだろうか? この格好を父に知られたら、それはそれで恥ずかしいのだけれども。
なにはともあれ雨妹は軒車に乗り込み、三輪車は軒車に積んでもらえた。
「それで、その格好はどうした?」
そして立彬も中に座って軒車が動き出すなり、やはり真っ先に問われてしまう。
「聞いてください! 燕淑妃方に着せ替え人形にされたんです~!」
雨妹は「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに前のめりになってさめざめと訴える。
「それは、大変だったな」
これに立彬が長くは語られずとも渋い顔になった。偉い人には逆らえない下っ端宮女の苦労を思ってくれたらしい立彬が、心底同情してくれたのが心に沁みる。
「詳しくは言えませんが、伊貴妃と燕淑妃って実はすっごい仲良しだったんです。偉い人の仲良しに挟まれた下っ端宮女なんて、もう包の具みたいなものですよ」
「また微妙な例えを出してきたが、言いたいことは概ねわかる」
立彬が「仕方ないな」という顔でうんうんと頷いているが、今はそんな機械的な肯定でもいい。自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいるとは、こんなに素晴らしいことなのかと、雨妹は感動する。燕淑妃宮での雨妹は、「あ?」とか「え?」とかばかり言っていた気がする。
こうして、雨妹がひとしきり愚痴を吐き出している間に、軒車は太子宮に入っていた。
「まずは、その格好から着替えろ」
「そうですよね、やっぱり」
立彬からも言われたのに、雨妹は大きく頷く。しかしながら問題は、果たしてこの衣装を雨妹が一人で着替えられるだろうか? という点である。今更だが、どうやって着つけられているかわからないということに気付いてしまったのだ。強引にして、万が一うっかり衣装を破いてしまった時が怖い。
この雨妹の心配に、立彬がため息を吐く。
「母上に頼もう」
というわけで、雨妹は太子宮で軒車から降ろされ、その場で待つことしばし。
「あらあら、素敵な格好ね雨妹」
立彬が呼んでくれて秀玲が現れた。
「助けてください、どうやって着ているのかさっぱりわかりません!」
雨妹が正直に助けを求めたのに、秀玲が「まあ!」とクスクスと笑う。
――笑われてもいい、この衣装の恐怖から解放されるためならば!
それにしても、この場に太子が仕事でいないのは雨妹としては幸いである。太子ならば盛大に褒め称えてくれそうだが、雨妹があまりに恥ずかし過ぎる。
「では母上、お願いします」
「ええ、雨妹はこちらにいらっしゃい」
というわけで、立彬から秀玲に身柄を引き渡された。
雨妹は秀玲から着替えるための部屋まで連れていかれて、そこで元の宮女の格好に着替えさせてもらう。さすが秀玲で、帯やら紐やらをいじると衣装がスルスルと解けていく。全てを脱いでから元の宮女のお仕着せを着れば、雨妹はやっと呼吸が楽になった気がする。
だが、まだ問題は残っている。
「あの、この衣装をお返ししなければならないんですが……」
「わたくしから伝えておいてあげてもいいけれど、案外あちらは贈ったつもりでいるかもしれなくてよ?」
雨妹が気にしていた点を告げると、秀玲から怖い可能性を返された。
「自分で持っているとか、無理です無理!」
こんな衣装をもし虫食いでもさせたらと思うと、怖くてどこにも保管できない。
「まあその時は、わたくしが預かってあげてもいいわ」
本気で顔色を悪くする雨妹に、秀玲も憐れんだのかありがたい申し出をしてくれた。
――それなら安心だね!
こうして衣装問題が解決したところで。
「楽しい方々だったでしょう?」
雨妹は秀玲に編んだ髪を解かれ、編み癖を直されながら問われた。
「楽しい……そうですね、楽しくもありました」
雨妹はちょっと思案してから、そんな風に答える。
文芳と燕淑妃の勢いに飲まれてばかりだった雨妹だけれど、同時にあんなにも朗らかにはしゃぐ二人に、既視感も覚えていた。そう、前世で華流ドラマの同好の士と盛り上がっていた自分は、ちょうどあんな風だったのではないだろうか? 身分なんてものを視野から外せば、単なる仲良し同士での楽しいお遊びである。
――あんなにオドオドしていた燕淑妃も、仲良しの人と一緒だと平気なんだな。
人見知りな燕淑妃だが、一度心を許せばとことん懐くらしい。




